シベリア狩猟族は、DNA的にも北米先住民と近縁であり米国で議論の「コロンブス以前の大西洋渡来説」を斥け定説だったが、クロービス石器文化最古説の既に確定的な崩れと同様に揺らいでいます。

①シベリア起源の父系Y-DNAハプロQ及びCのアメリカ新大陸への進入に関する衝撃の研究結果により、実はゼロ一つ違う全く新しい進入(同時期の中国における戦乱が起因と推定される)であると誤解が正され、北米先住民DNAの点で無視されて来た日本の祖人Sojin(縄文先代)は問題参加から排除されません。

②しかも考古学的に北米大陸の「無氷回廊」(Ice Free Corridor)が開通する前に、現生人類は進入南下したとする太平洋沿岸の昆布ハイウェイルート説の強まりで、3.8万年前の伊豆海民の子孫である3万年前頃の道東祖人は注目なのです。

③巷間には誤解を招く3方向渡来図が流布されていますが、タイなどの先住族とのDNA類縁などの最新のDNA研究によって南方からの北上であり、かつ南米の古いDNAとの類縁性も注目され、3.5万年前後の北海道進出で留まる理由もなく、樺太の白滝黒耀石の遺跡、露研究者を含む千島の旧石器・縄文遺跡研究などから、北上継続で出て行く拡散は排除されません。

➃本州の最古級遺跡、太平洋、日本海の両側を北上し陸奥平野(海面低下で現出)で東西が合一した青森を基盤とする豊富な道内遺跡の実証裏付けに支えられた帯広からの渡海力ある道東祖人は、今や参加標準突破の参加資格が有るのです。

周回遅れの教室を改善し、状況について世界に発信を。-日本祖代研究会(RGaPJ)

1.南米南部で発見された洞窟壁画は注目すべき

南米南部パタゴニア、①アルゼンチン北西部の洞窟で8,200年前からの約900点の壁画が発見され、抽象画を含め知的レベルを示す生活痕跡として欧米で注目されていますが、実は日本史と無縁ではなくDNAに類縁性がある南米の孤立的な地域(最初期・第1波の痕跡が残る可能性のアマゾン、パタゴニア等)の事象として注目されるのです。モンテ・ヴェルデは最古の実証で、ブラジルのルチア人骨は非モンゴロイド性(寒冷地適応型でない)で注目されています。

2.「最初のアメリカ人」のベリンジア着と沿岸南下、道東祖人(海民性)は排除されずむしろ今や注目

現生人類展開・移住史の最後の謎である「最初のアメリカ人」問題は、②DNA分析と考古遺物等から2.5万年以前にベリンジアに到達し、これまでの定説は崩れて大陸西岸・太平洋沿岸の昆布ハイウェイを海民が南下して内陸に拡がったとみられており(最新 Dr. Jennifer Raff)、海民・道東祖人の昆布ハイウェイからの北上はもとよりシベリア狩猟族であったとしても海民化した南下説となります(Dr. Ben Fitzhugh)。問題は、現在のアメリカ先住民と縄文・日本人のDNAに類縁性が少ない事から北海道ルートが軽視されていますが、実は定説となっている類縁性が高いシベリア内陸系は、最新のDNA分析で後続の新種族であることが明らかになってきています。そして、南米での古DNA調査では最初期・第1波は東南アジア・豪州先住民との類縁性が高く、この事はシベリア内陸系よりもむしろ北中国や日本の祖人・縄文人の方が類縁性は高く、千島列島移住の渡海力を有し冬季の流氷を渡れた道東祖人がDNAの点から関わりを排除される理由は無く、現状は誤解であり今や海民性でむしろ注目すべきなのです。

3.道東祖人は、世界標準突破で参加資格有り

 道東の帯広では③若葉の森遺跡が3万年前越えとみられ、近年1.5万年前頃の黒耀石器が大量に発見されているほか、傍証として千歳や遠軽白滝などの古い遺跡の実証があり、また、➃当時の青森は陸奥平野(海面低下のため)に太平洋と日本海の両側を北上した祖人が、東西合一の文化的な賑いであったと考えられる北上適応の基盤であったと考えられ、更にそのすそ野は関東・静岡における3.8万年前の遺跡と生業航海の実証が支える有資格者なのです。

