(ファクトチェック)道新の鳥居龍蔵・コロボックル記事は誤解の報道

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図左北海道新聞記事は、誤解の報道です。北海道史に重要な先住コロボックルは、東京大助教・鳥居が北海道第2アイヌよりよほど古い北千島の遊動海民・第1アイヌ(ルートン・留頓―祖代研究会)と認識(鳥居は第1、第2とアイヌを区分)、明治32年の調査で本人及び世間を誤らせた認識をその後訂正する記述を大正6年にしています。 図の坪井教授のコロボックル遺跡図は当時としては驚きの大成果です。 (鳥居龍蔵全集第7巻から)

今も残る巷間の誤解は正されるべきで、因みに小人コロボックルとアイヌ伝承にありますが、図右下北海道の蕗は大きいです。実は、鳥居が否定したのは「アイヌを先住民族とすることを求める決議案」を承認した169回国会と解すべきであり、世界史学会に誤解を与えているこの案承認は、速やかに誤りを認め却下決定と世界発信がなされるべきです。

歩き始めた明治時代の日本人類学、大森貝塚のモースが、この貝塚人はアイヌと違いアイヌより古いという認識を示し、東京大・坪井正五郎は北海道における遺跡調査を踏まえてモース認識を確認継承し、アイヌに広く伝えられている「コロボックル」伝承は信頼しうるとし、その遺跡が日本全土にあると総括把握して「祖人・縄文人」のイメージに至っていたことは、驚くべき慧眼で種々の制約の中で研究推進の原動力であった「日本人類学の祖」です。鳥居龍蔵は、明治23年に北千島の現地調査を行い、現地の者はコロボックルなど知らないし聞いたこともないと否定、遺跡遺物も自分たちは祖先から伝えられてきているとの答えもあり、議論になっているコロボックルではないとしました。世間はそれを受け止め、活発だった議論は終わりました。その後、コロボックルは時代を経て「子供の神様」などと、おとぎ話で復活して今に至っています。鳥居は、北千島の遺物分析やその後の広範な各地のフィールドワークを進めて、「第1・第2アイヌ論」に至り、よほど古いと認識した第1北千島アイヌは恩師坪井の言ったコロボックルであるとの認識を大正6年記述しています(なぜかコレが巷間に知られてません)。

そもそも、コロボックルはアイヌが小人などとややバカにした悪口話でもあり、言われている当の北千島海民が聞いて無くて当然とも言えます。現に、鳥居が使った北千島人の調査補助者は、いろいろ分っていてバカにするなと述べてもいることを、後になって鳥居も認識したのでしょう。明治中期に、コロボックルはアイヌに追われた 北千島人(Routon・ルートン・留頓と祖代研究会は命名)であるとの坪井説が確立していれば、北海道史いや日本史は、はっきり大きな進歩を遂げていたことでしょうし、今も続く誤解もなかった事でしょう、大変残念なことです。歴史学者が、一人も正論を言わなかった第169回国会決議は、旧石器遺跡捏造より重い大きな問題です。

下 図スタートのカムチャッカ南端・北千島は、明治時代に鳥居龍蔵(東京大助教授)が調査し、北海道のアイヌ(第2)よりよほど古い石器人海民ルートン(第1アイヌ)の遊動暮らしや北方チュクチの同じく石器人暮らしの沿岸海民オンキロンは重要と関心を向けるなど、学者として当時とても実証を求め得なかった「最初のアメリカ人」問題には明確な言及が無いですが、鳥居は南米にも調査の足を向けており、アメリカ新大陸の先住民問題には、関心があったものと思います。

今や米国の研究論議が明治人鳥居の仕事に光を当てています。いずれにしても、日本では鳥居のこのような仕事も、最初のアメリカ先住民の論議も教わりませんが、先頃ゲートウェイ道東では、十勝帯広で1.5万年前頃の黒耀石がザクザク見つかり注目されています。祖先の北海道祖人Proto-Japaneseに係る重要な問題です。生徒に教え、世界に北海道・千島の状況を発信し、特に北海道の祖先に関わるこの重要な国際共同研究を主導すべきです。

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