➀Harvard医科大の投じた調査結果であるスンダ・サフルランド域とアマゾン先住民の超遠隔地DNAが他域に見られない近縁という不思議な問題は、北米2.3万年前の足跡発見、日本ルート・祖人Sojin説が登場するなどMPOR(Migration along Pacific Ocean Rim)の実証へ1歩を進めています。

当然、万年前の大昔に多くの家族が太平洋横断はムリです。

②日本史の始まりは、DNA・考古分析から南方北上が基本であり、太平洋側・日本海側(当時は大雪降らず)から北上した東西合一の青森・陸奥平野の賑いから容易に津軽湖(的)を越えて道東へ北上です。そして、次々に島が見え冬季には流氷を歩いて渡れた北千島への北上を、否定する要因はアリマセン。北千島のコロボックルCorobocle・遊動海民の留頓(ルトン、Routon)、縄文(6千年前)及びカムチャッカ進出の痕跡や鳥居龍蔵等の地調査を含む内外の研究に光が当たってきています。

日本の始まり状況を教室に世界にー日本祖代研究会(RGaPJ)

図左 誤解招く3方向渡来でなく南方北上一方向の始まり(沖縄へは南下)、約4万年前の祖人Sojinを祖代Sodaiを教室に世界に、誤解を正そう。旧石器時代の用語は適切でなく、縄文人は初めて渡って来た人々でなく2代目。祖人は大槍持ちの原始人ではアリマセン。

図右 出中東~東進~北上のアジア地中海沿岸~日本列島~北上継続のベリンジア~アメリカ新大陸西海岸を南下の環太平洋ルートに注目、国際共同研究で実証強化を期待します。

➀北米先住民に多いY遺伝子ハプロQは紀元後進入で新しく、巷間本の説明は誤りであり、「最初のアメリカ人」ではない事が判明しました。ニューメキシコの2.3万年前の足跡発見もあり、依然探究中という事です。

②従って、北米先住民DNAとの比較考察でそれと異なることからこれまで無視されてきた北海道祖人は排除されず、また、ベリンジアへの北上継続の否定要因もないので、「最初のアメリカ人」問題の「候補」なのです。巷間の3方向渡来図は、日本の始まりに対し時代の新しい方向を描いた列島から出て行かなかったという誤解を与えるもので不適切です。

米国の「ヘイト~」ではない勇気ある真実追求の研究成果の発表は、鳥居龍蔵の隠されているかのような北千島コロボックル・第1アイヌ・留頓(ルトン)の研究にも注目の光を当てるものです。

閉じ籠りから解放し、北海道祖人とコロボックルを教室にー日本祖代研究会(RGaPJ) 

図中 約4万年前からの始まり祖代の当時のアジアは、生物相が最新の研究では3区分(A,B,C)です。南方から「インマレイ」が北上し、曙海沿岸の時計回り渡海移住のB帯人が祖人です。石垣島祖人(2.75万年前)に類縁は、北海道以北にまで(祖代研)北上しています。今、道東祖人は昆布ハイウェイからの渡米候補なのです。

アジア東部北方では未だ寒冷地適応のモンゴロイドが登場していないC(西人とBの混合)であり、発見遺跡から東部への進出は実は新しいのです。

図左 始まり祖人(縄文人の前、初・先代)は、「最初のアメリカ人」の沿岸ルート説の高まりで伊豆の生業航海(諸島の神津島に黒耀石採取)が注目されるなど断トツの遺跡の充実です。当時先進の祖代痕跡の数々、米側のDNA分析などや千島は次々に島が見えた、フネのほかに冬季は流氷で歩けたなどから祖人の渡米を否定する要因はアリマセン。今、青森・北海道に世界学界の注目が集まっています。

図右 ルーツの探究は、祖人・縄文人の多角的分析が必要です。日本史期間の92%を占める祖・縄文時代の習俗文化・信仰の基盤は、その後の大陸からの流入影響を取捨・変形している元として重要なのです。

始まり祖代状況を教室に世界にー日本祖代研究会(RGaPJ)

