7月9日午前11時48分、スギメがついに台湾から与那国島のナーマ浜に着きましたー!感動しました。という実験成功の第1報が伝えられています。実は、1万件を超える我が国の考古学遺跡が示しています事から、北海道「先住」・道東の「日本祖人」が、その頃に、昆布ハイウェイを北上して千島列島から「最初のアメリカ人」になるべくアメリカ新大陸に向かって進み始めていた可能性があり、今、世界の歴史学界の注目です。

尤も、こちらの方は、クジラの骨や流木による骨組みにオットセイの皮を張ったような舟だったかも知れませんが。いずれにしても、太平洋沿岸の「海の民」が原点です。学校で最近は歌われていないらしいですが、「我は海の子」を必修としましょう。我は海の子白浪の、騒ぐ磯辺の松原に、煙たなびく苫屋こそ、我がなつかしき住家なれ~。(漢字が難しいとか、ブツブツ言わせないで下さい)

日本史は約4万年前、南方から北上した現生人類が、北部九州に「曙海」を舟で渡って来て「日本祖代」が始まり、2代目縄文Jomonに続きます。

中国史は約4千年前、下図の長江から進んだ「夏」王朝を始祖とし、北西草原の民に滅ぼされて2代目「殷」王朝となります。いずれも始まりは南方発で、渡海しあるいは河川を遡行したものです。

さて、結論的にこれまでの地域史は北部偏重で、大陸の中原 洛陽 が、そこで陳寿が書いた魏志倭人伝・邪馬台国が論じられてきました。尤も、陳寿も「倭は会稽東冶の東の海中」という当時のみんなの常識に抗えずに里程を記述したために、その後の日本の邪馬台国論争を招くことまでは分かりませんでした。しかし、魏志でなく呉志・孫権が、「夏」王朝と呉・越・亶(タン)洲の関係が、九州中南部の天孫降臨や神武東征、亶(タン)洲 の話が、我が国の歴史を考える上で極めて重要であり、注目されてきています。何と言っても「曙海」周辺の関係の深さを示し、驚きなのは中国「夏周」王朝と呉・越の元になった3兄弟の父親が、亶洲人(九州中南部・種子島か?)だという話です。倭人は、太伯(呉国)の子孫という話もあります。

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学閥に捉われず古代の真実を追求したと言われた作家の松本清張氏が、「曙海」・北東ア平野沿岸を認識できなかったことはやむを得ないとしても、重要な呉志孫権・呉越・亶洲など と古代の我が国との関係に ついて殆ど触れていませんが、不思議なことです。まさか、北部九州・小倉出身だからではないですよね(失礼しました)。いや~歴史研究は、誠に難しいものです。

今日は米国の独立記念日ですが、先住民はNativeインディアンで、最新の研究では図右下のとおり、16,000年以前に沿岸の「昆布ハイウェイ」から舟で来たと考えられています。

それまでは、シベリアからというのが定説でしたが、ベーリング地峡付近に痕跡が無く、3万年前・道東の「日本祖人」が注目です。ルートは、AかBか、aかbかが考えられますが、比較的温暖のA、沿岸移住の容易性からaの可能性が高いでしょう。シベリアには、ヤナ遺跡、バイカル湖遺跡がありますが、どうも「最初」ではなさそうです。何しろ「日本祖人」は、舟で伊豆諸島を行き来した当時の先史の金メダリスト( 漕舟) でした。

北極海の冷水が流れ込まなかった米臨海沿岸の状況と道東は、そんなに大きな違いの無い昆布ハイウェイ地域で、襟裳岬の春は昆布のみならず海獣・魚介・海鳥と卵など何でもありました。そして、何よりも千島列島は、次の島が見えていましたので、日本祖人の北上が続いていたと考えるのが普通です。

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因みに、2代目の縄文人は間に合わず、鎌倉時代からのアイヌ(北海道大学のDNA分析結果)は本検討の全く対象外です。世界に誤解を与えますので、「先住」を外して「人権尊重」に訂正記述すべきです。なお、豪先住民は、定説を覆して下図のとおり、インドネシア・スラウェシからの北ルート移住の可能性が高いという研究発表がありました。

