松本克己博士(元言語学会長)は比較言語学上の限界を遡って、世界広範な言語調査から万年を超える昔の言語の類縁の痕跡を6因子(LとRの区別なしなど)から探り、ユーラシア内陸言語圏のウラル・アルタイ語などの既説は的外れで、南方の西太平洋沿岸~環日本海~ベーリング海峡地域~ロッキー山脈西側~アンデス山脈東麓西側の人々の言葉に類縁性がみられる「環太平洋言語圏」(黄色A)説を導かれ、言語の面から「最初のアメリカ人・Native」の問題の解明に貢献されました。

実は注目したいのは、博士の図の環太平洋言語圏と現生人類発祥の地と言われる南部アフリカ言語痕跡の類縁性で、南ア海岸遺跡にみられる海産物食と10~7万年前に遡る線刻、赤オーカーによる色付けやビーズ装飾などの認知力は、欧州発生説を否定し今注目されています。即ち、出アフリカの現生人類は、言語的にアラビア半島とインド亜大陸の痕跡*消滅区間を越えてスンダランドから図の東南アジア当時のパンカル海辺を北上し、時計回りに南米までの人類移住史、現生人類の環太平洋移住(MPOR自説)と整合しているのです! 

当時は北極海の冷水が地峡で止められ流れ込まなかった「米臨海」は、昆布ハイウェイの 正にハワイに繋がる海でしたので、日本列島の北海道は注目され、沿海州には見られない3万年前から縄文時代に至る遺跡の充実している海の民子孫ですから、この松本博士の言語研究を踏まえれば、北海道祖人は「最初のアメリカ人」の”有力”候補と言っていいでしょう。息子・娘の北海道縄文人は間に合わず、無論、鎌倉時代からのアイヌは、この問題には論外の無縁です。東京・札幌オリンピッックに、松本博士の言語論、人類移住のMPOR説を理解して北海道も説明しましょう。

日本の始まり時代については、世界の人類史の流れと日本列島の1万件を超える旧石器遺跡等から明らかになって来ています。

1.南方から北上した現生人類は、約4万年前に多くの家族が 曙海を 北九州に渡って来て始まり、沖縄へ南下し北海道へ北上しました。

2.列島中央部の霧ヶ峰地区に宝物黒耀石があったため広大な関東は活発であり、対馬暖流が流れ込んでいなかったことから大雪が降らなかった日本海側も並行的に発展していて、連接している現在の状況のようでした。東京諸島・神津恩馳島にも黒耀石があったため、3.8万年前からフネで渡洋採取していました 。伊豆との間を行き来した 行動が、世界考古学上の「金メダル」なのです。

3.日本祖人の海の民性が、当時は狭かった津軽海峡を 難なく 越えました。

厳しい寒冷ながら海獣・鳥卵と魚貝・海藻などが豊かで、遠軽白滝に黒耀石があったため拡がり、無人の処女地に北上を続け、「1.7万年前以前に、北太平洋沿岸の昆布ハイウェイからフネで入って来た」と考えられている、米新大陸の「最初のアメリカ人・Native先住民」候補という訳です。

祖代から縄文時代となり(2.9万年間)、遥かに時代は下って鎌倉時代頃に、北から祖人・縄文人末裔の和人の地である北海道に入って来た集団からアイヌが生まれましたが、勿論、誤解されている“ 先住民族 ”などではありません。


米新大陸の「最初のアメリカ人・Native先住民」候補 の北海道「祖人」は今、世界人類史上の注目なのです。

北海道は、世界人類史の最後の謎ともいうべき「新大陸 、最初の アメリカ人・先住民」問題で、今、候補に名が挙がって注目されていますが、オリンピックに世界のお客様を迎える肝心の日本でよく知られていません。

①約4万年前に北部九州に家族がフネで渡海し、3万年前頃には青森から狭くなった津軽海峡をフネで越えて道東に至り、当時陸続きの国後島を廻って、日本一の黒耀石原産地である遠軽白滝に進出し北上を続けてアメリカ先住民候補という訳です。その時代には最寒期LGMの環境変化時代が有り、北から出戻り含めて南下して来たひとびとがいました。②その後、北海道祖人はある時期から縄文人と呼ばれることに(1.最初の土器発見の時か、2.定住弓矢も行き渡った頃か、3.環境変化の世界の新石器革命頃か、議論中) なり ます。両親は祖人、子供は縄文人という厳密さはないですが、この点が理解されずに「縄文人は何処から」と愚問を発する教授がいます。縄文人は、勿論、日本列島で祖人からです。

