1.米フロリダで発見の①水中遺物は、無氷回廊IFCが開通する以前の進入であり、大西洋ルートはDNA分析で否定されていることから、東太平洋沿岸南下のルート説を支持しています。フロリダ北西部の水中遺跡へは、メキシコ湾沿い東進とみられます。
2.南下した②アマゾン河口での米大陸最古の土器は、焼成温度が縄文土器を想起させます。北部で発見のエクワドル土器は、九州土器との類縁性が言われていました。
3.③遠隔DNAの3者類縁性となるアンダマン諸島人―縄文人―アマゾン古部族の関係は注目です。これまで縄文人は、北米先住民との関係発見が薄いので無視されてきましたが祖人・縄文人は注目であり、今後の痕跡探求は薄くても北米で努力しつつ、これまでは研究不十分だった南米発見に期待です。
4.アメリカ新大陸側でベリンジア南岸海民(化)と沿岸ルート南下説の強まりで、➃伊豆海民祖人の世界最古の生業航海を行っていた操・造舟力、青森・陸奥平野における東西合一の賑いの基盤も道東祖人の堂々の参加を後押しです。

日本史は、先ずは始まりを理解してから。世界に状況の発信を。

ー祖代研Research Group about Proto-Japanese (RGaPJ)  

New findings in ①Florida (to Coastal Migration Theory) and in ②Amazon estuary (the oldest pottery in new American continents reminds of Jomon) indicate not only Siberian hunters, but Proto-Japanese Sojin, predecessor of Jomon, not Ainu should be paid more attention to.

DNA affinity ③among Jomon Japan ― Onge Andaman Is ― Amazon old tribes in South America indicates interesting triangle relation. ④Coastal Migration theory supports seafarer Proto-Japanese Izu Sojin (38,000 BP~) and its descendant Doto Sojin (before 30,000 BP in eastern Hokkaido) who seems to have continued migration up north to Beringia and down west coast all along Kelp Highway.

―Research Group about Proto-Japanese (RGaPJ)

累次報告の通り、左図「古シベリア人」成立の分析が進むものの北米で多くみられる父系Y-DNAハプロQの進入は実は新しく(ゼロ少ない1,600年前)、東部シベリアには居住痕跡も見つかってはいません。

他方、日本の道東祖人(初代、縄文先代。アイヌは論外)は、太平洋・日本海両側から北上し東西が合一した青森・陸奥平野(数十mの海水面低下で現出)を基盤にし、3.8万年前の伊豆海民の子孫であり右図考古金メダル5個・1万件を超える豊富な遺跡実証に支えられ、米側研究の進展による「昆布ハイウェイ」沿岸ルート南下進入説の高まりで、今注目の日本史最前線なのです。最初のアメリカ人問題は、むしろ鍵は南米最古の遺跡・人骨・遺物の痕跡探求と解明が注目される中、日本と南米はDNA類縁性が無いわけではないと言われながらも世界に通ずるこの面からの先史関わり論文発表は未だ無いです。教室が「よく分からない」としてこの人類史の重要問題を紹介していないことが一因であり、この面からの世界への発信も不十分(アイヌ誤解)です。科学に予算を、協同研究の主導を期待します。―日本祖代研究会(RGaPJ)

約4万年前、日本始まり時代の氷河期の気候特にそれが上昇温暖化した時期と、北部九州への到着や北海道進出などの歴史諸事象が符合するのは注目されます。

先ず時代を語るのに図・上、世界が誤解する「旧石器時代」という名称は英語にすればすぐわかりますが日本の時代と合わず不適切(縄文も新石器時代でない)であり、早急に改善すべきです。そもそも、平安、鎌倉、江戸、など皆が慣れ親しんだ時代名称と合いません。
0・①出アフリカ・東南アジアの現生人類は気温上昇で北上し、曙海沿岸から当時は日本(湖)の波静かで、筏渡海して北部九州から列島中に拡がりました。

②関東・東海では相対的に温暖で、宝物の良質の黒耀石の原産地があり、当時の主体の遊動狩猟族にとって動物歩多い関東の広大な土地があり、東京・鈴木遺跡にみられる活発な交易があり人々の賑いがみられました。
③下図の気温上昇の時期に北海道へ進出し、トカラの海を越えて沖縄へと進出しています。この時代にすでに伊豆航海から沖縄釣り針など、世界考古学史上の金メダルが続出(5個)していて注目されます。
④3万年前の鹿児島姶良大噴火の受難の影響は大きく、特に南九州は停滞し西日本にまで及びました。他方、寒冷の時代であり⑤大陸における細石器文化は人の移動を伴い北海道への南下がみられました。
⑥神子柴石器は単なる機能を越えた芸術品として注目され、⑦⑧縄文時代の火炎土器や遮光土偶など種々の芸術品に繋がり、暮らしぶりと共に縄文文明と呼ばれるに至り、縄文の始まりの時期(祖代の終わり)については、ア.土器の出現期か、イ.列島に新生活の普及期か議論が続いています。