現生人類史の残された大テーマは、日本リードによる米・加・露との充実した多分野での国際共同研究が待たれています。

「最初のアメリカ人」問題について、米オレゴン大のJon M. Erlandson教授は科学誌National Geographicで、「昆布ハイウェイを舟で沿岸からやってきたのではないか」と新説を提唱し、「舟を操る海洋民が日本に居た」と述べていますが、これに対する日本の反応が今一つなのは驚きです。

教授の発言の背景には、3.8万年前頃から黒耀石を採取するために、伊豆半島から20km以上離れた神津恩馳島に黒潮分岐流を越えて行き来していたこと (黒耀石 原産地分析と 交換の痕跡から) が知られているのです。


シベリアや北東アジア 地域で、1.6万年以前に舟を操っていた種族は、「日本祖人」以外見つかっていません。シベリアの狩猟族が舟を造って操り、厳しい北の海に適応するのは、とてもとても大変なことです。正にハワイに繋がる当時の「米臨海」地域と北海道の道東は、 環境が そんなに大きく違ってませんでしたから、行けた筈が無いと言う人の理由が分かりません。

日本祖代の人骨としては、沖縄石垣島で2.7万年前の人骨がはっきりしてますので、「日本祖人」と大きな違いは無かっただろう考えられます。

先生、子供たちに「世界先史の金メダル」のこと、舟で入って行った「最初のアメリカ人」の事を教えましょうよ。 G20で来ている人たちにも。

世界人類史の大テーマと言ってよい「最初のアメリカ人」問題について、シベリアから狩猟族が動物を追ってベーリング地峡を越えてやって来たという、長い間の定説が崩れています。北米大陸内の通路とされた無氷回廊が融けて開くよりも古い遺跡が、南米チリ沿岸で見つかったのも大きな理由です。北太平洋沿岸から「昆布ハイウェイ」を舟でやって来たという新説は、「日本」が登場しています。

世界が知っている2代目の縄文人(Jomon-jin)よりも1万年以上古い時代の話であり、日本学界の対応が無いために、残念ながら「舟を操る海洋民」としてしか表現されていません。さて、北海道大学がDNA調査を行って、アイヌが鎌倉時代からと明らかにしたにも拘らず、国会は、先に住んでないのにアイヌの政治「先住」という決議と新法で、豪アボリジニや米Nativeインディアンが驚く1国2種類の先住民という、笑えない誤解を世界と子供たちに振り撒き、何よりも学校で「日本祖代」、「日本祖人」(Nihon Sojin)も「最初のアメリカ人」沿岸進入説も教えていないという異常さなのです。

現生人類が下図の第1図の曙海を越えて約4万年前に九州に来て、日本祖人は3万年前には第2図北海道に拡がってましたが、北陸と石器が類似の第3図①道東日本祖人は、②次々に島が見えた千島を北上し、北極冷水が流れ込んでいなかった③ハワイに繋がる「米臨海」の沿岸の④昆布ハイウェイKelp Highwayは、昆布のみならず魚介・海獣・海鳥卵など豊かな食糧に恵まれ、かつ、北海道に鏡面対称性で似てましたので、沿岸のこの方面から、最初にアメリカ本土に入ったのではと考えられています。

それは、氷床で米本土が閉鎖されていた時期の15,800年前頃の遺物が米本土オレゴン州などで発見され、沿岸を舟でというのが新定説です。実は上第3図、ユーコン川上流のカナダのムツ遺跡は、24,800年前という数字が出ていますが、こんな時期にシベリアから来れそうも無く、米本土にも氷床閉鎖で入れないので学界では無視・軽視されています。しかし、3万年前に北上した道東日本祖人なら十分可能性がありますが、世界にその事がしっかり認識されていないからなのです。北海道の先住民が①歴史上の「日本祖人」と②鎌倉時代からの「政治先住」アイヌという世界に例のない、豪アボリジニや米インディアンもびっくりの1つの国に2種類の先住民が居るため、誤解・曖昧が世界に拡がっているからでもあります、罪深い。

日本人は何処から、ルーツは、日本史の起源は、などについて沢山の本が出ていますが、標題の用語なしに語れる筈が有りません。約4万年前に沿岸から舟(筏)で北部九州に渡って来て 日本列島中に拡がり 始まっています。

その海岸線は時代によって動いてましたが、一人ひとりにとっては生まれて亡くなるまで変わらない、曙海のほとりの人たちは万年の長きにわたる 親族のような ものでした。遥かに下った歴史時代の呉、越、百済などと言ってもその末裔の地域なのです。

