今日は、断食明けのお祝いに並ぶイスラム教徒の犠牲祭で祝日であり、メッカへの巡礼も佳境でしょう。

生贄として捧げられるヤギが街に沢山見られますが、テレビでは動物愛護の人たちが反対のデモをしているのも放映していました。

一寸意外な多様性、自由さを感じました。

ヤギさん

進出している企業の人が、「穏やか」で「素直」と評する万年の穏やかハーモニーの人たちが、ヤギさんを屠殺し神に捧げますが、すみませんヤギさん、「黙殺」します。

他家のことに関しては節度が必要ですし、当国は余計な口出しを要する状況にはないと思います。

捧げた肉は必ず貧しい人たちの口に入るようにという教えだとも聞いていますので。

私も国に帰れば、節度をもって獲られていると思うクジラを食します。

さて、長かった植民地時代を血を流して脱し、独立後も50年前の今月の事件など、緊張の激動期を乗り越えながらの道のりでした。

多様な国柄のまとまりの維持に努めつつ、自由を守り続けてきた若い力で、引き続き地域の諸国とともに発展して行ってほしいと思います。

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Manusia Modern Awal lahir di Afrika, keluar ke Eurasia, mayoritas mereka tiba di Sundaland, Surga di dalam Asia, tersebar sampai ke Amerika.

Mayoritas nenek moyang yang orang-orang modern di Asia mengalami kehidupan di Sundaland sebelum tersebar ke utara dan timur. Beberapa suku, ke barat juga.

Sundaland, Surga di dalam Asia, menumbuhkan peradaban pertama dunia dalam bagus keadaan yang masa Zaman Es pun.

Bukti itu adalah Situs Megalis Gunung Padang, sangat penting.

Sundaland mulai tenggelam oleh kenaikan permukaan laut sejak 18,000 tahun lalu dan tanah luas itu menghilang dalam laut sampai 7,000 tahun lalu.

Orang-orang di sana migrasi ke daerah lain.

展開GPイネ語縮

Situasi berubah sama sekali pada sekitar 11,500 tahun lalu.

“Global warming” mencair es dan salju di Kutub Syamali, Kutub Junubi, Siberia, Amerika Utara, Himalaya dan lain.

Bencana alam, beberapa jenis, menyebabkan banya di dunia.

Tanah luas Sundaland menghilang oleh bencana, banjir. Mitos masih ada banya tentang itu di dunia.

Sundaland ada di Timur Jauh, adalah tempat di arah yang matahari terbit.

Peristiwa itu trajedi pertama dalam prasejarah dunia.

Sebenarnya itu perubahan zaman waktu hampir akhir Zaman Es.

Daerah luas Sundaland tenggelam sama sekali sampai 7,000 tahun lalu.

Mereka yang bermigrasi ke luar Sundaland membawa teknis ulung kehidupan dan agama primitif, yaitu animisme juga.

Kemudian, peradaban terkenal sekarang dalam teks sekolah bermunculan.

11500悲劇9.25jpg

 

 

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今日は秋晴れの中(当地は今、いつも晴れですが)、楽園Sundalandでは、バンドゥン日本人学校の夏祭りが行われました。

夏休みが終わり、地元のイベントを終えてから予定より1週間遅れのものだそうです。

ゆかた姿が目立ち、子供たちも楽しそうです。

こどもsyuku

そして、多くの現地の人々が何せクールジャパンのイベントですので集まって楽しんでいます。

現地の人々縮

学校は、先生方のご努力はもとより、現地の企業の方々の並々ならぬご尽力に支えられて運営されています。校庭もしっかりあります。

元締めsyuku

校庭syuku

さて、会場はお神輿があってお店が出ている和風のもので、久しぶりにお国を感じました。

神輿店縮

焼き鳥はここではSateですので人気です。そして、やきそばもMi Gorengがありますので人だかりです。

(更に、おいしいうどん店なども出てましたが、本人が嬉しくて食べるのに夢中で写真を撮り忘れました、すみません。)

焼き鳥syuku

採算syuku

採算とは随分しっかりしてるなあと思われるでしょうが、そういう名のレストランがありますので、そこの出店でしょう。

会場には、やはり万年の穏やか東進・北上ルートの気心の通ずるものがあるのでしょう。

人類の展開9.16syuku

笑えるのは、当地の学校には鉄棒が無いので、いい歳のお兄ちゃん、お姉ちゃんたちが、珍しいのか夢中で遊んでました。

逆上がりはできないようでしたが。

鉄棒1syuku

鉄棒syuku

的に当てて楽しむゲームも日本らしい遊びで、現地の人には珍しい楽しさのようです。

的syuku

皆さん、やはり日本のイベントは穏やかで楽しくおいしい、いい時間を過ごしているようでした。

それにしても、お国の国会とその周辺の行動や言葉使いは、海外に居る日本人に肩身の狭い思いをさせるものです。

折角のクールジャパンのイメージも台無しですし、子供たちに見せられないようなものなのも辛いものがあります。

喪服も登場したようですが、亡くなった方はおられなかったようでよかったです。

何より、ダイビング攻撃なるものがあるようでは、日本が攻めてくるのではという全く無用な誤解を招きかねないのではと気になります。

海外で黙々と頑張っている企業の人たちや先生方の足を引っ張ることのないよう、お国を見ている子供たちをがっかりさせないよう、そして、仲秋のお月様を泣かせることのないよう、お願いしたいものです。