⑨米新大陸祖史は進入の時代もマンモス・ハンターもそれまでの定説が崩れ、陸峡ベリンジア南岸の海民による東太平洋沿岸の南下が注目され、最新のDNA研究で古い最初のアメリカ人はむしろ行き着いた南米に痕跡を探すことが重要であり、縄文人にその類縁性が無いわけではないので道東祖人(3.8万年前伊豆海民の子孫)は参加候補となっているのです。
教室は紹介して周回遅れを改善し、世界に日本の状況を発信すべきです。―日本祖代研究会(RGaPJ)

シベリア狩猟族は、DNA的にも北米先住民と近縁であり米国で議論の「コロンブス以前の大西洋渡来説」を斥け定説だったが、クロービス石器文化最古説の既に確定的な崩れと同様に揺らいでいます。

①シベリア起源の父系Y-DNAハプロQ及びCのアメリカ新大陸への進入に関する衝撃の研究結果により、実はゼロ一つ違う全く新しい進入(同時期の中国における戦乱が起因と推定される)であると誤解が正され、北米先住民DNAの点で無視されて来た日本の祖人Sojin(縄文先代)は問題参加から排除されません。

②しかも考古学的に北米大陸の「無氷回廊」(Ice Free Corridor)が開通する前に、現生人類は進入南下したとする太平洋沿岸の昆布ハイウェイルート説の強まりで、3.8万年前の伊豆海民の子孫である3万年前頃の道東祖人は注目なのです。

③巷間には誤解を招く3方向渡来図が流布されていますが、タイなどの先住族とのDNA類縁などの最新のDNA研究によって南方からの北上であり、かつ南米の古いDNAとの類縁性も注目され、3.5万年前後の北海道進出で留まる理由もなく、樺太の白滝黒耀石の遺跡、露研究者を含む千島の旧石器・縄文遺跡研究などから、北上継続で出て行く拡散は排除されません。

➃本州の最古級遺跡、太平洋、日本海の両側を北上し陸奥平野(海面低下で現出)で東西が合一した青森を基盤とする豊富な道内遺跡の実証裏付けに支えられた帯広からの渡海力ある道東祖人は、今や参加標準突破の参加資格が有るのです。

周回遅れの教室を改善し、状況について世界に発信を。-日本祖代研究会(RGaPJ)

1.南米南部で発見された洞窟壁画は注目すべき

南米南部パタゴニア、①アルゼンチン北西部の洞窟で8,200年前からの約900点の壁画が発見され、抽象画を含め知的レベルを示す生活痕跡として欧米で注目されていますが、実は日本史と無縁ではなくDNAに類縁性がある南米の孤立的な地域(最初期・第1波の痕跡が残る可能性のアマゾン、パタゴニア等)の事象として注目されるのです。モンテ・ヴェルデは最古の実証で、ブラジルのルチア人骨は非モンゴロイド性(寒冷地適応型でない)で注目されています。

2.「最初のアメリカ人」のベリンジア着と沿岸南下、道東祖人(海民性)は排除されずむしろ今や注目

現生人類展開・移住史の最後の謎である「最初のアメリカ人」問題は、②DNA分析と考古遺物等から2.5万年以前にベリンジアに到達し、これまでの定説は崩れて大陸西岸・太平洋沿岸の昆布ハイウェイを海民が南下して内陸に拡がったとみられており(最新 Dr. Jennifer Raff)、海民・道東祖人の昆布ハイウェイからの北上はもとよりシベリア狩猟族であったとしても海民化した南下説となります(Dr. Ben Fitzhugh)。問題は、現在のアメリカ先住民と縄文・日本人のDNAに類縁性が少ない事から北海道ルートが軽視されていますが、実は定説となっている類縁性が高いシベリア内陸系は、最新のDNA分析で後続の新種族であることが明らかになってきています。そして、南米での古DNA調査では最初期・第1波は東南アジア・豪州先住民との類縁性が高く、この事はシベリア内陸系よりもむしろ北中国や日本の祖人・縄文人の方が類縁性は高く、千島列島移住の渡海力を有し冬季の流氷を渡れた道東祖人がDNAの点から関わりを排除される理由は無く、現状は誤解であり今や海民性でむしろ注目すべきなのです。

3.道東祖人は、世界標準突破で参加資格有り

 道東の帯広では③若葉の森遺跡が3万年前越えとみられ、近年1.5万年前頃の黒耀石器が大量に発見されているほか、傍証として千歳や遠軽白滝などの古い遺跡の実証があり、また、➃当時の青森は陸奥平野(海面低下のため)に太平洋と日本海の両側を北上した祖人が、東西合一の文化的な賑いであったと考えられる北上適応の基盤であったと考えられ、更にそのすそ野は関東・静岡における3.8万年前の遺跡と生業航海の実証が支える有資格者なのです。

4.教室は、特に南米に注目の世界視野で始まり日本祖史を扱うべき

北米では、1.4万年前頃からの内陸における「無氷回廊」が開かれた後に大量に流入したシベリア系の後続新種族の影響が強いため、最初期・第1波の状況は分かり難く、むしろ行き着いた南米の孤立的な地域であるアマゾンやパタゴニアなどに残っている痕跡に、始まりの時代の日本祖史の視点で注目すべきなのです。また、日本祖史は、世界に発信されるべきです。

