Distinguish science from dirty politics.
Distiguish human history from human rights.
Nihon Sojin and descendant Jomon Jin are true indigenous Japanese.
Ainu is one of Japanese Group and not indigenous, unique culture since 12th century.
Distinguish science from dirty politics.
Distiguish human history from human rights.
Nihon Sojin and descendant Jomon Jin are true indigenous Japanese.
Ainu is one of Japanese Group and not indigenous, unique culture since 12th century.
「お~い、何だってまだ戦前の地図(下図)を使ってるんだ?歴史修正主義者!」「海の民による最初の米人、加人を知るためだよ。アンタの地図(下赤枠)じゃ、ベーリング地峡沿岸が無いじゃないか!今、海の民(Seafarer)に注目なんだぞ!」。歴史学をリードする欧米学界の子供時代からの地図認識は重要です。さて、世界の先住民はアフリカ人で、豪アボリジニ—「日本祖人」(北海道;縄文以前)、シベリア人―米Nativeインディアンは一目瞭然であり、鎌倉時代頃からのアイヌを「先住」と言うのは論外ですが、一部にユーラシアの東の果て極東で 白人と同じ血が入ってると考えて興奮している、歴史修正主義者とわめく者の策動もあります。日本国会が が押されて 、世界に誤解を撒き散らせてどうする?! 歳費返納を!(アホな事言う外人だけじゃないです、変な日本人が居るから厄介です)
(了)
学界の一致した認識である約4万年前、初めて日本列島に海を越えて九州に渡って来た現生人類の家族たちは、「日本祖人」として3万年前には北海道にまで拡がっていました。そして、2代目縄文、続縄文・・・途切れることなく歴史が刻まれました。今、世界の学界は、「最初のアメリカ人・カナダ人」についてのこれまでの定説を見直し、「昆布ハイウェイ」を舟で16,000年以前に家族でやって来たと考えています。もうすぐ本格的な春ですが、ハイウェイドライブイン襟裳岬は何でもあった食の豊かな所です。鎌倉時代頃からのアイヌが「先住」って、ゴールポスト動かし国連UNの、トンデモ屁理屈です。人権尊重と歴史を混同しないで、逆効果です。北海道史は「日本祖人」以来の3万年、子供たちだけでなく、世界に誤解を与えはいけません! 昆布ハイウェイが通る、最初のアメリカ人・カナダ人の有力出発地である、父祖の地の始まりからの歴史ですから。
(了)
今、歪められたアジア史が見直されています。それは、Sundalandで長く勤務したOppenheimer(Oxford)が、聖書のノアの方舟の洪水神話などの文化起源はアジア発として「エデン」論議に一石を投じ、郷土史家(水利専門家)のIrwantoが、地域の歴史文化特に、人の移動に光を当てました。即ち、①出アフリカ、②出Sundaland、③モンゴル南下という重層のアジア人類史です。この中で、豪6.5~5万年前と共に、1万件を超える遺跡調査で裏付けられた、九州約4万年前、北海道3万年前は、世界・アジア史の重要な基準杭なのです。そこに鎌倉時代頃からのアイヌが「先住」民などと、国連UNをはじめとし政治を持ち込むのは学問の冒涜です。アジアのインマレイド(Inmalaid)を認識せず、単に新・旧のモンゴロイドとしているのはジンギスカンに驚いた欧米の偏見です。旧人ネアンデルタール人で騒ぐ暇があるなら、アフリカ黒人として出た後、自分たちが、いかに白人になった (ラテニドから) のかを辿り学説化するべきです、アジアは解明されてきていますので。先生、いつまでモンゴロイド史観に従ってるんですか?
