図左①花粉分析で万年前の気温変動に迫った模式図は、山の寒冷緩和期に緯度を北上して北部九州に渡海したことが納得でき、米国ニューメキシコWhite Sands(WS)における2.3万年前の足跡も#1氷床通過期にA、Bいずれにしろ南下して行ったとして新説を理解できます(但し、山・谷の時代も気温の変動はかなりありました)。
とすれば問題は、最寒期LGMに氷床通過ができない、#2通過期までの数千年間「鍵がかかった」状況であり、#1通過の人々は南北新大陸に拡がり君臨していたことになります。このことは重要で、半世紀以上前の南北アメリカの言語が類似というアメリンド大語族説に光を当て、言語学的に処々誤りがあるとして今では打ち捨てられていますが、ポイントを突いています。これもまた余り注目されていませんが、軌を一にする松本博士の環太平洋語族論にも光です。そして、DNAや考古学的な分析からの最初のアメリカ人の新南下説を、全く独立的にかつて研究した言語論が、新説を支持しているとも言えるのです。更に新説は、新大陸人のDNAの特色を説明しうるものかもしれません。②豊かな日本列島「祖人Sojin」Proto-Japaneseの北上史について、よく認識されていないのか、否定理由もなく北上の継続が採り挙げられません。約4万年前の渡海の民であり伊豆の海を行き来していた海民ですから、充実した基盤の北海道から次々に島が見えた食豊かな千島列島は、遺跡こそ見つかっていませんが北上できたでしょう。北千島の遊動海民のルートンは、現代までその痕跡を示しています。
このことは、③何故、アンダマン諸島人、パプアニューギニア人・豪アボリジニ(90km以上を渡海した民)とアマゾン古部族のDNAが類縁なのかを考える際に重要です。疑問がわくシベリアルート説が主流の欧米学者は、この問題も説明できず言及しません。近年の日本の研究(太田・覚張)で、アンダマン諸島人―ラオス人―北京近郊・田園洞人(河川食)―愛知・伊川津の縄文人のDNAに類縁性がみられ、この事は伊川津から地理的に近く繋がる静岡・浜北祖人、時代を遡って3.8万年前の伊豆祖人や長野祖人などへの繋がりを認識させ、北上した3.5万年前後の北海道祖人へと導くのです。新人の北米氷床通過の問題は、実は南米の状況をも説明できるものでなければなりません。今やアメリンド大語族、インド・アンダマンとブラジル・アマゾンなども視野に「最初のアメリカ人」問題を語られねばなりません(シベリア中部での発掘進展による拡がり史観もあるようですが)。生徒・学生に教え、世界にもっと日本の状況(1万件超え旧石器遺跡)を発信し、国際共同研究を推進すべきです。