米オレゴン州立大が、アイダホ州西部遺跡で発見した石器や炭、動物の骨などは15,000~16,000年前で、北米氷床を考慮すれば、最初のアメリカ人は、太平洋沿岸から舟でやって来たのであり、また、この時代の北海道・遠軽白滝の石器に類似していると発表し、Gigazineニュースが伝えています。ワシントン大グレイソン教授は、石器の類似性に関して慎重であるべきと言い、サンディエゴ大のブライエ教授非常に興味深いつながりとコメントしています

いずれにしろ、日本祖代研究会がお伝えし続けてきた、北海道先住「日本祖人」Nihon Sojinのアメリカ新大陸移住が、米国のみならず世界の重要課題として論議される事でしょう。オレゴン大からは、石器の類似性に関して遠軽白滝の名が出ましたが、当然、発地である十勝帯広から北方領土・千島列島ルートが浮かび上がります。お伝えした「伊豆海峡」の漕舟行き来の金メダルに次いで、

「日本祖代」Nihon Sodaiに渡った北海道から最初にアメリカに行っていれば、2個目の特大の世界先史金メダルが期待されます。なお、アメリカ先住民Native Indianを、祖先故郷のオリピックに招待する話にもなるでしょう。なお、2代目の縄文Jomon人は当時まだ生まれておらず、鎌倉時代からのアイヌは全く対象外ですので、世界の誤解を解きましょう。(科学誌サイエンス8月30日号参照)

皆さん、宿題は終わりましたか? 実は、38,000年前の大昔(海水面が数十mは下がっていた時代)から、「伊豆海峡」を舟で越えて「東京諸島」の神津・恩馳島に黒耀石を採取するため、舟で行き来していた事が、沼津で見つかった物を蛍光X線分析して確認され、年代測定から世界最古の舟による現生人類祖先の生活としての操舟として認定され、金メダルなのです。

神子元から恩馳が直線で50数㎞、城ケ崎から大島が約20km、幸いにして一番問題の方向維持は、太陽(御神火も?)と北極星がありました。どう行き来したのかは未だ定説が有りません。行き来では、黒潮分岐流の流れにムリなく乗る事が大事、伊豆諸島側ではかなりの距離、浜を舟を引いて歩いて行く事も出来ました(直接渡ったと「日本祖人」に叱られるかも)。オジさんの答えはと訊かれれば、有名な河津・見高段間の縄文黒耀石工房遺跡―今井浜は、縄文なんかじゃない、その前の「日本祖代」からの、交換であちこちから人々が集う中心地であったと思います。北極星・黒潮分岐流乗り・太陽(御神火も?)がぴったりですし。因みに伊豆は、良質船材で応神天皇の時代から有名で、枯野は軽野で「カヌー」の語源と言う説があり、しかも米大陸にやって来たコロンブスに教えたという説もあります。

約4万年前に「曙海」を渡って来て始まり、3万年前には列島中に拡がっていた「日本祖人」は、長い海岸線での海辺の暮らしと1万件を超える遺跡の石器や活動・居住などの痕跡から分かる、狩猟採集の暮らしをしていました。

注目すべきは、現在の都道府県の区分の暮らしぶりの違いが、始まりの先史時代から既に窺われる驚きですが、それが長い時間をかけて島国でゆっくり熟成されたモノなのです。

そして、始まり時代に対馬暖流が流れ込んでいなかったので大雪が降らなかった事、長野山梨八ヶ岳や伊豆神津島における貴重な“黒耀石”の採集と交換により、中央部の連接と発展が正に現在を思わせるようです。その後、2.9万年前頃の南九州姶良大噴火による被害のため、相対的に東日本が充実し、最寒期を過ぎて列島中に弓矢や土器という生活文化の普及向上が見られ縄文時代となりました。温暖化による列島全域の人口増加とその後の寒冷化による減少や南下を経て、曙海の西から稲作と金属器の大きな文化の伝わりによる変化がゆっくり北上(図の橙色線)して行きました。

「日本祖代」と縄文時代という日本史の93%の期間を占める時代の暮らしの影響は、これまで無視されがちでした(日本史は室町時代からで十分という暴言)。しかしその期間に、何が良い・悪い、好き・嫌い、きれい・汚い、など生き方の基本が出来上がったように思われます。その後に渡来人が増え、稲作や金属、律令制や仏教やキリスト教が入って来ても、先史時代に熟成された島国の“日本教”に照らして取捨選択、換骨堕胎の和風化をして来たため、最近では、「日本文明」と言われるようになりました。92.5%の厚みなしにはとてもそうならかったと考えます。霊を山を敬い、水と緑の樹木を大切にし、生魚・海藻を好み、セミや虫の音が雑音でなく風流に聞こえる事などは、夏に感じる子供たちに伝えたい日本文化の特色でしょう。

万年の昔にシベリアからマンモスを追って、ベーリング海峡が陸続きの時にアメリカ新大陸に入って来た、無氷回廊を通って各地に拡がった、クロービスの尖頭器石器も発見され古人骨も見つかって来て、定説となりました。

ところが、入って来た無氷回廊がまだ閉まっている時期の古い遺跡があちこち、特に南米でも発見されて騒ぎが始まりました。一番古く確かそうなのが、カナダ五大湖そば米北東部のペンシルバニア州メドウクロフト遺跡で16,000年前の石刃石器などが確認され、どうも早ければ19,000年前から岩陰が使用されていたようだとみられるという報告です。付近に他の同様の遺跡が有ります。学者さんの世界も時に投票があり、この報告などから「良い古い」と認めるのが38%となっていますが、未だ確定定説とは言えないのでしょう。やはりベーリング海峡地域に1.6万年以前の皆が認めるはっきりした遺跡の無い事が、判断を迷わせる大きな要因でもあるのでしょう。

さてここでミステリーなら、“犯人”は、②昆布ハイウェイから、③太平洋を横断して、④実はコロンブスよりずっと早く大西洋を横断して、いや⑤ご先祖様は初めから此処で生まれた、という状況です。北海道に3万年前に「日本祖人」が暮らしていたことは十分認識されていないようです。世界の学界でも本件に関連した遺物や人骨に関して縄文Jomon(祖人に次ぐ2代目)、アイヌAinu(鎌倉時代以降)と話が出ますが、1.6万年前には全く彼らは登場していないのです、日本側学者の状況説明が不足のまま誤解が放置されているのです。子供たちにもそんなことは勿論、北海道先史が今、世界人類史の大問題だとも教えられていないのです。

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