前回の内容から、下図の渡米Aタイプ論も掲題に関係し、図右の4つの「無い」が我が結論です。

先ず第1は、降雪寒冷地問題です。米Harvard医科大は、アマゾン古部族のDNAがSundaland・豪州地域の先住民に近いという驚きの発表をしました。

此の意義は重要で、降雪寒冷地適応をしていない古い人がアマゾン流域に今も居るという事です。

万年の昔に人類が太平洋を直路横断したと考えている学者はいません。

そして、Aタイプ渡米論を知ってない人はいても否定する学者はいません。

最後に、一部に縄文人が直路アメリカ大陸に渡ったと言う人が居ますが、渡った大陸で成立するだけの多数の家族が直路渡ったとは思えません。

これらから、実は日本人は何処から?は、海の昆布ハイウェイをボーリング調査しなくても、降雪寒冷地適応のDNA変化とは何か、いつ頃からか、また、アマゾンの古部族とはどういう人たちか、ということによっても人類史の流れの中で考えられます。

この4つの「無い」でなく、Aタイプが「有り得た」ことをサイトでは既に報告しています。

千島列島は、行くての次が見えていた食料豊かな処女地でした。

実はベーリング海沿岸は、真冬の気温に想いのほか差が有りません。また当時は、北極海の冷水が地峡で止められてベーリング海に流れ込まない、今と違って温かくもありました。

複数の考古学的な事象から人類史の課題に迫る「理論考古先史学」の仮説であるところのMPOR(Migration along Pacific Ocean Rim)説と日本祖人渡米説を、相互に関連するものとして提示している訳です。

(了)

 

今回、カリフォルニア大学(Berkeley)研究者が、米先住民のシャベル型門歯は、2万年前の最寒冷期にベーリング地峡を越えて渡米するのに、お母さんの乳から脂肪やビタミンDを摂取するための突然変異だったとサイエンス誌に発表しました。

現在、人類の最初の渡米は、ベーリング地峡南岸の昆布ハイウェイだったろうと言われています。

他方、欧米学者は、シベリアから来た下図のBタイプのイメージを持っています。

しかし、今でもシベリア内陸の真冬はー60℃で人の死亡がニュースになっており、ムリです。

2万年前の渡米となれば、3万年前の北海道からのAタイプを、そして言語を含めた環太平洋の近似性に注目して欲しいものです。

さて、日本人は何処からについてはよく縄紋時代から論じられてますが、Sundalandを考え、日本列島史の大半を占める上図の日本祖代・祖人を注目する必要があります。

末期には既に大陸から狩猟族が入って来ていますし、縄紋末期にも大きな移動がありました。

基本と言って良い形としては、①南西諸島・九州一部の「南部」、②東北過半・北海道の「北部」、そして③「本州」という3区分が、認識されると考えます。

そして、日本祖人は九州に渡海して来て北上し、北海道にまで拡がった一方向性の認識が重要です。

その期間の長さ、その後の推移を考えても、「日本祖代」は少なくとも文化的には列島史の基層ですからご注目を。

(了)

この度、石垣島で発見されていた27,000年前頃の人骨のデータから復元され、3次元プリンターを使って出力された、発見された「国内最古の顔」として、縄文前の「日本祖人」の一例が公開されました。

祖人は、4万年前頃に九州に渡海して来て、3万年前頃には北海道にまで拡がっていましたので、此の公開された顔のようなSundaland・南方から来た人々が、曙海の畔、日本列島中に既に拡がっていたものと考えます。

前回報告のように、伊豆ではそのはるか昔に黒耀石を採取に伊豆海峡を行き来していました。

当サイトでは、最初の日本祖人は北部九州へ渡って来たものと考えています。

さて、此の石垣人は、台湾山地から数十kmの黒潮を渡海して八重山地域に来たのか、それとも九州から南下して奄美、沖縄本島経由で石垣島にたどり着いたものか、2通り考えられます。

27,000年前なので、その頃には台湾山地から直路来ていたかも知れません、全く何とも言えませんが。

春から縁起の良い事です!

(了)

ナショナルジオグラフィック誌が、アフリカでの30万年前の現生人類・新人に係る発見を含む最新状況を4月号で特集しています。

日本列島史もしっかり世界史に位置付けられています。

問題は、①日本の始まりは南の九州から北海道への拡がりですが、時期をまぜこぜにして北からも同時期に来たような記述が国内資料にもみられる誤解です。

②千島列島が真っ白なため、普通の渡米有力ルートの認識が無いです。

特に、食料が期待できる手つかずの次の島が見えていましたし、せいぜい80km以下ですので、これまでの人類史から渡っていかなかったと考えるのは不自然です。(あのプーチンはいませんでしたし)

