米ニューメキシコの①23,000年前の子供などの足跡の発見は衝撃で、世界のディアが報じ、45を越えるyou-tube動画が出ましたが、不思議なことに何れも発見事実の内容を伝えただけで、その歴史的な意味に関する学者のコメントが付されていません。
それはそうです、そんな時代は最終氷期の最寒期(LGM)で、シベリア東部などは、現代でも2名が凍死することがある厳しい所で、人がマンモスを追って移住して来れたのか、ですから。実は、大きな衝撃は、それまでの定説である人類は北米から南米へ「1000年程度で駆け抜け、南端のフェゴ島に達した」が、あっさり崩れました。即ち、②”急行”ではなく8,500年かけて普通のペースで拡がった、スーパーマンではなかったという事です。その事は、ニューメキシコにやって来た方に逆に ユーラシア東部 にペースを戻せば、まあ、 32,000年前に移住し始めて来た事になります。という事は、そんな前だと、③未だ、内陸の寒冷・降雪・強風に適応して顔が平面化し、体形がずんぐりむっくりし目元に変化が、などと言われるような種々の身体変化を生じたモンゴロイド化(せいぜい1万数千年前との理解)を、していなかっただろうとなります。
コレが重要なんですが、欧米学者は出アフリカから東進し、インド洋の沿岸・熱帯雨林・草原の暮らしで変化した図下AインマレイドInmalaidを古モンゴロイドと呼んでいるので、事態が分からないのです。つまり、モンゴロイド化の起きていない時代という事は、出アフリカのネグロイドが寒さの北に向かったb人、一方、好スピードで東進のA人、これらが共に北上して行きましたが、両者とも多少の身体変化は生じたものの、「モンゴロイド」ではなかったという事なのです。そうすると、北に向かったインマレイドA人は、沿岸系A‘人と内陸系A“人、それに直路北ルートのb人が、ベリンジアに向かったことになり、今年初めて下図➃米国2学者が、北海道出発の仮説を発表し登場しました。
日本列島史では、約4万年前に北東ア平野沿岸を南方から北上し、曙海を家族がフネで北部九州に渡海し、38,000年前には東京諸島へ黒耀石を求めて「伊豆海峡」を越えて採集して広域の交易を行い、3.5-3万年前には北海道に適応して701件の旧石器遺跡を残して、大陸と比較すると桁違いの暮らしの基盤が有りましたので、これまで説が出なかったことが異常でした。
そして、
下図⑤A’・A”・b が入って行ったのは、生じていただろうと発表された新説である米臨海の「一時的列島Temporary Archipelago」状況から、Kelp(昆布)Highway沿いであり(沿岸進入越)、人類史の普通のペースで南米に向かったという訳です。
さて以前から、⑥アマゾンの古部族の万年前からのDNAが、何と何処でもない東南アジア地域のインマレイドに近いという、ハーバード医科大・院の発見で悩まされてきた史界(同様は他にもブラジルのラゴア・サンタで 1万年越えがあり)ですが、A’・A”・bの南下という事であればモンゴロイドは含まれておらず、有り得ることで少しほっとしていることでしょう。以上、こんな解説を誰もしない事由はあるのですが、全く異常な事です。はっきりしないことは言わないと散々言って仮説発表をためらう無謬主義の学界ですが、あっさり「急行南下」が否定された衝撃と北海道発の仮説まで外国から言われた年でした。そして、その後の万年の時を経て、⑦1.4万年前頃から開通した無氷回廊を、シベリア発の「モンゴロイド」が南下して来て、アメリカ史の大きな第2幕が開き、強い影響力でアメリカ大陸に拡がり、今に至っているという訳です。この第2幕以降をDNAだの何だのと得々と語っている人は、周回遅れなのです。
なお、図下インマレイド環太平洋移住Inmalaid Migration along Pacific Ocean Rim仮説と、より鮮明にするためにインマレイドI(赤字)を先頭に追加します。そして正にこの事に符合する元日本言語学会長であった松本克己博士の「環太平洋語族論」に光りを、なのです。2021年、「最初のアメリカ人は、モンゴロイドではなかった」の意味が、世界史界に衝撃・悩み軽減の年という訳でした。子供・学生に教え、世界に列島史と北海道史を発信し、国際共同研究を推進し遺跡の保護等に努めましょう。