4.教室は、特に南米に注目の世界視野で始まり日本祖史を扱うべき

北米では、1.4万年前頃からの内陸における「無氷回廊」が開かれた後に大量に流入したシベリア系の後続新種族の影響が強いため、最初期・第1波の状況は分かり難く、むしろ行き着いた南米の孤立的な地域であるアマゾンやパタゴニアなどに残っている痕跡に、始まりの時代の日本祖史の視点で注目すべきなのです。また、日本祖史は、世界に発信されるべきです。

―日本祖代研究会(RGaPJ)

1.日本史のミステリー、①昭和27年、淡路島洲本市の森 重吉さん(47)が小路谷(オロダニ)の旅館主として湯殿を建てようと整地作業をしていたところ、1m下のイスラエル遺跡(中に小石が8つ)を発見した。だがその夜、重吉さんがうめき声をあげながら急死したので、たたりだと穴は埋め戻され(墓の目撃者の一人、森アサ70歳の言)、その後、駐日イスラエル、考古学等の関係者による発掘が行われたというものです。―Report 2014.11.21 平津 豊。

2.何しろ場所が日本で最初の淡路島での事ですから無下には出来ません。イスラエル墓の小石が8つの8という数字は、興味深い。広東・香港人が尊ぶ8や古事記で最も多い数字の8は、それぞれの国の人々が独立的にそうしたのか、どれかが最初で他に伝播したものなのか、仮に伝播とするならばその関係性の歴史的な意義は大きいです。

3.他方、ミステリーその2、②数字8の半分(半旗?)の4については、忌数字のようでこれも興味深い。太安万侶(古事記編纂を4ケ月で成し遂げた)の墓の副葬品は真珠4粒のみ。古事記の天皇御陵の記述にあるように四枝をお供えしましよう。遺跡を発見した重吉さんが湯殿を建てようとした旅館の「四」州園跡にもです。これらは、単に四―死だけの事でしょうか、重吉さんは四州園と名付けています。

4.教室が、日本書紀、古事記をしっかり教えていないのは戦後が終わらない異常です。ギリシャ神話はよくて、(仏国)智者レヴィ・ストロースが評価する日本神話は悪いなんて全くアリエナイ歪みで世界に誤解を披露める愚です。

ー日本祖代研究会(RGaPJ)

今、ポスト縄文が熱いのは国際的な稲作、青銅・鉄、知の波が及んできたからで、文化庁指定の淡路島南部の小路谷(オロダニ)の日本遺産・イスラエル遺跡の実証意義は重いです。

本来、考古学・DNA分析が示す約4万年前の筏渡海による祖人Sojinが沖縄から北海道に拡がった始まりの対馬・北部九州が第1に記述されねばならないのに、淡路島が日本最初・最古の名誉の島として記紀に記述された不思議。しかし、①盤余彦(神武天皇)の船団が重要な浪速から上陸戦闘し伊勢に大迂回を行って大和王権を樹立し発展しており、近傍の淡路島史をよく見ると、②海民と船で渡来の国際知を有し「島に導かれ神に感謝する」離散イスラエルの民(フェニキア含む?)の存在があります。公的には淡路島は、王権以来の皇室と都の民に海産物を提供したからとなっているが、実証痕跡である先進渡来のイスラエル遺跡の関わりを認識すべきでしょう。

③終戦危機時のソ連軍撃退(占守島)北方防衛のあの樋口軍司令官も実は淡路南部の浜出身であり、日独伊三国防共協定下の中でハルピン特務機関長時代に初回の極東ユダヤ人会議が行われたことこそ注目すべきです。そのことがその後も樋口機関長は、満洲国が入国を拒否しているのにも拘わず自ら満鉄と交渉し、苦境の2万人のユダヤ難民の列車入国を果たした救済につながっており、マッカーサー総司令官がソ連の樋口中将引き渡し要求を断固拒否したのも当然です。公には、樋口中将のヒューマニズムが喧伝されていますが、淡路島南のユダヤ痕跡を認識する必要があるでしょう。なお、DNA的に日ユ同祖論は否定されています(東北大 田中名誉教授)。最近、外国籍の人の横暴が問題になっていますが、イスラエル遺跡には、「この地に導かれて感謝」と記されており、問題外国籍の人々にはよくかみしめてほしいものです。―日本祖代研究会(RGaPJ)