③この北海道祖代・縄文の約2.9万年の文化・習俗の積み重ね(勿論、山や川には名前)がありました。北海道大学説では、この和人の島に鎌倉時代頃に北の集団が入って来てアイヌが生まれますが、問題は、アメリカNative問題で、北海道祖人Proto-Japaneseが注目されているのに、国会が“アイヌ人権尊重”でなく”先住民族“という歴史のウソ政治決議をしたために、世界の歴史議論に誤解を振り撒いているのです。アイヌと日本祖人を繋げるのはムリな史的ウソで、人権尊重・共生だけ語ればよいのです。さあ、オリンピックまでに、北海道正史をみんなが理解し伝えましょう。そして、いつまでも議論せずに、早く祖代と縄文の切り替わり時期を定め、また、貴重な税金を末裔かも知れない「最初のアメリカ人」研究に投じましょう。

カリフォルニア科学アカデミー講演でDr.Braje(博士:オレゴン大)は、最初のアメリカ人問題について、近年の考古学等の成果、カリフォルニア・チャネル島発掘参加などから、それまでのクローヴィス文化人先住(1.4万年前~)説は大転換されたとして、北太平洋岸の昆布ハイウェイ説を説明しました。Japanがはっきり登場したものの、Hokkaidoへの言及が無く内容も乏しいのは、日本側の世界への発信がいかに弱いかを示しています。

諸説あるが、①先住者は北東部アジア人である( DNA分析からも。 大西洋横断ソルトレーン説は違う)②無氷回廊が開通するより早い遺跡が南米にあり、無氷回廊南下説は違う。昆布ハイウェイを南下し、コロンビア川ジャンクションCJで左折した内陸遺跡が近年発掘分析されているが、最古痕跡からはむしろ回廊を北上している。③北太平洋沿岸の海獣・鳥・海産物が豊かな海藻kelp環境の共通性が移住に適し、日本から南米南端まで続き(途中マングローブ)海藻サンダルなども発見され、南米遺跡で8種類の海藻が発見されている。

しかし、①日本祖史は約4万年前から、②伊豆の海をフネで行き来し、③北海道道東に3万年前には進出し、④遠軽白滝の黒耀石は、青森から大陸沿海州にまで拡がっていた。などは認識されていないようです。

東京・札幌オリンピックです、日本学界様、こんな状況では「どうもならん」ですよ。

日本史の始まりである祖史(日本祖代前期)に注目すれば、左図、曙海の東側を時計回りで沖縄に至ったことが理解できますし、列島を北上して行って青森を越え北海道に拡がったことが旧石器遺跡から実証されます。

祖史の時代に沖縄へと、台湾山地沿岸から黒潮流を越えて行方の見えない150kmを家族で渡るのは大変ですし、まして200km以上の慶良間ギャップ越えはムリでしたでしょう(ヤシの実がたどり着くこのルートはずっと何となく挙げられて来ましたが)。次の縄文時代になっても沖縄の結びつきは、豊富な実証資料から九州の曙海沿岸地域でしたし、台湾の教授も「台湾から敢えて出て行かない」と祖代における先島への渡航に否定的です(家族渡来の食の魅力乏しく渡航危険が、理由でしょう)。北海道の場合は、津軽海峡が狭まっていて伊豆の海を行き来していた日本祖人には問題なかったですが、やはり雪と寒気が一段厳しい所で主に海獣を食・衣・住に活用した家族の暮らしへの適応に期間を要したものと思われます。

しかし、上図、誤りのwikipediaとは異なり、青森から道南~道央南部~道東~北方領土廻りで宝物黒耀石の豊かな遠軽白滝地域に進出して行ったことは遺跡から明らかですし、その後も食の豊かな処女地である千島列島(次々に島が見える)及び樺太への北上を続けたことでしょう。 今や注目の「最初のアメリカ人」アメリカ先住民候補なのです。