 

 

 

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珍しく当地の新聞が1面トップで日本を採り挙げました。アジアの楽園Sundalandは、気候風土に恵まれていますが、泣き所は災害です。

何せここへきて早い時期に覚える単語が、macet渋滞とbanjir洪水ですので。

機内からジャカルタ北西沿岸が水に浸かっているのを見ましたし、雨季にはここでも街の坂道は溢れ流れ下る泥水で様相を一変させます。

友達が日本でも洪水があるのかと聞きましたので、あの優れた車・バイク・電気製品、すし、ゲーム・アニメ、AKB・・のクール日本でbanjir大被害があるのか、という感じなんでしょう。(同病相哀れむ。)

洪水新聞syuku

火山の噴火、地震・津波、洪水と歴史的にも前回報告したとおりで、日常を、明日を奪われる悲しい出来事です。(合掌)

小さな災害は回数も多く、大災害は数は少ないですが被害は甚大です。

そして、万年を視野に入れて歴史を見たとき、気候変動とともに大災害の与えた人類の進路への影響の大きさに思い至ります。

現在、前回報告しました大悲劇などに関連しまして、歴史におけるカタストロフィックな突然の大災害に当地の研究者の関心が集まっています。

最も分かり易いのは、6,500万年前突然、当時の地球の王者の恐竜たちが絶滅しました。

メキシコ湾への隕石の衝突による暗黒から、その気候変動の影響によるものという説が有力です。

当地でも1883年のスンダ海峡クラカトアKrakatoa火山の噴火、2004年のアチェAcehの津波被害は、世界的によく知られています。

実はこのスマトラ北端のアチェは、14-15世紀には大変栄えておりました。

マルコ・ポーロ、明の鄭和や史上最も偉大な旅行家の一人と考えられているモロッコのあのイブン・バットゥータが、アチェを訪れています。

その際、肥沃な土地、大きく美しい町は壁で囲まれ、地域の交易が金を通貨として行われているアチェAceh地域の先進性にびっくりしています。

アチェ1縮

(Dr.Danny Hilman 著書(「Plato never lied」から)

なお、スマトラ島は、ジャワ島の北西で4倍、マラッカ海峡に接し、昔から金の産出で有名です。

そのアチェ王朝が、15世紀半ばに不思議な状況で消え、世紀末には突如新たな王朝が出現しています。

当国の地質学専門家の調査によれば、世紀半ばの1450年に2004年のものよりも大きな津波が襲ったことが分かりました。

更に、津波は周期性をもって襲ってきていることも分かりました。

これらのことから、地質学専門家で歴史にも詳しいDanny Hilman博士は、通説に対し著書(「Plato never lied」)で疑義を呈しています。

人類は緩やかな人口増で万年を過ごし、ファラディの電磁気理論以降、急増発展したということではないだろうと。

人類はもっと早い時期に栄えたが、Tobaの火山大噴火や氷河期後の温暖化による大洪水などでその都度、人口は急減し言わば発展は振り出しに戻ったということではないのかというものです。

博士の資料を基に私なりに整理したのが下表(文責奈良)です。5万年前頃の画期的と言われる人類の進化(言語等)も考慮しました。

縦横軸尺度の記述内容にご注意下さい。

つまり、アチェのように豊かだった#1アジアの楽園スンダランド文明が育まれていたが、大災害で発展は振り出しに戻った大悲劇という赤い点線の認識です。

人類発展 syuku

そしてその後、#1についてある程度は語り伝わり、#2文明である教科書のメソポタミアなどが登場してくるということでしょう。

悲劇の当該地域である楽園については、Danny博士が世界遺産ボロブドゥール地域の話の例を挙げています。

ボロブドゥール地域(中部ジャワ州の南部)がムラピ火山噴火の灰の下に埋まった時、生き残ったのはたまたま北部の町スメランの親戚の所に会いに行っていた、Cobek(香辛料をすり潰すすり鉢)作りの職人だけだったそうです。

ボロブドゥール建立の一流の建築設計家、石工など全ての人が犠牲になり、地域は戻ってきたcobek職人レベルの知見から再び始まりました。

そして、優れた仏塔群はその後、あのラッフルズ(シンガポールの一流ホテル名にも)により灰土の下から発見(1814年)されるまで千年を越える眠りにつきました。

修復hp

修復中の時代のボロブドゥール

http://www.sunda-wind.net/report/1127
(世界遺産ボロブドゥール・・・のヒミツ)

さて、博士は、地質学のイロハとして「過去を知りたければ現在が鍵であり、将来を知りたければ過去が鍵である。」という至言も紹介されています。

前述の日本の洪水を報道した新聞には書かれていませんが、鬼が怒る川が氾濫したんですよと言えば、万年を生きてきた此処の人は「そうか、分かった。」と言うでしょう。

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When we think about the Paradise in Asia Sundaland, it’s important that initial Homo sapiens sapiens  had got out from Northeast Africa and proceeded, deployed along seashore and rivers.

I think to bigin with a tribe, around thousand people got out from Africa, were quite different from chimpanzees or other humanoids.

They ate marine products and their characteristics didn’t dislike sea, or in water.

