➀A青森・陸奥平野から北上か、B沿海州・樺太から南下か。米ニューメキシコで発見された最新の2.3-2.1万年前の足跡年代から、青森祖人Sojinが有力候補で、3.8万年前の伊豆沿岸海民が神津恩馳島に黒耀石を求めて約25kmの海を越えて世界最古の生業航海をしていたことは、近年の米西海岸・沿岸進入説の高まり時代の重要な実証です。

時代を異にする3方向渡来の巷間に見られる図は、内外に誤解を招くもので弊害です。

②出アフリカ後の世界のDNA拡散説において、有力報道に日本通過説や沿岸から内陸への拡散説もあり理解すべきです。また、始まり先史を論ずるのに2代目のJomonやAinuが登場する誤解も多く、速やかに先ず用語(祖代Sodai、祖人Sojin)を制定すべきです。

まず祖人Sojinを教室に世界に―日本祖代研究会(RGaPJ)

➀始まりは約4万年前の南方北上史であり、時代を異にする3方向を混ぜた渡来図は誤解招く弊害があります。

②マンモス・ハンターは内外の遺跡考察から北海道には来ておらず、北からは北海道への細石刃文化の南下が言われていますが、(あったとして)北海道最古遺跡より1万年程度遅いです。最新の海外の研究論議であるマンモスの花粉症やよく見るハントの絵の様に出来たのかとする実験考古学の動向なども教室に紹介して理解を深めるべきです(現状は周回遅れ)。

③今、A青森かB樺太からなのかは重要な論議です。問題は、学界に祖代・祖人Sojinの用語が無く活発かつ具体的な議論に至らないことで、用語を導入して具体的に候補の青森や本州の先史基盤などの実情を世界に発信するべきです。また、特に日本の先史・古代史の人に関しては、渡来や北海道の状況に誤解が多く、実証性ある状況理解が不十分であり是正が必要です。

―日本祖代研究会(RGaPJ)

➀南方から北上して約4万年前から祖人が拡がった日本の始まり。時代の違うものを混ぜた3方向渡来図イメージのためか、日本から出て伝わったレヴィ・ストロースの神話研究などが出ません。

②人類史の「最初のアメリカ人」問題は、2.3万年前頃のニューメキシコの足跡発見で、近年の沿岸ルート説の更なる高まりから北海道が注目されています。しかし、沿海州から南下したPSHK人と決めるのは誤解であり、本州から北上のAomori Sojinも候補です。一方、2.5万年以前の話にJomonやAinuが登場するのも誤解であり、始まり時代の「祖人Sojin」用語が学界に無いことが問題の原因です。採用を。

③AかBかでは、新人類の沿海州南下は米ニューメキシコの「足跡」に間に合わない遅いもの(早くて2.5万年前から)であり、帯広(3.5-3万年前)・遠軽白滝(2.7万年前)の祖人は、道内遺跡状況、3.8万年前の伊豆祖人の北上並びに定説の東シベリアには実は議論の対象となる時代の遺跡の発見は無く、渡米の候補は北上継続の青森「祖人」なのです。

教室の誤解を正し世界の視野を―日本祖代研究会(RGaPJ)

総裁選の歴史観ー世界視野で

➀日・米・インドネシアだけの神話があり、日本に完全な形があって他が断片的なのは日本発又は通過という事になりますが、それは東端の島国だからでしょうか。教室では建国と発展の話を教えてくれませんが改善すべきです。

同様の重要で意義ある研究課題としては、古DNA、石器・土器、ウィルスなどに関して最新の国際的な共通性の探究が挙げられます。

②問題は、3方向渡来図のもたらす吹き溜まりで外に出ない誤解と出て行く自由な発信や国際共同研究に対する実質的なブレーキの弊害があります。今、道東へは、A青森祖人よりB樺太渡来のPSHK人説が優勢なのですが、本当ですか?

知ってますか?教室及び研究改善を―日本祖代研究会(RGaPJ)

建国の時代は、伝統土台の日高見・坂東、先進の熊曽於(そお)・沖縄、祭祀等の「阿波」路(最初の国土)にも注目です。

図右➀3.8万年前からの始まり列島中央部は、遊動暮らしの広大な関東平野と貴重な黒耀石2大原産地の存在で賑わい、今注目は黒耀石を求めての伊豆の海を行き来した世界最古の生業航海です。

