当時は氷河期で①ベーリング地峡Beringiaのほか➄まで、「米臨海」に北極海の冷水が流れこまない、氷床と昆布ハイウェイが重要な今との主要な違いが幾つかありました。最も寒かった時代Last Glacial Maximumも含まれます。考古学やDNAの分析から、北太平洋沿岸を舟で入って来た、北米氷床のために暫くは南下して入れず、ベーリング地峡で数千年間の足踏みの「滞留」をしていたと考えられています。

さて関係候補は図左のA,B,Cとなります。不思議にも全く的外れのアイヌの名が出たりしましたが、Hokkaidoとはっきり書かれたのをまず見ないのです。これは、一に日本学界の問題でしょう。それは多くの歴史本、北海道紹介本が、その始まりを沿海州・樺太からマンモスを追ってシベリアの狩猟族が南下し入って来たという時期の違う誤りを書いており、論外である鎌倉時代からのアイヌが世界の論議で出ても訂正努力をして来なかった事にもあるのです。3万~1.7万年前の焦点時代に、「どのような事がBeringiaであったのか?」は重要なカギと世界の学界では考えられています。単独であるいは混じり合いで種々の事が考えられますが、北海道「日本祖人」が除外される理由など有りません。十勝・千歳・遠軽白滝など遺跡遺物は、A、B、Cでは群を抜いて充実です。

伊豆の海を行き来していた日本祖人は、「舟で来た」新説にもピッタリで、食の豊かな昆布ハイウェイも応援しています。

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他方、東シベリア・ルートは、近年でも―60℃で2名が亡くなった厳しい環境です。シベリア狩猟族が、海の民系の日本祖人を駆逐した可能性は有りますが、A北海道が、この問題に関わらないとは考えにくく、除外される明確な理由は見出せず、単に日本側の発信が無いためとしか思えません。参加の無いところに何の学問成果もあり得ませんので、学界の本件に対する積極参加を切望します。ところでアフリカを出た古い現生人類の一例写真を付けましたが、皆さんは、A,B,Cから最初のアメリカ人をどう考えられますか?


明治~戦後の歴史関係者は、現代に残る諸痕跡から日本人のルーツは南方だとしていました考えていました。その後のDNA分析からアフリカ単一説、1万件を超える旧石器遺跡の発見状況、環太平洋語族説などはこれを益々実証しています。「昆布ハイウェイ説により、今やアフリカ~Sundaland~日本列島~米新大陸南端まで、①千島列島は次々に見えて行けた、②ベーリング地峡沿岸は、北海道とあまり気温に差が無かったことなど、一応のHuman Great Journey が描けるに至っているのです。

しかし、何故か近年の日本の教室ではこのことがボカされ、むしろ「大陸」を強調する誤った教育も見られます。従って、今世界が注目する「最初のアメリカ人」問題に日本から声が挙がっていません。無論、数万年前からのことであり、よく分からないという学者主張も分からないではありませんが、子供たちが日本祖代・祖人について全く教育を受けず、祖先が“原始人”イメージの繋がりの無い人たちであるかのように扱われているのは不適切・歪曲と言うより異常です。縄文時代・人の研究なども進んでいて、基本的な知力素質は私たちとあまり違わないと判断され、ただ自然と共生する“素朴な”暮らし振りであっただけという認識になって来ています。まずは、北海道「日本祖人」を世界の「最初のアメリカ人オリンピック」に参加させましょう、世界に声を挙げましょう。因みに、次代縄文人は記録突破に至らず、鎌倉時代からのアイヌは論外です。


つい去年の一流新聞の記事ですが、「日本祖人」はもとより、縄文人も含めた日本先史理解が支離滅裂です。日本祖代研究会の「最初のアメリカ人」研究報告のせいなのか、縄文時代を古く遡らせて来ていて「16,000年前から」(最初の土器出現)となっています。この時期は、“縄文”土器は出現しておらず「日本祖代」との違いである列島における定住・土器・弓矢の一般化などの変化も未だ無いのにです。