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さて、 上右図のように、日本祖人~縄文人(~続)~擦文人~和人の始りから父祖の地に、北方から鎌倉時代頃に渡来(出戻り含む)が有り、後にアイヌと呼ばれる人々が生じますが、勿論、北海道の先住民族などではなく縄文人を祖先にすると直系のように言うのも言い過ぎです。このような状況であるにも拘らず、ためする政治的な歴史のウソ、誤解が世界にも及んでいます。子供たちは無論の事、オリンピックで訪問するお客様に、しっかり真実を説明して誤解を解きましょう。


図下の権威・国立博の展示説明は問題です。約4万年前に住み着いたのは、私達の祖先ですよ。世界現生人類史上も注目ですが、何よりも私たちの言わば歴史的な誕生日(祖史)なのですから呆れます。道具作りのはじまり?カンベンしてください、舟を造り天文・気象海象を理解し、曙海の外洋航海で多くの家族が北部九州に渡海して来た知的レベルですから、道具なんてもんじゃありません。

それも、狩りした動物の解体もさることながら舟造りに適した磨製石斧は、この時代の隣国にも見つからない石器の世界史上の金メダルなのですよ。図上、伊豆の海の行き来や環状ブロック群、陥し穴猟、北海道進出と最初のアメリカ人候補などの重要事項にも触れずに、土器ですか?歴史説明が、驚きの周回遅れです。酷過ぎて、とても世界から訪れるお客様を連れて行けません。その内容の改善が、夏休みの宿題作業には成りますが。そして「日本祖代」が、土器の縄文時代になって行く訳ですが、この1万3千年前を巡っては、土器が出現した16,500年前とするか、拡がった1.5万年前とするか、列島中に竪穴住居や弓矢などと共にすっかり定着した1万3千年前とするのか、早く学会は決めてください。日本祖代を前期・後期とするか、前・中・後期とするのかが関わってきますので。また、旧石器時代などと言っても、世界の・日本の学者は、範囲とイメージが人によってバラバラです。とても約4万年前~縄文初めまでを示す用語にはならず、全く適していません。

ともかく、学界にいろいろな議論があるからと子供に教えないのが、一番の問題で悪いです。まずは教えましょう、賢い子供達と今後の発掘に委ねて、要すれば修正して行けばいいのです。


島国であり、1万件を超える旧石器遺跡の研究から、約4万年前というこんなに古い始まりと列島の暮らしの「日本祖史」Beginning of Japanese History(約1万年間)を語れるのは、世界にそう例のない恵まれたものです。舟の伊豆の外洋を舟で行き来、環状ブロック群、磨製石斧、陥し穴猟、北海道進出など全て世界人類史のメダル級の内容です。

先生方は海水面上昇と時の経過で痕跡が見つからないため無視していますが、アメリカ先住民の海辺の苫屋暮らし(フロリダ博物館)を加えましたが、素朴な物が有ったに違いないです、科学的に。始まりを38,000年前とする先生は、伊豆の痕跡から言ってますが、その数字を北部九州に当てるのはむしろ誤りで、南方から北上した人類史の流れと北海道を見通せば、約4万年前が科学的なのです。実は野尻湖遺跡が興味深い研究中です。因みに、祖史―先史―原史―歴史(活字時代)という用語区分です。祖史の1万年で、何が良い・悪い、旨い、出来る・危ない、など暮らしの基本となる精神性やノウハウが出来ていったことでしょう。

今後、6万年、10万年という古い時代の痕跡が見つかると大騒ぎになるでしょうが、旧人と考えるべきで祖先ではなく騒ぐほどの事では有りません、念のため。欧米先生は、この旧人と祖先新人の交雑を騒ぎますが大した問題ではなく、それよりもアフリカの黒人祖先がどうして自分たちになったのかの足取りをもっと研究すべきです。さて、恵まれて良く分かるこの「日本祖史」、アイヌ先住決議の国会は世界に対する大恥であり、歪んだ先生の屁理屈で子供に教えない文科省は、怠慢というよりも最早犯罪です。(言っちゃった)

そして、祖史の3万年前頃を過ぎて、史上最大の災害である鹿児島・姶良大噴火、石垣島進出の痕跡、遠軽白滝の日本一の黒耀石の活用などの日本祖代後期となって行きます。加えて、「最初のアメリカ人」候補としての北海道からの北上継続です。


東京オリンピックのエスコート・ボランティアの人ならば、ホスト国たる日本始まり時代の左図で当時の環境に想いを馳せれば、右の英語で外人さんに説明し議論できるでしょう。

