サルと別れて700万年前頃に人類への歩みを始め、~20万年前頃にアフリカで今に繋がる現生人類に進化し、13~10万年前頃には広く展開してやがて出アフリカを果たし、学者が注目する早い速度で同様緯度のオーストラリアに数十kmの海を越えて6万年前頃には拡がりました。第1図、北上して台湾に5万年前頃、落葉広葉樹もあった「北東アジア平野」の「曙海」沿岸を気温の低下に慣れつつ北上を続けて約4万年前に家族で海を越えて九州に達し、さらに北上して3.2万年前頃には、北海道と一部南下した者たちは沖縄本島に達したと考えられます(北上し一部南下した歴史)。

始まり時代には、先が分からない遠距離の慶良間ギャップ越えは困難で、台湾からの黒潮流越えも家族では容易でなく、先島の2.7万年前の人骨は台湾から来たとは言い切れないでしょう(台湾の学者は、当時の先島に魅力があったとは思えないと言ってます)。この基本から、本や博物館展示で列島に①、②、③の3方向から来たという説明は、方向も、また、ばらばらな時期からも誤り、誤解を招きます。後々に渡来してくる事と3方向から混ざり合うかのような図は全く違います。刺身を食べ、汁物を吸い、次いで焼き魚を食べるのと、3つを混ぜて食べるのは違います。

また、第2図2-1の縄文先代の「日本祖人」に似た人が、当然に第1図曙海のほとりにいたでしょうが、現在の国境外の人も含めて仮に例えば「ジャパカン人」などと国境を無視し勝手に「人」を命名して呼称すれば、隣国との無用のもめごとの元です。現在の国境内の祖先を「日本祖人」と呼べばよく、また、その頃は7世紀じゃないので日本など無かったなどともっともらしいことを言うこともないです。祖人も縄文人も、①中国人 ②朝鮮人 ③日本人のどれかと試験に出せば、国境を尊重している限り世界は③を選びますから。他の問題は第2図2-2、世界でも稀な始まりと拡がりの歴史が1万件を超える遺跡で言い得るのに、無あるいは先土器時代と言って、始まりをはっきりさせない不適切です。現在のところ、約4万年前以前の痕跡ははっきりせず、先の時代は見つかっても直接の祖先と言えないい“旧人”でしょうから全く別の話なのです。仮に4.5万年前の“新人遺物”がはっきり発見されたら、始まりを4.5万年前に修正すれば良いだけのことです。また、「後期旧石器時代」と呼ぶのは国際的なハイカラなようで英語のその呼称の時代は、日本とは異なりますので、結局誤解の元です。縄文人は世界の学者が知っていますから、先代の「日本祖人」Nihon Sojinは、約4万年前から1.5万年前だと言えばいいのです。すると「アンタの所は、始まりが言えるのか、凄いな。境はっきりの島国だからな」とびっくり羨み感心する事でしょう。始まりの約4万年前も第2図2-2、3.8万年前と本などにはありますが、一見厳密そうでむしろはっきり誤りです。確かに現在の日本最古は関東・東海の遺跡で3.8万年前ですが、北海道に拡がるのに数千年、台湾から九州が1万年を、まあ要しています。対馬に来て関東に直ぐに達する筈もなく常識から約4万年前と大数表現するが妥当なのです。

