
戦後80年、始まりの新日本史年表
約4万年前から、そして「神話から歴史が滑らかな日本」、祖代hop、縄文Step、建国時代Jumpの新史観の用語
図左➀神武東征の実証研究が進み、実に図右の明治維新の祖型であることが判明してきています。
②世界を目指すスポーツ選手が拠り所を、また国民的な行事なども歴史知財に題材を求めています。
教室に民族の知財を―日本祖代研究会(RGaPJ)
「神話から歴史が滑らかな日本」(文化人類学者レヴィ・ストロース)の祖代(原始ではない)hop、縄文(今や文明)Step、建国時代(質的大転換)Jumpの新史観です。
➀書紀記述と当時の戦闘行動地形が合致実証、吉野大迂回ではなく「紀の川」迂回説(祖代研)の神武即位・創業、②唐古・鍵、吉備からの発展であり、突然ではない広域関わりの纏向立権・前方後円墳の大和初王権、③王権統治の列島における政戦略的拡大、➃任那基礎の海外、大古墳が示す国内の発展・隆盛、⑤国のかたちの重要な特質の男系継承、そして日高見国など同系語・独自進化の文化の重層性に注目すべきです。
戦後80年、埋められた民族の知財を取り戻し、マンモス・ハンター、騎馬民族、大量渡来人など誤解の多い始まり日本史を正そう。
教室は周回遅れ―日本祖代研究会(RGaPJ)
1. 建国時代
縄文から変化の稲作・金属による生活変化から小国争乱へ。最新研究による実証の2雄合戦・迂回攻撃により国譲りの神武天皇即位状況から8代にわたる欧州ハプスブルグ家のような政略結婚による大和王権の拡大、前方後円墳が示す隆盛、近隣との対外関係が始まり、重要な男系皇統の確立という民族の大切にすべき建国の時代なのです。
2.原始ではない祖代・縄文の日本史基盤
島国であることから、アフリカ発の現生人類の拡散の一つのルートである北部九州への渡海始まりからの日本列島史。約4万年前、渡海からの始まりの様子5W1Hが推定できることは、世界の驚きです。1万件超えの発掘に支えられた生業航海・陥し穴猟・環状キャンプ・磨製石器・釣り針などは先史考古学五輪のメダル級であり、原始人ではアリマセン。今や縄文は文明と言われ、日本人の祖語やその後の渡来文化の取捨・変形の元となる基盤の時代なのです。
教室は戦後を引きずる周回遅れ―日本祖代研究会(RGaPJ
➀南方から緯度を北上、②約4万年前に、対馬海峡を家族が筏で渡って、北部九州から列島中に拡がり、③伊豆では海を越え神津島の黒耀石を採取(生業航海)し、種子島や三島などでは「陥し穴猟」をしており、東京の鈴木遺跡は広域の交易で当時としては新宿のような状況でした。
先史考古学オリンピックがあればいくつものメダル獲得の状況です。そして、➃今や北海道の始まりの「祖人Sojin」(3.5万年前後~)は、氷床で覆われた北米新大陸の西岸を南下した説が高まっている「最初のアメリカ人」問題の参加標準突破の候補、などの最新の研究状況の説明に明治・大正時代の先達は「うん」と言って特に驚きません。確かに坪井教授は、コロボックルとイヌイット(エスキモー)の関わりを主張(当時、皆は相手にせず)していましたし、鳥居龍蔵は北千島コロボックル(Routon・留頓るとん)の現地調査(明治32年)から時を経て巷間の誤解を正す実在確認を学会で発表し専門誌に記述もして公に(大正6年、学界は今も正当に扱わず)し、シベリア東端のチュコト(ベリンジア西部の)のオンキロン海民に注目すべしと言っていましたので、南米アンデスも調査していますので渡米問題も「うん」と言って納得です。有名な沿岸論者(Dr. Jon Erlandson) の「氷河期の米大陸西岸南下の行動は、イヌイットのknow-howが参考になる」と言う最新説にも驚かず。流石に、神武東征の戦闘行動の日本書紀の記述と地域の大阪・河内潟の当時の地形状況が合致しているという分析の研究成果(長浜浩明、東工大建築博士の気鋭の先史研究家)にも「ほう」と感心する程度です。
「えっ、約4万年前?何故、それが分かる?」、驚かれたのは年代と年代測定法の説明だけでした。
夢見―日本祖代研究会(RGaPJ)
➀世界の驚きです。約4万年前、南方系家族が、筏で、約35kmを、対馬に、良好な処女地を求めて渡海、という日本史の始まりを推定できるのですから。(このレベルは、まあ他に無いでしょう)
太平洋側、日本海側(当時は大雪降らず)からの北上が、東西合一した青森・陸奥平野(当時浮上)から「昆布ハイウェイ」を、襟裳を越えた道東祖人は北上継続の渡米も?
