2つの図(第1図2009年Dr. Spencer Wells、第2図2020年Dr. Jon Erlandson)を注目していただきたいのは、いずれも人類の拡散史の”聖火”が日本列島を通過していることです。このことが重要なのは、3万年前には既に北海道の暮らしに適応していた、祖人・北海道Proto-Japanese Hokkaidoが、 昆布ハイウェイKelp Highwayをフネで入って行った、最初のアメリカ人First Americans/アメリカ先住民Native Indiansの祖先 である、関りがある可能性があることです。
皆さんが図書館、書店、博物館に行ってまず見ることのない世界人類拡散の北上図というモノなのです。
日本の 図書館、書店、博物館 などで見る図は、下左図の樺太から北海道へ、朝鮮半島の方から九州へ、台湾の方から沖縄へ矢印が引かれた、何故か1種類のいわゆる3方向渡来図なのです。しかし、そういう人・文化の渡来は有りましたが、 実は ずっと新しい時代を含めたものであり、また既にいた先住の日本祖人Proto-Japanese及びその子孫と大幅に入れ替わるようなこともありませんでしたので、誤解の元です。第1第2図のように南方から沿岸地域を北上したモノで、日本列島の1万件という豊富な旧石器遺跡が示しています。ちなみにアイヌは、鎌倉時代頃からの在日の人々ですから、史的な”先住民族”では全くありません。
さて、上記の3方向渡来図が誤解を招く元である事は、下第1図のように、日本祖代では暮らしぶりにあまり差のない人口に濃淡のある違いという特色であり、縄文時代に至っても地域の差はあるものの一体性が見られることが、日本史の特色なのです。
即ち、約4万年前頃から、北部九州から拡がった一方向性である2万数千年に及ぶ文化の基層と言うべき特色が重要な点なのと、北上しベーリング地峡、アメリカ新大陸に至った可能性です。 何故か巷間本等では北上せじ、欧米学者のようなアメリカとの関わりがまるで出てこないのです。
更に、日本学界側の発信が十分でないのは、38,000年前という古さで伊豆の海を黒耀石を求めて、日本祖人Proto-Japaneseがフネで20km以上を越えて行き来していた世界人類史で特筆される行動が、よく伝わっていないために第2図には書かれてなく、30,000となっているのです。
図では、シベリアの方が35,000-25,000(黄色枠)と書かれていますので 、列島が書かれている30,000ではなく38,000である意味は極めて重要であり、北海道が30,000年前には既に暮らしがあったのですから比較の点で注目されます。オリンピックの年ですから、まず日本列島に約4万年前に”聖火”が入り、3万年前には出て行ったと考えられることを、少なくともそういう考えが世界の学界にあることを子供に、世界の一般の人々に発信すべきです。行く年来る年、よいお正月を。