さて、記事の支離滅裂は、「日本祖代・祖人」の概念がしっかりしていないためでもあり、まず見出しと本文が不整合です。そして焦点である日本人は「どこから・いつ」について、「大陸」は誤解を招く誤りで図のように「沿岸」であり、始りの起源に幅などはなく「約4万年前」なのです。そして、驚きは弥生人が外人扱いです。近年、稲作や鉄と弥生土器の時代について、渡来・難民又は交易する海民縄文人がもたらしたモノで採用されて逐次に拡がっていきますが、縄文人と渡来・難民の時代であって、縄文人が“弥生”土器を使っていた側面もあり、そもそも「弥生人」などという者は居たのかという論も出て来ています。日本人がスタバコーヒーを飲みマクドを食しジーンズをはいてコンクリートアパートに住んでいるという訳です。

いずれにしても記事が、「縄文人の祖先」としか 言えておらず「私たちの祖先」の「祖人」概念の無い事 は大きな問題なので す。オリンピックのお客様はもとより、子供たちに我が国始まりの日本祖代の祖人について、”原始人”などではない造舟操舟、陥し穴猟、釣り、広域の交換(易)などや渡来・難民を吸収し姶良大噴火を乗り越え、切れ目なく次の熟成の縄文時代にバトンを継いだ事、まあ、江戸人が明治人になったような(縄文末期は遥かにずっと国際結婚が多かったですが)ことを教えねばなりません。そして、記事は縄文人を「まで暮らしていた」と終わったように書いてますが、とんでもないことでバトンを継なぎ名が変わっただけの事です。オリンピックの機会に、しっかり 右上枠内の 日本先史を伝えましょう。

第1図、ルソン島北部のCallao洞窟遺跡(比の最大最長洞窟)で7~6万年前の地層(2.7地下)から人による切り傷のある動物の骨と人の中(足)骨が発見されました。人々は、熱帯雨林とは違うサバンナ環境で大型動物を狩猟しており、東南アジアの多様な環境への適応例として、また、そこに至るにはスンダランドから2~3度の渡海を要したことも注目されています。

新人とみられ、この時期が、現生人類のスンダランド進出7万年以前や豪州への6~5万年前進出、更には出アフリカの時期認識にも影響が及びます。我々にとって重要な事は、このことにより第1図パンカル海東側からバシー海峡の島々を経て台湾山地沿岸に達することは難しくない事から、2つのルートで「曙海」南端に入って来れます。即ち第2図、比6.7万・ラオス6万―台湾5万―北部九州(対馬~五島)約4万―謎ではない伊豆の海の行き来3.8万―狭かった津軽海峡越え―北海道3.2万―千島列島越え(見えていた最大70数km)―「米臨海」沿岸・昆布ハイウェイ移動―アメリカ新大陸進入 1.7万年前以前 、という世界人類史がムリ無く理解できることです。日本人のルーツは、西太平洋「沿岸ルート史観」を強く支持するものなのです。

そして 我が国の歴史の理解のためには、 「沿岸ルート史観」と共に、やまたい国、大和王権から中世・近世の歴史における「海の民」性に、もっと光を当てるべきなのです。まずは子供たちに、「我は海の子」をしっかり歌わせなければなりません。


東京・札幌オリンピックは、世界の平和とスポーツの祭典です。 このテーマは相応しい一つであり、日本が関わります。 それは世界人類史の最後の謎であり議論の多いテーマ、誰が・いつ、アメリカ新大陸に渡って行ったのか?です。これまでの報告のとおり、最新有力説は 17,000年前以前、 北太平洋沿岸・昆布ハイウェイを舟で家族が入って行ったというもので、北海道先住の「日本祖人」は、有力な候補です。

オレゴン州などでは、古い糞石等よく研究され手を差し伸べています。何故、日本からの有益な研究が無いかと言えば、今の学界には、縄文人の前の私たちの始まりの祖先である「日本祖人」という概念が無いからというだけのことなのです。縄文人は間に合わず、鎌倉時代からのアイヌは論外です。「人祖人は伊豆の海を行き来した海の民の子孫で青森から津軽海峡を渡って北海道に入って行きました。先生に概念が無ければ議論にもならなく、子供たちが「最初のアメリカ人」問題をよく知らないのもそれが原因なのです。 これはオリンピックにふさわしい先住民繋がりの話題です。今こそ日本は世界に北海道の発信を!

