人の体・DNAはいろいろですが、言葉・習俗・文化が重要です。アメリカ日系4世は、日本語を話さず、お茶漬け・刺身よりはハンバーガー・ポテトチップスを好むでしょう(最近は人によりますが)。図のように、言語学者の松本博士は、A(桃色)とB(縦黒線)で大きく区分しています。またこの図は、私たちがLとRを区別できない流音タイプの図と酷似しています。

最新の考古学・DNA分析が明らかにした①出アフリカ現生人類はアフリカ東南部で誕生し、②北太平洋昆布ハイウェイからフネでアメリカ新大陸に入って来たという新説に、よく整合しています。この アフリカ 東南部~インド洋沿岸~環太平洋沿岸のルートを、現生人類の初期移住ルートとして、はっきり打ち出したものは見ません。殆どがユーラシア内陸~バイカル湖東側~東部シベリアのルートとなっています。現生人類始まりの移住において、沿岸河川から内陸に遡行して行ったことを考慮する必要があります。現生人類の移住の新説であるインド洋沿岸(Indian Ocean Side)・環太平洋(Pacific Ocean Rim)の移住 ルートを MIPOR(Migration along Indian Ocean Side and Pacific Ocean Rim) 説と仮称します。

再掲下図で、欧州から大西洋を渡って来たというソルトレーン説はムリであり、ユーラシア内陸言語圏のシベリア狩猟族がベーリング地峡を入って来たという現在の主流定説にも言語痕跡からは疑問を投げ掛けます。シベリア東部民と言っても、言語から見れば沿岸地域を北上して行った環太平洋言語・習俗民なのです。この言語図と松本博士が更に指摘した、特にロッキー・アンデス山脈太平洋側の類縁性から、重要な北上の通過結節である北海道が注目されます。

元言語学会長である松本博士の良説が世界によく発信・理解されていない事は大変残念であり、また、現生人類が約4万年前に北部九州に渡来し、北上して行った3万年前からの北海道Hokkaidoがルートの重要結節であるにも拘わらず、鎌倉時代に北から南下した種族が混血していった アイヌを「先住」などと世界に大きな誤解を与えている事は大きな問題です。

東京・札幌オリンピックですから、1万件以上の旧石器遺跡を誇る日本から、松本言語圏説と共に人類移住史の沿岸ルートMIPOR説とアメリカ先住民の祖先候補である3万年前からの北海道祖人史について、教育に反映させることはもとより、世界に しっかり 強く発信されるべきです。

メキシコ高地の洞窟で、2万年より古い石器群が見つかったとNatureなどが報じています。その石器人は、北米の「無氷回廊」が氷床で閉じるより前の通過かという驚きのもので、学者からは疑問の声も挙がっています。

いずれにしても、最初のアメリカ人・Nativeについては、シベリアのマンモス・ハンターか、それともまだ世界によくは知られていない、縄文人やアイヌとの誤解が多い「北海道祖人」などなのか、現生人類進出の最後の謎である「アメリカ新大陸へ」を巡る世界の論議は活発です。従って、世界のお客を迎える東京と札幌のオリンピックでもあり、鎌倉時代からのアイヌについての“先住民族“国会決議は、アイヌ「人権尊重」決議に名称修正しましょう。世界に 誤解を生み、大恥です。勿論、当サイトは昆布ハイウェイ論で、北海道祖人は有力候補と考えています。

松本克己博士(元言語学会長)は比較言語学上の限界を遡って、世界広範な言語調査から万年を超える昔の言語の類縁の痕跡を6因子(LとRの区別なしなど)から探り、ユーラシア内陸言語圏のウラル・アルタイ語などの既説は的外れで、南方の西太平洋沿岸~環日本海~ベーリング海峡地域~ロッキー山脈西側~アンデス山脈東麓西側の人々の言葉に類縁性がみられる「環太平洋言語圏」(黄色A)説を導かれ、言語の面から「最初のアメリカ人・Native」の問題の解明に貢献されました。

実は注目したいのは、博士の図の環太平洋言語圏と現生人類発祥の地と言われる南部アフリカ言語痕跡の類縁性で、南ア海岸遺跡にみられる海産物食と10~7万年前に遡る線刻、赤オーカーによる色付けやビーズ装飾などの認知力は、欧州発生説を否定し今注目されています。即ち、出アフリカの現生人類は、言語的にアラビア半島とインド亜大陸の痕跡*消滅区間を越えてスンダランドから図の東南アジア当時のパンカル海辺を北上し、時計回りに南米までの人類移住史、現生人類の環太平洋移住(MPOR自説)と整合しているのです! 

