米ニューメキシコの2.3万年前の子供足跡発見に学界は沈黙で、それは「最初のアメリカ人」はシベリアの狩猟族マンモス・ハンターとしてきたのが、どうも疑問だからでしょう。
発見の時代は最寒期LGMでシベリア東部の移住行動はムリ、それより早い時代だと無論考古学的に移住遺跡は無い(一時的使用とみられる1ケ所のみ)し、そもそもアフリカを出てから到着できたのか、また、北米は長く氷床で閉ざされ沿岸進入となるが、冬の北の海で海水に浸かれば死を意味する事から、マンモス・ハンターが小舟を操り猟をするのもイメージがしっくりしないのでしょう。そして今、北米で既に発見され、人骨の造形が復元されていたモノが実は注目なのです。欧米学者は、み~んな「モンゴロイド」としているので気づきませんが、前回説明のように、1.南方インマレイドと、北上して来て寒気・降雪・強風に適応して大きく身体変化した2.北のモンゴロイドでは違っていて、米国南西部で発見されていた古人骨復元写真は、南方インマレイド系の顔立ち、即ち日本祖人例(27,000年前の復元石垣島祖人)と同類なことが分かります。すると、ゲートウェイ北海道の祖人Proto-Japanese Hokkaidoは、候補に はっきり 挙がります。
①そもそも、30~40kmを家族で越えた北部九州への渡海始まり、②3.8万年前からの黒耀石を求めた伊豆の海の行き来、③仙台以北、津軽海峡越えで海獣猟や海藻などの昆布ハイウェイ暮らしに既に適応、④明治時代の調査で驚かされたアイヌではないルートンの旧石器時代の様な「遊動」海民の暮らしの存在などから、ベリンジアへ北上を継続して行き、一時的列島(Temporary Archipelago,英ケンブリッジ大等の命名)からの進入にぴったりです。今、世界人類史の研究最前線で、北海道祖人・祖史が注目で、日本祖代研究会SGPJの環太平洋移住MPOR説も補強されています。 日本学界もこれに積極的に参加し て周回遅れをキャッチアップし、世界に発信、子供に教育、国際共同研究の主導を。