標題の学界の問題の根は、未だに「日本祖人」を認識しないことにあります。第1図、考古学上、最初の現生人類・新人の列島人は約4万年前ということで異論有りません。人骨も沖縄や静岡で発見されています。最大の災害である姶良大噴火(2.9万年)でも断絶無く乗り越えていることは、当時の地質のAT線の上下で遺跡が発見されています。続く縄文時代・人との繋がりもはっきりで、①土器・定住・弓矢など大きな生活変化(14,000年前~)、②最古の(縄文でない)土器が発見(16,500年前、青森)のいずれかから縄文時代と呼ぶだけで、江戸人から明治人になったように人々に違いはありません。4万年前より古い新人化石の発見があれば時期を修正すればよく、ネアンデルタール・デニソワ人のような旧人化石が発見される場合は全く別の話です。今や認識しない学界は不思議です。


当時の地形は海水面が約100m低下し、曙海の向こうに北東ア平野が拡がっていました。始まりは約4万年前、九州に家族が舟で渡って来て列島に拡がり、第2図、少なくとも20km以上の海流を越えて伊豆の海を黒耀石採取に舟で行き来し、第3図、32,000年前には北海道の雪と寒気と豊かな海辺の食の暮らしに適応し、その後も北上を続けたであろう「日本祖人」です。

今、世界注目の「最初のアメリカ人」についての最新説である「ベリンジア沿岸・昆布ハイウェイを舟で入って来た」の日本では唯一、参加記録突破(17,000年前以前)の候補 なのです。それぞれの細部は、既に説明してきたとおりであり、可能性は十分です。海の民系であり、少なくともこの問題に造舟・操舟で関わっていることははっきりでしょう。世界に声を、子供たちに教育を!


それは何の話か?ですが、今、世界が注目の人類史の(最後の)謎、いつ・誰が最初にアメリカ新大陸に渡って行って人類展開史が一応終わったのかです。即ち、コロンブスではないホントの「最初のアメリカ人」は誰か?です。コロナ・ウィルスの自宅暮らしに一家で考えましょう。下図上左から、お父さんお母さん兄貴、実は先生も既に古く分かっていません。

①ベーリング地峡をマンモスを追ってという話は、②南米で古い遺跡が発見されておかしいぞとなり、③氷床の回廊がいつ開いたのかを調べたら南米遺跡程度で騒ぎになり、沿岸からだ!となりましたが、モンタナ州の12,500年前の子供などのDNAははっきりアジア系であり、④一部の信者を除き大西洋沿岸説は相手にされていません。太平洋側は、食豊かな昆布ハイウェイがある上に、遺跡も豊富(足跡まで!)に見つかっています。そして、今、⑤17,000年前以前に入って来たのは誰?となって⑥標題です。どうもDNA分析からは、ベーリング地峡で数千年間も滞留(2万年以上前に到着)して混血し、温暖化した16,500年前頃に沿岸の氷床が融け出してから入って来たのだろうとなっています。

ではなぜ、こんな重要な話が日本で盛り上がらないのか?その理由は、縄文人の前の我らが祖先に名前が無いので、話題にならないからです。議論の参加資格は、北海道の「日本祖人」・Nihon Sojin・Proto-Japaneseだけなのです。縄文人は間に合わず、世界が誤解している「アイヌ」は鎌倉時代からという論外です。何故、名が無いかというと旧石器時代、後期旧石器時代、無土器時代、先土器時代などという始まりのはっきりしない不適切な時代名しかないからで、祖先意識もなく「人」が付かないのです。考古学者は、始まり「約4万年前」で異論がないのに何故「人」を無視しているかと言えば、This is 日本祖人という人骨が、酸性土壌の「本州」で発見されていないからという、実は沖縄差別の学界の態度のためなのです。27,000年前の沖縄石垣人、18,000年前の沖縄港川人がしっかり発見出来ているのにです。

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そしてもひとつ酷い屁理屈は、日本祖人~縄文人~…現代人と繋がりが証明されていないというものです。百歩譲って繋がっていないとしても、日本列島祖先の日本祖人は、「最初のアメリカ人」参加資格を持っているのですから、世界にその実態を知らせるべきなのです。何しろ世界の学界最新説が、「最初のアメリカ人」は北太平洋・ベーリング地峡沿岸・昆布ハイウェイから舟で入って来たというモノなのです。そもそも日本祖人は、「曙海」を渡って対馬~五島に家族が舟でやって来た人たちで、38,000年前から黒耀石を採取に20km以上を舟で伊豆の海を行き来していた「海の民」なのですから資格は十分で、シベリアでマンモスを追ってた人たちとは大違いです。

