
当時の地形が文献記述と合致する実証性ある正面突破失敗後の迂回戦闘について、
左図Aは、➀西部連合軍の共同戦力発揮が容易であり、②武器素材の石器取得及び戦力優位を獲得する兵站基盤(河川沿いの物流等)に優れ、③最後の奈良盆地南部への進出態勢においてはA、B大差なし。以上から総合的にAが、長距離の山地進攻Bよりも実質優位と考えられ、新説の提唱です。
右図Bは、書紀編纂で戦闘記述に影響を与えた天武天皇御意向の聖地である吉野をプレイアップする山地長駆進軍で、紀伊山地の大迂回であり連合戦力の発揮は先細りです。天佑神助の神武軍の大奮闘を描写し、また大迂回後の上陸地は、別に渡来伝説がある徐福の碑が建つ上陸地が全く同じという、話題脚色が豊富な点がむしろ「盛った伝説」であり、少なくとも連合軍共同の主攻撃ではないと祖代研は考えるのです。
教室に神武東征を―日本祖代研究会(RGaPJ)