島国日本は、その始まり―祖代Sodai(名称・旧石器時代ではない)―を十分語れる素晴らしさと内容がある、子供に正しく伝えよう

➀現行の旧石器時代という名称は世界に誤解を与え、かつ他の時代名(飛鳥、平安、鎌倉、江戸、明治・・・など他と異質・違和感の全く不適切です。

②始まりは南方から北上の一方向性で、閉じ籠り史観は誤解を招いています。今、北上を継続して出て行った青森・北海道祖人は、千島列島の島々が次々に見え冬の流氷で歩いても行けた事から、沿岸ルート説が高まる渡米問題の注目の有力候補なのです。日本史の始まり時代における以前投稿の伊豆の生業航海・広域交易、社会性ある陥し穴猟や環状キャンプなど暮らしぶりの痕跡は、原始人ではアリマセン。祖代・祖人の用語が無いために、もどかしく説明している活発な多くの参考動画の改善を期待します。
祖代を正しく教室に、世界に-日本祖代研究会(RGaPJ)

「最初のアメリカ人」は米ニューメキシコの足跡発見で、パラダイム変化の新説が登場しています。

➀時期whenは万年遡り、#1寒冷緩和期の2ルート・沿岸及び内陸回廊からの進入(2種類の文化痕跡を考慮)の新説が登場です。

②場所whereの沿岸ルートは道東ゲートウェイ発が有力で、更にA-1-1が考古痕跡及び時代的に有力候補であり、青森(陸奥平野含む)・北海道史(遊動海民の留頓、千島カムチャッカ含む)に注目です。世界の学界は、シベリアDNAの渡米は新しい(Dr. Jeanson)との最新研究を踏まえ、日本除外の先入主を正す必要あります。

③閉じ籠りの3方向渡来図は内外の誤解を招くものであり、日本史は南方北上の時計廻りの始まりで、北海道から北上を継続したことを否定する要因は無く、北千島の縄文遺跡や樺太の白滝黒耀石(石器群は国宝)の痕跡などがあります。

この点で、3.8万年前の伊豆の黒耀石を求めた生業航海は、屈強な男たちの20km航海で謎でなく、また、造舟の面で伊豆半島は大船献上の良材地でもあります。

また、近年の「留頓のカムチャッカ進出」研究も注目されるところです。千島の国際共同研究の推進が期待されます。

遊動海民の留頓(ルトン)を教室に世界に―日本祖代研究会(RGaPJ) 

棄権は生活混乱・不安全の悲惨へ

➀北米ニュー・メキシコの2.3万年前の足跡発見、ベリンジア着2.6万年以前(DNA分析)の研究成果、氷河期の沿岸進入の可能性、シベリア民移住の最新のDNA分析等から定説崩れ時代の「沿岸ルート新説」が高まり、遂に北海道発進説(A青森北上か、B沿海州・樺太南下か)が登場です。これまでの考古学の分析ではBは、青森・陸奥平野民(当時)の北上よりも万年遅く、道内や樺太の遺跡の状況及び年代的な面から、太平洋・日本海(大雪降らなかった)両側の東西合一した青森・道東祖人が優勢と考えます(世界的に学界は説明不足です)。

②巷間の3方向渡来図の誤解で長らく「最初のアメリカ人」問題に棄権してきている日本ですが、そもそも日本史の始まりは南方北上の一方向性であり、北海道からの北上を継続することに対し否定する要因はアリマセン(プーチンはいなかった)。「昆布ハイウェイ」の北上を継続した可能性は、その後の北千島の先住民の留頓(ルトン・Routon)の遊動海民振りや縄文遺跡などから十分あります。 今こそ日本が国際共同研究を主導すべきなのです。

投票所へ行って1票を―Twitter/Xで街宣中の日本祖代研究会(RGaPJ)  

➀始まり祖代(約4万年前から)の暮らしの精神性は、人が集まる遊動経路の要衝のキャンプ跡の住み方に、②2代目縄文の聖域を中心にする同心円の集落構成と円型人工物に、③普段はスマホでゲームに興ずる現代の人々の心が躍る日本の盆踊りの輪に、窺えます。

月にロケットが飛んでも人は余り変わらず(プーチンなどを見て)、AI時代に人の脳は建て増しでリセットはなく万年前の祖人子孫であり、実は祖代・縄文時代で92%(日本史期間)となる先史は十分に関係あります。「日本史は室町からで十分」なんて、傲慢です。

温故知新の政治を。

もっと教室に先史を―日本祖代研究会(RGaPJ)

➀約4万年前、家族で対馬海峡35km越えの筏渡海で始まり、3.5万年前頃には列島中に拡散しました。

②世界最古、伊豆の海で離島に黒耀石を求めて生業航海(謎-朝日新聞 でなく、祖人の男だけ20kmに驚き無し)し、持ち帰った宝物を交易していました。その造・操舟の知力は注目です。

