インドネシアの「歴しニア」である盟友Dhani Irwantoが、Sundalandについて研究し、このほど書籍になりました。

19世紀末に、欧州人科学者によって東南アジアの海図作りが進められました。

1921年、蘭人地質学者の Gustaaf Molengraffは、広範囲の海底に何本もの河筋が有るのを発見してかっては大陸地であった事を明らかにし、1949年、 Reinout Willem van Bemmelen が「スンダランド」と命名しました。

7万年前~7千年前頃までのこの過半が沈んだ大半島陸地は、正に出アフリカ後の最初のアジア人の故地と考えられる地域であり、「インマレイド人種」の存在と暮らしを想定するものです。

人類は南から北に移動移住し、降雪寒冷の地の暮らしに適応して、目・顔・体形などが変化して「モンゴロイド」が生まれましたが、最初の人たちを古モンゴロイドと呼ぶのは適切では有りません。

既にアジアでは、人の歯型が、南のこの「スンダドント」型と北の「シナドント」型に分かれるのは知られています。

そして、アジア人始まり時代の南方の海・川辺の暮らし振りと降雪寒冷の内陸狩猟族の暮らしぶりは異なる事にも着目すべきです。

スンダランドの人たちは、先ずは、豪州に舟で外洋を渡った世界史上の初めての特色を有する人たちなのですから。

そして、我が国始まりの「日本祖人」は、ともかく4万年前頃に家族で舟に乗り九州に渡って来て、北海道にまで拡がった人たちで、3.75万年前頃には伊豆・神津恩馳島に舟で黒耀石を採りに行っていたことが確認されている人たちなのです。

そして、こちらでも上図の沈んだ「北東ア平野」が、「曙海」が我が国の始まりを認識する重要な当時の状況なのです。

即ち、スンダランドや北東ア平野は、父祖の現生人類史の始まりを正しく理解する「補助線」なのです。

(了)

 

いよいよクリスマス、そして年末ですね。

さて、クリスマスと言えばイエス・キリスト様ですが、下図のように英人医療アーティストがその復元を図り、世界に衝撃が走りました。

しかし、前回お伝えしましたように、白人(実際は薄い褐色、髪は黄色)のコーカサス人種が、聖書の「ノアの方舟」話に依拠しなくすれば、衝撃でもなんでも無く納得しうるものです。

世界の学界をリードする欧米が、このキリスト像をベースに、ノアの方舟話を外して考究すればと思います。

こんな事は、アジア史も全く同様です。

新・旧モンゴロイドしか用語が有りませんが、少し考えれば分るようにモンゴロイドが北に降って湧く訳は有りません。

出アフリカ後に、歩いて行ったルートが有るのです。

それは出アフリカ・ネグロイドから直接的にか、上図の「インマレイド」から北上し、降雪寒冷適応を果たしたものです。

日本人の祖先は、4万年前頃に列島に舟で渡って来て拡がった「日本祖人」ですが、その人と暮らしぶりを考究するには、この「インマレイド」を認識することが大変重要で、世界人類史の考察においても意義深いと考えます。

この「インマレイド」は、下図の東南アジアの大昔の大半島陸地であるスンダランド(パンカル半島)の過半が沈んでしまっている事が有ります。

また、その後の歴史においてモンゴロイドの南下の影響が大きい事などから十分にその意義が認識されていないようです。

まさか、その地域は、学界をリードする欧米諸国の植民地だったからという事は有りませんよね。

ともかくアジアはモンゴロイドというのは余りに荒っぽ過ぎで、歯だって南北2つの大区分ですよ、と、先生方に噛みつきます!

Merry Christmas & Happy New Year!

(了)

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