人類の進出展開peg英語10.25

Several features of human body seem to show them as a new humanoid that had got accustomed to live with aqua environment in long period. Its preparation so to speak enabled them to get out of Africa.

By the way, as one of events of Indonesian Independence Memorial, on 22 Aug, the Equator Carnival was held and attended by President & Madam Joko for activating economy by sea and river side development.

Parade in West Kalimantan province, Borneo island proceeded 5km and President Joko, advocating policy of Marine Nation, replied to gathered people from the top of ship shaped veicle.

Chairman of National Assembly, Governor, representatives from Malaysia, Burnei, Indonesian 24 provinces of about 4,000  paticipated and 50 groups showed dance.

赤道祭りKOMPAS8.23縮

And participating 150 boats rallied around the Carnival.

赤道祭り多い舟syuku

(Two photos by 23 Aug. KOMPAS)

Indonesia, it’s a Marine Nation, going out or coming down to this country by boats, trading and excahange courtecy by boats, getting marine food and excuting funeral, having been living a life with sea.

舟海洋博物縮    スラウェシ舟家

Painted boat in a cave(Indonesian Museum) Houses in Sulawesi province

Ancient know-how on boat was mastered oraly, by seeing tecnique. Boats built by wood and bamboo weren’t remained. Their abroad bases were now disappered in local environment.

But, old megaliths in many places and similarity of myths in the world indicate that their ability of relaying activities in vast sea area was beyond our image of them.

Next, I’ll touch upon the first big tragedy in human history.

About 15 times of Ice Age since 3 million years ago is known. The last one is since 70 thousanad yeras ago and glacier covered North Europe, Siberia and North America in north side earth. Cold and dry climate extended neaby and even to some parts of south.

Sea water became decrease because of it and sea level downed  below about 130m.  Vast Sundaland appeared as a big land mass peninsula.

This area, Sundaland, always enjoyed  in good climate as lacated around the equator  during the Last Glacier Maximam around 20 thousand years ago and returned coldness of Younger Dryas period in 14 to 11.5 thousand years ago.

As my former report, the fauna and flora were really many kinds and provided abundant food. Minerals such as precious obsidian were also rich in a volcanic zone. Gold and tin here were well known to the world, as like petroleum and coal now.

花1syuku      花2 syuku

Cause of tragic huge flood is said because of global-warming by commet, meteorite’s crash to the earth or huge overflow of ice melted water kept in northern America.

It seems eruption of volvanos also happened and earthquake, Tsunami might have done too. It was really a turbulent era.

Snow, ice in Himalaya melted and flew down to the Tarim Basin of Silkroad, influenced many big rivers in Asia by increasing water or changing route of flow.

Anyway, large portion of Sundaland had sunk under the sea and big mamals of mammoth, reideer had become extinct. Those rapid change were fact exactly.

The age around 11,500 years ago when period YD finished and global-warming started is geological boundary period of Pleistocene and Holocene and very important perid in human history when changed from the old Paleolithic stone age to the new Neolithic one.

I think human society in that age was more advanced one than we imaged before. Situation of Gobekli Tepe in Turkey and Stone Henge in Britain are changed my image of human society in that age.

Myths on sunk landmass  by huge flood are vastly prevailing in Indian Subcontinent, Middle East, nothern Europe, Pascific islands and so on.

Little different version of myths such as Paradise,  land of ancestors sank under the sea by huge flood in long long ago are well known by many years’ research of  Prof. Arysio Santos and Prof. Stephen Oppenheimer.

And survived people of it got out from the region and headed to new places as like the Noah’s Ark legend.

Loading household goods, with their cultivated belief and know-how of life, dreadful experience and memory of good old days in the Land.

Of cource, outside people visited there after the tragedy and must have surprised to see the completely changed situation and talked about it to their people.

Anyway, small ancestor tribe of us got out of Africa several tens of thousand years ago and reached the Paradise Sundaland during changing environment of climate.

There was a land of enjoying fine weather even in cold dry Glacier age. It seems that people from all directions came to, mixed, got out and surely continued bringing up human culture.

Tens or hunreds of thousand  people lived a life in initial civilized human society.

I think sudden sinking under the sea caused first big tragedic event so to speak in the world history with its influence to the other.

Fact of the Paradise will be certified by investigation of inner old structure of Megalith Gunung Padang, West Java.

See the chart below, please.

Red portion is vertically blowen up lava and flew to a front, solidified. Historic remains were built on it in different ages, 3 layers at least, seem to be more than ten thousand years ago.

(Reference)Lapisan・・layer THN Lalu・・years ago        Muka tanah・・surface

GP構造syuku

Related to the tragedic event, the famous Greek philosopher Plato wrote about it in the Dialogue as explanation of Egyptian priests in so called The Hall of Knowledge.

All reserchers agree that the place of it must be in tropical region of equator by its precise expressions of fauna and flora such as elephant.

As for era of it, it was far ancient 9,000 years ago, of cource priests and Plato didn’t know about directly.

In spite of it, the explanation about situation of the sunken land and time, myths of different places are exactly match the survey results of modern geology.

It’s amazing and couldn’t be written about situation of area and sunken land by mere imagination. It’s notable of their vast activities of trade, interchange and oral handing a story down.

By the way, there’are many myths on sunken land in diffent places, but only Sundaland in the world is cetified by modern geology and other science.