東静海峡とは、東京諸島と静岡県伊豆半島の間の海域で、38,000年前から、日本祖人が黒耀石obsidianを採取に海を行き来していたと言う、世界の考古学者が金メダルに認定していることで有名です。米臨海は、北極海の冷水が地峡で止められて流れ込まなかった時代の正にハワイに繋がる海域です。環太平洋言語とは、地域の人々の言語の特性に万年を越える古い時代からの共通性があること(比較言語学・松本克己博士)で、LとRが区別できないのは仕方無いのです。北海道祖人は、最初のアメリカ人候補として特筆されますが、Hokkaidoの地域名を換えれば何処にも適用されます。

「最初は対馬と思うが、五島だったかもしれない」「大きく海を越える先島へは、台湾からか本島からか分からない」「対馬暖流が流れ込んでなかったので、日本海側に大雪はなかった」「仙台くらいまでオットセイなどが居たようなので、北海道暮らしの準備は出来ていた」「石器は、道東と東北・北陸の物に類似がみられる」など、一段深い話も時に披露しましょう。Jomonの前ということで縄文時代は登場しますが、鎌倉時代からのAinuは誤解を正すためにだけ登場させてください。さて、最後に日本語で「知らんけど」と付け足しておくといいようです。 http://www.sunda-wind.net/news/8386 http://www.sunda-wind.net/news/8378

さあ、いよいよオリンピックですよ!


北海道「日本祖人」(縄文人先代)が、最初のアメリカ人の候補であることを前回まで説明してきましたが、巷間の3方向誤り渡来図のために、世界現生人類拡散史の重要区間のバトンを繋いだ歴史が誤解されています。

Q1.最初の縄文人の父母は、日本祖人Proto-Japaneseであって、JomonやAinuではないことをはっきり説明しましょう。Q2.東北から津軽海峡を3万年前には渡って行った日本祖人であることを説明して誤解を正しましょう。欧米には、昔の北海道には白人が来て居たと明治の外人教師が誤りを言ったため、今も一部に引きずっています(注目すべき数は、全くいませんでした)。始まりの歴史から、日本列島では大きな人の入れ替わり、短期大量の人の渡来は確認されていません(騎馬民族は、来なかった!)。東京には、スタバ、マクド、ケンタッキー・・・あふれていますが、そんなに欧米人は居ません。昔の石器や何かの大陸文化が全て大陸人の渡来とみると誤りです。

下図の細部は、http://www.sunda-wind.net/news/8347

そして、北海道祖人は、最初のアメリカ人候補という訳です。なお、説明に不安な人は最後に「知らんけど」(日本語で可)と付けておきましょうwww。問題ありませんよ。日本の教授で上記の事をきちんと英語で説明できる人は居ませんから。


カナダ国境の「(魚)ムツBluefish洞窟遺跡」は、時代を隔てた2度のカナダ老若カナダ研究者の努力によって、馬のあごなど15の異なる骨の人為的な傷と骨器や石器で知られ、年代測定で24,000年前と出て、余りに古く今も大半の欧米先生が懐疑的です。

それは即ち、ベーリング地峡で人類が滞留する前に、最寒期LGMが到来する前に、ユーコン川を遡上して洞窟に痕跡を残したことになります。3つの洞窟だけでなく75km離れた所(流域のOld Crow)にも古い痕跡を残しています。問題は、シベリアのしっかりしたバイカル湖遺跡と同時期なので欧米先生はアタマを抱えます。ヤナRHS遺跡は単発で、どうも移住して行ったようにみえません。近年でも―60℃で凍死事故の出ている厳しい所です。さて、欧米先生は北海道を十分に認識してないんじゃないですか?東北の遺跡に根を持ち、伊豆の海を3.8万年前から行き来した海の民系の子孫が、3~2.5万年前、道南から遠軽白滝まで人骨こそありませんがしっかり石器などの痕跡を残しています。

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当時は北極海の冷水を地峡が止めて流れ込まなかった「米臨海」を北上して行ってユーコン川の河口からムツ洞窟にたどり着く事は、決して絵空事では有りません。世界に発信し子供たちに教えて、将来の研究に期待しましょう。



