AA会議関連イベント

カテゴリー: 最新情報,前線ルポ

AA会議行事の後、昨日は、観光大臣、バンドゥン市長などや20ケ国(日本含む)からの参加を得て、会議場から大モスク前広場まで2kmにわたるパレードが賑やかに行われ、集まった1万人がお祝いしました(Kompas紙)。

今日もイベントは続いており、通学通りのいつもの歩行者天国では、スンダ文化イベントが行われ、催し物、テントブースで展示が行われました。

歩行者天国 スンダ文化展

アジア・アフリカの国だけでなく、豪、ギリシャなどの参加もあり、我が大学の日本語科学生も和装で出陣、日本ブースに参加しています。

学生出陣勢ぞろい

ずらりと並ぶブースでは、日・中・韓が隣り合わせで並んでますが、日本代表は、バンドゥン市と長く交流を続けられ、毎年来訪しているという浜松市中田島町さんです。ブースは、ダントツの人気で写真を撮りたい人の列が絶えませんでした。

綿菓子機から巻き取られる綿菓子と、此処の人はしたことがないのか、輪投げが人気でした。

日中韓の展示 中田島町中田島町ブース 輪投げ

ナイジェリアブースの同級生と東京お寿司の私は、会場ご視察のバンドゥン市長令夫人から、Good! の評価をいただきました。

doukyuu 御奥様

 

期間中、東アジアについての世界経済フォーラム(World Economic Forum on East Asia)が開催されています。ジョコ大統領は、今チャレンジを受けているがこれはいい機会であり、消費から生産・投資への創成を図ると述べ、過去も転換してきたし、100%できると言っています。

そして、投資はインフラや産業ということだけなく、人的資源への投資であると言って大きな拍手を受けています。

インドネシアは、東アジアという認識です。これは、「アジアの楽園」で書きましたように、歴史的には、輝く太陽の昇る「東」の地であり、今や日・中・韓~シンガポール・インドネシアにまで至る経度線の地域認識となり、長い時を経て巡って来た世界の焦点地域です。

バンドゥンでは、2万人による伝統の竹製楽器による演奏が行われました。ギネス記録になるそうです。

竹の醸し出す和音・ハーモニーを世界へというタイトルは、万年の「アジアの楽園」からの新しい風を5大陸に吹き渡らせましょうという我がサイトマークと軌を一にするものだと思っています。

2万人アンクルン

24日付 Pikiran Rakyat(国民思い)紙から

バンドゥンでは、今日も関連イベントは続いており、我がジャパン・ハウスBJHの釜我さんと大和田さんは朝から動き回って活躍しています。

今回の会議のとりあえずの所見は、中国の経済力を背景とする大きな存在感と日本の国際場裡における政治的発言という、従来の状況と逆転したかのような時代の変化です。

そして、ASEANの雄インドネシアが、その一都市を含めてこの大イベントをテロの脅威もある中、やり遂げたことでしょう。

グヌン・パダン遺跡で研究者の人たちが、深夜まで出てきた遺物の意味合いを議論していますが、このKAA60もこれからいろいろな事象が出てくる中で、意味合いが定まっていくのだろうと思います。 -歴史ニアの前線ルポ

AA会議は、昨日、厳戒態勢の中、サボイ・ホマンホテルから斜め前の会議場(独立館・博物館)まで、アジア・アフリカ通りを100mくらいの行進に引き続く行事、昼食会で無事終了しました。

行進は、前日からの車両運行規制などと当日の周辺地域への立ち入り規制のため、集まった人たちには王様方の服は見えませんでした。コマンド部隊も加わった軍・警察の規制は、「バパ(オトーサン)、どちらへ行かれますか?こっちはダメですよ。下がって下さい。」という実に穏やかなものでした。

なお、会議当初に当国ジョコ大統領とともに紙面を演説で飾った日本、ヨルダン、イランの3ケ国、その他シンガポールなど何ケ国かが既にこの「歴史的行進」以前に帰国していたと報じています。

AA行進縮 行進警備

25日付Kompas紙(ジャカルタ)から

会議場では、当地のリドワン・カミル(1971年生)バンドゥン市長が、youtubeを観るとホスト役としてまず挨拶し、建国の父がアジア・アフリカの将来のために公式なものとした(ここでジョコ大統領、大きく頷く)として平和十原則を逐条説明しています。wikipediaにも載っていない細部にわたる説明は授業のようで、安倍さんが英語で話しているかのような内容に聞こえます。そして、最後にバンドゥンは、①アジア・アフリカの首都 ②人権の都市 ③創造性ある大きな心の家 であると述べています。やはり、此処では家が出ます。また、この創造性については、市長は3年でバンドゥンをスマート・シティにすると言われていますが、当地でも名古屋大教授の創案として知られています。歓迎の挨拶授業は、サンバル(食卓必須の辛子)の効いた内容のためか、拍手は普通より大き目というところです。