それにしても第2図、日本史の60%を超える期間を等閑に付してる現状は祖先に失礼なだけでなく、学問的に誤りです。まあ、最近はやりの宇宙ダークマターの重要性を思ってください。人間の本質変化は期間を要します、この長い期間に、正しい・誤り、美味い・不味い、好き・嫌い、美・醜感、タブー・・・などの重要な基本が言葉とともに形成されたことでしょう。その後の日本文化に特徴的な外来文化の取捨選択・換骨堕胎の基層が作られたと考えます。縄文時代を含めるにしろです。それに、なんと言っても相変わらず未だ縄文人は何処から、ルーツは?という愚問を立てて独り相撲している書が後を絶ちません。2代目なんですから、どこからも来ない、日本列島発ですし、ルーツは日本祖人に決まっています。明治人は何処から、奈良人は何処から、・・・そんな問いは意味ないことを分からなくさせているのが現下の大きな問題です。問いは、日本祖人は何処から、いつ、どのようになどにならねばなりません。そして、無土器時代人、先土器時代人、後期旧石器時代人など呼ぶ事が適切でないと感じられるように、「人」、祖先の意識を等閑視していることが 現下の時代呼称の大きな問題です。 ジャワ原人や北京原人の方がよほど「人」に注目していいぇ良いくらいです。列島への南北からの人の出入りはずっとあっても、現生人類「「日本祖人」から縄文人、・・・と入れ替えもなく続いているとみられていますので、極めて重要なことです。

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さて当時は、対馬暖流がまだ日本海に流れ込んでませんでしたので、北陸など日本海側に大雪が降らず、また長野に貴重な黒耀石が出たこともあって、本州中央の関東・甲信越が早くから繋がっていたことは特筆すべきことでした。 実は日本の国柄となる地域特色なども既に日本祖代に生まれ、骨格が形作られて来ていたことが旧石器の形式の少しづつの差異で分かります。最後に、DNA分析の専門家が「日本人とは、分かった」と本などで言いますが、おかしいです。仮にA地点、B地点、C地点の人のDNAが分かっても、どちらがどちらにどう移動したのかはDNAでは分かりません。始まり時代の出アフリカ人は、一般的には昼夜夏冬の気温差が厳しくない沿岸から川を遡行し上流奥地に達して残した遺跡もあるでしょう。海越えのオーストラリア行きの速さが示しています。照葉樹林の内陸奥地間を移動するのは、比高差・道なき植生繁茂・猛獣害虫など、赤子連れには大変です。沿岸汽水のマングローブ・落葉広葉樹域の海水面が低下した砂浜を歩き、舟も利用しての方がよいです。
第1図、「伊豆海峡」の神津恩馳島行きが示しています。

また、第2図下のように、DNAでは欧米的な小野田議員、中国・台湾的な金さんが、実際は日本人以上に日本人と言われ、日系4世君が仮にDNAはお二人よりも縄文人に近くても、日本語も話せず好み考え方はアメリカ的という問題があります。DNA分析の解釈は万能ではなく、日本人とはの血だけでないソフトの重要性があります。また、日本史は、そんなに大規模な民族移動渡来があったとは考えられていません。基本的に緩やかな渡来定着と大きめの文化影響です。日本中にマクドナルド店、スタバ店があったことが1,000年後に遺跡で分かっても、アメリカ人が大進出していた、子供たちのDNAが欧米化していたと解釈するのは誤りです。大事なのは実際の暮らしぶりです。

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第1図、北海道の地名を今は何でもアイヌ(鎌倉時代以降)のと言うのもはっきり誤りで訂正を要します。日本祖人、次の縄文人・・・などが舟を造り操作する、多数の陥とし穴を備えて動物を獲る、芸術的な土器を作るなど、あれだけの文化を示しているのに、山、川、動植物、・・・に名前を持たなかったなんてあり得ず、「日本祖語」の名前が有りました。全部アイヌが新しくしたなんてアリエンでしょう。そして、第1図、北海道の日本祖人は、千島列島からにしろ、樺太から北上したにしろ、世界が今注目の「最初のアメリカ人」として入って行った可能性があるのです。

このように大事な祖先、私たちの始まりの歴史が不適切なまま誤解に満ちて放置されているのは良くないです。東京オリンピックを機に、始まり時代の諸問題の認識だけでも子供たちに持たせる必要があります。 

明治時代のコロボックル論争の先達は、DNAなどは全く思いもよりませんでしたが、人類史が「熱帯・南方」地方(坪井)から北上した数万年(清野)の長さ(第1図)のものであることに気づいていました、不思議な凄さです。 日本人は「列島内で生成された」 と考えていたことも驚きです。

