①明治黎明期の東京帝大を主とする用語を工夫した歴史・人類学上の大論争「コロボックル」問題、実は 残念な行き違いがあって、日本列島における石器人分布図まで作成に至っていた提唱者である坪井教授の死去などにより、論敵に敗れる形で学問的には立ち消えとなりました。
②その後大正時代に、一寸法師にも比すべき「小人」性の可愛いらしさから、おとぎ話として復活して一般に広まり、現在の清瀬市の「ころぽっくる」や世間に種々見られるものもこの流れのものです。その陰で、明治17年の北千島調査では、「現地でコロボックルは確認できなかった」(これが否定の論拠)とした東京帝大助教授のフィールドワーカー鳥居龍蔵は、①各地を調査した研究と、北千島調査の際に助手にした老千島人が色丹などでコロボックル話を聞いており「バカにするな」と言っていること(ころぼっくるは、アイヌによる小人を小ばかにした話なので、言われている当人たちが知らないのは当然と思い至ったのでしょうか)から、遂に大正6年には、コロボックルとは北海道先住で北千島の第1アイヌ(ルートン)との認識に至り、雑誌論文に記述していたのです。人類アフリカ発もDNAも現在の人類史認識も知らない明治・大正時代に、先達は無論誤りもありますが、世界に誇るべき素晴らしい研究成果です。
今、世界の歴史学会は、③昨年9月末の米国ニュー・メキシコにおける23,000年前の子供などの足跡の発見・発表で、世界人類史最後の謎「アメリカ新大陸進入問題」・「最初のアメリカ人」First Americansの到来は、数千年遡り騒ぎですが、既にある北太平洋沿岸進入説はこのことで定説化が強まり、それに伴って複数学者がすでに発表していた北海道ルート新説に光が当たります。そうなれば樺太から鎌倉時代に入って来た(北海道大学のDNA分析)第2アイヌに追われた形( ①図で引き込まれ泣いている女性が辱めを受けたので激怒して)で去った、先住の小人コロボックルは、北海道祖人Proto-Japanese Hokkaidoの子孫で痕跡はっきりの石器人であり、注目です。渋谷新市長は、この歴史を掘り起こして子供や大人にも教え、歴史の真実を清瀬市から世界に発信して欲しいものです。