欧米先生は、はっきりした中東と東南アジアの往来の実証がないとして採り挙げていません。

ですが図右、①祖代研会員は、当時活躍(主に地中海)していた秘密主義のフェニキアが豪州東部に来ていたとの噂話の記述を見ていますし、何よりもエジプトのヒエログリフに描かれた交易品・宝物は赤道直下の東南アジアからの物とのインドネシア古代史専門家(Dhani Ilwanto)の研究があり、中東・インド洋で行動の海民タミルの関りも考えられます。②図左、有名な女性ファラオであるハトシェプスト女王(言われていたほどの悪女でなく、イメージの修正を)の世界遺産・葬祭殿のデザインは、隣の崩れた土台しかなくよく分からないメンチュヘテプ2世からのもと言われています。だが、エジプトロジスト(エジプト古代史専門家)は、ともかくあのようなデザインはエジプト自発とは思われず、何処から?と、問いを発し論じているのです。エジプトと東南アジア、欧米先生はまともに迫ってほしいものです。そして日本の教室も、いずれこのような世界史の波が海からも新しい刺激として縄文に及んでくるので知っておくべきことなのです。―日本祖代研究会(RGaPJ)

①世界史絢爛のエジプト王朝は、豊かな財であのピラミッド・スフィンクス建設だけでなく船団が海外から希少な宝物を取り寄せていましたが、謎の宝物の地「Punt」はヒエログリフに記載された数々の宝物の品目から東南アジア説があり、クレオパトラの真珠など海の商人フェニキアや海民タミルの関わりが考えられます。

②他方、日本においては世界驚きの行動(生業航海、キャンプ暮らし)・遺物(磨製石器・釣り針等)の祖代と世界遺産の縄文を基盤とし貴重な真珠を有することから、ポスト縄文は海外からの稲と青銅・鉄の取り込みで社会経済が急速に変化し発展していきました。戦後無視された記紀の内容に関する近年の実証的な研究も進み、(神武天皇)の船団攻撃を支えた出陣地域の人口・経済力の状況、河内潟の当時の地形と日本書紀の攻撃記述の整合などが明らかになってきている神武天皇建国に至ります。

③注目すべきは、「婚姻戦略」を可能にした大和王権の支配の拡大と万世一系の天皇を戴く国体質の形成であり、また、埴輪が明らかにする離散ユダヤのみならず徐福一行の訪日や貴重な真珠を有しましたので「海のシルクロード」からの商人来日による知識・文物がもたらされた海外影響が考えられる事です。

AI時代の歴史教室は暗記ではなく探究の課目とすべきであり、誤解の多い世界に重要な日本史状況を発信すべきです。―日本祖代研究会(RGaPJ)

 縄文時代が終わり、世界も日本も激動へ。

①真珠と貝紫の秘密主義商売人フェニキア(3年海外行動力で、東南アジア・豪州東側に来ていたとの噂も)がアルファベットを使い、インドではアーリア侵入の中で海の貿易民タミルも宝物を提供し活躍していました。エジプト王朝のあの絢爛のクレオパトラは、溶かし真珠を飲んでいたそうです。

