先生は幅広く、①古い南ルート人骨のモノから現代人まで、DNAを並べてその近似性を調べてびっくり。2500年前(今では弥生時代とされている)愛知・伊川津遺跡の人骨と8千年前のラオス古人骨が他に比しダントツで極めて近い。
更に、時代は大分経過しているのに、②巷間では日本人に影響強いとされるシベリア南部の北ルートで東進したユーラシア大陸狩猟族の要素がこれらに含まれない事(⑤赤線、後の時代に入る)も驚き。しかしこれは、現生人類移住史の出アフリカ後に南方・東南アジアから沿岸を「パンカル海」、「曙海」へと北上し、内陸へ河川を遡行した始まり時代の状況を考えれば、驚きではアリマセン。③曙海から約4万年前に対馬西水道(30~40km)を渡海し、(日本)祖人Proto-Japaneseは列島を北海道へ、南下して沖縄へ拡がりました。一方、➃当時の北東亜平野近くの北京・田園洞の種族は、淡水魚を食していた特徴からマンモス・トナカイ狩猟族でない、曙海から河川を遡行し西進した海民系と考えられ前回の移住史図が理解できます。
さて、8千年前頃は、北ルート狩猟人も東アジアに来ているのに、ラオス人が長い旅を経て他のDNAを交えずに渥美半島にまで来たとは考え難いですから、やはり始まり時代の西太平洋沿岸系の祖先が、列島の太平洋側、日本海側、中央山地・長野を含めて北上し拡がって行った時代の痕跡が、愛知とラオスにも残っていて発見されたと考えるべきでしょう。⑤がそれを示しています。始まりの祖代については、巷間、シベリア南部北ルートから狩猟族が、朝鮮山地(当時は半島でない)から九州へ進入とか、沿海州・樺太から北海道に進入したと言われますが、時代を混交させて論じてしまっている問題のみならず、少なくともこの伊川津・ラオスの近似が浮かび上がったDNA調査からは、南方・北上の沿岸系ルートの先行が主流であり、暮らしぶりの後代への影響が残った重要性(かねてより日本祖代研究会は主張)を認識し、修正されるべきです。
特に、昨年アメリカのニューメキシコで2.3万年前の足跡発見で、北海道からの昆布ハイウェイ(Kelp Highway)の沿岸ルートは注目です。海面数十mの上昇で、沿岸考古痕跡の発見は困難ですが。そして、子供に世界に南方からベリンジアに至る間の日本列島ルートについて発信すべきであり、祖先解明に国際共同研究を主導すべきです 。