シベリアのマンモスハンターが、氷河期に海水面低下で現れたベーリング地峡(ベリンジア)を越えて、マンモスを追ってアラスカに入って行った、というのが長い間の定説でしたが、完全に覆りました。
1図北米内陸の「無氷回廊」が通過できる(1.4万年前頃)ようになってからでは間に合わない遺跡が南米チリで発見されて「沿岸ルート」先行説が今や定説化し、そして、2図DNAの研究からもアジアから複雑な複数回のベリンジア越えの渡米が、温暖化による回廊開通を待っていたようなベリンジアにおける滞留暮らしも交えて語られ、1.7万年前頃からの温暖化した時代のシベリア~ベリンジアからの渡米であったと。ところが、昨年9月末の米国ニュー・メキシコでの2.3万年前の足跡の発見発表の衝撃で歴史が数千年遡り、「誰が、どのように」来たのかの謎は深まり、半年を越えましたが全く説明動画も出ていない沈黙の状況です。2.3万年前頃は、正に氷河・最寒期(LGM)で、無氷回廊は完全閉鎖(kmの氷の厚さ)、実は昆布ハイウェイの沿岸ルートも、3図氷河が島の無い海岸に長距離の区域で迫っていれば移住は困難で問題なのです。よく人類の移動をグレイトジャーニーと言いますが、誤解です。移動は旅行のようなものではなく、家族を伴う環境に適応した暮らしぶりの生活が少しづつ移動する「移住」です。先を男性陣が偵察するにしても、フネで家族が移住できねばなりません。ニュー・メキシコが2.3万年前頃ですから、ベリンジアは2.5万年以前と考えられ(Jennifer Raff:カンサス大学)ています。そこで、アメリカ本土メインランドへの南下では、アラスカ南部の細長い約350kmの島無し海岸区間(2昼夜3日航行)に、一般的には、「取り付く島もない」屹立氷床が迫っていない比較的温暖期(2.5万年以前には有りえた)に着実な移住が行われたことになります。
他方、そういう時代となるとベーリング地峡は海面上昇で4図のように「海峡化」しますが、A,B2か所は狭いです。時代の温暖化具合で海峡幅は変化しますが、明らかに海越えでとなり、ハンターは海民になるか運んでもらってアラスカへとなります。つまり、ベーリング海峡が地峡化するのを待たなくとも、北時代に海を越えて行けばいいのです。マンモスにとらわれ過ぎでした。最初に現生人類が、シベリア東部チュコト半島に移住して登場し対岸を見た状況では、マンモスやトナカイでなくアザラシ・オットセイや鮭のいる海岸での暮らしに、また、北の海での造舟・操舟の暮らしに適応することが必須です。冬場に舟に海水が入ったり、舟から海中に落ちれば、短時間で死する厳しさですから、アレウト族は父親が少年を叩いて厳しく鍛えるものです。つまり、アラスカ南部の島無し海岸地域の氷床状況が緩和し、移住を許した比較的温暖期の南下となり、海民の存在が無ければ米本土への移住は無かったと言えるでしょう。そのことは実はベーリング海峡が地峡でない海の時代であった可能性が高く、渡海40km以下ですので海民は越えられましたから海であって何の問題もありません。しかし、この事は重要です。アメリカ新大陸への移住は、ベーリング「海」峡・海越えのイメージになるのです。あの1万年前のケネウィックマンが海(獣)産物を食していて欧米学者を驚かせた痕跡を残しているとも言えるのです。そして、2.5万年以前の極東シベリア~日本の広い地域で、海民と言えば第1に北海道祖人Proto-Japanese Hokkaidoが挙がります。少なくとも「最初のアメリカ人」関り候補のNo.1なのです。子供に教え、世界に発信を、国際共同研究で更なる実証解明を。