人類史の百貨店、アジアの揺り籠におけるあのジャワ原人発見(蘭Dr.Dubois)の隣のスマトラ島(当時は陸続き)に、豪Tanya Smith教授は、デュボアが一旦は発掘したものの「原人」は見つからずあきらめた地に光を当てました。
新旧の発見遺物に加え他の新人や動物及び洞窟の鍾乳石など、種々のサンプルを現代的な分析法と統計処理により、年代を明らかにしました。教授は、人類が①島の沿岸から高地(Lida Ajer 洞窟)に、②複雑な計画性や暮らしの技術的な発明を要する熱帯雨林での暮らしに適応した、新人の認知力に注目しています。オーストラリアへ筏・舟で90kmを渡ったことも、北部九州に約4万年前に30km以上を渡海し、伊豆の海で黒耀石を求めて行き来(3.8万年前)し、長野の高地に多様な石器群を残した(3.7万年前)ことも、津軽海峡を越えて北海道の暮らしに適応(3.5万年前後)して、その後、国宝の「白滝(祖代)遺跡群」を残したことも、現生人類・新人の歩みを考えれば不思議ではないのです。但し、インマレイドが赤道付近の暮らしから緯度を北上して九州に至るのに、白紙的に3万年という長い期間を要していますが、まあ、トバ大噴火のボトルネックの人口減少を経験した南方人ですからこれも理解できます。
さて、この重要な揺り籠における新人調査に対する日本の予算努力は極めて不十分であり、納税者として残念です。生徒・学生に教え、将来に期待です。