なお、昼食会のインドネシア料理のシメは、キャラメル・バナナだったそうです(25日付Kompas紙)。やはり、農耕の始まりと言われここでは豊富なバナナでした。

55年当時の1年前に、市長さんの説明の元になる5原則をまとめた中・周恩来首相と印・ネール首相が仮に会場に居ましたら、自分たちをも対象にしている時代の変化に驚かれるのではと感じています。

今日は、北部の中心部に行ってみました。総じて普段どうり、というところです。

ジャワのパリと呼ばれる、「そごう」も入っている一角は、入口の特設スタジオでライブを賑やかにやっておりました。聞けばAA会議お祝いということですが、販促の色合いが強いです。他方、チハンプラス通りは、まあ渋谷というところですが、こちらは入口に55年当時の写真パネルを展示しておりました(近づいて見る人もいませんでしたが)。いずれもエリアの中は、普段どおりです。結局、大学の警備所が横断幕を張り、明日に向け柵にペンキを塗り、草花に水をやり、というところが歓迎の気持ちの表れでしょうか。

パリジャワ縮 そごう縮チハンプラス縮 警備所縮

東部シリワンギ スタジアムでは、2万人が伝統の竹製楽器アンクルンを演奏する、KAA60記念「アンクルンのハーモニーを世界へ」の大イベントが行われました。

当地の新聞(ジャカルタ)は、当国ジョコ大統領が、左に安倍首相、右に習主席という配席の会議写真を載せています。真ん中の大統領が「どうしようかな?」と考えているように見えるのは気のせいでしょうか。それにしても55年当時、オブザーバー参加だった日本がこの位置に着席していることに感懐を覚えます。

AA会議新聞縮

23日付 Koran Jakarta(ジャカルタ新聞)紙から

南部に行ってきました。

観光客、地元の人、会議関係者、デートの人・・・ここだけは、きれいな外灯が灯る会場付近は大変な賑わいでした。会場近くのバンドゥン銀座ブラガ通りにはメディアセンターが準備され、24日を待っています。因みにこちらでは、コンフェレンシ、アジア・アフリカでKAA60と言っています。

会議委員会の職員さんに聞くと、ジャカルタからの要人を午前に迎え、会議場とその前の伝統のサボイホテルとで、行進、式典、会議、昼食会という日程で行われるようです。自己紹介したら、大学UNPADの先輩ということで写真もOKもらいました。準備は着々のようです。

会場縮 人出メディアセンター縮 職員縮

バンドゥン銀座ブラガ通りも人が出てきました。此処では絵が売り物で道にも並べています。日本と同じファミレス、喫茶もありますが、通りの横道へ入れば地元の人向けの普通の店が軒を連ねています。

バンドゥン銀座 此処では絵ファミレス横道は地元向け

夜ともなれば、通りにはシーバスバーもあればビアホールもあって楽しめます。他方、安くておいしいとなれば、ラーメンは、若い人に人気です。そして、通りに向かうロータリーのモニュメントが作られていますが、竹なのも万年のここらしいことです。

シーバス縮 ビアホール娘ラーメン 竹モニュメント

大学では、検討の結果、明日は、授業のないことが伝えられました。お祝いもさることながら、会議場地区の警戒態勢のため、車両運行が制限されるためです。

記念行事が始まりました。ジャカルタでの会議が開催されていますが、外国からパレード参加含む会議関係者2,500人(報道関係は、1,000人)を見込んでいるとのことです。55年のバンドゥン宣言を想起するとともに、先進国とも連携して貧困などの諸問題から脱却し、発展を期する未来志向のものと報じられています。

此処バンドゥンでは、大学前を通る長距離専用バス停留所に向かうバスが、普段は日本の車検は無理と思われる年代ものですが、今は新車に変わりました。いろいろな催しが行われています。

バス 宝石縮

中心から離れた我が地区にもおめでたい行事の波は及んできています。まず、動き出しで目についたのは、石、すなわち宝石です。軽くて小さく持ち運びに便利。そうです、万年前の狩りなどのための黒曜石、宝石・真珠などの装飾品、お金にもなった宝貝、近世は欧州が目の色変えて求めた胡椒など、人類の百貨店は何でも扱います。