Over, I draw a situation chart of that era adding importance of sun rise and sun set to ancient people. Sundaland was sun rising paradise in far east.

悲劇英語9.12syuku

Though school textbook starts history from era of many people moved down to south here by route of Taiwn and Malaysia in thousands years later.

On the other hand, the big change by global-warming provided water, fauna and flora to cold or dry zone before.

And not long afterward, civilization in school textbook such as Mesopotamia in Middle East was coming up the scene.

In bottom left, I added Indonesian sentences to send them yell that Conference Asia Africa 60 isn’t celebration for 60 years, but for 60 thousand years.

Moreover I want to say that the Equator Carnival should also be recollection, prayer of OUR ancient ancestors who faced, encountered big tragedy in the Paradise Sundaland.

 

 

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アジアの楽園Sundalandを考える上で、初期の現生人類が海浜・河川へ展開して行ったことは重要です。

私は、そもそも出アフリカを果たした千人内外の部族は、チンパンジーや他人類と異なり、水産物を食し海・水に抵抗ない特質を有する人たちであっただろうと考えています。

進出展開の縮

私たちの体に残る痕跡から、相当長い期間にわたって”水に馴染んだ新人類種”で、その準備があって出アフリカが果たされたものだと思います。

さて、当国の独立記念行事の一環として、ジョコ大統領ご夫妻も出席されて8月22日、海川の観光開発など経済活性化のための赤道祭りが賑やかに行われました。

ボルネオ島カリマンタンKalimantan西州でのパレードでは、5kmを移動しつつ進んでいく船を型どった甲板檀上から海の民の政策を唱えられる大統領が歓呼の声に応えられました。

国会議長、州知事、マレーシア、ブルネイのほか当国24州約4,000人の代表が参加し、50団体が踊りを披露しました。

赤道祭りKOMPAS8.23縮

また、約150隻の舟が参加し、海の民の祭りを盛り上げました。

赤道祭り多い舟syuku

(上記2枚 8.23付KOMPAS紙から)

万年の昔から、その恵まれた風土と産物を基礎に、多くの人が舟purahuで漕ぎ出し、船でこの地に渡り来たり、船で交易を行い、海から食を得、葬送するなど海とともに生きてきた人たちbangsa lautです。

舟国立博縮 スラウェシ舟家

洞窟壁画の舟(インドネシア博物館)          スラウェシ州の家

そのknow-howは口伝えで、技を見ることで相伝され、木・竹を使った舟は残らず、寄港地の根拠も今は周囲に溶け込んで分かりません。

しかし、各地に残る古い巨石遺跡や語り継がれている内容の類似性などから、大昔の人たちの多くの舟が行き交うことによる海洋での広範囲の行動力、交流は私たちの想像を越えるものであったと考えています。

さて、問題の人類史最初の大悲劇に入ります。

300万年前頃から15回くらいあった氷河期Zaman Gletserの最終氷期は7万年前頃からで、北極・南極から発達した氷河は北半球では北欧、シベリア、北米北部を覆い寒冷と乾燥はその南部にも及びました。

海の水はこの氷になり、海水面は今よりも約130m低下し、広大なアジアの楽園Sundalandが半島大陸地として現れていました。

この地は赤道付近であったため、2万年前頃の最寒LGM期にも1.4~1.15万年前頃の寒戻りヤンガー・ドリアスYD期にも恵まれた気候状況でした。

前回報告しましたように、動植物も正に多種多様で食料が豊富、火山帯のため黒曜石などの貴重な鉱物も豊富にありました。金、錫、などは世界的に有名でした。今、一番は石油です。

花1syuku 花2 syuku

悲劇となった大洪水の原因は、彗星や隕石meteoriteの衝突による急激な温暖化か、貯っていた北米の氷水の溢れ出しかなどと言われています。

火山の噴火もあったようで、地震・津波も考えられる正に激動の時期であったようです。

ヒマラヤHimalayaの雪氷も融け、あのシルクロードのタリム盆地Tarim Basinを水で潤し、いくつものアジアの大河は水量を増しあるいは流れを変え、大きな影響があったものと考えられます。

ともかく、楽園Sundalandのかなりの部分が海没し、大型の哺乳動物のマンモスmammothやトナカイが絶滅している激変は事実です。

このYD期間が終わり温暖化が始まった11,500年前頃というのは、地質学的には、更新世(後期)と完新世の変わり目であり、史的には、旧石器時代から新石器時代へと移り変わっていった人類史上の節目の大変重要な時代です。

注:現在の一般的な認識では下記ですが、(トルコ)ギョベクリ・テペGobekli Tepe遺跡、(英)ストーン・ヘンジStone Henge遺跡などの状況から、石器人はもっと進んでいたのではと考えられてきています。

・旧石器時代Paleolithic・・・ 打製石器や骨角器を使って狩りや採集、漁労を行い、移動しながら生活していた時代

・新石器時代Neolithic・・・ 打製石器に加えて磨製石器を使用するようになり、また、定住生活をし、農耕や牧畜によって食料の生産をするようになった時代

長年にわたる故Prof.Arysio SantosやProf.Stephen Oppenheimerの研究により、楽園が、父母祖の地が、大昔に海没した、大洪水banjirにより海没したという同工異曲の語り伝えは、広く根強く印亜大陸、中東地域の諸族のほか、北欧や太平洋諸島などにもあることが分かっています。

