特性①沖縄、四国、北陸が離れています(欧米人には単に「島内」多様の話)。

1.アジア人の基本構造 
図右②下 東部アジア人は南方Aインマレイド(欧米先生がアジア人を新旧モンドロイドと呼称が雑な誤り)が北上して、図右②上、北インマレイドBに変化しつつ北上継続(北部九州到着は約4万年前)、それが西からも加えてモンゴロイド化Cが誕生(2.5-1万年前から、Dr.Howells)し、強い影響の拡散が今も続く2素の波という構造が基本です。
2.地図をひねり、祖史を付せば解説できます  
③列島(地図回転ヒネリ)青色の基層に、北部九州からモンゴロイド化影響が波及で、青赤2素(1,2波)が混じり①を理解できます。太平洋・日本海側が青森・陸奥平野で合流し、東北影響が大なる北海道はど真ん中で、礼文は樺太からと言う人がいますが南方含みの北陸系です。
3.「祖代・祖人Sojin」という用語が無い問題  
2代目縄文からしか語らない教室は①を説明できません。島内の増減を軽視し「渡来」を過大に語るのも誤解の元で、始まりの(甲)祖人に(乙)モンゴロイド化影響という2素(2つの各々が多様な長期の五月雨流入の波)の混じり合いであり、「2重、3重構造」ではアリマセン
-日本祖代研究会(RGaPJ)

北海道・沖縄に関し誤解の元が残り、また始まり「祖代」(日本の後期旧石器時代)の「祖人Sojin」などの用語が無い事が、世界先史にJomonやAinu(13世紀から)が依然として登場して内外に誤解を与えていることが大きな問題です。

左図 北海道は、「道東ゲートウェイ」から北千島方向へ北上を継続した事が、北千島の旧石器・縄文遺跡で窺われ、遊動海民の留頓(ルートン)・コロボックルCorobocleの研究でも支持されます。「最初のアメリカ人」問題でも昆布ハイウェイ(Kelp Highway)ルートとして世界的に注目され、本州~青森・陸奥平野~道東~千島ルートがはっきり登場しています。

北海道への樺太からの進入は、あっても2.5万年前以降(細石刃文化)であり、その人的な影響は今後の研究を要します。沖縄の始まりが九州からの南下であることは考古学会に異論なく、図は全く誤解の元です。―日本祖代研究会(RGaPJ)

左図 長く「3方向渡来説」が巷間で、学術論文でさえ語られてきました。

問題は、祖代研が指摘の①生起した時代が新しく、かつ、混在、②肝心の南方から沿岸北上ルートが描かれていない、③北海道で留まる理由は何もないのに日本から出て行かない、という誤解を招くものでした。積み重ねてきた考古学、DNA研究に今回、驚きのタイ・密林のマニ族と日本人のDNA近縁が加わり、南方一方向からの北上説が躍進です。
右図 近年、沿岸ルート進入説が強まり、遂に祖代研がカムチャッカ沿岸北上ルートと共に一応挙げていたシベリア等の内陸ハンターの「海民化」説が登場遂に登場(Maritime Beringians ベリンジア海民)です。問題は、道東ゲートウェイへは樺太経由(2.5万年以前にベリンジア到達論で、時代的に苦しい)か、青森から北上(特に問題なく、陸奥平野で東西合一の基盤)か。米一部には日本列島(青森)からの北上説が登場しています。

教室に紹介を、世界に発信を。ー日本祖代研究会(RGaPJ)

①世界驚きの3.5万年前、社会性ある設定作業力は原始人ではない

動物(猪、鹿など)特性を認識しておそらく柵などで制限したルートを定め、陥し穴猟は、鉄器の無い時代に1m級の穴を多数設定し得た知力と社会性は、図下段の今の高校生の作業を想像すれば理解でき、原始人ではアリマセン。

種子島地域は、沖縄方向と関東方向への分岐点であり、他の遺跡と相まって意義(静岡・神奈川の同様例、生業航海等)を強化し合い、何よりも軽視されている年表の祖代(原始時代、旧石器時代等)の意義を高め、日本語の重要な言語系統問題などにも参考になります。

その位置と歴史から鉄砲伝来の受け止めもロケットが飛ぶのも偶然ではない!?

