帯広尖頭器①は、キャンプの炉の周りで加工作業の痕跡とみられます。但し、巷間の誤解であるマンモスハントではなく、また、そもそも北海道に北からマンモスを追ってハンターが来てハントしたという痕跡はアリマセン。
約4万年前に南方から対馬海峡を家族がフネで越えて北部九州に至り、北上南下し、②伊豆の海で舟を造り操作して25kmくらいの海を越えて行き来(世界考古学上の金メダル)し、東海・関東・長野にまで神津・恩馳島産の良質な黒耀石が拡がっている交易活動などは、認知力から原始人ではアリマセン。従って、③長野高地に多様な石器群を残しているのも不思議ではないです。祖人Proto-Japaneseは、当時は狭かった津軽海峡を越えて食豊かな昆布ハイウェイを3.5万年前後には北海道に適応(石器痕跡等から)していたと考えられます。祖代から次の縄文時代に移り変わっていく頃、青森・長者久保遺跡に暮らしに合わせた充実の石器群を残しています。他方、➃アメリカでは、アイダホ州の遺跡で米国最古の石器群と言われるものが、日本と似ているとの声があり、人類移住史において日本から南米まで、太平洋沿岸の昆布ハイウェイを拡がって行った、石器にも類似性があると新説が提唱されていました。これに対し最近のDNA分析により、⑤内陸の無氷回廊が開通するずっと前に最初の米先住民が既に拡がっているとされ、更に、北海道礼文島の縄文女性とミトコンドリアD系で繋がり、しかも米D系は沿岸拡がりの痕跡なのです。驚きは無氷回廊の出口のモンタナ州で発掘された子供人骨(12,500年前)が古い沿岸系であり、新しい回廊通過・拡散系ではなかったのです。
今、これらのDNA分析も太平洋沿岸拡散説を後押ししているのです。その意味で、候補であるゲートウェイ道東における今回の発見は、日米の関りで注目されるのです。教室で教え、世界に発信、国際共同研究を主導して、更なる解明を図るべきです。