アジアからアメリカ新大陸への最初の人類の移住ルートは、図左Aオホーツク海沿岸から米臨海北岸のルート、BヤナRHS遺跡が発見されている北極海沿岸を東進するという2ルートであり、巷間本に無造作に線が引かれているバイカル湖~ベリンジアという山間極寒の生活移住 ルート は困難です。
そしてBは、ヤナからの東進は環境と痕跡などから時代は新しく、やはり花綵(はなづな)海(オホーツク海沿岸から米臨海北岸)が有力で、更に言えば進入直前地の痕跡としてチュクチ・海岸族オンキロンが注目です。さて右図、米オハイオ・Kent州立大のマーチン・エレン実験考古学者等は、マンモスの個体特性を踏まえ、有名な狩猟族のクローヴィス石器により種々の実験を行い、石器はスイス・アーミーナイフのような諸作業用であり、マンモスは密集した毛と厚い皮膚・脂肪で守られていて、とても槍投げで致命傷を与えるようなものではないという実験結果を発表しましたが、納得です(依然、マンモスハント説の主張反論ありですが)。エレン等は、せいぜい負傷していたり孤立したマンモスを稀に狩り、多くは死亡した肉の解体であってマンモス・ハンターとは言えないと、欧州・中央シベリアに対しても考えています。以前から、マンモス狩りなんて、「父親が息子に生涯の自慢話として(脚色加えて)するような稀なもの」という学者はいましたが、正に実証されたと言えます。
このことはマンモスの絶滅期まで数千年以上も人類と共存しており、絶滅は温暖化の環境要因が主という最近の研究も傍証です。そうなると東部シベリアにもハンターはいなかった訳で、先に述べたA、B2ルート観と符合する重要なイメージ変更事です。巷間本の①マンモスハンターが北から北海道へ、②マンモスハンターがベリンジアからアメリカ新大陸へは否定され、トナカイと暮らす内陸族と海岸族ということになります。これらのことから、最初のアメリカ人は、①昆布ハイウェイA系‐1・2ルート、②北海道は有力な出発地として注目であり、③2.5万年前頃以前にベリンジアに達していて、➃一時的列島Temporary Archipelagoからアラスカ湾沿岸をフネを使用して進入して行った、と考えられます。問題は、はっきりしないからと学界は教科書に書かず、教育もしていませんが、一方で北からハンターが来たとか、ベリンジアを渡って行ったとか、誤りを教えていたわけですから、論理的に導かれる最新の①~④を先ずは教え世界に発信し、国際共同研究を主導すべきです。