②日本史年表で始まり祖代の軽視は問題

祖代は、教室でも巷間の歴史本でも軽視されていますが、人の本質は進歩なく(ウクライナ侵略、ガザ戦等)、ヒトの脳は昔を残し建て増し式でリセットしないので、60%の長期にわたり育まれた基層(陥し穴以外にも多くの世界考古史メダル級事象)の影響は軽視すべきではアリマセン。島内における自らの発明はもとより、神話も藷制度や食なども取捨選択していて、祖代・縄文の基盤の影響は大きいでしょう。

③日本語の起源問題に、訳知り顔のご託宣は誤解の元

9千年前、日本列島はアイヌ語だったと一流研究機関の教授の動画に登場し、あるいは弥生時代の稲持ち渡来人に元があるという先生がいますが、南方北上の始まりから元日本言語学会長である松本克己先生の「元は指摘出来ず、環太平洋語群の類型」という論に納得します。言語の成り立ちは、文化に大きく影響するモノであり、安易な我田引水のご託宣は慎むべきです。

現在の種々の問題に対しやはり原点の探究理解は重要であり、いずれにしてもまずは始まり祖代の諸事象を教室に、世界に発信を求めます。―祖代研

これまで会信伝達して来て、遂にNHK科学番組で南方から北上の日本史始まり一方向(沖縄へは南下)移住史観の図(右下)が登場しました。左図巷間の3方向渡来図ではない、初めてと言っていい図の登場で、誠に感慨深いものがあります。引き続き、祖代・祖人に関わる歴史問題の発信伝達に努めて参ります。

①今回、南方系を明らかにしたのは良いが、古墳時代強調のコメントは尚早で、南北に長い列島及び顔・体格で出自がある程度推測できる我が国の状況にあっては、サンプリングや地域差の扱い方次第で結果と解釈は異なる点に十分留意すべきで、この公正の説明が重要。

②日本史に関して始まりに「3万年」の語を使用するのは誤解の元で、「約4万年」の学界主流説の語とすべき。また、巷間には「大陸・半島からの到達」との誤解があるので、スンダランド地域からの北上、パンカル海・曙海の畔からの到達であることを説明すべき。北海道史も誤解が多く、樺太南部進出の白滝黒耀石の旧石器遺跡、青森・陸奥平野が北の基盤である地位、北千島の祖代・旧遺跡・遺物などが示す北上継続を付け加えるべきで、今人類史注目の北海道で留まる理由は無い。

③年表で59%の期間を占める祖代は、豊富な考古事象が認められ隣国文化の取捨選択や今や「縄文文明」とも言われる特色をもたらした重要要因であり、軽視するのは不適切。DNAの多様性を大量渡来に求めるのは探究不十分な現況では時期尚早で、多様なDNAを有する五月雨の(大量でない)難民的な渡来による島内における勢力の争いにおける優劣の消長要因は重要で付加説明すべき。

―日本祖代研究会(RGaPJ)

1.「最初のアメリカ人」は、沿岸ルート説が優勢

左図北米内陸の無氷回廊が未だ閉鎖中の時代とみられる2.3万年前ニューメキシコの足跡発見もあり、学術系動画にDNA日本列島ルート説がいくつか登場しています。

また、米学界最新のDNA分析で沿岸支持論文が登場する(累次、本ブログにて紹介済)など、議論で優勢な沿岸ルート説です。遂に本年2023、シベリア東部からベリンジア陸峡に進出した内陸ハンターが大槍を捨て鮭を食べ北の海でフネを浮かべて海民化し適応したという「Maritime Beringiansベリンジア海民」説が登場(祖代研は用語抜きで既に列挙済)です。sositeimaya他方フネがどんなものであったのかが問題なのだとも。他方、沿岸支持派の北海道ルートでは、あくまでシベリア・アジア内陸者にこだわる学者は樺太南下~北海道ルートを主張していますが渡道の時期(2.5万年前)が遅く、祖代研は引き続き東京・愛鷹・伊豆(3.8万年前)、青森・陸奥平野―帯広で北海道3.5万年前後、なんと言っても世界最古の伊豆の海での生業航海「海民」実証から、「青森祖人」の北上を主張しているという状況です。

2.アメリカ新大陸の古いDNA研究に光!

右図北米先住民の母系ミトコンドリア調査ではシベリア・アジア内陸者が圧倒的に優勢なため、日本は無視されてきました、依然されています。しかし、日本人に多いDNAミトコンドリア・ハプログル-プ古mt-Dが北米で極めて少なく(なんと「足跡」の近傍に存在)奥の南米端に多い(南部パタゴニア42%シェア)という事は、むしろ逆に古い第1波であり、北米では後続の強いシベリア・アジアの内陸者に、コロンブス以降者に押されて消されていったのでは? 