仮に、シベリア人が行ったにしても、北海道「日本祖人」の造舟・操舟のknowhowは生かされたと考えるべきです。即ち、関与していたということです。東京・札幌オリンピックです、この点の声を挙げましょう。子供たちに教えましょう。


巷間本から、第1図のルーツは内陸3方向から図が消え、(2代目の)縄文人は何処から?という愚問も消えて歓迎ですが、そのためにもやもやで、未だ「沿岸ルート」を言いません。ところが次いで重要テーマである第2図文化地域区分で、間違いの3区分説図が登場して来ました。見にくい図ですが、縄文早期に至っても斜線をよく見ると4区分とすべきことが分かります。

重要なことは、巷間本は①始まりルーツに係る「曙海」沿岸である九州西岸(五島~薩摩)から沖縄地域の繋がりを全く認識していないこと。②津軽海峡で分かれず、祖代はもとより円筒式土器など両岸は共通であること、③中央部で東と西の複合性(現在の関東やがて甲信越・東海含む列島中央部)があることで、この4区分は実は相当長く日本列島文化を認識するベースになり、やがて縄文を過ぎると「西」が注目されるのは承知のとおりです。そして第3図、始まり時代における南方から北上して適応した拡がりと定着、約2万年の「日本祖人」文化の基層を認識していません。北海道「日本祖人」は、世界が注目する「最初のアメリカ人」の候補である可能性が全く巷間本には出てきません。3区分図は、どこから導かれるのか不思議で、史実を全く無視したアタマの産物の酷いものです(歴史説明本なのに!)。



やはり、学校教育は罪深いです。「最初のアメリカ人」のシベリアルートが揺らぎ崩れているため、世界学界では南方からの右第1図、日本列島に注目(緑線)して来ていますが、井の中の論争相手多勢は、全く理解出来ずトンデモ話扱いです(学問に多数決はないのに、聞く耳を持ちません)。北海道へは北から南下の信念強固で、頑迷。

さて、折角の第1図南方・日本列島ルート着目ですが、日本学者の発信が無いので問題が2つ。①南西諸島の慶良間ギャップが約200km、②アリューシャンのアッツ島へは450km(赤〇)で、万年大昔には家族が舟で多数が行くのはムリでしたでしょう。で、黄色線に修正です。次にベーリング地峡の細部ですが、第2図、A沿岸とB内陸です。ルートはa、bで、有力説の「舟で沿岸・昆布ハイウェイから」となるとBで来てb2に切り替えが、容易な事ではないですがあり得ます。更に、A、Bが混血してCになって入って来たことも考えられます。今、世界はここを幅広く何とか解明をとなるのですが、激論君たちとはとてもここまで話は行き着きませんでした。彼らは縄文以前は用語も意義づけも従って議論は無く、無関係と言うのみです。鎌倉時代からのアイヌは、彼らにとっての始まりである縄文からと言う1点張りで、他人の話を理解する気がなく、聞いたことないトンデモで切り捨てです。 激論の彼らが相手にしない北海道「日本祖人」は、重要な候補なんですが残念、 まずはため息と共にご報告。

「最初のアメリカ人」の我が投稿に対し、返信質疑をやりとりしたところ最後には、「そんな論文は見たことない、妄想だ」と言われました。そうです、日本学者が世界に向けて発信していない事が問題なので、見ていないのは当然です。質疑してみると北海道史を理解しておらず、アイヌを誤解しており、標題の下図3点セットを送りました。