研磨縮 指輪

我がバンドゥン・ジャパン・ハウスBJH近くのあの石積みの家も長い階段を備え、新築完成です。花売りが登場し、24日には間に合うのでしょう、側溝の整備も今急ピッチです。

同学ながら、1時間ほど離れた広大な新キャンパスの学生さんの学食での誕生パーティも普段よりめでたい感じがします。こちらは、20年ですが。

新築縮 花売り縮側溝 パ^ティ縮

理論的な枠組み

カテゴリー: 研究関連

理論的な枠組み

2015.4.18~24 アジア・アフリカAA会議60周年記念行事予定

バンドゥンの鉄道線路の南側地区の歴史ある第1回会議場においても記念行事が行われる予定です。

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こぼれ話(その1)

カテゴリー: こぼれ話

アンコッ

大統領が変わり、車の燃料などの補助金をカットして他の事業に回すとの方針が示された。これは生活に影響あるなと思っていたら、案の定、通学などの足を直撃。特に目抜き通りは、30円が50円になったりで、補助金カット率と値上げ率が全く合っていない便乗値上げとなった。この点を運ちゃんとやり合う猛者もいた。
結局、今は30円が35円くらいか、運ちゃんによっては昔どおりに落ち着いた。ここらしい。

洪水

此処へ来て結構早い段階で覚える単語がマチェッ(渋滞)とバンジル(洪水)だ。
どうも川や道路にゴミを投げるため、下水が詰まる。
すると雨季には降った雨が道をゴーと流れ出す。それでなくとも車道と歩道がはっきりしていない坂道を歩いて通学するので、歩くところが無くなるから困る。特に、夜道は危ない。が、そういう時は車も少なくなるのか、何とかやっていけている。ここらしい。

ゴミを勝手に投げたら罰金5万円の大看板。べらぼうな大金だ。さて、投げ捨ては無くなるのだろうか。

両替

 生活資金に関わる両替については、多少店によって差があるのかもしれないが、正確妥当と思っている。此処の特徴は、買い物でもなんでもやり取りするお札がぐちゃぐちゃだ。その都度きちんと伸ばしておかないとかさばるし、扱いに不便だ。ところが両替屋は、札の年度が古くても減額だ。理屈は銀行が受けてくれないと言う。その札の本国じゃ、年度が古い、汚れやしわがあるからと言って減額しないだろう。誰かがトクしていることになる。

待ち合わせ

先日ある人と待ち合わせた。こっちは渋滞があるかもと20分早く着いた。連絡すると少しagak遅れるとメールが来た。agakの意味合いが分かるなあと思いつつ待つ。途中連絡があり、結局30分遅れだった。チキンカレーならぬジャム・カレー(時間・ゴム)で、ここの重要言葉だ。

大学の遠足では、6時集合、名簿チェック、シャツ配布などがあり、7時出発とあるので、バスでの遠出だし、早起きして6時の15分前には着く。が、いろんな学生がいて結局出発は8時を過ぎた。いやはやだ。

 地震、雷、火事、親父で恐いものの代名詞だが、日本での普通の生活ではまあ地震くらいか。ところが、ここでは雨も降れば土砂降りだが、雷もすごい。音と迫力が日本と大分違う。直撃でネットが使えなくなったことがあったくらいだ。家の前では、稲光が稜線と平行に走るのがある。日本じゃ見たことがない。大昔の人は、神が怒っていると思っただろうなと実感する凄さだ。

寒い

日本だといいお天気でとか、何かと天気が話題になるが、此処では大体一定なので話題にあまりならない。私は、天気予報を殆どチェックしないで8ケ月生きてきた。日本だと夏は暑い暑いと言って過ごす。今度暑いと言ったら10円の罰金だなどということもあった。此処で聞くのはむしろ、寒いだ。暑い暑いと言うのは聞いたことがない。当たり前だからだろう。

確かに暑い所なので少し寒いとバイクに乗るせいもあるが、皮ジャン、セーターも着だす。こっちは歩くせいもあるが半袖なのに。

イスラム

 朝、4時半頃になるとマイクの大きな声でモスク(教会)から呼びかけがある。女性は、ジルバブという被りものを被っている。特に西欧の人たちはあれが抑圧と見えるので、フランスでは公的場では禁止だそうだ。が、どうも見ていると小さい子は嬉々と、年配の人は日よけの小顔化布とも言えそうだ。抑圧とは少し違うように感ずる。そもそも、家庭では母親がしっかりコントロールしている所は日本と似ている。私らのように、御高祖頭巾、まちこ巻きを知っている世代からすると、あれはなかなか雰囲気あってよい。最近では、カラフルなファッション布でもあるらしい。