当時は北極海の冷水が地峡で止められ流れ込まなかった「米臨海」は、昆布ハイウェイの 正にハワイに繋がる海でしたので、日本列島の北海道は注目され、沿海州には見られない3万年前から縄文時代に至る遺跡の充実している海の民子孫ですから、この松本博士の言語研究を踏まえれば、北海道祖人は「最初のアメリカ人」の”有力”候補と言っていいでしょう。息子・娘の北海道縄文人は間に合わず、無論、鎌倉時代からのアイヌは、この問題には論外の無縁です。東京・札幌オリンピッックに、松本博士の言語論、人類移住のMPOR説を理解して北海道も説明しましょう。

日本の始まり時代については、世界の人類史の流れと日本列島の1万件を超える旧石器遺跡等から明らかになって来ています。

1.南方から北上した現生人類は、約4万年前に多くの家族が 曙海を 北九州に渡って来て始まり、沖縄へ南下し北海道へ北上しました。

2.列島中央部の霧ヶ峰地区に宝物黒耀石があったため広大な関東は活発であり、対馬暖流が流れ込んでいなかったことから大雪が降らなかった日本海側も並行的に発展していて、連接している現在の状況のようでした。東京諸島・神津恩馳島にも黒耀石があったため、3.8万年前からフネで渡洋採取していました 。伊豆との間を行き来した 行動が、世界考古学上の「金メダル」なのです。

3.日本祖人の海の民性が、当時は狭かった津軽海峡を 難なく 越えました。

厳しい寒冷ながら海獣・鳥卵と魚貝・海藻などが豊かで、遠軽白滝に黒耀石があったため拡がり、無人の処女地に北上を続け、「1.7万年前以前に、北太平洋沿岸の昆布ハイウェイからフネで入って来た」と考えられている、米新大陸の「最初のアメリカ人・Native先住民」候補という訳です。

祖代から縄文時代となり(2.9万年間)、遥かに時代は下って鎌倉時代頃に、北から祖人・縄文人末裔の和人の地である北海道に入って来た集団からアイヌが生まれましたが、勿論、誤解されている“ 先住民族 ”などではありません。


米新大陸の「最初のアメリカ人・Native先住民」候補 の北海道「祖人」は今、世界人類史上の注目なのです。

北海道は、世界人類史の最後の謎ともいうべき「新大陸 、最初の アメリカ人・先住民」問題で、今、候補に名が挙がって注目されていますが、オリンピックに世界のお客様を迎える肝心の日本でよく知られていません。

①約4万年前に北部九州に家族がフネで渡海し、3万年前頃には青森から狭くなった津軽海峡をフネで越えて道東に至り、当時陸続きの国後島を廻って、日本一の黒耀石原産地である遠軽白滝に進出し北上を続けてアメリカ先住民候補という訳です。その時代には最寒期LGMの環境変化時代が有り、北から出戻り含めて南下して来たひとびとがいました。②その後、北海道祖人はある時期から縄文人と呼ばれることに(1.最初の土器発見の時か、2.定住弓矢も行き渡った頃か、3.環境変化の世界の新石器革命頃か、議論中) なり ます。両親は祖人、子供は縄文人という厳密さはないですが、この点が理解されずに「縄文人は何処から」と愚問を発する教授がいます。縄文人は、勿論、日本列島で祖人からです。

③この北海道祖代・縄文の約2.9万年の文化・習俗の積み重ね(勿論、山や川には名前)がありました。北海道大学説では、この和人の島に鎌倉時代頃に北の集団が入って来てアイヌが生まれますが、問題は、アメリカNative問題で、北海道祖人Proto-Japaneseが注目されているのに、国会が“アイヌ人権尊重”でなく”先住民族“という歴史のウソ政治決議をしたために、世界の歴史議論に誤解を振り撒いているのです。アイヌと日本祖人を繋げるのはムリな史的ウソで、人権尊重・共生だけ語ればよいのです。さあ、オリンピックまでに、北海道正史をみんなが理解し伝えましょう。そして、いつまでも議論せずに、早く祖代と縄文の切り替わり時期を定め、また、貴重な税金を末裔かも知れない「最初のアメリカ人」研究に投じましょう。

カリフォルニア科学アカデミー講演でDr.Braje(博士:オレゴン大)は、最初のアメリカ人問題について、近年の考古学等の成果、カリフォルニア・チャネル島発掘参加などから、それまでのクローヴィス文化人先住(1.4万年前~)説は大転換されたとして、北太平洋岸の昆布ハイウェイ説を説明しました。Japanがはっきり登場したものの、Hokkaidoへの言及が無く内容も乏しいのは、日本側の世界への発信がいかに弱いかを示しています。