②縄文時代の北は近年のDNA研究等も交え、礼文島、稚内(札幌医科大 山口 敏)・名寄、北千島などが「坪井コロボックル」で類縁であることが分かって来て、北の大陸・オホーツク人南下説は巷間の誤解であり、日本列島北上の南方系が主体の歴史だったのです。マンモス・ハンターは来なかったし、考古学界の大陸・細石刃狩猟族(2.5-2万年前)の北海道への南下も北海道祖人が技法を採用したのであって、喧伝されているほどの人の流入はなかったのかもしれません(今後の研究)。北の痕跡は、そもそもの東のユーラシア・アジア人の新旧の二重構造説とも合致しています。
③日本史の92%、長かった祖代・縄文時代の基盤の上に建国され、近年、「大阪おいたち」の河内潟の当時の状況と神武東征の臨場的な行動の記述(日本書紀は全く違う地形の時代に、言い伝え通りに記述)が符合する実証研究に注目 です。
教室は神話の導入を、研究最前線の紹介を―日本祖代研究会(RGaPJ)
➀南方から北上した現生人類(北インマレー系)は、②5W1Hが推定できる世界が驚く状況で、曙海北岸を時計回りで北部九州へ来て3.5万年前頃には列島中に拡がりました。③日本の建国は、今や文明とも言われる縄文時代はもとよりその前の長い祖代(日本史始まりの基層)の文化的な基盤の上に築かれたものなのです。有名な文化人類学者のレヴィ・ストロースが、「日本は神話から歴史が滑らか」と評したこの国は、硬すぎる実証に捉われた教室においてもっと柔軟に貴重な知的財産の神話を教育すべきです。➃近年、神武東征に関する古人の歴史記述(日本書紀)に関し、当時の復元地形の状況と臨場的な行動の記述がマッチしているという実証的な研究も進んでいます。
AI時代、教室の柔軟性・視野拡大の改革をー日本祖代研究会(RGaPJ)
日米関係の始まり? 北方領土は、人類拡散史の道東道東ゲートウェイ、今、明治時代の先達である坪井正五郎・鳥居龍蔵(東京帝大)のコロボックルにも史界の光が当たっています。
図右 北米の2.3万年前のニューメキシコの足跡は、内陸の「無氷回廊」が閉鎖中なので海民又は「海民化」した狩猟族が大陸西岸の昆布ハイウェイをマリナーズが南下、イチローも注目ですwww。他方、南米アマゾンの最古(2万年前)遺跡も発見され、定説崩れを拡大している状況です。
図左 伊豆の最古の生業航海(3.8万年前)民の子孫である北海道祖人は、道東ゲートウェイから次々に島が見えた千島に、夏は舟・冬は流氷歩きで北上継続に否定要因無しです。これは、ベーリング地峡に2.5万年以前と考えられる「最初のアメリカ人」問題に対し、注目すべき参加標準突破なのです。
周回遅れの教室の抜本改革を―日本祖代研究会(RGaPJ)
図左 人類が南方から北上した約4万年前、曙海の沿岸民家族の時計回り対馬移住である対馬海峡の渡海が始まりで、巷間の平野-山地-渡海の矢印は誤解です。その後も五月雨渡来は続き(当然、10割)、多様なDNAながら列島内の環境適応・混合・盛衰による同種の大同小異である同様な人々でした。世界の視点で見て、同様なDNAの違い・小異を針小棒大に言い募るのは誤解の元です。そもそも人は、言葉・信仰・暮らし振りなどが基本の大事であってDNA万能視は誤解の元なのです。
図右 南方から緯度を北上してきた、温和な祖人・縄文人の基盤上での環境適応と盛衰の列島内のDNA変化です。巷間の書籍・博物館等に見られる3方向から渡来した図は、時期も新しくその影響もバラバラであり、一緒に描いた説明は誤解の元です。
注目の北海道は江戸時代初期の大量の渡道などが特色であり、今2.5万年前頃の「最初のアメリカ人」問題への参加標準突破で渡米の可能性に注目なのです。人類が拡散したルートで、現在、緊張が続き注目されている「アジア地中海」は今、先史の上でも光が当たっています。Braudelのような「アジア地中海」の歴史分析・記述が望まれています。
周回遅れの教室の改革を―日本祖代研究会(RGaPJ)