そして、沈みゆく地から生きのび離れた多くの人たちが、ノアNuhの方舟伝説のように新たな地へと向かったことでしょう。

舟perahuに家財道具を積み、それまでに培った信仰や生活のknow-how、何よりも恐ろしかった経験談、また、太陽が昇る地、楽園での良かった時代の話なども携えて。

無論、大悲劇が鎮まってから楽園を訪れた人たちは、その変わり果てた状況に驚き、様子を伝えたことでしょう。

ともかく、今に繋がる現生人類の少部族は、数万年前にアフリカを出てout of  Africa、気候の変動の中、楽園に至りました。

そこでは寒冷乾燥の氷河期にも風土が恵まれていたことから、東西南北の多くの人々が集まり、出入りし、生活の文化cultureを育み続けられたものと考えられます。

この地で何(十)万人もの人が生活し、この文明Civilizationの始まりと言える人間としての豊かな社会が在りました。

突然とも言える海没化は、その影響も踏まえ、世界人類史World historyにおける最初の大悲劇Big tragedy eventと考える所以です。

楽園の事実は、西ジャワの巨石遺跡グヌン・パダンGunung Padangの古さについての内部調査などにより更に明らかになると考えています。

下図の赤い部分は、地中から垂直に吹きあがった溶岩が前方に流れ固まったものです。遺跡はその上部に年代を異にして3層以上造られたもので、1万年前以上の昔から造られたものとみられています。

(参考)Lapisan層 THN Lalu年前 Lava溶岩 Tufa凝灰岩 Muka tanah地表面

GP構造syuku

またこの点で、知の殿堂と言われたエジプトMesirの神官の話として、あのギリシャの哲人プラトンPlatoが、楽園に関係すると考えられる内容を対話編Dialogueで記述しています。

話の該当の場所については、象などその具体的な動植物等の記述内容から、赤道付近の熱帯tropicalに違いないと研究者たちの見方が一致しています。

話の時期は、神官やプラトンが全く直接的に知る由もない、彼らにとって9,000年前という遙か大昔のことです。

にも拘わらず、その時期の陸地の海没話の状況と各地の語り伝えがぴったり現代地質学等の認識に一致しています。

このことも驚きであり、土地の様子や海没話を単なる想像ではとても書きえないことで、交易・交流の広域さと先人の語り伝えの凄さが注目されます。

因みに、各地の海没した大陸地話で現代地質学Geologyによって裏付けられているのは、全世界でonlyアジアの楽園Sundalandだけです。

以上、当時の人々にとって日が昇る、沈むことの重要さを加え、大悲劇の頃をまとめてみました。日出ずる楽園であることが分かります。遠東、Far East です。

人類史上最初の大悲劇(日本語)

(PDFファイルのダウンロード)

現代の教科書は、この大悲劇のずっと後(数千年)、多くの人々がユーラシア大陸から台湾Taiwanルート、内陸マレーMaleysiaルートで当地に大挙南下移住したことから書き始めていますが。

他方、この温暖化による大変化は、それまで寒冷あるいは乾燥砂漠であった所に水と木々や動植物をもたらしました。

そしてやがて、中東のメソポタミアMesopotamiaなど教科書にある文明を登場させることになって行きます。

なお、左下のインドネシア語は、アジア・アフリカ会議KAA60周年記念ではなく、ゼロを3つ加えた60,000年記念ですよと当地の人にエールを送ったものです。

更に、赤道祭りKhaturistiwa Karnavalは、遙か大昔の悲劇の楽園のご先祖様nenek moyangを偲ぶものでもあるのですよと言いたいです。

さて、歴史にやや埋もれてあまり注目されていませんが、私には何とも興味深いDravida Tamilについて回を改めて報告いたします。

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楽園Sundalandの今、家の近くのバイクタクシーのオジェたまり場で、斜面をレンガで整えています。

巨石遺跡の追っかけとしては、その素朴な積み上げ作業に目が向きます。Piling up bricks, stones since ten thousand years ago.

レンガ積syuku

が、見て頂きたいのは格好です。標高750mくらいとはいえ、半袖で動き回っている私からはフード被りの作業は考えられません。

オートバイに乗るので、皮ジャン着て上から見ているオジさんも分からんではないですが、何せ赤道の国の爽やかな朝ですから。

もっと標高の低い洞窟も無い所でジャワ原人は暮らしていましたが、確かに夜も暖かかったです。ここへ連れて来たらジャンパーを着せろというのでしょう。Comfortable morning, but early Hominid Java will ask me to put him a warmer on if I take him here.

家が密集して暮らせることに私はアジアを感じます。ここには、敬語も謙譲語もあります。They can live friendly in densed relation.

写真下のとんがり屋根は、タイでも見た楽園内の様式です。

 

密集家syuku

花は正に色とりどりで、もう無数にあります。

花suku 赤花syuku

バス停近くの交差点に張り出し空中店が開店しました。やるもんです。

新店syuku

上の赤矢印看板red sign boardは、米名門スタンフォードStanford大の小・中校への標識です。良い国際協力ですが、2億5千万人当国の将来の指導層future leaderへのアプローチapproachともいえるでしょう。

そういえば2年間くらいの英語教師として、郡部には米政府系資金で若い女性がこのイスラムの国の義務教育学校に一人づつ沢山来ています。Many young Americans voluntarily work in rural schools here as a language teacher.

