左図、3.8万年前から伊豆の海をフネで行き来して良質な東京諸島・恩馳島原産地の黒耀石を採取し、広域で交換して活用していた祖人は、更に最新の発見で高地の長野・香坂山において、おそらく八ヶ岳~和田峠地区原産地の黒耀石を使用し、また最新の香坂山の発掘で、3.7万年前から、高度で多様な石器を使用して遊動暮らしをしていたことが分かってきました。
北上した祖人は東北における暮らしから北海道の降雪寒冷地暮らしに適応し、右図、遂に白滝の大黒耀石原産地を発見しましたが、青森~函館~千歳~十勝~オホーツク沿岸と暮らしが拡がっていけば、フネで神津島黒耀石を探し出した祖人ですから、いずれは発見されるものでした。その後の白滝産の拡がりは驚くべき広域さで、その質量の豊かさを示すものです。ここで注目すべきは、列島中央部の賑わいで情報交換して長野・香坂山で発見された高度で豊かな石器を有していた祖人は、樺太の白滝産痕跡から、北海道でとどまることなく北上していた可能性をうかがわせます。大陸北からマンモス・ハンターが南下して来た痕跡は無く、約4~3万年前頃の始まり時代の当時としては、ユーラシア東部におけるこの世界がうらやむ豊かな黒耀石の原産地と環境でした。傑出した日本列島中央部の高度で密な文化というエンジンを基礎に、北に拡がっていった祖人が北海道で留まる理由もなく、北上をず~っと継続して行ったと考えるべきでしょう。巷間の北海道史は、根本的に見直されるべきです。