③世界最古、各地の陥し穴猟の企画力(動物生態理解と地形に応ずる穴の設定)と鉄器の無い時代の作業実施の集団社会性がみられます。

④世界最古の環状キャンプは、中央の広場が精神性ある活動の集団生活であり、近代の米Nativeインディアンのようです。磨製の石器は、欧州・中東より1万年早い。最古の貝製の釣り針。長野の1,080mの高地遺跡で3.7万年前に活動し、感心する神子柴・尖頭石器はもはや熟練職人による工芸品です。また、東京小平・鈴木遺跡の広域交易の賑いは当時の新宿といえるもので、日本史は関東を正しく認識すべきです。そして、東西合一の青森・陸奥平野から寒冷の北海道以北に移住を継続し(否定の理由なし)、今、人類史「最初のアメリカ人」問題で、昆布ハイウェイからの北上が注目です。

原始人ではない祖人を教室に世界に―日本祖代研究会(RGaPJ)

図右➀米ニューメキシコの足跡発見で、シベリア狩猟族の進入定説(そもそも東シベリアの考古発見痕跡は無し)が揺らぎ、西海岸ルート・昆布ハイウェイ説の高まりから、沿岸ルートで時代的に標準(2.6万年前)突破している北海道(DNA分析的にも否定されない)が注目されてきています。

図左②巷間のシベリアからマンモス「ハンターが来た」は、マンモスの骨はともかく道内における北ハンターの時代的な考古痕跡が発見されていない誤解です。注目は青森祖人Sojinであり、日本列島の東西から北上した祖人の青森・陸奥平野(当時)における合一の賑い基盤が重要です。氷河期における寒冷地への北上と拡がりの継続は、樺太のような処女地のマンモスではない海獣・海産物等の食の豊かさと国宝・遠軽白滝黒耀石の魅力も理由です。そして、実は仙台から北の暮らしの予行練習は出来ていたのです。

北海道史の議論を教室に世界に―日本祖代研究会(RGaPJ)  

国連UNは、北海道史を分かっていない。

➀米ニューメキシコの足跡発見で、「シベリアのマンモス・ハンターが、ベリンジア陸峡を越えてやって来た」定説は揺らぎました。今、西海岸のKelp(昆布)Highwayルート説の高まりで、始まり祖代の北海道史に注目なのです。

②世界は北海道史に無知で誤解が多いです。充実の遺跡に支えられた「道東ゲートウェイ」からのKelp昆布Highwayを北上継続することに否定要因はアリマセン。

③始まり北海道史は、青森が土台です。太平洋、日本海の両側から北上して東西が合一した当時の陸奥平野の賑いから北海道の暮らしに適応(昆布ハイウェイの襟裳岬では腹一杯です)して道東へ拡がり、遠軽白滝地域における最古の生業道具の開拓です。その後、青森・大平山元遺跡では世界最古級土器が出現しています。
北海道史を世界に―日本祖代研究会(RGaPJ)  

➀北海道史は1万年ではなく、3万年以前の始まりでAinu 先住は論外です。今、最初の渡米人問題において、道東祖人が北上を継続すれば2.6万年以前にベリンジアへ到達するという事で、「参加標準」を突破しており、否定要因もなく注目なのです。

②日本人の起源と言うならば初代・縄文先代の祖人Sojinであり、用語の無い事が大問題なのです。「後期旧石器時代」名称は、英語では世界に期間の誤解を与え、また、縄文は新石器時代とは言えず不適切です。何よりも飛鳥、鎌倉、江戸、明治などの和名と全く異質の初代・始まり名は重要な日本史用語として全く不適切です。

③南方北上の一方向性にも拘らず、時代の違う新しい3方向からの渡来図は、世界に誤解を招く不適切であり、閉じ籠り・吹き溜まりで外に出ない誤解を招きます。長く人類史の重要な渡米問題に、日本が不参加であった元凶の一つなのです。

祖代の祖人Sojinを教室に世界に―日本祖代研究会(RGaPJ) 

(東大先生の動画面に付記)

➀約4万年前・北部九州へ(40-30km)筏渡海が始まりの祖人Sojin、縄文人・・江戸人・・明治人・・私たち。今、「最初のアメリカ人」渡米説に、日本がはっきり登場しています。

②世界注目の沿岸移住説の高まりで、日本史始まりの沿岸民性と道東からの渡米の可能性は注目であり、出て行かない3方向渡来図は誤解を招くモノです。南方からの列島北上が基本の日本祖史、青森祖人(縄文Jomonの先・初代)Aが、年代的にも北米新発見の「足跡」の候補となります、沿海州・樺太Bではなく。

③国連UNは北海道史の種々の細部事情を知らず、誤解に基づく上から目線でモノ言う勿れ。なお、学界はいたずらに細部分析して違いを強調し、島国日本について、世界に誤解を振りまく北海道・沖縄の特別視を止めよ。

祖代の祖人Sojinを教室に、世界に―日本祖代研究会(RGaPJ)

First Peopling of America

カテゴリー: 最新情報

➀ Were Natives in White Sands and Monte Verde really descendant of Siberian hunter?

