前回は世界人類史の北上(第2図)でしたが、何故、アフリカを出た黒人が北海道にまで至ったのかは、幾つかの幸運のお蔭でした。第1図、注目は仙台以北の狩りが容易な海獣・鳥・卵の食と衣・住への活用の幸運です。北海道という寒さに適応する訓練が出来ていた上、更に昆布ハイウェイがあり豊かな海藻が加わりました。
当時は対馬暖流が無く、日本海側に大雪が降らず、各地に点在した宝物の黒耀石が長野でも採れて太平洋側と日本海側が繫がり列島2軸並行発展と文化融合がありました。北海道でも宝物石が豊かに採れた事も幸運でした。神津・恩馳島に良質な物が有ったので、海洋を舟で行き来したのも大変な造舟操舟のノウハウ向上でした。それでも北部九州から北海道まで行きつ戻りつし、厳しい寒さに適応するまでに1万年というじっくりの長さを要しています。3万年前、沖縄へはトカラ越えが大変だったのでしょう。北海道から更に北上を続け、米新大陸に向かったと考えられます。
そして更に、1万数千年後に温暖化に伴う煮炊き保管の土器が生まれ、学者によってはこの時期から縄文時代と呼んでいますが、当然、前後で人に違いは有りません(江戸人と明治人)。ここで、青森は注目です。太平洋側と日本海側の東西、東北と北海道の南北文化がクロスした十字路ですから先進性が生まれて納得で、三内丸山、遮光土偶と日本文化をリードします。2.9万年前の先進鹿児島を襲った姶良大噴火が大変残念でした。
「因みに、出アフリカ黒人が東南アジア・Sundalandで変化したのは「インマレイド」人種(仮称)で、北上して日本列島に来ています。日本列島でなく南シベリア・モンゴル地域へ、あるいは出アフリカから直北上して同地域に至り、「降雪寒冷適応」を果たして変化した人を「モンゴロイド」と言うべきです。従って、モンゴロイドが日本列島に来るのは、実はずっと後の事(せいぜい2万年前)なのです。現在の新旧モンゴロイドという言い方は、ジンギスカンにびっくりさせられた欧米学者のアジア人に対する大雑把な呼称で、誤りです。