図右①米2学者発表の北海道発のアメリカ大平洋沿岸へから、②千島列島と北千島ルートン(第1アイヌから改称)と説明して来ましたが、図左、北千島ルートンが、カムチャッカ南端部に居た事は重要で、かつては更に北方の奥まで居たものの、強いイテリメン・カムチャダールに押されて南下して来たとも考えられるからです。
カムチャッカ半島では河川流域と沿岸部で竪穴住居に住み、肥えた頬が形質としてルートンに似ていると記述され、重要な信仰は、シベリア内陸系の全能の「神」ではなく、木に石に海に岬そのものに信仰の供物と「八百の神」であることは、日本列島民との共通性を感じさせます。また、神話のヤタガラスは、アメリカ北西部沿岸の先住民が大切にしており共通です。良く知られた中部のウシュキ遺跡も水辺の湖岸で、石器がアラスカの物と類似であり、一方、墓の副葬品が北海道の函館知内町の旧石器遺跡(2万年前)の物と類似と言われています。これらは、正に北海道とアラスカの中間に相応しい繋ぐ痕跡です。北海道発から千島列島、カムチャッカ、海岸チュクチ(入れ墨など)そしてアメリカ新大陸へと沿岸民のムリない移住ルートが想定されます。