図左②古代史の魏志倭人条はB面で、古書に明記の伝統土台の日高見・坂東(武者)。日高見は太平洋側(特に仙台)・青森の沿岸縄文貝塚群が実証の支えです。今古代史を揺るがしている、お伊勢様より古い2大神宮、新たな発見の神門古墳群の最古級・画期的な墳形の前方後円墳(纏向もビックリ!)、彩色古墳などは、最大の縄文貝塚群が明らかな基盤となっています。

③姶良(3万年前)、アカホヤ(7千年前)の2大噴火のハンデを乗り越え、上野原縄文遺跡が実証基盤の南九州の鏡や鉄、特徴ある墓の熊(聖、神)曽於(そお)は注目で、オオツタノハ貝などの交易の沖縄、皇室祭祀等に関わる最初の国土・謎の多い「阿波」路にも注目です。

東国の文化と大和などとの関係、海外交易の南九州・沖縄の状況など今後の更なる解明に期待が持たれています。

教室に始まりを建国の時代をー日本祖代研究会(RGaPJ)

巷間の博物館等の3方向渡来図(吹き溜まり・閉じ籠り説)は、時代の違うモノを一緒にした誤解の元です。なお、約4万年前の始まり祖代・縄文時代で92%の日本史期間は、ヒトの脳が過去を抱えた建て増し性質から内的基盤でありAI時代に重要なのです。

➀約4万年前は海面低下約90mで地形が今と全く異なり、曙海の小島の多かった北東亜平野の沿岸を時計(右)回りで沖縄にまで移住し拡がりました。当時なかった「朝鮮半島」から来た、台湾から来たは誤りです。

②朝鮮山地(半島でない)のルートは始まり時代の考古痕跡が無く、時代違いで内外に誤解です。南岸を来ましたが後の古代史では倭と考えられる所であり、重要な点です。

③宮古島から沖縄本島へは300km、行方も全く見えない慶良間ギャップを多くの家族が何日もかけて計画的に意図して越えるのは、始まり当時はムリでしたしょう。黒潮北上ルート説は諸痕跡からも学界で否定されています。2.2万年前頃の港川人は、3万年前頃にはいなくてその頃にはいた猪が鹿児島・奄美からと考えられますので、一緒だったのでしょう。 ④祖人が列島を太平洋側と日本海側(当時は大雪も降らず)から北上し中央部では連接、仙台では北海道暮らしの予行練習もし、青森・陸奥平野(当時は海面低下で標高約40m―中野区くらい)において東西から北上した祖人が合一した賑いです。この異質の合一は知的に重要であり、道南を加えた3方で後の世界最古の土器や芸術的な土偶などを生んだ背景でしょう。祖人は狭かった海峡を難なく越えて(冬は氷上を歩いて)予行練習していた北海道に進出し、3万年超えの痕跡を帯広に、古痕跡を千歳や遠軽白滝などに残し、留まる理由もなくずっと北上を継続した事でしょう。

他方、沿海州・樺太からは最寒期の避寒や数千年遅い細石刃文化の樺太からの南下が挙げられていますが時代違いであり、その人的な影響も不明です。北海道から出て行かなかったと誤解させる南下図は、近年の北米沿岸南下説の高まりで北海道東が注目されている事からも大きな問題です。

北部九州への渡海の細部、沖縄・本州への拡がり、北海道進出と北上継続及び大陸系種族の南下時期、そして「環太平洋拡散説」を教室に紹介をー日本祖代研究会(RGaPJ)

1.人類拡散ルート

行き着いた南米先住民の注目される体(部分)描画の南方習俗(裸体暮らしの始まり)痕跡は、東南アジア・豪州からの共通性がみられ、日本列島が含まれる「北上の時計回り」の伝播でしょう。埴輪の入れ墨は日本史の重要なソフト面の痕跡です。

2.体描画を受入れ継承する意義

体・顔・手などそこには装飾・識別のみならず中には沿岸海民の龍なども見られ(剣や土器、中米マヤなどの蛇も類縁)、また当然にして人々の言語(環太平洋語族論元言語学会長 松本克己)や信仰・伝承など重要な心・意識のソフト面の共通性が含まれており、ハプロ型が断絶・変異するDNA分析(近年、実証科学としてもてはやされている)よりもある意味では意義深いとも言えるのです。アイヌは、先住コロボックルの入れ墨が美しいので真似したと自らの伝承で伝えています(実はコロボックル女性を集団に取り込んだのでそう見えたと言う学説も)。

AI時代、ヒト脳の化学のみならず心・意識に係る諸分野説も教室に日本祖代研究会(RGaPJ)

賑やかな総裁・党首選の歴史観の基礎です。

A 北米ニューメキシコの2.3万年前の足跡の群れはWho?