②最下層に置かれていた多くの出エジプトのユダヤはモーゼの導きでイスラエルに至り、フェニキアが宝物を運んだソロモンの繁栄もあった栄枯盛衰の激動を経て結局はアッシリア、新バビロニアに滅ぼされ辛い離散・ディアスポラとなり、その後の世界史、日本史に大きな影響を今も与えています。失われた支族はシルクロードを経て日本にも渡来と言われていますが、「海のシルクロード」ルートもあったことでしょう。
③遂に日本書紀・古事記の東征戦闘の神武天皇が伊勢の方から進入して太陽を背に稲作と鉄の当時の先進地である奈良盆地・橿原において建国、大和王権は外来勢力が支援(明治時代のお雇い外国学者等より影響大?)したと考えられます。美しい真珠の日本に稲と鉄が入り社会は激動しましたが、その渡来勢力の影響は1.北部九州からか、2.直接的に(黒潮)伊勢志摩・畿内へか、という事でやっぱり始まりの大和王権時代からあの「やまたい国」論議のようなような問いが発せられます。マッカーサーによって発禁・黒塗りされた日本史は最新の科学の光が当てられ、今抜本的に見直されようとしているのです。

AI時代の教室は先ずは副読本でもいいですから論議を、世界に日本の状況の発信を。―祖代研究会(RGaPJ)

下図左、南方諸種族との指摘されていた民俗の類似性が最新のDNA分析で確認され、1万件超えの考古発掘結果等と合いまって、始まりは南方から北上した現生人類が曙海沿岸から約4万年前に対馬を経て北部九州に家族が筏渡海し、列島に拡がったものと考えられます。

図中、南下して沖縄へ進出、関西及び関東・甲信越における列島中央部での広域交流の賑い、北上し太平洋・日本海両側が東西合流した青森・陸奥平野を基盤に北海道に適応し恵まれた黒耀石の広域交換から、北上を続け樺太・千島へ進んだ痕跡があります。また、アメリカ新大陸人が最新の研究により沿岸のKelp/昆布ハイウェイを進入したと考えられてきたことから、北海道祖人Sojinの関わりを指摘する米学者も出てきております。

図右、南方海民系を示す文献と遺物による黥面文身(入れ墨)及び今に見る皇族薨去での御舟入(おふないり)と称する納棺葬礼の習俗がみられます。神武天皇伝説についても河内潟の行き来の東征戦闘の実相についての日本書紀等の記述と当時の古地形痕跡(遺跡等)が具体的に一致する驚きの時代的な実証性が確認され、ご成婚とその後代の特徴的な婚姻による勢力拡大等は重要な事で、伝承の理・実証科学の光が当たってきており史界の注目です。

残念ながら在野研究を含めたこれらの進展にも拘らず、教室での紹介もなく海外発信も有りませんので政府による硬直打破の適切な対応を要請します。在野含めた史界の動きに教室も対応すべきAI時代なのです。

―日本祖代研究会(RGaPJ)

Theory of Migration route along Pacific Ocean Rim from ancient Sundaland in Southeast Asia to Patagonia in South America through Beringia and west coast of North America― RGaPJ

最新のDNA分析と列島1万件の祖代遺跡から見えて来た始まり時代。

ヒトは4万年程度では変わらず、その脳は建て増しなので大昔を引きずり、長かった祖代・縄文時代は日本人がその後、外来文化を取捨選択してきた基盤であり、列島への大量渡来は確認されず五月雨でやって来た人々による島内における諸勢力の消長による日本史の歩み。
図左上 南方から北上して曙海から家族が対馬に約4万年前に筏渡海し、3.5万年前頃には沖縄(南下)から北海道(北上)まで列島中に拡がりました。
図中 広域交流、生業航海、陥し穴猟、円形キャンプ、磨製・神子柴石器等の文化を残し、青森・陸奥平野(50m海面下)での東西(太平洋、日本海正面)合流を基盤に北海道に進出して適応し、今、北海道祖人が道東ゲートウェイから「最初のアメリカ新大陸人」問題に関わったのかと世界の注目です。
図右、日本書紀・古事記における建国の物語(近年研究による神武東征や神社の実証性)の精神性を共有して歴史を育んできた始まり時代(旧石器時代名称は不適切で、祖代Sodaiとすべき)について、写真の中の一つ一つを、既報もご参考にゆっくりご覧ください。―日本祖代研究会(RGaPJ)