―日本祖代研究会(RGaPJ)

1.日本史のミステリー、①昭和27年、淡路島洲本市の森 重吉さん(47)が小路谷(オロダニ)の旅館主として湯殿を建てようと整地作業をしていたところ、1m下のイスラエル遺跡(中に小石が8つ)を発見した。だがその夜、重吉さんがうめき声をあげながら急死したので、たたりだと穴は埋め戻され(墓の目撃者の一人、森アサ70歳の言)、その後、駐日イスラエル、考古学等の関係者による発掘が行われたというものです。―Report 2014.11.21 平津 豊。

2.何しろ場所が日本で最初の淡路島での事ですから無下には出来ません。イスラエル墓の小石が8つの8という数字は、興味深い。広東・香港人が尊ぶ8や古事記で最も多い数字の8は、それぞれの国の人々が独立的にそうしたのか、どれかが最初で他に伝播したものなのか、仮に伝播とするならばその関係性の歴史的な意義は大きいです。

3.他方、ミステリーその2、②数字8の半分(半旗?)の4については、忌数字のようでこれも興味深い。太安万侶(古事記編纂を4ケ月で成し遂げた)の墓の副葬品は真珠4粒のみ。古事記の天皇御陵の記述にあるように四枝をお供えしましよう。遺跡を発見した重吉さんが湯殿を建てようとした旅館の「四」州園跡にもです。これらは、単に四―死だけの事でしょうか、重吉さんは四州園と名付けています。

4.教室が、日本書紀、古事記をしっかり教えていないのは戦後が終わらない異常です。ギリシャ神話はよくて、(仏国)智者レヴィ・ストロースが評価する日本神話は悪いなんて全くアリエナイ歪みで世界に誤解を披露める愚です。

ー日本祖代研究会(RGaPJ)

今、ポスト縄文が熱いのは国際的な稲作、青銅・鉄、知の波が及んできたからで、文化庁指定の淡路島南部の小路谷(オロダニ)の日本遺産・イスラエル遺跡の実証意義は重いです。

本来、考古学・DNA分析が示す約4万年前の筏渡海による祖人Sojinが沖縄から北海道に拡がった始まりの対馬・北部九州が第1に記述されねばならないのに、淡路島が日本最初・最古の名誉の島として記紀に記述された不思議。しかし、①盤余彦(神武天皇)の船団が重要な浪速から上陸戦闘し伊勢に大迂回を行って大和王権を樹立し発展しており、近傍の淡路島史をよく見ると、②海民と船で渡来の国際知を有し「島に導かれ神に感謝する」離散イスラエルの民(フェニキア含む?)の存在があります。公的には淡路島は、王権以来の皇室と都の民に海産物を提供したからとなっているが、実証痕跡である先進渡来のイスラエル遺跡の関わりを認識すべきでしょう。

③終戦危機時のソ連軍撃退(占守島)北方防衛のあの樋口軍司令官も実は淡路南部の浜出身であり、日独伊三国防共協定下の中でハルピン特務機関長時代に初回の極東ユダヤ人会議が行われたことこそ注目すべきです。そのことがその後も樋口機関長は、満洲国が入国を拒否しているのにも拘わず自ら満鉄と交渉し、苦境の2万人のユダヤ難民の列車入国を果たした救済につながっており、マッカーサー総司令官がソ連の樋口中将引き渡し要求を断固拒否したのも当然です。公には、樋口中将のヒューマニズムが喧伝されていますが、淡路島南のユダヤ痕跡を認識する必要があるでしょう。なお、DNA的に日ユ同祖論は否定されています(東北大 田中名誉教授)。最近、外国籍の人の横暴が問題になっていますが、イスラエル遺跡には、「この地に導かれて感謝」と記されており、問題外国籍の人々にはよくかみしめてほしいものです。―日本祖代研究会(RGaPJ)

欧米先生は、はっきりした中東と東南アジアの往来の実証がないとして採り挙げていません。

ですが図右、①祖代研会員は、当時活躍(主に地中海)していた秘密主義のフェニキアが豪州東部に来ていたとの噂話の記述を見ていますし、何よりもエジプトのヒエログリフに描かれた交易品・宝物は赤道直下の東南アジアからの物とのインドネシア古代史専門家(Dhani Ilwanto)の研究があり、中東・インド洋で行動の海民タミルの関りも考えられます。②図左、有名な女性ファラオであるハトシェプスト女王(言われていたほどの悪女でなく、イメージの修正を)の世界遺産・葬祭殿のデザインは、隣の崩れた土台しかなくよく分からないメンチュヘテプ2世からのもと言われています。だが、エジプトロジスト(エジプト古代史専門家)は、ともかくあのようなデザインはエジプト自発とは思われず、何処から?と、問いを発し論じているのです。エジプトと東南アジア、欧米先生はまともに迫ってほしいものです。そして日本の教室も、いずれこのような世界史の波が海からも新しい刺激として縄文に及んでくるので知っておくべきことなのです。―日本祖代研究会(RGaPJ)

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