五島と薩摩に共通の古い言葉が残ってる、南西諸島の貴重貝が出雲どころじゃない北海道で見つかっている、古代中国正史では倭(日本)だけでなく、遠くベトナム(南越)に繋がる呉・越地域の人たちも「変なヤツ」と書かれており、筏の実験で朝鮮半島に直接行っていた事が実証され、大陸内部の種族とは違う南方の人たちが地域の始まりなのです。 半島南部には縄文遺跡や前方後円墳すら多く見つかっており、また、 元寇で侵入して来た呉越の人は殺しませんでした 。そして「日本祖人」は、出アフリカから今は、北太平洋の昆布ハイウェイKelp Highwayを舟で入って行った「最初のアメリカ人」ではという事で世界の注目です。

鎌倉時代からのアイヌ(北海道大学DNA分析結果)を政治「先住」と言ってるのも歪曲の困りものですが、世界の人が、いや子供たちが、「日本祖代」「日本祖人」を知らず、2代目の縄文(Jomon)人からしか語っていないのが、「最初のアメリカ人」テーマに参加できていない大誤解の問題で、罪深いことです。

豪先住民アボリジニの祖先は、図右下のように5万年(6.5万年説も)前に、たまたまではなく計画的に海を越えて北から1,300人以上が舟でやって来たと研究報告が報じ(Newsweek)られています。つまり、科学的に諸学共同の検討がなされ分析研究が行われているのです。

図左の一般的な「日本人は何処から?」に基づき、九州に約4万年前(3.8万年前説はもっともらしい誤り)、沖縄~北海道にまで3万年前には拡がっていたことが1万件以上の遺跡分析から分かっています。さてその九州へも、約4万年前当時は水深が数十m以上100m近くも低く、「北東ア平野」が現れて「曙海」となり、対馬がやや独立的ながら五島から壱岐~博多~出雲は陸地繋がりでした。最初の1000人以上の「日本祖人」家族は、舟(筏)で30km以上を越えておそらく対馬(もしくは五島)に来ています。問題はこの重要な民族の始まりを、豪のように科学的に研究されていないのです。出アフリカ後にアボリジニと同じようにSundaland地域から祖先は北上して来たでしょう。豪アボリジニの経験から舟で渡洋する能力もあったでしょうし、3.8万年前には、伊豆神津恩馳島に黒耀石の採取に行き来してました。その後は3万年前以降の北海道から、最初にアメリカに渡って行った可能性がある、アボリジニ・「日本祖人」・インディアンの先住民繋がりが、今、世界の注目なのです。鎌倉時代からのアイヌ(北海道大学のDNA分析)を政治的に「先住」にするなど、アボリジニやインディアンと「日本祖人」を伝えて連帯できていない子供たちに対する罪です。科研費を是非とも充当して、各国と協力し研究してほしいものです。

6月下旬~7月上旬の間で、台湾東部から沖縄・与那国島に太古の航海再現プロジェクトが行われ、下図のA地点からB地点に向かって実験航海の検証が行われます。

本来の検証目的からは、 A地点を舟出した偵察チームの人たちが与那国島で「良い情報」を得て、さあ、強い黒潮流に「抗して」漕舟し台湾に再び「帰れたか」となり、帰りが重要です。図のYのように台湾に戻れなければ、次の本試みは続きません。従って、台湾陸地に帰り着くためのXルートのX1ポイントに、黒潮流の強さに「抗して」先ず漕舟南下しなければなりません。今回、この事は直接的には試みられないようですが、①黒潮流の強さと、②漕力及び航法から、「台湾への帰りの状況を考察しうる」成果を期待したいものです。

「明治人」のルーツは? はい、維新もあり外国人も沢山来ましたが「江戸人」です。縄文人のルーツは?はい、始まりの「日本祖人」を全員どかして縄文人が何処かから来たなんてアリエナイので、先代・初代の「日本祖人」です。こんなようなやりとりが、今も世界で行われているのは歴史学会の問題なのです。島国であるために民族の始まりが、1万件を超える数の遺跡に支えられて「約4万年前」ということで学者さんに異論のない、世界でも稀に恵まれている状況を、何故か認識したがらないのです。