第1図、これまでのシベリア定説が、氷床による閉鎖中の古い遺跡が北・南米で幾つも発見されて崩れ、また、ベリンジア地域での発見遺跡は今のところ15,000年前ですが、2.5~2万年前から数千年間ベーリング地峡で滞留して温暖化後(17~16,000年前)に、北太平洋沿岸・昆布ハイウェイを舟で入って来たと替わり、ルートAがしっかり浮上、①~④で説を支えます。出発地の状況は、第2図、32,000年前には北上した日本祖人が道内に拡がり、北上を続ければルートAと成ります。なお、北海道大学の研究結果の第3図、アイヌは鎌倉時代からのことですので本件の万年前話には無縁ですが、「先住」国会決議・アイヌ新法の誤解は罪深いことです。縄文人さえ間に合わずお呼びでないのです。即ち、「日本祖人」という用語がなければ、欧米の論議に分かり易く参加する事ができず、現に日本列島を通るルートAが浮上しているのに参加が無い、むしろ世界の誤解を放置しているのが現下の問題なのです。次回、その辺を。

さて、長い間、アメリカ先住民は、シベリア~ベーリング地峡からマンモスを追って入って来たと考えられていましたが、第1図、氷床で閉鎖されて米国・南米に行けない頃よりも古い遺跡が幾つも発見されて説が崩れました。もっと早く氷床通路が開いたのではと考える人もいますが、有力説は北太平洋沿岸・昆布ハイウェイを舟で入って来たとなっています。2.5~2万年前には地峡に出て来てそこで滞留して種族が混ざり合ったと言うのがDNA分析学者の説です。それでも何となくシベリア狩猟族が、地峡で舟に乗り換えてと思っている人が多いのでしょうが、当然、ルートA説が浮かび上がります。


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①北海道に32,000年前から「日本祖人」(38,000年前には伊豆の海を島に行き来した海の民)が居た、②千島列島は食豊かな昆布ハイウェイ沿いで次々の島が見えていた、③「米臨海」には北極の冷水が流れ込まなかった、④地峡沿岸の気温は氷河期ながら今もとあまり変わらず、昆布ハイウェイは続いていたなどが、説を支持します。米先住民に残っているDNAはシベリア系要素が多いようですが、南米までも視野に入れれば、沿岸ルートは重要です。そして、第2図北海道の日本祖人は、九州から北上し青森から津軽海峡を渡って雪と寒気に適応した人々です。これらは石器分析で明らかです。そして、この問題で欧米にも誤解の多いのがアイヌで、第3図、鎌倉時代頃に北から入って来て日本祖人~縄文人~擦文人という先住民と混血した人々です。国会決議のアイヌ「先住」は誤解を生んでいる罪深いものです。そして、「最初のアメリカ人」問題を論議できないのは、標題の3点セットが教えられずに誤解を生んでいるのが問題なのです。現在、ルートAを学び、研究して世界学界に寄与することが求められており、少なくとも東京・札幌五輪では、問題の存在とこの3点セットを理解してお客を迎える必要があります。日本人と米先住民は、親族の可能性があるのですから。


中田君(第1図)が教わった学校がそうだから仕方ありませんが、「大陸と繋がっていた頃、やって来たヒゲもじゃの槍持った・・・縄文」です。今も巷間本にある、日本史の始まりに対する「さらっと」さと関心が縄文から始まる誤りです。その言い訳は、「This is 日本祖人の人骨が無いし」ですが、復元された石垣人や港川人などからのイメージは、時代と場所から十分に「祖人」を窺わせるものなのです。

1万件を超える遺跡から、始まりは約4万年前・九州で考古学者に異論無く、「日本祖人」は、大陸とはとっくに繋がって「いなかった」海を家族で越えて渡り、九州から北上して3万年前には北海道から沖縄までの列島中に拡がり、生活の痕跡を残して切れ目なく次の「縄文人」と呼ばれるようになったことが実証されています。既に、造舟、海洋操舟、陥し穴猟、釣り針など世界でも誇るべきものがあり、極めつけは38,000年前からの伊豆半島~東京都神津島へ、黒耀石を求めて20km以上の海を行き来し、広域の交易までしていた事です。 私たちの基層の文化・習俗となる長い 2万数千年間の「縄文人の親」たち祖先の世界的な偉業です。とても軽視できる時の重さじゃないのです、「ヒゲもじゃの槍者」は勘弁してください。彼は、「元々日本はどうやって始まったのか」という良い問いを発してますが、デタラメで答えになっていない説明が酷過ぎます。