当時の海水面(気温・動植物等)、旧石器遺跡状況、DNA分析、比較言語研究(松本克己博士)などから、北海道が有力です(理論歴史考古学)。

アフリカを出た現生人類が東南アジアを北上し、暖かくなって動き出して4万年前頃に「曙海」を舟で渡って北部九州へ、日本海側にも大雪が無かったのでそのまま列島中を北上、 当時としては 最も暖かった3万年前頃に津軽海峡を越えて拡がり、海獣・昆布などの食の豊か処女地を引き続き北上、ベーリング地峡に達し、最寒期になって閉じ込められて数千年の足踏みでDNA変化、やがて温暖化し北太平洋沿岸の昆布ハイウェイ沿いに舟で米本土に進入という訳です。言葉が環太平洋語という共通性が保たれたことは、文化・習俗が受け継がれたことを窺わせます。一応これで理解できますから、ともかく子供たちに関連を教えて研究の促進を期待しましょう。


最新の研究では第1図、①舟で入って行ったと考えられ、DNA分析から最寒期LGM以前にベーリング地峡に達し、氷床が融けるのを待った数千年の地峡での滞留間にDNAが変化し新大陸に入って来たと考えられています。昆布ハイウェイに沿って茶点線のように海面低下で陸地が出ていましたし、米臨海は北極海の冷水が流れ込まないハワイに繋がる海でした。

問題は、シベリアのヤナRHS遺跡(一時的なもの?年代?)が知られており、その後の1万数千年年代の遺跡も知られていることから、第2図、欧米先生には舟だろうと大型哺乳動物を追ってだろうとシベリアから来たと言う認識が強い事です。「日本祖代」の豊富な北海道の遺跡が、それらと並んで図になっている英文資料を全く見ませんから、日本の研究と発信に大きな問題があります。まして、子供達に重要なこの問題の状況が教えられていないことが大問題です、細部次回。

実は下記第2図、巷間本・博物館の日本始まりの3方向図からは、ベーリング地峡に向かうこの問題への参加は全く有り得ませんので、誤りは罪深いことです。



今回は③スリランカです。独(マックスプランク研究所)、豪、地元の研究者が、それまでは生活はムリとみられていた熱帯雨林で、欧州より古い弓矢や服に関する最新の発見です。その環境適応の知的レベルに注目なのです。

これで、④過半が沈んだ人類史の補助線スンダランド熱帯雨林地帯も生活が考えられ、地域の洞窟壁画や舟による渡海などが良く理解できます。「日本祖人」は⑤約4万年前、九州に到着した時からかなりの知的レベルであったことが分かります。これまで出アフリカ~南米までの拡散史をお知らせして来ましたが、これらはご先祖(縄文人の先代)「日本祖人」に関する日本史課目であることが学界では理解されておらず残念です。 日本列島渡来の始まりは、 北・西・南の3方向からという誤りかつ井の中の認識では、「国際人」になる子供の「日本史」教育は全く出来ません。


「最初のアメリカ人」問題は、ベーリング地峡へ向かう①―>DNA分析から数千年間、融けを待って滞留か②―>氷床の一部が融けて「昆布ハイウェイから舟で」まず進入(最新説)③です。問題は、日本列島のみならずベーリング海のエスキモー・アリュート族、そして南北アメリカ大陸先住民とも環太平洋言語圏A(比較言語学 松本克己博士)である事です。欧米ではこの事がよく知られていないようですが重要で、西太平洋沿岸民がまず渡来進入しました。

ア.ベーリング地峡滞留地で既に言葉がAだった、または、イ.先に米本土に 進入したAが長い間に北・南アメリカ広域に拡がり、言葉が定着してから、内陸狩猟族が主に内陸「無氷回廊」から逐次に入って来て言葉を入れ替えることなく、闘いの強さから今は人的に主流になっているようだと解釈できます。欧米先生の認識と全く違う仮説が、考古遺跡とDNAの分析に言語の面からムリ無く理解できます。そうなると北海道は世界人類拡散史において極めて重要で、今や北上して行ったのかどうかではなく、ルートは、a-1かa-2だったのかというレベルです。a-1は次々に島が見えていて比較して温暖であり、十分列挙されます。

そして、北上して行ったのは「北海道日本祖人」であり、縄文人は生まれておらず、鎌倉時代からのアイヌは問題外です。北海道日本祖人は、アメリカ先住民の先祖の可能性があります。直ちに3方向日本渡来図を北上図に訂正し、子供たちを世界の議論に参加させましょう。


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