その始まり時代を「日本祖代」、私たちの祖先を「日本祖人」と学界が認識したがらないために、世界のハーバード大学で前述の如きマンザイのようなやり取りになっています。明治人の親が江戸人であるように、2代目の縄文人の親は、初代・先代の「日本祖人」なのです。そして、問うならば、「日本祖人」のルーツは?ですが、人のみならず遺跡や言語系統を含めて 本欄で 累次説明してますように、出アフリカ~東南アジアSundaland地域~太平洋沿岸を北上して、「曙海」ほとりから海を越えて北部九州にです。3万年前には沖縄~北海道にまで拡がって、今は「最初のアメリカ人」の可能性が最新学説で注目なのです。

「日本祖代・祖人」を認識せず、その出発地である北海道の「先住」を鎌倉時代からのアイヌ(北海道大学のDNA分析) と やらなくて良い政治的なゴールポスト動かしを行っているのです。


更に、日本には下図E樺太、C朝鮮半島、B南西諸島の3方向からという誤りの図で世界に誤解を振り撒いているのは、子供たちに対しても罪な事です。 下図右のように、3方向からではなく、始まりは南から北上の1方向です。

現生人類は、アフリカで誕生(今、下図沿岸の赤点線が古く注目)し、ユーラシアへと出て、東進して早い時期に豪に至りました。そして、南米チリの遺跡が北米無氷回廊の開通より早い事が分かり、赤・黒点線の昆布ハイウェイKelp Highway沿岸ルートが今、陸上の「Beringia地峡越え」定説に替わって注目です。北極海の海水がstopされてましたので、沿岸は正にハワイに繋がる海でした。流石の欧米学界も「最初のアメリカ人」について、シベリアのマンモスハンターが、Beringia地峡沿岸の昆布ハイウェイKelp Highwayを舟で来たことに疑問が出ていますし、最新のDNA調査でも「単純にシベリアから来たとは言えない複雑なモノ」となっています。

問題は、日本学会が、図下空色の約4万年前九州に渡って来て、「日本祖人」は北海道に3万年前には拡がっていたというという1万件の遺跡に支えられた重要情報を世界に大声で発信していないため、太平洋沿岸北上ルートが描かれず、赤?のように訳の分からないアジア史になっている事なのです。

鎌倉時代に南下し始めたオホーツク人系のアイヌ(北大DNA分析)の「先住」のウソは世界学界に、いや我が子供たちに誤解をもたらしています。人権尊重だけ言えばいいのに、政治が汚しています。

今、下図現生人類の環太平洋移住MPOR自説は、「最初のアメリカ人」をも明らかにし、環太平洋仲間TPPは、不思議にも最新人類史研究に合った動きですと説明しましょう。

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米国のトランプさんが直接的な祖先を考えても図左400年前ですが、私たちの始まり時代は島国のお蔭で、図の1.ゼロが二けた違う民で、かつ、1万件以上の遺跡遺物に裏付けられた世界史上の「金メダル」と言っていい事が多くあります。

「日本祖代」には、図の2.外洋を舟で行き来し、3.その舟を造るためなどに石器をただ割りかいただけでなく磨いてよく切れるようにし、6.釣り針も使っていた優れた海の民系であることが分かります。そして4.陥し穴猟が出来る知力を有し、豊富な遺跡で5.降雪厳寒の北海道に適応したことも分っており、やがて氷河期が終わる温暖化の時期に生活を大きく変えた7.調理・保管等のための土器を生み出しています。まあ、図右—左下の芸術・精神性部門の「洞窟手型・壁画」のようなモノは見つかっていませんが、その暮らしぶりは驚くべき事なのです。そもそもあんな時代に、舟で家族が40kmという距離を「曙海」を越えて北部九州にやって来た知力・気力が、「金メダル」素材の人たちだったという事でしょう。そして、何よりも 16,000年以前の 「最初のアメリカ人」の可能性があり、今、世界学界の注目です。北海道から昆布ハイウェイKelp Highwayを行って、アメリカ先住民Nativeインディアンの祖先になった事が考えられています(鎌倉時代アイヌは、全く論外で誤解の元、悪印象操作 )。もはや子供たちに日本史の始まり時代を教えないのは、罪なことです。