上左図日本史年表のとおり、日本史は約4万年前の曙海沿岸から対馬海峡(40-30km)を越えて北部九州への海民家族の筏渡海で始まりました。

3.5万年前頃にはそこから南下した沖縄、北上の北海道にまで拡がり。沿岸の遺跡発見は困難でも世界最古の釣り針や祖人骨が発見されたりしています。長い基層の祖代に次ぎ、今や「縄文文明」と言われる列島文化の熟成とそれの世界遺産への登録です。

右図、広域の交流や中央部の賑い、北海道への進出などを示しており、北海道祖人の白滝石器群は国宝に指定され、現在は道東ゲートウェイからのアメリカ新大陸人問題への関わり有無で北海道祖人が注目されています。記紀伝説に描かれた神武天皇陛下の降臨・発地の南九州は、大噴火被害を受けながらも種子(島)や熊本などの充実の始原痕跡に支えられ、反対・異論の無かった日本書紀・古事記の建国の伝説は、神武天皇陛下の具体的な「ご成婚」の状況記述など文物に示して「滑らか」(仏 レヴィ・ストロース)に歴史が繋がっています。―日本祖代研究会(RGaPJ)

1. 世界史の中の日本列島ルート、日本史の始まり

左図現生人類が南方から北上し、曙海沿岸から約4万年前に日本湖的だった時代の波静かな対馬海峡を筏で家族渡海したと考古学・DNA・古環境の分析等から導かれます。

祖人は海(海水面上昇で痕跡の発見難)・川(流域変化)辺に、平野・盆地に、基本的には遊動の暮らし振りでした。

2. 列島の実証古痕跡は充実、北に注目

右図黒耀石等の物々交換などによる広域の交流、知的で多人数が協力して大変な作業をする社会性を有した陥し穴猟、良質の黒耀石を求め約25kmを往復したとみられる「謎(朝日新聞)ではない伊豆の海における世界最古の生業航海、列島中央部における交流の賑わいの祖代。北では遠軽白滝の黒耀石群が国宝に指定されましたが、今は海中の青森・陸奥平野を基盤(北の揺り籠)とし、現在「最初のアメリカ人」問題への関わり可能性で、世界的にも「道東ゲートウェイ」からの北上の継続が注目されており、明治時代の先達が注目した北千島には旧石器、6千年前の縄文遺跡が発見されています。そして祖人の海上と陸地のこれだけの諸活動には、原祖語があったでしょう。

3. 建国伝説の南九州

右図下、実証古痕跡があり。人々の記憶が語り継がれ、日本書紀・古事記に記述された建国に関する内容は、作成した勢力のみならず特に太平洋正面の諸勢力が支持しますし、反論が無かった科学的祖発地の南九州です。真実は北部九州始まりですが、大陸・半島の勢力への対抗などを意識したものでしょう。いずれにしろ、記紀の教室における扱いの見直しが必要です。

この科学的な歴史の研究結果と人々の語り継いだ伝説・神話が「滑らか」(仏 レヴィ・ストロース)に繋がる日本史教育の教室改善を、世界に発信を。―日本祖代研究会(RGaPJ)

1.世界の「最初のアメリカ人」問題と北海道・青森

右図①はシベリア狩猟族の定説Bが近年のアメリカ新大陸太平洋沿岸ルート説の強まりで揺らぎ、A南方から北上した北海道東祖人は米国でも浮上し注目されています。

道東へは、米国一部の樺太から説と当時の青森・陸奥平野(現在は海中50m)からの北上説があり、樺太ルートは2.5万年以降とみられ新しく、3.5万年以前の青森・陸奥平野ルートが、現生人類のベーリング地峡到達2.5万年以前とみられ有力です。年表では始まり祖代の話で、文化・習俗等の基層としての厚みは日本史の6割になります。最初のアメリカ人問題では、Jomonは未だ登場せず,13世紀からのAinuは世界の誤解です。
2.教室がよく教えてくれない祖代の世界的な事象例

