左図「最初のアメリカ本土人」問題は、カンサス大Raff博士のDNA分析による「ベリンジア混血人2.5万年前が、北太平洋沿岸から舟で」となり、いよいよそれは「どんな誰か」が焦点になっています。
右図、出発地はベリンジア南部沿岸(一部学者はアラスカ内陸ユーコン川沿いからアラスカ湾の沿岸進出も想定)で、①かつての定説は、無氷回廊の開通が13,800年前以降であるのに、ニューメキシコにおける2.3万年前の足跡の発見で崩れて先第1波、後第2波の区分となり、「coastal route沿岸ルート・昆布ハイウェイKelp Highway・鮭を求めて」の北太平洋岸ルートが、これまでより更に補強されて新定説化しています。そして、②言語学的にも、この第1波が約1万年間で南北新大陸の広範囲に拡がった(アメリンド語、Greenberg博士)事となり、かつこれは環太平洋語族(松本克己博士)・生活文化であった事になりますので、ユーラシア内陸語族Cは後続となります。さて問題は世界の人類移住史図における日本列島祖史の欠如空白であり、③折角の日本列島ルートが、入ってすぐに矢印が止まっていることで、北海道祖史の基盤となった重要な日本列島祖史が空白ですから、当然ルートも描かれていません。いわば、定説が崩れてきている重要な世界歴史オリンピックに参加していないのです。かつては北からの北海道への進入という時代の違うものを考慮した事の誤解のため列島に入って来るばかりで出て行かない図が巷間に流布されていましたからでしょう。
今では、a.1万件を超える列島の旧石器遺跡・遺物の分析、b.特に列島中部で最古の伊豆の海の行き来・交易や高地(長野)にまで行動していたしっかりした列島中央部の賑わい痕跡が確認され、c.北海道には702の旧石器遺跡の痕跡から、青森から当時は海面低下で狭くなっていた海峡を越えて、昆布ハイウェイが通り宝物の黒耀石が豊富だった北海道の暮らしに3.5万年前後には適応したと考えられている北上史なのです。因みに、北からマンモスハンターが来た話は痕跡も妥当性もなく誤解であり、細石器文化の流入なども万年~数千年後の事です。むしろ祖代には樺太への北上が考えられます。他方、千島列島は次々に島が見え渡海可能でしたし、冬には流氷を歩いて行ける所も多かったでしょう。興味深いのは、北千島の旧石器時代的な遊動海民である留頓(ルートン、祖代研究会の命名)(第1アイヌ、鳥居龍蔵の命名)が、カムチャッカ半島南部にまで進出していた痕跡(北海道大院・高橋克範)で、更に北方にまで進出して居たものが、後に進出して来たシベリア勢力に押されて南へ後退して来たとすれば、太古には祖先がベリンジアに達していた可能性も否定できない事です。いずれにしても、昆布ハイウェイに係る日本列島ルートは既に米学界では登場していましたが、最近の米国科学アカデミーの議論で更に補強されています。従って、右図 共に環太平洋語族のA日本列島~北海道からの北上を継続した海民系を主に、その沿岸行動・舟の痕跡はないB北東ユーラシア民が関わった混血が考えられます。
日本学界は、「はっきりしないので教えない」が基本ですが、「はっきり」していると考えて教えた「無氷回廊ルート、シベリア狩猟族進入」が、今は崩れ揺らいでいますので、北海道が関わっているこれらの事は、我が国の歴史の始まりである日本祖史・北海道史と関連し、その解明にも重要です。いろいろ紹介して若い力の将来に期待すべきです。最新の議論、北海道ルートを生徒・学生に教え、世界に発信し、国際共同研究を主導すべきです。