(了)
世界の学界が、430年前の(西)ホセ・デ・アコスタに注目です。彼が中米メキシコ、南米ペルーの各地で長い間勤務した当時は、まだ十分に南北アメリカ大陸先住民の暮らしが生きていました。
「短い」航海でアジア人がアメリカに来た、という現代最新の学説をアコスタは既にその名著 (Historia natural y moral de las Indias )で1589年に唱えました。ベーリング海峡発見の140年も前にです。それでは、1.6万年前以前と分かっている最初のアメリカ人は「いつ」「どのように」来たのかとなりますが、遺跡に裏付けられた現代学説の圧倒的に最古の候補が「日本祖代」(縄文の前)の十勝平野人なのです。シベリア東部は、1.5万年前です。そして、東北・北陸出身の可能性を博物館は教えてくれています。今、フィリピンの「どうなってるて」大統領は、国名をフェリペ2世由来から替えようとされています。鎌倉時代からのアイヌが「先住」民って、日本の最高機関国会は、何言ってるのと世界から、フィリピン大統領から言われますよ。こういう事を学校で教えない、「どうなってるて」?
(了)
政治的な勝手な歪曲のゴールポスト動かしの「先住」定義は、歴史科学を学ぶ子供たちからいずれ相手にされなくなるでしょう。「先住」の語を外さず、真の「人権尊重」を偽史で貶める国会の選良って、何者?
既に累次の主張を控えますが、この問題に一言も声を発しない学界人の劣化には言葉も有りません。先人は、牢獄に繋がれるとしても真実と思う主張をしました。
(了)
結論的に、東南アジアの沈んだ大陸地Sundalandから豪州アボリジニへ、北上して「日本祖人」九州へ、そして今、最初のアメリカ人インディアンは、昆布ハイウェイを舟で来た太平洋沿岸からの海の民と考えられ、北海道発が有力候補の「先住民3角形」が、世界学界の注目です。2代目である縄文人もお呼びでなく、まして鎌倉時代からのアイヌは論外です。歴史を知らぬ国連の歪曲「先住」の定義は、真の「人権尊重」に繋がらぬ、むしろ逆行する短慮の「ゴールポスト動かし」であり、歴史学におけるアジアの蔑視です。
我が国の学者さん達は、この列島史が始まったのは約4万年前頃と皆さん考えている。そして、下記のように縄文と弥生について、納得できる話が遺跡の発掘などの実証の裏付けを持って語られるようになってます。しかし、縄文人の先代については、2万数千年の積み重ねがあるのに誰も語らない。「日本祖人」が居なくなって主役が縄文人になった訳ではないです。問題は、「日本祖人」という言葉がないため、まともに議論され考えられていないだけなのです。先ず、語りそして修正していく事で、語らねば何も始まりません。DNAが万能ではないです。日本の、北部東北・北海道の「先住」民は、鎌倉時代からのアイヌではないです。国連をはじめ、世界に誤解を撒き散らしているのです。
(譽田 亜紀子 :文筆家)東洋経済online3月2日抜粋
縄文人がいなくなって、日本列島の主役が弥生人にすり替わったわけではない。九州早良平野のように、縄文人と一定の距離を保ちながら渡来の人々が暮らし始め、いつしか両者が混じり合って、水田稲作を広めたのである。つまり、水田稲作は縄文人が選択したことだった。1980年代に盛んに欧米に言われた日本批判は、縄文人の気質だったのではないか。ほかの文化や技術を受け入れ、模倣し、オリジナルに仕上げる姿は、日本人に受け継がれている気がしてならない。いくら時代が下っても、「お天道様が見ているよ」と思う日本人の中には、DNA以上に色濃く縄文人の息吹が残っているのだと思う。
アイヌの人権尊重と歴史学問を分けて考え、「先住」は誤解の元ですので外しましょう。
世界が注目する「最初のアメリカ人」は、ベーリング地峡の南岸からアラスカ・カナダ・米本土の北太平洋沿岸の「昆布ハイウェイ」ルートで来たと考えられています。従って、問題は、A.北海道からか、B.シベリアからか、となります。
現在発見されている遺跡状況は上図のとおりで北海道が古いです。そして、シベリア東部の冬は、今でも-60℃で死者が出ています。地域の痕跡で注目はアリューシャン列島で、食が豊かであった事、遺跡9,000年・石器から辿れるのは12,000年前、そして、厳しい操舟力の鍛錬と高い防水の技術に見られる造舟力であり、シベリア内陸のマンモスハンターとは、はっきり違う「海の民」です。北海道は、南・東部の各地に3万年前の「日本祖人」(縄文人の先代)から生活痕跡がありますから、最有力候補と考えられます。北海道大学のDNA分析で鎌倉時代頃からとされるアイヌを「先住」と呼ぶのは世界に誤解を与えます。現存DNA的には、内陸シベリア系が優勢ですが、歴史的には「環太平洋海の民」の文化が基層と考えられるのです。何しろ「日本祖人」は、世界の歴史学界が驚く37,500年前から、舟で黒耀石採取に20km以上の黒潮分岐流を越えて伊豆神津島を行き来していた「海の民」でしたから。
(了)
最初のアメリカ(本土)人は16,000年以前の「海の民」!
