「歴しニア」報告 世界が驚く、始まり「祖代」から書ける日本の歴史

カテゴリー: 最新情報,祖代(Sodai)・祖人(Sojin)

学期・年度が桜で始まる 春は曙。島国であることから、世界が驚く約4万年前(殆どの考古学者が同意)の「祖代」から概略明らかな日本の歴史。その頃の人骨が見つかっていない事から教科書がしっかり採り挙げていませんが、1万件超えの旧石器遺跡は十分に概要を明らかにしています。今後、サルと我々の中間の「旧人」(デニソワ人、ネアンデルタール人)の石器などの痕跡が仮に見つかっても対象外なのです。

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現生人類・新人の家族が「曙海峡」をフネ・筏で北部九州に渡って来た沿岸暮らしの痕跡発見は3.8万年前から急激に増え始め、3万年前には祖人Proto-Japanese は沖縄から北海道にまで拡がりました。なお、祖代や縄文時代の人口推計が出ていますが、少ない数字は海面上昇で痕跡が消えた沿岸暮らしの人々をカウントしているのだろうかと疑問です。当時、朝鮮半島は無く「北東亜平野」沿岸から「曙海峡」越えの始まりの渡海(巷間本の多くが朝鮮半島からと記述しているのは、誤り) です。 海峡は最低期でも幅10-15km、4万年前頃は30-40kmでしたでしょう(見えた対馬は島ではなかったのです)。 海峡越えのための造舟・操舟・工具の操作や気象・海象の状況、食料・水を積んでの渡海等の理解が、①各家族毎か、②大井川の渡しのような専門集団の社会性か、いずれにしろ大昔のこのような祖人の認知力から、 その後の伊豆の海越えは約17km先の大島が見えていて「謎」ではなく(海面低下で諸島の陸地が増して連なり、 出来る所ではフネを綱で引いて海岸を歩けば漕がずに楽に移動)、 恵まれた 黒耀石と広大な平地がある関東・甲信越の連接と拡がりに繋がっています。また、祖代の考古学上の数々の注目すべき最古の事象が生み出された始まりの時代は、教科書がさらっと記述している槍を持った「原始人」ではなかった事が重要なのです。因みに新人は、ニューギニア・オーストラリアへ、5-6万年前頃には、約90kmを渡海していたと世界の考古学界では認識されていますが、当時の東南アジアの半島大陸地で過半が沈んでいるスンダランドから東進した種族です。日本祖人は、このスンダランド種族の子孫系統でしょう。

始まり時代の九州の暮らしをよく見ると、石器の組成は多様であり、適した素材を求めて遠距離を移動していたことも半島の遺跡とは異なり、その後の関東・甲信越の賑やかさに繋がります。振り返れば、対馬(島でない!)や大島がはっきり大きく見えたこと、九州腰岳、列島中央の八ヶ岳地域や北海道白滝など各地で当時の宝物の黒耀石が採取できたこと、日本海側に大雪が降らなかった、北に昆布ハイウェイがあり、ハワイに繋がる太平洋に面していたことなども幸い(火山、地震、津波がありますが) でした。 そして、渡海と遊動の民の子孫である北海道祖人Proto-Japanese Hokkaidoは、人類の移住特性からも北海道で停止した理由はなく(プーチンもおらず)北上し続けたものと考えられますが、巷間本に全くこの事の記述がみられないことは異常です。既にアメリカの複数学者が、「最初のアメリカ人・Nativeインディアン」問題で、Kelp Highway/昆布ハイウェイからの北海道ルート新説を唱えているのにです。祖代・祖人について、これだけ明らかなのですから、よく分かっていないからなどと言い訳で逃げずに、子供に教え世界に発信せねばなりません。

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