日本の始まりについて、図左の緑葉ふんどしの南方人が北上して海を越えて九州に来て、「日本祖人」となったものです(納得ですよね)。図右の 南・西・北の 黄色3方向をよく見ますが、もはや歪曲印象操作と言ってよいレベルの誤りです。時代の全く違うものを併せているのは、北上史を誤解させ、アメリカへ向かって北上して行った可能性を表現してないので、世界人類史に寄与せず 、鎌倉時代以降のアイヌをも 誤解を与えています。先生は大陸・半島からとよく言いますが、出アフリカ後、内陸をどう移住してそこに至ったかを言うことは無く経路の痕跡も有りませんので、 歪曲印象操作だと言われても仕方ありませんね 。しかも南方から太平洋沿岸を北上して行った最もありうべき北東ア平野の沿岸「赤ルート」を認識していません。

沖縄も地域の遺跡遺物を観れば九州から南下して行った可能性が高く、樺太も北海道の白滝黒耀石の存在から北上を見なければダメです。日本列島史は先ず、南方から北上してほぼ列島中に行き渡って基盤が出来て、その後時代を経た後、西から北から新たな狩猟族が入って来たと認識すべきです。この事は我が国の生活の基本となる習俗や信仰の理解にとって、重要なことです。宗教、文字、制度、外からいろいろ入って来ましたが、 長い歴史の厚みから 、みんな「日本教」で和風に変形して取り込んでいます。「日本祖代」と次の縄文時代という、日本史の93%を占める長い 時間の積み重ねは決して無視できません。

GHQ/コミンテルンの尻馬に乗った歴史歪曲が解かれて、今、大和朝廷の成立に至る神武東征及び北部九州の邪馬台国・日巫子などが最新科学で明らかにされてきています。3点報告です。1.神武東征即位は下図右のように薩長土肥官軍が討幕したような類似性を感じます。そして他国と異なり、いずれも無血入城的です。

2.何故、南九州に天孫は降臨し、薩摩が討幕原動力であったのか。薩摩には英国や南方貿易が、そして神武東征の時代は太平洋沿岸の「越」や1年かかっても裸国・黒歯国にまで至る交易による先進的な地域力があった類似性を思います。3.そもそも近隣に同族が居ない「日本人とは何者か」は、出アフリカ後の人類史の流れから、過半が沈んだSundaland地域の「インマレイド」人種が太平洋沿岸を北上して約4万年前に九州に渡海し、大陸から離隔した日本列島に変化し残ったものと考えるべきです。そして、その後の「水稲農耕」、「青銅・鉄金属」なども、太平洋沿岸ルートの渡来であり、縄文人が朝鮮半島南部にも進出していた痕跡が示すように、「大陸、朝鮮半島から伝わった」は誤りで 、太平洋沿岸 からです。コメも東南アジアが先か長江かと議論しますが、「言語」同様に太平洋沿岸ルート上での伝播の話です。

1.約4万年前に始まった列島史、3万年前には沖縄から北海道まで拡がった全日本人の祖先は、日本祖人、2代目縄文人であり、縄文人と日本人を分けて書くのは差別ですよ。2.日本祖人、2代目縄文人は、出アフリカ後の南方発・太平洋沿岸系であり大陸内陸系では無いです。誤解を生む歪曲である内陸からの矢印は消して。そんな痕跡ありません。3.礼文島で発見された縄文女性は、耳垢湿系のはっきり南方からの北上系であり、アシカやトドを食した海の民・漁撈系です。

エスキモーなどを話に出すのは誤解を生む歪曲です。僅か3,800年前でも南方発・海の民系が維持されていた事こそ特筆すべきです。4.米先住民は、第2波ベーリング地峡系の影響は強かったですが、第1波の「最初のアメリカ人」を故意に無視しているのは世界の歴史学界に対し許されません。5.アイヌが70%縄文に近いと言うのも最近のゴールポスト動かしの歪曲です。北海道大学DNA分析の通りに鎌倉時代頃の南下オホーツク人系の子孫を「アイヌ」と規定したのです。礼文島縄文女性は、「アイヌ」の血など入って居ない無縁です。さあ皆さん、祖先の「日本祖人」を知らず、日本人、縄文人、アイヌ、などのゴールポストを勝手に動かす学者にご注意をと、「歴しニア」として子供たちのためにも言いたいです!

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