議論への参戦は北海道から。アイヌ「論外」、縄文人「及ばず」、「日本祖人」(Nihon Sojin)のみ対象
https://www.youtube.com/watch?v=CmxhFgpIacI
世界が注目する標題について、Youtube(Science magazine)を紹介します。これまでの定説は、シベリアの狩猟族が大型動物を追ってベーリング地峡を越えたというルートでした。今は替わって、北の「米臨海」沿岸の食豊かな「昆布ハイウェイ」(Kelp Highway)を舟でやって来た「海の民」(seafarer)ルートが有力です。主な理由は、南米チリに14,500年前の遺跡が見つかったが、地峡ルート上の北米「無氷回廊」(アラスカ~カナダ~米本土・モンタナ州)は、12,500年前頃でないと通路が開いてないと研究分析されたのです。それで沿岸が、北海道も注目されています。というのは、そこには30,000年前の遺跡(帯広、千歳等)が多くありますが、シベリア東部には15,000年前で、遅いのです。加えて、狩猟族が、北の海岸に出て来て、舟造って操作するのは大変なknowhow習得の鍛錬が居るのです。さて、注目の北海道では、鎌倉時代頃からのアイヌは論外で、15,000又は13,000年前の縄文人も及びません。世界は何でアイヌが「先住」?、何で「日本祖人」(Nihon Sojin)が教科書に無いの?金メダル候補なのに!その理由は、日本史を知らない国連UNの横暴、よく分からないとして縄文Jomonしか世界に発信しない学界のせいなんです。(了)
世界が注目する最初のアメリカ(本土)人・カナダ人は、 16,000年以前の「海の民 」であるというScience magazineのYoutubeを紹介します。これまでの定説であったシベリア~ベーリング地峡ルートが力を失ったのは、①南米チリに14,500年前遺跡が見つかったが、地峡ルートの下図「無氷回廊」(アラスカ~カナダ~アメリカ本土・モンタナ州)は、12,500年前頃でないと氷のため開いてないので、沿岸ルートと考えざるを得ない、②沿岸は、昆布ハイウェイ(Kelp Highway)という食料豊かな状況にあった。③考古学者たちが目を向けだしたので、少し新しいが沿岸で遺物が見つかり出してます。
https://www.youtube.com/watch?v=CmxhFgpIacI
さて16,000年以前に、2ルートが考えられます。 A.北海道~カムチャッカ半島~、及びB.シベリア~ベーリング地峡沿岸~。ここで、北海道は30,000年前の遺跡・遺物が出ているが、シベリア東部は15,000年前しか出ておらず、遅い。また、内陸のマンモスハンターが海岸に出て来て、大変なknowhowを必要とする舟造りと操舟が出来るのかという問題があります。他方、A.は、アイヌが問題になります。16,000年以前にアメリカに来なければならないのに、何故、新しい12世紀頃のアイヌが、北海道の「先住」民なのかと。国連UNの圧力だからという言い訳は通用しません。 最近は縄文時代から居たなどと言う者も出てきてますが、縄文時代は15,000年又は13,000年前からなので、それでも議論への参加資格がないのです。普通に考えれば豪アボリジニや米インディアンのように、先に住んで居た人たちが「先住」民です。歪んだ政治的背景を有するゴールポスト動かしのアイヌ「先住」民認定ですが、 当たり前の歴史学問的呼称としては、おかしいのです。更に、教科書に未だ名前も無い「日本祖人」だけが資格があるので、日本の学界は何やってるんですかとなってしまいます。「最初のアメリカ人」がはっきりする前に、学者先生が一人も異を唱える声を挙げなくて、ホントにいいんでしょうか?
