日本祖人の痕跡発見?!

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「歴しニア」の報告ー「日本祖人」の痕跡発見?! https://youtu.be/BGrhO1ntyYo
日本列島始まりの人類である4万年前からの「日本祖人」の渡米の痕跡は、時代があまりに古く、主体は海浜であったことから発見は困難です。

しかしながら今回、米国考古学誌Archaeologyに、カナダ・モントリオールMontreal大学の発掘結果が掲載されました。

既に長期間の発掘が続く中で2.8万年前のマンモス化石が発見されている考古学宝庫(魚の)ムツ(類)洞窟において、遺物の3,600もの骨を分析した中に、馬のあご骨に石器で傷を付けたものが見つかりました。2.48万年前とみられるというものです。

馬のあごの骨に残るV字型(右端)Archaeology Magazineから

向こうでは学者先生が、年代を議論していますが、3万年前に北海道太平洋岸を出発しています、そして当時のユーコン川は今同様に旧ベーリング海に注いでますので、お伝えしています様に「歴しニア」には、何の不思議もありません。

洞窟の名が魚のムツ類Bluefishであることも実によく海の民に付合しています。そして、痕跡は、島か高地奥地に残るということにも。

人類の海の民の環太平洋展開(POR 、RLPP)論を示す痕跡と考えています。

定説である「人類のアメリカ進入は、シベリアからベーリング地峡を狩猟民族がマンモスを追って」というイメージを見直すべきと考えています。

今年は、カナダ建国150年、来年は明治維新150年、合同研究はどうだろうかと夢想します。

(了)

「歴しニア」の思い Facebook:Nara Akira

100年前ならはっきりです。日本人は、変なヤツと言われていました。下写真の魚介海藻を、嗅げる・触れれる・食べれる・好んで食べるという点で世界はザクっと二分されます。

内陸肉食系と海浜河川の生魚・海藻系にです。特に、海藻を言葉にするとはっきりします。

人類の環太平洋(POR)進出説は、南米アンデス4,000m級高地の人が何故、手間かけて海藻を入手しようとするのかを説明できます。

飛騨の山奥へ行ってもこれらは好まれますし。食育とは、こういう物の味を伝えていくことも重要です。実は、古い暮らしの痕跡は島や高地に残るものなのです。(誰だ、トロ・ウニ・フグ・海藻などの味を他所に教えちまったのは?)

万年の昔よりも海水面が100m以上も上昇していますので、沿岸に痕跡を見つけるのは誠に困難ですが、石器やDNAなどの調査と共に、こんな食の特色にも残っていると考えています。

そして、寒冷降雪地での適応を果たした人とアフリカを出た後、そんなに大きく変化したとも思われない海の民のDNAを比較検討し、アジア人のDNAをこの2区分を切り口として分析することが重要です。

アメリカ先住民研究も、この2区分がはっきり確立されていないため、万年前に来米した人たちについて分かり難くなっていると考えます。

アメリカ大陸の先住民研究及びユーラシア東部の人々との関係を結びつけ、来米の時期及びルートを考察することが今、求められています。

(了)

 

標題につきまして、新たな興味ある内容がFacebookに紹介されていましたので、整理し紹介いたします。

Nara Akira : https://youtu.be/BGrhO1ntyYo 海の民の復権を!
既にお伝えしましたケネウィックマンKennewick manよりもずっと古い下図の南米チリのモンテ・ヴェルデ遺跡(14,000年前頃)が多くの遺物と共に発見されています。

そして、南太平洋東部に人類が達したのは紀元後数百年、この両者は万年と千年で全くゼロが一つ違います。他方、雪の寒冷地の北海道に3万年前頃には日本祖人が遺跡に遺物を残し生活しています。

既に人類は、豪Australiaに海を80km位渡って5万年前頃に進出しています。当時の千島列島の島間距離はそれ以下でしかも次の島はいずれも見えていましたので、渡って行ったことでしょう。

当時は、ベリンギア地峡Beringiaによって北極海の冷水が入らない、ハワイに繋がる沿岸は氷河期とはいえ2.5万年前ころは寒冷が緩和され、北海道を経験した日本祖人は沿岸を移動して行けたことでしょう。何しろ、食糧豊富な地でしたので。

その地峡をシベリアSiberia内陸方面から大型哺乳動物を狩猟する民が渡っていったのが15,000年前頃以降ですので、日本祖人「海の民」が、米大陸に初めて渡ったと考えていますし、更に子孫は南米にまで沿岸を拡がったと考えます。

後でシベリアから来た人たちに押されて主役の座を失いましたが。

加えまして、関連の第1は、下図中央の鏡面対称性です。アジアと北米の海岸性環境や例えば昆虫に見られる類似性など生物群集の比較が興味深いと北大の大原教授が言われています(「モーリーNo39号」)。

時代に応じ寒暖・氷床などが緯度を上下しましたし、陸路、鳥、風、海流での生物移動もありました。

日本祖人は、言わばベリンギアへ登山し北米に下山して行った感じで誠にラッキーでした。しかも環境は祖人にとって厳しかったですが、山の高度は丘というべき北海道からの沿岸ハイキングでした。

第2は、Dhani Irwantoさんが、プラトンとSundalandに関して詳細な研究を本にしていますが、同地について、万年の昔に恵まれていた言わば始原の楽園であったことはもっと注目されて良いと考えます。

この楽園地域での多くの部族の文化を携えて海の民が、日本列島へ北上したことを考慮する必要があります。フィリピンからのルートもありましたでしょう。

また、南米チリの古い遺跡はどう解釈すればよいのかと言えば沿岸南下と考えるほか道がないですし、カナダで獲れた最大級のエビは、北太平洋の海獣、鮭など恵まれていた沿岸食料を象徴しています。

そして、既にお伝えしました2タイプ論を踏まえますと、沿岸地域を日本祖人が最初に渡米して行ったことが整理され理解できます。

以上の事から、現生人類の出アフリカから南米まで、この環太平洋進出説によってムリなく理解でき、この日本祖人「海の民」の人類史おける重要性を提言したいと考えます。

(了)

 

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