が、現生人類がユーラシア旧人が居る所に一旦北上して、寒冷適応を果たした子孫が強い勢力となって南下して来た「go-backで行き来した歴史」であることまでは分からなかったでしょう。尤も、今でも大陸・半島からモンゴロイドが南下して来た一方向しか意識しない人が多く、日本列島人の始まりに、北(沿海州・樺太)から西(ユーラシア内陸)から南西諸島方向ルートからの3方向と描いている 博物館などがあり、 ①次いで②という北上史をしっかり認識しない不思議です。

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南方からと違って北と西ルートは、出アフリカ後の4~3万年前のルート痕跡もなく、そこにどうやって来たのか(寒く大変な内陸移動でなく、沿岸から上流に河川遡行したのではないのか)、また、時期が違うものをミソも何も一緒に描いて歴史考察上の問題はないかと考えない不思議です。刺身を食べ、次いでご飯を食べそして冷やっこを食べるのと、一つの椀に3つを入れ混ぜて食べるのと全然違うものであることが分かっていない事と同じです。この日本列島史始まりの2万年強は、文化形成上非常に重要であり、その後の外来文化の取捨選択・換骨堕胎の元になっているのです。

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さて、アジア人の親子を今も新・旧モンゴロイドと雑に呼んでいる問題があります。第1図の出アフリカ黒人が東進して、親である原アジア人の「インマレイド」(原初Sundaland地域人)になってから緯度の北上には長期を要し、寒冷適応して子の「モンゴロイド」となって再び南下展開して來た(欧アの東西展開も含む)人類史は、基本的に「北上後の南下混合史」(欧州正面も)なのです。親に注目せずに2代目の子供である南下モンゴロイドに「古」を付した雑な命名は、モンゴル・ジンギスカンに心底驚かされ、Chinaを意識する欧州学者の偏見であり、人類史の認識を大きく過つ元です。更に、第1図を見て分かるように図東端の日本~台湾~フィリピン(比)は、欧州学者の目には無視され勝ちで、第2図、 太古を考える上で必須の半分沈んだSundaland大半島、北東ア平野・曙海、花綵(はなづな)列島(沖縄・与那国島~千島、アリューシャン)、「米臨海」などを人類史の重要ファクタ-として意識していないことをも示しています。

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従って、第2図の男性遺伝子Y-「D」グループの痕跡が、アンダマン・チベット・日本列島・カムチャッカ半島南部に何故残っているのか関心もなく説明もできません。出アフリカ後、横方向に展開して世界の学者が驚く速さで第2図のオーストラリア(豪)に数十kmの海を越えて展開しましたが、気温変化の少なかったことと沿岸の移動し易さが大きな理由で、沈んだSundaland大半島が正に「人類史の補助線」として注目されます。その大半島から北上し、大陸沿岸・比~台湾東部沿岸5万年前~北東ア平野沿岸~九州・日本列島北上~カムチャッカに長期間かかって展開して行った訳ですが、確かな人骨・遺跡で線として繋がらないために学説として言えていない学会事情もあります。

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この点で我が日本列島区間は、約4万年前から3万年前までに九州から北海道まで北上展開したことが1万件を超える遺跡で導かれており、世界史上で重要なのです。そして更に今、32,000年前の北海道「日本祖人」が、カムチャッカから米臨海の沿岸を舟でアメリカ入りし得たことも人類史の大問題「最初のアメリカ人」を巡って重要であり、引き続き太平洋東沿岸を南米南端まで展開した事(MPOR説)もムリなく考えられるのです。現在発見されていなくても、諸事象から推測して太平洋西岸の北上、東岸の南下、 そしてMPOR などの「説」を考え 唱える以前に、考えるための コト・モノの新しい適切な名称を新作することに学界は余りにも慎重過ぎます。子供たちはこのような問題意識も、先達からの学説史も、世界の新説動向も何も教わっていないのです。