問題はそういう事なので、第2図、雪と寒気の北海道に家族で渡って行って適応を果たし、道内に拡がった北海道「日本祖人」が、世界注目の「最初のアメリカ人」の候補だなんて、中田君には全く思いもよらないのです。子供たちは
(学校の先生も)、道東の状況や遠軽白滝はもとより、「昆布ハイウェイ」もベリンジア(地峡)も知らないので、国際的な場で大恥をかくことになるのです。もう、これは文科省の罪です。


北海道は32,000年前頃の氷河期に、九州~本州青森から、80mくらい海水面が低下し狭くなった津軽海峡を越えて北上して来た「日本祖人」(縄文人の先代、初代列島新人)が、沿岸部から道内に拡がって万年の基層を作ったものです。各種資料の記述にみられる樺太の方から南下して来たものが始まりではなく、全く話が逆転した誤解が問題です。そして、鎌倉時代からのアイヌから北海道の歴史話を始める資料は、論外です。

更に、石器の示すところでは、最寒期(LGM)の寒さを逃れてという事よりも、その後の温暖化による植生変化でマンモスなどの食料であるシベリア・ツンドラの草地が減り、ぬかるみで移動も困難になって来たシベリアから大型草食動物が激減した事が南下の主たる理由であり、1万数千年前の細石器による中・小型動物の狩猟へと適応していった時代の南下が主なのです。遥かな大昔にマンモスが北海道から本州に、ナウマン象が瀬戸内にまで入って来た時代の話と混線しています。出戻りした人たちがいた事も考慮すべきです。そして、北海道史で注目すべきことは、氷河期に青森から昆布ハイウェイを北上して来て北海道での暮らしに適応した日本祖人は、その後の状況に応じて食の豊かな千島列島・樺太への北上を続けたと考えられます。

行く先はず~と見えていました。昆布ハイウェイは、カリフォルニア、南米沿岸まで続いていました(プーチンは居ませんでしたし)。つまり、世界の学界が今注目している「最初のアメリカ人」の候補なのです。世界の学界の課題に無関心な、誤った逆立ちの北海道史イメージを正し、北海道の状況を明らかにして寄与しましょう。

人類及び日本人のルーツと拡がりのルートの巷間本の説明が第1図、拡大付記した第2図です。まず、日本人についての説明が、例の3方向から入り混じりのごちゃ混ぜ図ですので問題です。Sundalandから北上した流れを表示してほしいものです。他方、世界の学界が注目する「最初のアメリカ人」問題に寄与・参加する線も、当然にして第2図で付記した説明も全く無く、関心が見られません。

第1図のように、シベリアから来た一辺倒という事であれば、世界の学界がこんなに苦労することはないのにです。日本列島を北上した「日本祖人」が、北海道で留まる訳はないでしょう、non STOP です。その事は、東京・札幌オリンピックを前に、北海道の歴史が、誤解されたままよく分からない状況なのも問題です。実は、第2図北米の氷床が融解して「無氷回廊」の開かれた時期と人類が北米全域に拡がった時期がミスマッチなのはダメです。即ち、鍵が開いてないのに北米部屋に入って子供たちが遊び回っているような図ですから、オレゴン州の学者さんは、こんな説明は相手にしないでしょう。また、33,000年前のベーリング地峡進出の説明も驚きで、どうやってそんな時期にそこに達したのか不明です。いずれにしろ、日本学者の特に出発地の北海道史に関するまともな発信が無いため、世界の学界も困っていると思われます。

ベーリング地峡への進出時期・様相、舟で北太平洋の沿岸(昆布ハイウェイ・ルート)を移住する問題、北極海の冷水がベーリング地峡でstopされて流入しない当時のハワイに繋がる「米臨海」の状況など、本問題に関するいろいろな検討課題がありますが、日本学界の現状は誠に残念、かつ、誤解を振りまいている現状です。正してPRを、子供たちに歴史の真実追求を教えたいものです。


現生人類の拡がりは第1図、①出アフリカ直系インマレイド(欧米学者は、ジンギスカンにびっくりで「先」モンゴロイドと呼称)が北上し、②降雪寒冷に適応してモンゴロイドにはっきりインマレイドから身体変化し、今度は南下して来たものです。この強い影響が東南アジア・インマレイドにまで及びましたので分かり難く誤解の元ですが、マレイ半島には今も黒人ネグロイド系の痕跡の人達がひっそり居て、人類の歩みを教えてくれます。従って第2図左下から、ラオス6万~台湾5万~北部九州4万~東京諸島3.8万~北海道3.2万という基礎となった拡がりの歩みが良く理解できます。