図左 始まり祖代の伊豆の生業航海、数々のメダル級遺跡・遺物などから「最初のアメリカ人」の西海岸沿岸進入説の主流化で、青森・陸奥平野、道東ゲート・昆布ハイのwayに注目が高まっています。

図中 国後の祖代痕跡、北千島6千年前の縄文遺跡、遊動海民の留頓(古い第1アイヌ、先住のルトン)のカムチャッカ進出の痕跡等は、図中・下の祖・縄文人の海上行動力と黒耀石・翡翠・貝品などの宝物の広域交易力という、縄文「海の商人」説も登場している基礎の賜物なのです。

図右 国立科学博物館の来年の人類史・日本祖史の特別展で正しく認識が広まることを期待。

コロボックルを正しく教室に―日本祖代研究会(RGaPJ) 

(世界人類史)問題は道東だべや。どさ?アメさ。来年は、新人類・日本始まり史の特別展が凄い。

図左 日本にとっては南方人(モンゴロイドではないインマレイ)の東亜地中海沿岸の北上であり、約4万年前に北部九州に渡海し、3.5万年前頃には沖縄~北海道の列島中に拡がりました。

図右 DNAが全てではなく、日本史基盤の祖・縄文人と習俗文化が重要であり、巷間に誤解のマンモス・ハンター、騎馬民族、大量の難民渡来などは否定され、大噴火で出国した避難民子孫の帰国や交易で大陸・半島に出た縄文海民の行動の影響なども考慮する必要があります。

図中 波静かだった対馬海峡を家族が筏で越え(40-30km)て北部九州へ、また、伊豆の海で黒耀石を求めて生業航海し、海民の認知力高い暮らし(考古学先史上の“メダル”を基礎に、今、青森・北海道祖史に米学界も注目し始めているのは、「最初のアメリカ人」が西海岸沿岸を南下して入って来た説の高まりにも理由があるのです。

温故知新、世界の動向を教室に―日本祖代研究会(RGaPJ) 

図左 祖人・縄文人で日本史の92%に達し基盤(考古痕跡の人体DNAと生活文化)であり、約4万年前からの日本人の来た道、ルーツを論じていますので、「古代」(日本史では奈良・平安等)のタイトルは誤解招くものです。

図右 基本的には、出・アフリカ中東から現生人類・新人の東進~南方北上による曙海の北沿岸から北部九州に渡海・到達し列島中に拡がった北インマレイの基盤に、北方モンゴロイド系の渡来と拡がりという2層の構造なのです。

1.マンモス・ハンター、騎馬民族は来ず、大量渡来もない五月雨の難民(主)渡来と南部九州における2度の大噴火災害時の避難出国が注目すべきことです。

2.長期(2.4万年間)だった祖代Sodaiの末期に大陸から細石器文化(人)が渡来したとみられます。他方、祖代末期から海水面の上昇で北も宗谷海峡で断絶し、縄文期の渡来は少なかったとみられています。

3.祖代始まり3.8万年前の関東の賑いに続く北方への新人類・祖人の拡散期に、青森・陸奥平野(当時)~道東~千島列島・昆布ハイウェイの沿岸ルート(否定要因無し)による渡米候補として、近年、アメリカ側が西海岸・沿岸の昆布ルート説の高まりから道東は、内外の学界で注目されてきています。
日本の始まりは祖人・縄文人に注目を―日本祖代研究会(RGaPJ)

➀ノーベル賞の先生方が「カーボン温暖化説は誤解」の声明が出た時節の暑い夏に、氷河期4万年前の旧人と新人は何が影響して勢力が交代したのかを論じ説明、追体験するという企画です。

②それは日本史の60%を占める祖代の始まりであり、日本列島での祖先の暮らしが北部九州から拡がって行った時期です。欧米先生のアジアは全て新旧のモンゴロイドという名称は、余りに大雑把な誤解の元で、先ず出アフリカ・中東からの南方インマレイ、そして北上し寒冷地で身体変化したモンゴイドの今も続く各地への拡散なのです。始まり祖代の各地で発掘された遺物は、世界先史考古学における実証上の金メダル4(伊豆の生業航海等)、銀2、銅1(祖代研)であり、更に今、「最初のアメリカ人」候補として注目されている内容を有するものです。コレを機にしっかり世に紹介し、特に学生・生徒は追体験すべきです。

