祖先の日本祖人(Nihon Sojin)は、4万年前頃に九州に渡海し3万年前頃には北海道にまで拡がっていました。

当サイトでは、ベーリング海が、地峡Bringiaによって北極海からの冷水が流れ込まない温海であった事を一つの理由に、日本祖人が、食料豊かなKelp昆布ハイウェイを経て初めて渡米したと考えています。

千島列島は次々に島が見えていましたし、Kelp昆布ハイウェイは、食料が豊かでした。帯広沿岸とベリンジア沿岸の真冬の気温は、思いのほか差が少なくてシベリア内陸の—60度Cとは比較にならないです。

今回、カナダ西海岸のCalvert島で、ハカイ研究所・ヴィクトリア大学McLaren教授によって、13,000年前の日本祖人と思われる足跡が29個発見されました。

縄文人を、その生活が全国に定着したことをもって13,000年前頃からとすれば、この足跡は日本祖人となり、土器発見の16,500年前からとするなら、祖人の子孫の縄文人の可能性がとなります。

今回の足跡は、Kelp昆布ハイウェイからですので、海の民系の日本祖人の方が、シベリア内陸狩猟族系よりも可能性が高いと考えます。

万年の昔に、シベリア内陸狩猟族のマンモスハンターが、舟を操る沿岸の海辺の暮らしをするのは、思いのほか難しいものなのだと考えていますので。

(了)

最初のアメリカ人は?

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人類史の方では、最近、北アフリカで30万年前とみられる現生人類の痕跡が発見されたというニュースが入っています。

そして、その展開に関して最初のアメリカへのルートに当ページ提唱のSundaland-北海道ルートを記載したものが初めて登場しました。

まだ、南米までは考えていないようですので、かねて提唱の環太平洋移動・移住MPOR説で加筆して報告とします。

そして、表題の最初のアメリカ人は、こちらのルートだとも。

細部は、これまでの累次の掲載分を参照してください。

(了)

ネットでは繰り返しミステリーとして登場する本問題、その都度新たな人たちに当サイトのMPOR説を提唱し続けています。
ハーヴァード医科大が見つけた、東南アジア地域と遠く離れたアマゾン地域の2つの地域の古DNAが、他に見られない不思議な近似のミステリー。

大昔に太平洋はまだ直路では渡れません。

そこで、

過半が沈んでしまった人類史の補助線「スンダランド」、

近頃は認知されてきた食豊かな「昆布ハイウェイ」、

そして学界では名前すらまだ無い日本列島始まり4万年前からの現生人類・「日本祖人」(縄文人は2代目)、

などから環太平洋移動・移住MPOR説が導かれ、世界史の重要なミステリーの解だと提唱しています。

(了)

ネットで見つけたミトコンドリアDNAから見た現生人類の展開史に考古遺物からのものを加えました。

そのポイントは、やはり、8千年前頃に過半が沈んだ半島大陸地Sundaland は、沈んだがために現代の調査に反映されにくい人類史を読み解く補助線です。

そして、旧石器遺物で明らかな4-3万年前の日本列島の意義が、なかなか世界的には認識されていません。

(了)

環太平洋パートナーシップTPP協定が結ばれるそうです。

世界の私たちに直接繋がる祖先の現生人類が、アフリカ地域からSundalandに拡がり、日本列島からベリンジアを経てアメリカ新大陸に渡り、南米南端まで拡がったとする当サイトの万年前のMPOR(Migration along Pacific Ocean Rim) 説とよく符合しているお仲間たちの肩組みです。

日本史は、○○時代から知れば十分という人、無知傲慢です。

なお、このスタートが、あちこちの30万年前の人骨か?という発見で、現在、揺れています。

(了)

4万年前からの日本祖人は、その後の百mにも及ぶ海水面の上昇により、当時は主だった沿岸の生活痕跡は消えています。

従って、曙海のほとりから北部九州に渡って来た海の民であったことは想像されますが、その痕跡の発見は困難です。

いわゆる旧石器時代の特に4~3万年前の遺物、遺跡によって、その足跡は窺えますが。

今回、ティモールの北側、インドネシアのアロール島で12,000年前とされる埋葬された成人女性のアゴの傍に、世界でも珍しい事ですが、副葬されたツメタガイ系の釣り針が発見されました。

調査に当たった豪国立大の研究者は、男性が主体の釣りの時代に彼女自身が高名な釣り人であったのでは、しかもその釣り針の形状から深海魚の釣り手だったと考えています。

この地域では、ティモールで2万数千年前の舟で釣った外洋魚の骨も見つかっていますし、更には数十㎞の海を家族で越えて6.5万年前頃には、豪州に渡っていると考えられています。

こういう人たちが北上して赤道地域とは違う気候への適応に長期間を要しながら、日本列島の北部九州へ数十kmの海を越えて家族で渡って来た訳です。

外洋の荒海数十kmを家族で行くための舟造りや操舟という海の民のknow-howは大変なものです。

内陸狩猟族の人たちが海辺に来て、とても一朝一夕で出来るものではないと思うのです。

そして、この海の民の人たちの様々な暮らしぶりは、絶えることなく日本列島史に様相が刻まれています。

その海辺・川辺の生活は、弥生時代の米作りの渡来を大きな契機に、徐々にコメやられてしまいましたが。

しかし、アメリカへ初めて渡って行った人達であろうことは特筆されて良いと、環太平洋移動・移住MPOR説者として、強調したいのです。

(了)

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