(了)
It has to be told Respect for human rights from Fact of history. Definition “Indigenous” of UN is “Fake” to Japanese People. Situation of Ainu is quite different from Aborigine in Australia and Indian Natives in USA historically.
Ainu started since 12th century, but Original Japanese, “Nihon Sojin”, lived 30,000 years ago in Hokkaido, far before Jomon era. It’s a long long history of Japan. Now, some researchers think that there’s possibility for Nihon Sojin to have migrated to America, Canada through “Kelp Highway” along seashore by canoe.
「歴しニア」の叛乱
日本史について何も知らない国連UNの圧力で、祖先の歴史を曲げることは許されない。日本考古学の祖である坪井教授の説は、明治後半に研究者が北千島に行って調査したが、そのような話の人も居なければ言い伝えも無いとして忘れ去られた。しかし、万年前からの先住者の話を、明治になって小島に行って居なかったということで否定するのは適切ではない。明治時代の当時の学界では、縄文Jomonはもとより、現生人類がアフリカで誕生し日本列島に約4万年前に海を越えてやって来たなんて、全く全く想像できませんでした。問題は、先に住んで居たと言えないアイヌについて、人権尊重と歴史学の問題が混同されていることに、学者が一人も異を唱えない学界の異常で、世界に誤解が拡がり苦労します。「先住」は外そう。今、世界の学界では「最初のアメリカ人」の渡来ルートとして北海道沖も通っていた「昆布ハイウェイ」が注目されています。襟裳岬は春だってしっかり食料がありましたよ!
(了)
「最初のアメリカ人」が北海道から だったら、どうするの?!
近年、「最初のアメリカ人」は、従来の定説であったシベリアからベーリング地峡を通って米本土ではなく、昆布ハイウェイ(Kelp Highway)から舟で沿岸を米本土へと考えられてきています。
そうなると、平安・鎌倉―16,000年前(米本土遺跡)問題が生起します。
北海道の先住民族はアイヌ(平安・鎌倉時代)
北海道から昆布ハイウェイを「最初のアメリカ人」が来た
「最初のアメリカ人」は16,000年以前に来た
国会の先生、誰が責任を持って子供たちに説明するんですか?! 入試問題の解答は? 国連UNは、ホントに説明してくれるんですか、日本が決めたと言い逃れしませんか?
(了)
歪んだ国連の定義が何であれ、先住民とは先に住んでいる人たちです。オーストラリアのアボリジニであれば6.5~5万年前から、米Nativeインディアンは1.6万年前頃からその地に先に住んでいたとみられる人々です。さて、北海道には、約4万年前頃に海を渡って家族で九州に来た人たちが北上して、図のように3万年前頃から「日本祖人」が住んでおり、縄文時代早期の文化図にも受け継がれていたことが分かります。
そして、地域差のあるその人たちは、東北に住んでいた人たちとそれ程の違いはありません。一方、アイヌと呼ばれる人たちの文化は、北海道大学の調査によってせいぜい平安・鎌倉時代からのものです。アイヌ「先住」は、アボリジニやインディアンとは全く違う、歴史的に世界に誤解を与えます。「先住」の語を外し、アイヌの人権を尊重する決議に名称変更し、立法にそれを反映するよう強く求めます。子供たちが再びウソ慰安婦問題のような苦労をしないために。因みに、北海道の先住「日本祖人」は 世界の学界が注目する、昆布ハイウェイを行った 「最初のアメリカ人」の可能性が有るのですから。(了)