約4万年前からの祖代を教室に世界に―日本祖代研究会(RGaPJ) 

(考古界尽力の祖代痕跡の発掘1万件超えが支え)

➀ユーラシア内陸・半島(当時は山地)人ではない、モンゴロイドではない北インマレイの曙海沿岸海民家族による、波静かだった対馬海峡を筏による40-30kmの渡海での始まりです。

②東京諸島(神津島)の黒耀石を求めた世界最古の伊豆の生業(造・操舟)航海は、「謎」(朝日新聞報道)ではアリマセン。

③最古の種子島の陥し穴猟など、鉄器の無い時代に1mの穴を多数設定する作業は、各地の同種の作業の知レベル・社会性の高さを示すものです。

④「国宝」白滝石器群など遠隔地の黒耀石交易や特に東京小平・鈴木遺跡の広域交易の賑いと集団社会性、先進の磨製石器、最古の釣り針、もはや工芸品というべき神子柴石器などは世界の注目なのです。

なお、図左の「旧石器時代」の名称は不適切であり、「祖代」・祖人の用語を導入すべきです。

祖人は、原始人ではないー日本祖代研究会(RGaPJ)

島国日本は、その始まり―祖代Sodai(名称・旧石器時代ではない)―を十分語れる素晴らしさと内容がある、子供に正しく伝えよう

➀現行の旧石器時代という名称は世界に誤解を与え、かつ他の時代名(飛鳥、平安、鎌倉、江戸、明治・・・など他と異質・違和感の全く不適切です。

②始まりは南方から北上の一方向性で、閉じ籠り史観は誤解を招いています。今、北上を継続して出て行った青森・北海道祖人は、千島列島の島々が次々に見え冬の流氷で歩いても行けた事から、沿岸ルート説が高まる渡米問題の注目の有力候補なのです。日本史の始まり時代における以前投稿の伊豆の生業航海・広域交易、社会性ある陥し穴猟や環状キャンプなど暮らしぶりの痕跡は、原始人ではアリマセン。祖代・祖人の用語が無いために、もどかしく説明している活発な多くの参考動画の改善を期待します。
祖代を正しく教室に、世界に-日本祖代研究会(RGaPJ)

「最初のアメリカ人」は米ニューメキシコの足跡発見で、パラダイム変化の新説が登場しています。

➀時期whenは万年遡り、#1寒冷緩和期の2ルート・沿岸及び内陸回廊からの進入(2種類の文化痕跡を考慮)の新説が登場です。

②場所whereの沿岸ルートは道東ゲートウェイ発が有力で、更にA-1-1が考古痕跡及び時代的に有力候補であり、青森(陸奥平野含む)・北海道史(遊動海民の留頓、千島カムチャッカ含む)に注目です。世界の学界は、シベリアDNAの渡米は新しい(Dr. Jeanson)との最新研究を踏まえ、日本除外の先入主を正す必要あります。

③閉じ籠りの3方向渡来図は内外の誤解を招くものであり、日本史は南方北上の時計廻りの始まりで、北海道から北上を継続したことを否定する要因は無く、北千島の縄文遺跡や樺太の白滝黒耀石(石器群は国宝)の痕跡などがあります。

この点で、3.8万年前の伊豆の黒耀石を求めた生業航海は、屈強な男たちの20km航海で謎でなく、また、造舟の面で伊豆半島は大船献上の良材地でもあります。

また、近年の「留頓のカムチャッカ進出」研究も注目されるところです。千島の国際共同研究の推進が期待されます。

遊動海民の留頓(ルトン)を教室に世界に―日本祖代研究会(RGaPJ) 