諸説あるが、①先住者は北東部アジア人である( DNA分析からも。 大西洋横断ソルトレーン説は違う)②無氷回廊が開通するより早い遺跡が南米にあり、無氷回廊南下説は違う。昆布ハイウェイを南下し、コロンビア川ジャンクションCJで左折した内陸遺跡が近年発掘分析されているが、最古痕跡からはむしろ回廊を北上している。③北太平洋沿岸の海獣・鳥・海産物が豊かな海藻kelp環境の共通性が移住に適し、日本から南米南端まで続き(途中マングローブ)海藻サンダルなども発見され、南米遺跡で8種類の海藻が発見されている。

しかし、①日本祖史は約4万年前から、②伊豆の海をフネで行き来し、③北海道道東に3万年前には進出し、④遠軽白滝の黒耀石は、青森から大陸沿海州にまで拡がっていた。などは認識されていないようです。

東京・札幌オリンピックです、日本学界様、こんな状況では「どうもならん」ですよ。

日本史の始まりである祖史(日本祖代前期)に注目すれば、左図、曙海の東側を時計回りで沖縄に至ったことが理解できますし、列島を北上して行って青森を越え北海道に拡がったことが旧石器遺跡から実証されます。

祖史の時代に沖縄へと、台湾山地沿岸から黒潮流を越えて行方の見えない150kmを家族で渡るのは大変ですし、まして200km以上の慶良間ギャップ越えはムリでしたでしょう(ヤシの実がたどり着くこのルートはずっと何となく挙げられて来ましたが)。次の縄文時代になっても沖縄の結びつきは、豊富な実証資料から九州の曙海沿岸地域でしたし、台湾の教授も「台湾から敢えて出て行かない」と祖代における先島への渡航に否定的です(家族渡来の食の魅力乏しく渡航危険が、理由でしょう)。北海道の場合は、津軽海峡が狭まっていて伊豆の海を行き来していた日本祖人には問題なかったですが、やはり雪と寒気が一段厳しい所で主に海獣を食・衣・住に活用した家族の暮らしへの適応に期間を要したものと思われます。

しかし、上図、誤りのwikipediaとは異なり、青森から道南~道央南部~道東~北方領土廻りで宝物黒耀石の豊かな遠軽白滝地域に進出して行ったことは遺跡から明らかですし、その後も食の豊かな処女地である千島列島(次々に島が見える)及び樺太への北上を続けたことでしょう。 今や注目の「最初のアメリカ人」アメリカ先住民候補なのです。

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さて、 上右図のように、日本祖人~縄文人(~続)~擦文人~和人の始りから父祖の地に、北方から鎌倉時代頃に渡来(出戻り含む)が有り、後にアイヌと呼ばれる人々が生じますが、勿論、北海道の先住民族などではなく縄文人を祖先にすると直系のように言うのも言い過ぎです。このような状況であるにも拘らず、ためする政治的な歴史のウソ、誤解が世界にも及んでいます。子供たちは無論の事、オリンピックで訪問するお客様に、しっかり真実を説明して誤解を解きましょう。


図下の権威・国立博の展示説明は問題です。約4万年前に住み着いたのは、私達の祖先ですよ。世界現生人類史上も注目ですが、何よりも私たちの言わば歴史的な誕生日(祖史)なのですから呆れます。道具作りのはじまり?カンベンしてください、舟を造り天文・気象海象を理解し、曙海の外洋航海で多くの家族が北部九州に渡海して来た知的レベルですから、道具なんてもんじゃありません。

それも、狩りした動物の解体もさることながら舟造りに適した磨製石斧は、この時代の隣国にも見つからない石器の世界史上の金メダルなのですよ。図上、伊豆の海の行き来や環状ブロック群、陥し穴猟、北海道進出と最初のアメリカ人候補などの重要事項にも触れずに、土器ですか?歴史説明が、驚きの周回遅れです。酷過ぎて、とても世界から訪れるお客様を連れて行けません。その内容の改善が、夏休みの宿題作業には成りますが。そして「日本祖代」が、土器の縄文時代になって行く訳ですが、この1万3千年前を巡っては、土器が出現した16,500年前とするか、拡がった1.5万年前とするか、列島中に竪穴住居や弓矢などと共にすっかり定着した1万3千年前とするのか、早く学会は決めてください。日本祖代を前期・後期とするか、前・中・後期とするのかが関わってきますので。また、旧石器時代などと言っても、世界の・日本の学者は、範囲とイメージが人によってバラバラです。とても約4万年前~縄文初めまでを示す用語にはならず、全く適していません。

ともかく、学界にいろいろな議論があるからと子供に教えないのが、一番の問題で悪いです。まずは教えましょう、賢い子供達と今後の発掘に委ねて、要すれば修正して行けばいいのです。


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