器用

 ここで評価していることの一つに製本がある。くたびれてきた辞書などを持っていくと、厚紙のしっかりしたものできれいに製本し直してくれる。日本なら、してくれないし、してもらったらいくらとられるかわからないが、安価でやってくれる。最初はボールペン30円に驚いたが、こちらは価格同様のもちなのでまあそんなところだ。

以上

2015.4.4-4.5 グヌン・パダン及びスンダ文化説明会

雨模様も何とかおさまった夕刻、グヌン・パダン後方稜線上の小学校において、地域の方々約50名に対して、遺跡の説明とスンダ文化の紹介が行われました。

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スハルジャ教授のお誘いで出席し、「アジアの楽園」の電子出版によりグヌン・パダン、スンダランドを日本に紹介したこと、メソポタミアより古いグヌン・パダンが、最古の文明を実証しうる重要な遺跡であること、何か出来ることでお役に立ちたいと考えて語学を学び滞在していることなどを説明しました。

お役に立ちたいというところで拍手がありました。

インドネシア大学UI生が、グヌン・パダン遺跡の状況、発見された遺物等について、スクリーンで詳細な説明を行いました。

次いで、スハルジャ教授が、スンダ文化に根付く星、星座と農耕の関係などについて、奈良がアジアの楽園とグヌン・パダンについて、建築家ポン氏が遺跡の構造、河川で繋がる地域との関係などについて、スンダ会が、活動の状況、文化継承の重要性等についてそれぞれ説明し、スンダの太鼓と子供たちの踊りの披露、スンダカレンダーの配布を行い、アクバル教授が、遺跡調査の意義、重要性についてシメの話をして終わりました。

その後、皆で夜食弁当を食べ散会となりましたが、金曜夕とはいえもう深夜近くなっていました。

研究者の人たちの遺跡の検討会といい、こういう会合といい、此処の人たちは夜遅いのをあまり気にしないようです。月が綺麗な滑る夜道をご高齢のスハルジャ教授と慎重に帰り、皆さんと民泊しました。

「アジアの楽園」ツアー募集

カテゴリー: 当地事情

なんとも嬉しいお話!

eブックランド社では、さっそく、特別企画を計画中!

「人類最古の文明『アジアの楽園』探訪記」の出版を記念して、
海外旅行会社とタイアップして、ツアーを企画してくれています。

旅程などの詳細は、これからの予定のようです。

http://www.e-bookland.net/campaign/150403tour.html

ツアー開催ともなれば、現地の説明役は、わたしになるのかな?

本会 会長の初本が、本日eブックランドより電子書籍にて出版されました。

アジアの楽園 探訪記

eブックランドの要約より

【要約】

日本のみならず世界の歴史教科書は、みな改定しなければならないような大事件である。人類最古の文明はメソポタミアのチグリス・ユーフラティス川ではなく、赤道直下のアジアで7000年以上前に興っていたことが確認されたという。
ジャワ島のピラミッド遺跡、グヌン・パダンの最下部は1万年以上前に建造されたことが岩石のボーリング調査で判明した。タイ湾では海底から海没前の大規模な灌漑の跡が発見された。
古代の日本民族も黒潮に乗って辿りついたのではないかと考えられる。縄文人のルーツではないかという仮説である。
この一帯は海没した地域も含めてスンダランドと呼称されてきた。オランダ統治のころオランダ人によって命名されたものだが、著者は世界最古の人類の文明であることが分かったからには、この文明を「アジアの楽園」と呼ぶにふさわしいと書いている。この事実が知られるとともに「アジアの楽園」はアジアの民族すべての心の故郷になるだことだろう。古代考古学はいまやロマンではなく科学の時代を迎えたらしい。衝撃のルポルタージュである。

ただいま、無料配信中!!
電子書籍の入手については、こちらをご覧ください。

2015.3.24 ギョベクリ・テペ及びグヌン・パダン合同シンポジウム

バンドゥンのインドネシア科学院LIPIにギョベクリ・テペ研究ジャーナリストのAndrew Collins(英国)を招いて行われ、グヌン・パダンについては、LIPIのDanny Hilman博士が実施しました。万年を越える両遺跡等について、興味深い説明がありました。