今や縄文文明と言われるも、その前の重要な始まり祖代はよく教わらず、知られず、内外に誤解も。旧石器時代という、世界語であって世界と違い、縄文、平安、鎌倉、江戸などの和語と合わない違和感の不適切な用語使用が一因です。左図のとおり、事象例は世界的なモノ・コトも多く、伊豆の生業航海や陥し穴猟、釣り針、磨製・神子柴石器など、「原始(人)」ではなく教室や図書館・書店における使用は誤解を招き不適切です。列島の1万件超の遺跡、最新のDNA分析等で、実は世界でも断トツの充実なのです。世界現生人類史の日本列島ルートでもあり、事象例を網羅しない教室は、周回遅れです。
事象例それぞれの地域では、学生教育施設と共に観光開発すべきです。そして今や注目すべきテーマは、南方スンダランドから南米南端の環太平洋移住はあったのか?が加わる状況です。
-日本祖代研究会(RGaPJ)

1.現生人類始まり時代のアメリカ移住史

アメリカ進入①については、ベリンジア陸峡へは2.5万年以前と既にみられていましたが、新たな遺跡発掘、DNA調査、当時の環境分析(最適時期の研究)などから注目のカナダ・本土米国への沿岸ルート(Kelp 昆布Highway)説が強まり、この事から沿岸海民の北上のみならずシベリア狩猟族の海民化(仮称“Marinerization”)説が登場しています。因みに、②始まり時代には、北方族も未だモンゴロイド化(寒冷適応の身体的な変化)はしていなかったと考えられ、また、最新DNA研究により、米国で多い父系ハプロQ,Cの進入は、ずっと新しい1,700年前以降とされ、注意が必要です(日本の祖人が「最初のアメリカ人問題で無視されて来た一因)。

2. 日本へは南方から北部九州に渡海、祖人は沖縄、北海道に拡がり

②日本では豊富な遺跡・石器に最新のDNA分析から南方からの北上で、約4万年前に北部九州に渡海し、祖人は沖縄、北上して北海道にまで拡がり北上継続と考えられ、祖代研は西太平洋沿岸北上ルート説でアメリカ移住史に繋がる環太平洋移住(MPOR)説を唱えています。


残念ながらこれらに関し、教室は世界の議論の紹介すら無い周回遅れです。日本始まり史を教室で教え世界に発信、世界の議論の紹介を。 ―日本祖代研究会(RGaPJ)

1.日本史は南方から北上の北部九州への渡海と列島拡がり

右図①最新のDNA/考古学分析の研究で、現生人類が南方から北上して約4万年前に北部九州に家族が筏で渡海し、祖人Sojinは沖縄、北海道に拡がり。

年表の基層である祖代と2代目の縄文時代は、建て増しで進む人の脳とその後の信仰・習俗・言語などの暮らし振りの基盤です。そして祖代の世界的に充実したは事象は、生業航海、陥し穴猟や精巧な石器づくり等の諸事象の認知力、始まり時代の全国類縁性から古く明らかにできない日本祖語があったと考えてよいでしょう。古すぎて辿れないから無かったかのような扱いは不当です。また、内外にJomon、Ainuが初代であるかのようなモノ言いは大きな誤解であり、正されねばなりません。

2.教室の原始・旧石器時代の名称は、世界と合わず誤解の元

②教室の旧石器時代は世界では250万年前からからで1万年前の農業の新石器時代へとなります。後期を付しても5又は3万年前からとする世界と合わず、Jomonしか言わない内外で縄文時代・人そのものも誤解があり、新石器時代でもどこから来たのでもありません。また、テレビで話題の源氏物語の平安、鎌倉、江戸名などと旧石器時代は木で竹を接ぐ違和感です。始まり時代の意義は論議されず、図左下日本の始まり「どこから?」も言葉の成り立ちも世界に誤解が拡がっており、放置のまま定着しかねません。こんな状況では始まり時代の意義を出題できません。

今や歴史は国際政治、長い始まり祖代からの歴史意義は、土地を買われる事よりも重要な問題です。奪われ歪められた民はやがて亡国の憂き目ですから、早急に現下の実証で妥当と考えられる一案を教室で紹介し、世界に発信せねばなりません。ここに強く要求します。―日本祖代研究会(RGaPJ)

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