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従って、最近、「インド太平洋構想」とか、「自由貿易の環太平洋TPP」とか新し気に言ってますが、数万年前から先祖は既に歩んでいた流れが第2図からよく分かりますよね、温故知新。

北海道先住のコロボックル小人を巡る明治時代の論争は、文明開化後の近代日本学術の確立に向けた学問意欲の成果です。坪井教授は、白人、黒人等の人種や日本の土蜘蛛とさげすまれた人などに、人として何の区別もなく、人猿も同祖と言って真理追求に邁進しました。日本列島に人種交替などなく、最古人以来この列島で育まれた、また、人類起源地は熱帯地方、コロボックルはアメリカ先住民と関連ありなどという視野も当時として素晴らしいものです。これらの中には、現代学界が最近達した高みの事すらあります。(学問研究法の成果は略します)

清野教授の日本原人論は、 始まりに光を当てた 「最初の日本人」真理を探求された事もさることながら、実施可能な地道な研究を通じて、始まりの原(*祖)人の均質性や日本人が列島内で生成されたことの実証、また、2~3千年間という学界の歴史認識の中、列島史に数万年までの視野を持たれました。実はこの種の研究が、当時は皇室尊崇にいささかの誤解も持たれぬよう難しい状況で行われ、憎めない「コロボックル」名称は、研究のコードネームであったかのようにも感じられる良い面がありました。現代の学者が、コロボックルと聞いて相手にしないようなら余りに狭量で、今再び当時の論争に現代科学の光を当てて、成果の継承進化を図ってほしいものです。当時の先達が、刺されることも牢に入ることもなく、学者の良心に従い、慎重・地道かつ大胆に論争して真理を探求され、無論、過誤もありますが挙げられた成果の大きさに驚き、 その研究努力と論議に 敬意を表するものです。何しろ現生人類の出アフリカも、DNA分析も、黒曜石原産地特定も、太古の地域や環境の変化すらも全く知り得ず、発掘も極めての制約多い中での研究でしたから、凄いの一言です。こういう「コロボックル研究」のようなものなら、文系理系を問わず、多大な科研費投入に何の文句もありません。

さて、当時の皆さんに、北海道大学のアイヌDNA分析からの結果をお知らせしたらどういうことになるか、口角泡を想像するだに楽しくなります。現代の学者が 我らが 祖先の始まりに熱い議論もなく、さっぱり最古列島人からの先史を総合的に教えてくれず、先達の 研究の曲折や成果すら子供たちに教えないのが不満です。なお、参考にさせて頂いた三上徹也氏の「人猿同祖なり・坪井正五郎の真実」―コロボックル論とは何であったか―は、素晴らしい労作で一読をお勧めします。今、2.7万年前の石垣人遺跡の国指定という良いニュースも飛び込んで來ました。


北海道大学のDNA分析で鎌倉時代からのアイヌ(第1図)の伝承に、女性がアイヌに捕まって辱めを受けたことに怒って千島の方に去った“蕗の下の小人”コロボックル(第2図)の話があり、江戸時代から既に北海道のこの小人話はありました。

明治時代になって考古学が生まれ、札幌の竪穴遺跡などがアイヌの物ではないとして、学界でアイヌよりも先住人のコロボックル論争が起きました。アイヌの伝承を信じるかどうかでも論が分かれましたが、怒ったコロボックルが去り際にアイヌに言った呪いの言葉「トカップチ(水は枯れろ、魚は腐れの意)」が十勝の地名の由来ですから無視は出来ません。 活字だったら間違いなく学界は相手にしているでしょう。明治32年、鳥居龍蔵が「北千島を調査したが、コロボックルは居なかったし話もない」として決着し、大正時代には小説が書かれて「妙な神様が居た」と扱われ、第2図のようなことになっていってます。