実はシベリア、アラスカにそんな足跡をつけられる考古痕跡の発見は無く(3.2万年前のシベリアYana遺跡は単発で渡米の対象外という学界分析)、参加標準を突破しているの

は帯広・千歳・遠軽白滝等の遺跡年代が示す道東祖人!なのです。

米学界では、米先住民等のDNA分析から沿海州・樺太から最寒期LGMに避難の為に北海道へ南下進入して来た渡来者(PSHK―Sahalin、Hokkaido、Kuril)をWhoの答としていますが、ベーリング到達3-2.5万年前の参加標準に間に合うか、まあムリ・微妙なのです。

祖代研としては、米学界が採取した米先住民のDNAは最古を採取できていない(最新DNA報告例)不十分なものでもっと南米採取に力を入れるべきと考えており、日本列島の考古痕跡から当然に青森・陸奥平野祖人が北上して道東祖人となり、最初の千島への北上継続したという説(プーチンはいなかった)です(最古の千島痕跡は6千年前縄文ですが、ロシア極東学者はそれ以前の物も見たとの話)。

B ベリンジアで数千年間滞留してDNA変化した定説も、滞留の対象となる考古痕跡無く、How?新説が登場

3万年前当時のベリンジア南岸の西部・中部には小島が多く、到達して来た海民がそこで滞留してDNAも変化し、気温・海面の上昇(2.8~2.6万年頃)で小島から追い立てられるようにやむなく東方に飛び石移住したという新説が登場しています。シベリア、アラスカにその滞留対象となる考古痕跡発見が全く無く、崩れた定説に替わる考察が背景にあり、海民となれば北海道祖人が、飛び石のような事例としては有名なカリフォルニア沖チャネル諸島やカナダの島の移住(万年前)の発掘例があります。

ー日本祖代研究会(RGaPJ)

約4万年前に北部九州に渡海、3.8万年前から伊豆で最古の生業航海(黒耀石採取)し、賑わいの東京・小平鈴木遺跡は今の新宿、、青森陸奥平野から道東・国宝の白滝へという特色ある固有の始まり列島祖史は、近年のAbe Concept に符合する温故知新。

➀DNA・考古学者が驚いた南方北上の古層が残る日本

アンダマン諸島オンゲ族、マレー半島マニ族などの南方先住族と縄文人が類縁のDNA。1万件を超える考古遺跡が古い貴重な実証として支えています。

②大災害(姶良大噴火)もあったが、北から南の長い列島の広い地域で多くのLuckyに恵まれた祖史。

驚きの中央部の賑いは遊動暮らしに適した関東大平野と内陸と離島の2大黒耀石原産地などによる交易、太平洋・日本海両側の東西合一で賑わった青森・陸奥平野は北の揺り籠、豊富な国宝石器群・遠軽白滝発の広域の交易と道東祖人の渡米可能性(候補)に、近年は世界の人類歴史界が注目しています。

内外に南方北上史・Abe Conceptを語ろう―日本祖代研究会(RGaPJ)


図中➀特紀すべき事項は、皇室伝統の大嘗祭、初代神武天皇の登場、一部にヒミコとする纏向遺跡は、垂仁・景行天皇の都宮であることが記紀に明記されています。仏人史家レヴィ・ストロースの言は、客観的で意義深いです。史学界が軽視している誤りは、日高見国・神社、太平洋側のユダヤ・徐福などの渡来文化伝説、魏よりむしろ歴史意義ある水田稲作の起源と考えられる呉・越国関係などが有ります。シナ地理書・山海経が示す燕及びその後の公孫氏と倭の関係は、「曙海」の海岸線変化を考えれば注目すべきです。

マンモス・ハンター、騎馬民族、大量の弥生人は来ず、ヒミコが光武帝から授かったとされる親魏倭王金印は江戸時代に製作されたという偽物説(美術品大家)があります。

②ユーラシア東部アジアの始まり人類史は南方人の北上で、暮し振りは「アジア地中海」系が基層です。その後、北のモンゴロイドの拡散という2重構造を認識して東アジア史をみることが重要です。

③日本祖史の列島中央部における3.8万年前からの祖代・縄文時代の長い期間の基盤を認識することが重要で、中央部はその遊動活動の広域性、黒耀石・翡翠など貴重物の交易で賑わっていた痕跡から、日本語の祖語も想定し得るものです。その後、状況は消えることも無く後代史の考察の傍証であり、無視する畿内史観の歪みに注意すべきです。

天皇陛下登場の日本古代史・祖史を教室に、世界に。ー日本祖代研究会(RGaJP) 

 

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