Footprints has changed paradigm and coastal migration theory is gaining momentum.

② Seafarer Izu Sojin, Fuji and Tokyo sites 38,000 BP. Aomori, Hokkaido 35-30,000 BP.

図左 始まり祖人Sojinは、寒地適応で身体変化したモンゴロイドではなく南方系の北インマレイで、沿岸民です。約4万年前の北部九州から拡がり。東京小平・鈴木遺跡は交易の賑い、北海道遠軽・白滝石器群は国宝認定です。択捉島の祖代痕跡に、今、道東からの渡米説で注目です。沿岸・海上行動力や陥し穴猟・環状キャンプの社会性、神子柴石器の工芸などは、原始人ではないです。そして縄文人へと繋がり(土器発見で時代名替わり)ましたが、重要な事です。

図右 金メダルの伊豆の生業航海などはそれぞれが特筆の凄さであり、また、島国のために大昔“創業”の5W1Hが推定できることは、世界の驚きでしょう。言われてきたマンモス・ハンターは来てません。外からの一挙大量の渡来・リセットは無く、島内でのDNA盛衰と各地への拡散史であり、過度の渡来強調は誤りです。

祖人Sojinを教室に、世界に―日本祖代研究会(RGaPJ)

➀始まりは約4万年前、現生人類の出アフリカ東進後の南方スンダランド地域からインマレイInmalayが北上し、曙海沿岸を時計回りで北部九州へ沿岸民家族が渡海して始まりました。言わばビッグバンの列島拡がりの一方向性で、(プーチンおらず)北上の移住を継続したものと考えられます。巷間の3方向渡来図は時代が新しく、また、それぞれの時期も違い量的な実態も不明であり誤解を招くものです。

②最初のアメリカ人問題は、米西海岸ルートが今注目であり、対馬海峡の家族の筏渡海(40-30km)や伊豆祖人の黒耀石を神津・恩馳島に求めた世界最古の生業航海(25km)は重要です。最初のアメリカ人に関する渡米問題に時代が新しいJomon、Ainuが登場する誤解を正し、Sojinを世界に、議論を教室にということです。なお、欧米学者のシベリア説は、彼らは太平洋か大西洋かで争っている面もあり大雑把で人々のイメージは長い定説のシベリア・マンモスハンターですが、我々は A、B、Cルート(特にA)の研究が必要です。

痕跡の実証研究は、当時の沿岸が100m程度の海面下で容易でなく、一部隆起した地形やむしろ内陸に古さが残る南米に期待できそうで国際協同により推進すべきです。

―日本祖代研究会(RGaPJ) 

図左 出アフリカ東進後の南方「インマレイInmalay」の曙海沿岸民が、約4万年前に、波静かな対馬海峡(4-30km)を家族で筏渡海し北部九州に至りました。ビッグバンの祖人Sojinは、3万年前には沖縄(3.6万年前、那覇・山下町祖人)から北海道の列島中に拡がり北上継続、そして1.6万年頃(学界論議中)からの2代目縄文人へと繋がりました。

図右 そもそもアジア東部は、始まりの第1波インマレイ(DNAハプロD)、次いで寒地適応で身体変化の第1波モンゴロイドの登場・拡散という二重構造なのです。ジンギスカンに大ショックの欧州先生が、全てをモンゴロイド(新・旧に区分)と大雑把に称した事が基本の二重を正しく認識することを妨げている誤解の元です。なお、祖人から縄文人へと繋がる実証は沖縄のほかに静岡・浜北人が重要例で、愛知東部や静岡西部の縄文遺跡と連携しています。

インマレイ、祖人Sojinを教室に世界に―日本祖代研究会(RGaJP) 

➀最初のアメリカ人、一般的に世界はシベリアから来たというイメージ。そして学界は豪とアマゾンの先住民のDNA近縁や最近のシベリア・ハプロQの渡来分析結果は1,700年前(Dr. Jeanson)で新しい事に驚くが、それらを理解できる「環太平洋MPORルート」(祖代研)をはっきり描くには至っておりません。

②米ニューメキシコの新発見足跡(2.3万年前)や南米最古のモンテ・ヴェルデ遺跡(14,800年前)で興味深い9種の海藻発見(摂取・活用)などの日本ではあまり行われない教室の議論に、世界では用語が無いためもありJomonやAinuが登場している誤解は、放置されたままで大きな問題です。

始まりの祖代Sodai、祖人Sojinを教室に世界に―日本祖代研究会(RGaPJ)

➀ Their life with 9 kinds of seaweed was quite different from that of Siberian hunters.

② Seafarer Izu Sojin (Proto- Japanese before Jomon) since 38,000 BP were candidate of them and no deniable factor at all.

③ New findings about Clovis is surprising. They had not been coming down through Ice Free Corridor, but gone up to north. Quite different image of old scholars.

Terminology of Sodai(circa 40,000 BP~), Sojin to the classroom―RGaPJ

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