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しかし、東京人は知りませんが十勝の蕗の下の人は、第3図のようなものであり、コロボックルはアイヌより少し小柄であったという話もあります。何よりも今、「最初のアメリカ人」が、第4図のように来た太平洋の沿岸を舟で来た小柄な人となってますので、入れ墨し漁労に優れ貝を食したというコロボックルは大いに注目されます。16,000年前を議論しているときに、明治後半に行ったが居なかったというのは何の不在証明にもなりません。北海道先住コロボックルに再び光を!です。

最近、最初のアメリカ人は、第1図の太平洋岸の昆布ハイウェイを舟でやって来たと定説が替わり、分岐点ジャンクションのコロンビア川地域では、アメリカ最古の石器・糞石・人骨などが注目される第2図A地区ですが、別の点でも興味深いです。米大陸は、5~4千万年前には欧州やシベリアと繋がっていて、タイガー、馬、鹿などが入ってきており、やがてはマンモスも来ています。

ところで第3図の古くから居るピューマですが、赤道付近の暑い所では小型 で、寒い所では大型というA,B,C区分のベルクマンの法則どおりです。しかし、万年前でも新しい北米の人間は高緯度のA地区でも小柄であり、言わば入って来たままで法則と違います。もっと新しい極北のイヌイットなどは熱放射を少なくする高い座高・短足という第2図の別のアレンの法則が見られます。
イヌイットよりもずっと古いA地区の人たちは、小柄で舟で入って来てますので、「日本祖人」は有力候補なのです。

上図の南米は基本的にはベルクマン法則ですが、沿岸が不明なのが興味深く、小柄であれば正に「日本祖人」などの南下でしょう。古いシベリア人が、ベルクマン法則に従っていたのか、それともアレンの法則なのかはよく分かりません。因みに、北から入って来たアイヌの伝承では、北海道に古くから居た小人が追い払われたように伝わっていて、明治時代には学会の大論争になりました。データが沢山加わった今、このアイヌの伝承の小人には、最初のアメリカ人問題で、再び光が当てられるべきでしょう。

Human migration to new American Continents might have started from Hokkaido since 30,000 BP . The route ① was along the coast of Beringia and down to south. It’s also known as the “Kelp Highway” now. Original Japanese “Nihon Sojin” families crossed Akebono sea by boat and had started life in Kyusyu, then prevailed to Japanese Archipelago by 30,000 BP from Okinawa south to Hokkaido north. Ancient Akebono sea and Bering sea should be paid attention more as cradles for Japanese and American natives. The environmental situation of those for ancient people aren’t so clear though. One for Bering sea, cold water of North Pole sea had been stopped by Beringia land bridge and connected with warm sea around Hawaii.  

オリンピックのマラソン、競歩が札幌に決定とのニュースです。実は別の話ですが、新人類展開の最後の謎と言っていい「最初のアメリカ新大陸人」問題について、Japanすなわちそれは北海道を意味しますが、8月末にはっきり活字になりました。現生人類の最初のアメリカ新大陸への移住は、大まかに①~④まで説があり、②ルート(無氷回廊)が定説でした。

今は、新大陸西沿岸ルートが有力な新説になっていますが、図の②シベリアが「アジア」となっているように、新説でも欧米はシベリアから西沿岸へという認識だろうと思います。ところが、Scienceが最新の遺跡発掘のレポートにおける 研究者の発言 として、図右のように北海道発①を意味するJapanを活字にした訳です。アフリカ・ボツワナを13~10万年前に動き出した新人類は、出アフリカ後の南方から緯度の北上を重ねて約4万年前頃に渡海し九州に、3万年前には北海道の雪と寒気に適応し、「日本祖人」は北上を続けて舟で米新大陸沿岸から進入した有力候補と考えられるのです。

次代の縄文人は16,000年前の進入に間に合わず、無論、鎌倉時代以降(北海道大学のDNA分析)のアイヌは論外です。欧米の縄文人やアイヌという誤解を解くのはもとより、子供たちに学校が何も教えない、この世界注目の問題を教える必要があります。

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