彼女らの逞しさと米国のこれらの対外政策の厚みを感じます。

次は食です。

ここでは、一人で引いて開店する食事店から露店、洋風のシャレた店など多種あります。

屋台syuku 緑店syuku

スンダ伝統の構えたレストランには、屋根に千木があり伊勢神宮や出雲大社を思わせられます。Chigis at rooftop are the same style as those of Ise, Izumo shrine.

スンダ店syuku

食べ物は、果物が豊富です。

果物syuku パパイヤも (1)syuku

なんかないの?おカーさん。nangkaがあります。皮は恐ろしそうですが、種も大きくビワに近いいい味です。

なんかsyuku

お菓子、特に煎餅の類が豊富です。

菓子syuku えびなし煎餅syuku

通りでは、揚げ物もよく見ます。とうふは、tahuです。

揚げ物縮

中尾先生が世界の農耕の始まりと言われるバナナは、種類も豊富です。勿論、椰子の実も豊富にあります。Banana was the very first food of agriculture.

ばななsyuku

バナナの皮に持ったごはん、肉、野菜に辛味香辛料サンバル付きのナシクニンは、ここらしいものです。

バナナ葉飯縮

お山盛りのご飯は、収穫感謝の祝いピラミッドPyramidで、肉は北京ダックduckと同じbebekです。

ホントの祝いの場所では、ご飯riceを1mくらい盛り上げてます。

ぴらご飯syuku

街の飾りが竹による芸術Bamboo art なのもここらしいです。

竹飾り縮

サーファーの聖地や大自然とそこに生息する動植物の多様な素晴らしさなどは他に譲り、今の町の普通のいろいろな状況をお伝えしました。

その万年のアジアの楽園は、大昔の世界の温暖化の影響によって海に沈んで行きました。

11,500年前頃起きた、この世界人類史の最初の悲劇のビッグイベントについて、次回ご報告いたします。Next, about first big tragedy of civilized human being in the Paradise.

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アジアの楽園Sundalandでは、陽気は1年中まあ変わりません。晩秋から春の雨季に、一般的には午後遅めでざあーと強い雨、しばしば驚かされるすごい雷というところです。

8月は、お国も当地も特に現代史的に重要な時節です。

純白制服に中は赤いシャツ(国旗と同じ赤白)の女性兵士が登壇して、大統領から直接、国旗を拝受して掲揚隊の男性兵士に渡します。

女性no兵士

(18日付KOMPAS紙から)

その大赤白旗が晴れた空に翻り、また、戦闘機群が式場上空を飛行するという、当国のドラマチックだった独立の記念式典があります。

街でも国旗が林立する中、この月は様々な行事が行われ賑やかな雰囲気に包まれます。

日曜日の歩行者天国で、日本語を勉強しているいろいろな大学の学生さんのグループの行進にも出会いました。何しろ日の丸の小旗を振りながら堂々と歩いてます。

日の丸no学生

スンダの伝統文化を守ろうというグループは、いつものようにPRと工芸品の販売などをしています。写真は気取っていかめしくなってしまいましたが。

スンダG

当国はやりの健康サイクリング、家族の楽しみ、歌と踊りなどがありました。

自転車 2

CFDno家族

CFDkazoku

CFD歌と踊り

さて、私も気分は時期外れのショートバカンスとします。

 

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アジアの楽園Sundalandの探訪も暑い夏の8月は、当国含めて近現代史になりましたが、また、先史に戻ります。

先般シンガポールで、専門家1年生向けという考古学の良い教科書を入手しました。こういう本を一般書店に置いているところが流石のシンガポールです。

当国1、2の名門のバンドゥン大学は、工科大ですが流石に旧版は所蔵していてかねていい内容だと思っていました。

最新第6版は、考古学関連全分野をカバーして新たな内容を相当増補しているほか、カラー写真となり、かつ、量も広範多岐にわたり多く、世界をリードする英国らしい素晴らしいものです。

テキストsyuku

特に、考古学は単に事実の記述に留まらず、事実の歴史的な意味合いを 「説明」Explanationすることだとする、New Archaeologyを標榜しています。

それに関する諸説の変遷、今の議論の最前線の内容が図解、図表等とともに充実している正に「考古」のテキストです。

無論、地道な発掘等の内容は、近年の種々の機材も含めて方法論としての基本が十分記述されています。

また、総合的な発掘プロジェクトの事例も意義とともにその実情が多数紹介されています。

先日紹介しました「氷河期以後」After the Iceは、正にこの考古「説明」の流れの先端を行く、コンピューターを駆使した科学的な方法に基づくもので、著者もこの教科書に採りあげられています。

そして、日本では考えられませんが、私が拙著(アジアの楽園探訪記)で「石器人に対する認識を大きく変えた。」と紹介しました驚きのトルコ東南のギョベクリ・テペGobekli・Tepe遺跡が、早速入っています。

教科書のGT

万年頃・万年を越える人類先史の焦点と考える時期について充実していますので、私には素晴らしい選手たちのサッカー・ワールドカップを真近の席で観戦している気分です。

但し、欧米中心と成りがちなためのみならず、実証が不十分とみているのでしょうか、東南アジアは少なく、アジアが全般に少ないのは残念ですが。やはりあちら系のワールドカップに出るのは大変なのでしょう。

さて、現生人類がアフリカを出てからの中東、アジアは世界先史の中心的な意義を有し大変重要だと考えています。

地球規模の気候の最終氷期最寒冷期LGM(2万年前頃)と寒戻りYD期(1.3~1.1万年前頃)には、欧州の殆どの地域は人が住めない状況でしたが、赤道地域のアジアの楽園スンダランドは、一貫して恵まれた条件にありました。

人類進出縮

また、英国の誇るストーン・ヘンジStone hengeなどの欧州巨石遺跡(地中海地域の物より古い)が、何故か大西洋岸に偏っているのはどこから?という謎。

遠いマダガスカルMadagascarに何故、楽園地域の人の末裔がいるのか?