棄権は生活混乱・不安全の悲惨へ

➀北米ニュー・メキシコの2.3万年前の足跡発見、ベリンジア着2.6万年以前(DNA分析)の研究成果、氷河期の沿岸進入の可能性、シベリア民移住の最新のDNA分析等から定説崩れ時代の「沿岸ルート新説」が高まり、遂に北海道発進説(A青森北上か、B沿海州・樺太南下か)が登場です。これまでの考古学の分析ではBは、青森・陸奥平野民(当時)の北上よりも万年遅く、道内や樺太の遺跡の状況及び年代的な面から、太平洋・日本海(大雪降らなかった)両側の東西合一した青森・道東祖人が優勢と考えます(世界的に学界は説明不足です)。

②巷間の3方向渡来図の誤解で長らく「最初のアメリカ人」問題に棄権してきている日本ですが、そもそも日本史の始まりは南方北上の一方向性であり、北海道からの北上を継続することに対し否定する要因はアリマセン(プーチンはいなかった)。「昆布ハイウェイ」の北上を継続した可能性は、その後の北千島の先住民の留頓(ルトン・Routon)の遊動海民振りや縄文遺跡などから十分あります。 今こそ日本が国際共同研究を主導すべきなのです。

投票所へ行って1票を―Twitter/Xで街宣中の日本祖代研究会(RGaPJ)  

➀始まり祖代(約4万年前から)の暮らしの精神性は、人が集まる遊動経路の要衝のキャンプ跡の住み方に、②2代目縄文の聖域を中心にする同心円の集落構成と円型人工物に、③普段はスマホでゲームに興ずる現代の人々の心が躍る日本の盆踊りの輪に、窺えます。

月にロケットが飛んでも人は余り変わらず(プーチンなどを見て)、AI時代に人の脳は建て増しでリセットはなく万年前の祖人子孫であり、実は祖代・縄文時代で92%(日本史期間)となる先史は十分に関係あります。「日本史は室町からで十分」なんて、傲慢です。

温故知新の政治を。

もっと教室に先史を―日本祖代研究会(RGaPJ)

➀約4万年前、家族で対馬海峡35km越えの筏渡海で始まり、3.5万年前頃には列島中に拡散しました。

②世界最古、伊豆の海で離島に黒耀石を求めて生業航海(謎-朝日新聞 でなく、祖人の男だけ20kmに驚き無し)し、持ち帰った宝物を交易していました。その造・操舟の知力は注目です。

③世界最古、各地の陥し穴猟の企画力(動物生態理解と地形に応ずる穴の設定)と鉄器の無い時代の作業実施の集団社会性がみられます。

④世界最古の環状キャンプは、中央の広場が精神性ある活動の集団生活であり、近代の米Nativeインディアンのようです。磨製の石器は、欧州・中東より1万年早い。最古の貝製の釣り針。長野の1,080mの高地遺跡で3.7万年前に活動し、感心する神子柴・尖頭石器はもはや熟練職人による工芸品です。また、東京小平・鈴木遺跡の広域交易の賑いは当時の新宿といえるもので、日本史は関東を正しく認識すべきです。そして、東西合一の青森・陸奥平野から寒冷の北海道以北に移住を継続し(否定の理由なし)、今、人類史「最初のアメリカ人」問題で、昆布ハイウェイからの北上が注目です。

原始人ではない祖人を教室に世界に―日本祖代研究会(RGaPJ)

図右➀米ニューメキシコの足跡発見で、シベリア狩猟族の進入定説(そもそも東シベリアの考古発見痕跡は無し)が揺らぎ、西海岸ルート・昆布ハイウェイ説の高まりから、沿岸ルートで時代的に標準(2.6万年前)突破している北海道(DNA分析的にも否定されない)が注目されてきています。

図左②巷間のシベリアからマンモス「ハンターが来た」は、マンモスの骨はともかく道内における北ハンターの時代的な考古痕跡が発見されていない誤解です。注目は青森祖人Sojinであり、日本列島の東西から北上した祖人の青森・陸奥平野(当時)における合一の賑い基盤が重要です。氷河期における寒冷地への北上と拡がりの継続は、樺太のような処女地のマンモスではない海獣・海産物等の食の豊かさと国宝・遠軽白滝黒耀石の魅力も理由です。そして、実は仙台から北の暮らしの予行練習は出来ていたのです。

北海道史の議論を教室に世界に―日本祖代研究会(RGaPJ)  

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