「日本祖人」が当時の優れた造舟・操舟力のある家族で渡海の民だったので、黒耀石採取のための東京都神津島への行き来も、世界が驚く程の「謎」ではありません。下図で諸島における歩きで舟のえい航を行えば、当時の北からの流れに逆らわずに行き来できます。


次に第2図右下、沖縄本島に至る黒潮越え問題ですが、鍵は越えて行った住民の特性です。Aは渡海の民の子孫で、次の島々が見えていました。Bは欧州の地中海もどこも同様の沿岸におけるカニの横這い(フェルナン・ブローデル説)の一般的な拡がりの民で、始まり時代には島が見えない渡洋という行動は有りませんでした。従って、石器は南西諸島南下を示し、その後の貝類交易の宝物は北上という考古学常識になります。実は八重山へは、台湾からの距離は曙海時計回りが遥かに遥かに遠いですが、九州から南下して行ったのが先の可能性もあります。それは台湾学者が、あの時代に家族が危険を冒し、黒潮流を越えて八重山に行く「魅力」は無かったと言っているのです。

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というのは、島では食料の確保が容易でなく、小型化するだけでなく長く生き続けて痕跡を留めるのはムリというのが歴史界の一般認識なので、南西諸島はやはり驚きなのです。さて問題は、この人類史の流れの基本を違えて内陸の方から矢印を登場させたり、樺太の方から入って来るという、時期が混じり出戻り含めて入った異人の量を考えないごちゃまぜの図が誤解を招いています。ポーランド~南スペインに匹敵する日本の広域への北上拡がりで、かつ、定着1万数千年間の歴史の重さを認識し、オリンピックまでに正し子供たちと訪問客にきちんとPRしましょう。大事なお・も・て・な・しですから。


まず、巷間本の北・西・南3方向から列島に入って来て混じりあったという図が、時期を付しても誤解を生む大きな間違いです。第1図のとおり北上史を石器がはっきり示し実証されています。第2図左下、約4万年前当時の地形から、南方から北上して「曙海」ほとりの「北東ア平野」沿岸から時計回りに入って来た最も基本のルーツに関わるルートの事がどの本にも、博物館の図にも有りません。そして、九州から列島中に拡がり、北海道も数千年以上の基礎がありました。

最寒期(約2.4万年前)までの長かったこの間の補充は、基本的に曙海ほとりの同種の人たちです。即ち、列島に拡がった「日本祖人」の基礎の上に最寒期頃以降に、北・西などの端から、しかも「ゲルマン民族大移動」のような大量の流入や入れ替えは日本史には無く、量が多くない大陸系の人・出戻りの人たちが加わり日本祖人と混じり合っただけものです。このような①基本の北上筋を押さえず②列島登場の時期・仕方も③それぞれの量も違うモノを、3種混合のように記述している間違いです。あたかも胃に入れば同じと、ご飯と刺身と吸い物を丼に入れ混ぜて「日本人丼」として出されたようなもので、とても食べられたものじゃなく、また欧米人が好む旧人話も別な事です。次に、巷間本は、ともかくも‟縄文”です。

酷いのは、ずばり縄文人のルーツを問うてます(2代目なのに)。日本の酸性土壌では、「This is 日本祖人」という人骨が見つからないという事情だからです。①2.7万年前の沖縄・石垣人骨は曙海ほとりなので、日本祖人と同様と考えて良いのです。皆が認める南方系ですし、②年代明らかで豊富な石器遺跡が、日本祖人の存在を十分示しています。③北海道「日本祖人」を認識していないため、今や世界学界の関心事である「最初のアメリカ人」論議に寄与どころか参加すら出来ていないのです。米ネイティブ・インディアンは、正に親族かも知れないのにです。縄文、アイヌはいい加減にしましょう、図書館・本屋の多数の書籍にため息が出ます。もはや、日本の子供脳に対するイジメです。東京・札幌オリンピックまでに、しっかり正してPRしましょう。



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