遠く離れたドラヴィダ・タミルTamil語が、日本語に共通する言葉が多く近いと言われるのは何故か? 何故、中国、沿海州など近い大陸の言葉でないのか?

などは、早い時期の海のルートの伝搬を考える必要があると思いますが、テキストには記述されていません。

海川伝播syuku

当地に住んで動いてますと、軽易に乗り降りできるミニバス、隣の県への大型バス、隣の州への長距離夜間バスなど独特の運輸様式とバス停留所があり、休暇の帰省を川上に上がると表現するなど万年の舟人、海の民の優れた交易行動力から理解できます。

各地に舟着き場、租界があったと思いますが、木・竹の施設や船は残らないですし、租界もその後の陸勢力に溶け込んだのでしょう。巨石構造物は残り、人や言葉は端や島(陸の孤島含む)に残ると言えます。

教科書も認めている通り、東南アジア熱帯地帯は、遺骨・遺物が残りにくいですので、楽園スンダランドの巨石遺跡グヌン・パダンは、地中に時代を異にする3層以上を有する大変古いもので注目されます。

GP写真縮

当地でも認識されてきていて、書店に並んでいます。

本屋noGP

また、11月、英国ロンドンで、先史遺跡についての公開会議が行われますが、前述のギョベクリ・テペなどとともに当地グヌン・パダンもテーマの一つです。

Nara Akiraさんの写真
 万年を越える先史遺跡が続々と声を上げてきています。
 いつの日か、アジアの楽園の万年の遺跡が、先史ワールドカップに出場してアジアの意義が認識されることを期待していますし、この面で日本が地域を支援できれば大変良い国際協力になると考えています。
 今日は、中央から文化大臣ご臨席のもと、当国文学の第1人者Ajipさんとともに、文学及び母国語と地域の文化の継承を大切にするスンダロギーの文学賞授与イベントが、西ジャワ州都バンドゥンでありました。
 西ジャワ州知事さん、西ジャワ言葉(親善)大使(優勝者女史)にご挨拶し、研究のことなど自己紹介する機会を得ました。大使は、来月、東京と京都に行かれるそうです。
 作家縮
イベントsyuku
州知事syuku
言葉大使syuku

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楽園Sundalandの現代史です。70年前の今日、闘士スカルノとハッタは、太陽が昇った10:30過ぎに、スカルノ邸に設えられた演壇に上がる歴史的瞬間を迎えました。

集まった皆の前で闘士スカルノは、これまでの皆の努力を述べた前言の後、独立を宣言し、権力等の移譲事項が遺漏なく、かつ速やかに主催されることを宣しました。

しかし、宣言や唱えるだけで独立や平和がもたらされるわけではないことを青年活動家たちも認識することになります。

戻ってきた特に蘭軍に対し、血を流す抵抗を伴って幾多の曲折の中、4年半の歳月がかかりましたから。

何しろ勝利した連合国側として戻ってきた蘭軍の司令官は、なあにまた300年、同じことをしてやるだけさと答える意識でしたので。

(尤も、日本によって覚醒し訓練されたインドネシア人の力を見誤っていましたが。)

そしてこの独立戦争の中で、この地に残った元日本軍人の命を賭した関わり、独立勢力への巧妙な武器・弾薬等の支援などがありましたが、細部はまだ歴史の中に埋もれています。

但し、前回報告しましたスカルノ初代大統領が、日本の地に元日本軍人に対する記念碑を建てたという前例のない行動が、実情を何より雄弁に語っていると思います。

さて、当地では各地で式典が行われ、競り合う楽しいイベントが行われました。

テレビで見た独立(大統領)宮殿での式典では、150m四方くらいの前庭に代表の軍部隊等が整列する中、大統領臨場、女性兵士による大統領からの国旗の受領と男性兵士による掲揚、宗教指導者の辞、戦闘機部隊の飛行、音楽演奏などがありました。

特筆すべきは、大統領の式辞はなく2名の中学生男女が、一節づつ交互に語る未来を見据えたインドネシアの方向を述べました。独立宣言が行われた頃の時間にです。

来賓席には、近郊から招待された生徒が沢山見えました。

画面を見ていた限り、観えた女性兵士比率が高く、また、来賓側に生徒さんが多かったことは、お国も参考にしたらと感じました。

街の方では笑い声の中、いろいろな競争イベントが行われていました。宝取りは柱に油が塗られています。煎餅食い競争と綱引きは、ここと日本くらいでしょうか。しかもジルバブ女性が。

柱上がり縮

柱上りsyuku 登りsyuku

観客syuku iguanaの縮

喰い競争syuku

女綱引き

万年の歴史の厚みを持つ山の神の力の強い民だと感じました。そして小さい子供が多く目につきます。

本日、新聞は休刊でした。(?)