③Sundalandは過半が沈んだため、アジア・オセアニア史の重要地域でありながら、そこからの北上という普通の重要ルートの認識が不十分です。

④「昆布ハイウェイ」を通ってもっと早く渡米していたと考えないと、あんなに早く南米南端まで行かないでしょう。

当時は、Beringiaによって北極海の冷たい海水がベーリング海に流れ込まない温海で、ハワイに繋がる海の北の「昆布ハイウェイ」を行った事でしょう。

更に、実は今でも北海道とベーリングの例えばナバロン岬などは4℃程度の差しかなく、シベリア内陸の-60℃と全く違うこともよく認識されていません。

いずれにしても、私は世界に対する日本学界の説明アピール不足だと考えています。

(了)

 

前々回、世界史上の驚異として3.7万年前に20kmの黒潮分岐流を越えて、伊豆諸島で黒耀石を採取するため行き来していたことを記しました。

しかし、始まりを考えますと4万年前に40km以上を越えて北部九州に来ていますので、日本人にとっては不思議でも何でもありません。

始まりは、五島列島であったも知れず、また、南西諸島・与那国島であったかも知れませんが、移動・移住の容易性から対馬の可能性が高いと考えています。

そして、3万年前にはほぼ列島中に拡がっていましたから男女で来ており、また、距離と水深が10m以上ありましたので舟(筏含む)で渡って来ています。

いずれにしろこの古さでこのように始まった日本祖人は、やはり世界史上の特色ある、特筆すべき人たちです。

海を越えて来たこの人たちが、北海道で留まっていて北上しなかったと考えるのは不自然です。

無人の島・沿岸をアメリカまで行ったことでしょう。

他方、史実の裏付けのないアイヌ「先住民」国会決議(平成20年)は、訂正です。アイヌ「人権尊重」決議へと。

対馬いや九州の人たちですら「先住民」などと、誰も主張していませんので。

なお近年になって、始まりの対馬の地、地域の文化の防衛対策が求められているように感じています。

(了)

 

(石田雅彦2018.4.4記事から作成)

スイス・チューリヒ大学と東京大学などの研究グループが、世界から集めた内耳(蝸牛含む)サンプル221から、3D立体データとして今回その分布特性を発表しました(発表図から筆者が作成したデータに人類足跡を加図したものが下図)。

チームは、人類がアフリカ起源であり、そこからの離隔がよく内耳の違いに合致して示されていると本研究の意義を評価しています。

また、インドネシア人は、先史時代は黄色の豪州やパプアニューギニアに近似しているが、現在の人たちはマレー諸島からの移民としています。

ここで注目すべきは、黄色の豪州と北米大陸北部地域の近似性です。

此の近似性の説明は、当サイトの先史時代におけるスンダランドから日本列島経由のベリンジア、南米まで、という日本祖人・子孫がしっかり含まれる環太平洋移動・移住MPOR説を裏付けるものであると考えます。

これまで報告してきました、Harvard医科大のSundaland地域と古いアマゾン部族のDNAの近似性やミトコンドリアからの人類史などとも併せてよく理解しうるものです。

(了)

日本祖人、日本祖代?聖徳太子も龍馬も松陰も信玄も・・・で、もうムリという人、何がゆとり教育だ、亡命しなさい!

世界史から見た日本史の1番の特色は、 37,000年前に黒潮分岐流を越えて伊豆大島へ渡り神津島の黒耀石を取りに舟で行き来し、かなりの日本語を話し、広域の物々交換をしていた痕跡が見つかる驚異的なことです。

そして、ミトコンドリアでなく、最初の日本列島「人男」(偵察)がいたことです。

しかし、祖先(現生人類・新人)である日本祖人は、4万年前頃に北部九州へ曙海を渡海して来て歴史が始まっていますので、この大業も理解できます。

次の特色は、そういう早い段階で、関東に最も人が多く、かつ関東・甲信越が連接していた事、即ち太平洋側と日本海側が併行し、南西諸島へも発展していました。

時間は1万年かかりましたが、北海道にまで生活圏を拡げて「この国のかたち」が出来上がり、更に北上して行ったことです(おそらく、昆布ハイウェイを通ってアメリカ大陸一番乗り)。

そして、その歴史の痕跡である旧石器の進化と分布を考えると、北海道、東北、中日本、西日本、南西諸島といった違いのある今の特徴が、万年の昔に原型が概ね出来上がっていたのです。

その理由は、万年前の人々の列島への進入の時期、暮らしぶりの違いによるもので、最初の南方海の民系の所に大陸の狩猟族の人たちが、その後水稲を作る人たちが入って来た混じり合いの織りなした模様なのです。

列島中に拡がった最初の1万年間から、縄文時代の前の日本祖代という2万数千年の間に東北大震災など比較にならない西日本の大災害を乗り越え、東は太平洋という行き止まりの地で今や「日本文明」と世界で呼ばれる熟成がなされました。

日本祖代の基礎の上に、土器が生まれお米が仏教が律令制が鉄砲が入り、黒船が来て、海外進出し、進駐軍が、旅行者等が来て、今があります。

何故、大陸・半島の人たちとちょっと違うと世界で評されるのでしょうか、忘れられがちな始まりの日本祖代の物心の暮らし振りにもっと注目すべきと考えます。

日本史は○○時代から知れば十分という人、傲慢ですよ、来年の入試には落ちますよ。

(了)

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