1.時期・場所
・3月24日 09:30-16:00
・インドネシア科学院LIPI 10号館1F,3F
会場1階には、関連パネルが展示されていました。

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2.興味深い内容
(1) Andrew Collins .
ア 北から来た人たち
遺跡建造に関わった人たちは、黒海北側のSwiderian地域に居たが、ヤンガー・ドリアス寒冷期(13,000-11,500年前頃)に黒海東側をコーカサスに南下し、トルコ東南のギョベクリ・テペに至った狩猟採集民族である。当時の住民数は分からない。数千~1万か。
GordonChilde等によれば、元々は、4万―1万7千年前頃、東欧で勢力を有していたGravettiansで、ドン川沿いの上中流でも遺跡が発見されている。(紹介された想像図では丸太小屋に住み、フード付の長いコートやマントを着ている石器時代人である。)

イ テペ遺跡
テペ遺跡は、11,500年前ころのものだが、近くの南東(約37km)にKarahanテペ遺跡があり、10,500年前ころで、同じくT型の巨石建造を行っており、巨石の切り口もシャープである。
まだ地下にも遺跡はある。地域は、200m×300mくらい。一時伝えられたほど多い数ではない。

ウ 寒冷気候変動
原因は、彗星群の衝突によるものと考えられ、オオカミの石彫りは尾が彗星、手足がその抑制のシンボルと考えている。シャーマンが戦っているものもある。

エ 遺跡軸線の方向と星座
遺跡中央の2大石柱の真ん中から入口の方向の軸線は、真北から18度北北西で白鳥座のデネブ星に向いているが、グヌン・パダンとこの点は同じである。中国や日本の織姫・彦星神話が相当する。

オ 黒曜石
テペ人は、洗練された手法の狩猟族で、シャーマンがおり、交易者で、鉱物特に黒曜石の使用に優れていた。15,000年前ころバンドゥンの山斜面にも黒曜石の製作場があった。グヌン・パダンとの黒曜石文化があった。

ギョベクリ・テペでは、金属でなく石工具で石柱及び動物描画作業等が行われている。

(2) Danny Hilman博士
ア カタストロフィによる人類史における気候変動及び人類数の増減について考えるべきで、1000年前、産業革命まで何万年も人類数は一定で少ない定説に疑義あり。フローレス人の存在とその消滅は、ヤンガー・ドリアスYD期のカタストロフィ気候変動によるのではないか。

イ YD期を終わらせ急激温度上昇をもたらしたのは、太陽プラズマの爆発かも知れない。プラズマの起きた場合の形態と古代人の絵に類似性がある。マンモス消滅、北米クロービス文化消滅、火山活動の活発化、ギョベクリ・テペ建設、スンダランド陸地の変化など画期的な事象が表れている。スンダ海峡では、音響探査で海中に港のような形が出ている。

ウ タイランド湾内の灌漑遺構
湾中央部で、海中に大河から枝分かれした網の目のような人工運河があるが、1万年以上前の灌漑遺構か。(まずは洪水の治水、乾季の食糧生産であることから灌漑遺構であろう。)

エ スラウェシ島等の巨石文化
おなかの前で手を組んだ石像は、ギョベクリ・テペと類似で、彫られた動物にも類似性がある。また、石器で作るのは容易でない滑らかな曲 線形状の巨石遺物がある。メキシコとスマトラ巨石像の類似性もある。

オ グヌン・パダンの概要及び石柱、構造及び年代、発掘遺物
スカブミ西(チケンバン)を中心とする50km圏内にグヌン・パダンの他に6ケ所の巨石ピラミッド等が確認されている。(やはりスカブミ地区は注目される。)
第5テラスは、石積斜面に土を盛った部分が大きい。
最下層は、蛇の鎌首溶岩の頭部上面の安山岩層である。(灰白色の柱状列石は、周囲が緑の中、目だった景観を呈していたことと思われる。)

地域の状況

カテゴリー: 当地事情

こちらの今をお伝えしましょう。

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2015.12.29~30 現地調査

インドネシア大学に行ってきました。

充実のインドネシア大学は、そのまま通勤電車の駅名になっており、駅から歩いて5分です。

最初はアクバル教授にお会いするために行き、いろいろな施設があることを知りました。

特に、日本センターがあり、こういう文化面で支援しているのは、素晴らしいことと感じました。

正門のようなものはないユニークな広大な緑のキャンパスで、全般のセキュリティと建物毎の受付というシステムです。
此処の人たちが、尊敬し誇りに思っているトップ大学ならではのことと思います。モダンな図書館では、日本人、年寄り、大学生証、使用料50円で、充実の諸資料を閲覧させていただきました。

大学には、有料の宿泊施設があり、池を観ながら静かに過ごせ、朝食は和食でした。
此処の人たちは日本に行って、最初は食事で苦労するそうです。学生食堂でも安価で和食が食べれて練習できたらと感じました。

駅からジャカルタなどにすぐ行けるためか、大学街の駅前通りは思っていたよりも小ぶりです。

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