かつてコロボックル論争の際に、人と暮らしぶりは確かにアイヌの伝承そのものだが「北千島では誰もコロボックルなんて聞いたことも無い、(コロボックルではなく)遺跡・遺物は祖先からの物である」と言っているということで、学界では否定され消され巷間のファンタジーにされていきました。

しかし、現地調査で聴き取りを聞いていたグレゴリー現地老人助手が怒ったように、侮蔑の意味を含んだ「コロボックル」を、言われている当人たちが知らないのはむしろ当然で、逆に彼らこそコロボックルとも言えるのです。現に鳥居龍蔵(東京帝大)は、明治32年の現地調査後に否定され消されたコロボックルを、明治38年には北千島人(留頓・ルートン)であると認めており、大正6年には、はっきり学会講演で述べて学術誌に掲載され、自著にも書いていますが日本学界は今も無視したままで明治先達の偉業を教室で紹介すらしていません。

さて、最初のアメリカ人問題における古mt-Dは、確かにサブ(下位)グループでいろいろ違いはありますが、日本人(祖代・縄文人)とアメリカ新大陸の第1波人のDNA精査検討をあらためて推進されるよう、教室でコロボックルについて紹介するよう強く求めます。

1.約4万年前の①北部九州への家族渡海から樺太まで祖人・次代の縄文文化の拡がり

教室は北からの南下事象を強調しがちですが誤解の元で、当時は広大な青森・陸奥平野に充実の列島中央部の人・文化が太平洋側と大雪の無かった日本海側から北上して東西合一し、石器と遺跡の分析から3.5万年前後には北海道に進出し環境に適応しています。

国境の無かった樺太、千島には北上継続の痕跡が亜残り、樺太には祖代の白滝黒耀石や縄文土器と次への移行、擦文土器の痕跡が残っています。流入とみられる北の樺太からの「細石刃文化」の強調は誤解の元で樺太コロボックルの存在を認識すべきであり、北部九州と樺太南南部で亜庭湾北側の「宗谷北」地域は、大陸を視野に歴史的に外来の接点で多様性を有する独特の類似性があることに注目すべきで、宗谷北での南北の犬の混交もその事を示しています。

2.問題は用語「オホーツク文化」で誤解の元、視野をオホーツクでなく大陸に拡げ「宗谷北文化の波及」に修正を

縄文土器が移行し擦文土器も派遣されている土器・文化の「オホーツク」名称は不適切で、肝心のオホーツク海の北・東・南からは採り挙げる影響もなく、注目すべきは宗谷北・窓口へのバイカル・満州系の西の文化の波及(アムール河口経由としても)です。東北から宗谷北への拡がりの深さもオホーツク土器とは比べものになりません。北方史の特徴的な事項を②宗谷北の人骨埋葬がよく示しています。大陸系の父と南方縄文系の母という「別の人種の組み合わせ」を露学者たちは人体形質の分析で明らかにしています。よく沖縄と北海道が縄文DNA比率が高いと言われますが、違う事情であることを子の墓は示しています。先生はオホーツク土器を強調しますが注目は刀で、古墳時代から平安時代へと長い時代に特に東北で改善された蕨手刀(わらびてとう)が北海道から樺太にまで渡っていました。その扱いの重要性と広域性は、注目です。「オホーツク文化」は、カタカナ・針小棒大であることが誤解を与え、本州初期の東海~千葉房総の沿岸文化をパシフィック文化と称するようなもので異様です。名寄のように茂寄(モヨロ)、飛似台(トビニタイ)と漢字にすれば正しい理解はなります。

3.北部九州と宗谷北の類似性は南・弥生文化と北・宗谷北文化と元寇の衝撃

時代や影響の大小は異にしますが、③外来文化を受け伝えて生活に影響を与えた点や元寇が及んだ影響も類似性が見られ、樺太では1284年から元に征討され一時はアムールに反攻したアイヌも敗北・屈服し、この間の南下避難が道史に影響します。

4.樺太アイヌの④北海道への南下で全道の擦文文化が急変へ

猿払町史が一端を記述している④アイヌの南下流入は、漸進的に道内に拡がっていた擦文土器の時代の文化を急変させます。にしていますが、蕨手刀も有って一時はアムールに攻め入った戦闘力を有する樺太アイヌの元寇敗北余波の南下は道内での勢力争い(実は様々な8以上の種族の存在を北海道「アイヌ」と総称する誤解の一括り)をもたらして道史を急変させ、種族の配置を変え消長させていきます。コロボックルの北への逃げ伝承も有名なシャクシャインの闘いもこの一環です。

最初のアメリカ新大陸人の問題で注目される北海道史は、不穏な発言をするプーチン、樺太の地名を中国名に替えていると言われる習政権などの状況を踏まえ、正しく見直されて行かねばなりません。―日本祖代研究会(RGaPJ)

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