 

 

アジアの楽園Sundalandの現代の雄インドネシアの独立宣言ドラマのあった日から70年後の今日、日曜日のバンドゥンは、いつもの歩行者天国CFDカー・フリー・デイです。

賑わい縮

タバコ・フリー・デイは、タバコ煙の禁じられた日という訳で、日本ではフリーが誤解されてませんか?

それはともかく、通りは出し物でいつもよりにぎやか、やはり人気は音楽と踊りです。子供劇もありました。

70年pura 自転車kumi踊り

音楽縮ドラエモン縮

キャラクター縮 子供劇 (1)縮

スンダ人の文化を伝えようとするグループの出し物は、今日は蛇でした。子供を産んだお母さんは強いです。万年の伝統を受け継ぐ使いこまれた竹製のバドゥイ族のバッグは売り物ではなく、宝剣クジャンを付けたいわばお店の金庫です。

スンダ縮 蛇syuku

竹カバンsyuku

若い学生さんの行進は、緑を守れ、若者に明日をというまっとうなものです。

学生no行進

さて、今日の新聞Kompas紙は、独立宣言に関する博物館などのルポが載っています。

写真には、独立宣言をまとめる雰囲気の様子として左からハッタ、スカルノ、スバルジョ(奈良注:後の外相)、壁には宣言が拡大されて掲示されています、宣言起草博物館にてと説明されています。

打ち合わせsyuku

記事中には、日本海軍の前田少将の家族用食卓テーブルの3人と書かれていますが、博物館を訪れている人たちに意味合いが伝わっているかなあとも思います。

記事では、ともかく日本から与えられた独立と誤解されないようにという強い意志を主張していた青年活動家たちが、一度は壮年闘士スカルノとハッタを拉致し隠した場所(今では家はゴミの山)から、探し連れ戻した事情も紹介されています。

そして今夜、大日本帝国海軍武官府の前田少将公邸で打ち合わせを重ねつつ、ドラマはいよいよ宣言が起草され集まった代表たちにスカルノ邸で発表される大団円へと向かいます。

当地、外では花火の音が聞こえました。

 

 

アジアの楽園Sundalandの雄インドネシアは、今、赤白国旗が至る所に飾られ17日の独立記念を迎えようとしています。

おめでたい赤白は、国旗を見ると日本、マレーシア、タイはもとより、フィリッピン、台湾、そして要素が似てると言えばカンボジア、ラオス、ミャンマー、東ティモール、ネパール、更に韓国、北朝鮮も似た系統と言えるでしょう。

私には、現生人類の展開の北上ルートに沿った興味深い類似性です。中国、ベトナム、バングラデシュが、仮に主義や宗教を除いたとしたらどういうものになるか大変興味深いです。

さて、我が地区では橋にまで彩色していますし、沢を越えた自然公園などではペンキを塗ったり、階段を補修したり準備に余念がないです。

橋no国旗

ペンキ塗り

独立については、小学校から大学まで内容の深みに差はあれ、教わる国の原点の重要事項です。

何と言っても独立の闘士スカルノ(初代大統領)・ハッタ(副大統領)による70年前の独立宣言は、手書きの一部修正の跡も残るリアルなものが、スカルノによって読み上げられたドラマチックなものです。

独立no宣言

(SEJARAH untuk SMA Kelas Ⅹから)

05と見える年号は、皇紀2605年というものです。西暦ではなく、植民地イメージを避けたとも言われています。

そして、宣言後も復活を目論み戻ってきたオランダに対して武器をとって抵抗し、血を流して4年5ケ月後に勝ち取ったものです。

植民地化から約350年の長い抑圧の時代から解放したドラマです。

この戦いに加わった元日本兵の約千名が戦・病死したと言われており、帰化してインドネシア人となった人たちは、今はジャカルタの英雄墓地に眠っています。

しかし、独立の闘士や青年層を前にして行われたそのドラマチックな独立宣言が何故、直前の深夜長時間、ジャカルタにあった大日本帝国海軍武官府の前田少将の所で打ち合わせがなされたのかという面でのそこに至る日本の貢献はあまり知られていません。

そして日本の敗戦を正規に確認し、宣言文書を作成して読み上げるに至るまでに2日を要したドラマもあります。

まして、港区の青松寺に特に2名の元日本軍人ため、肩書きの無いスカルノ名で記念碑が建てられていることは、此処では殆ど知られていないでしょう。

また、碑にはこれも肩書きの無い氏名のみの2人へとして、独立は一民族のものならず全人類のものなり。というちょっと不思議な文言が刻まれています。

正にこれこそ、その後続々と植民地から解放されたアジア・アフリカ諸国が参加したバンドゥン会議をやり遂げた後に碑を建立した、スカルノ大統領ならではのものです。

前田少将ほか数名がインドネシアの叙勲を受けていますが、特に貢献し亡くなられた元日本軍人2人に対する最高の歴史評価と謝辞と言えるでしょう。

あなた方の貢献は、一インドネシアのためだけじゃなかったんですよと。

さて、最初に述べた近くの自然公園には、かなりの内部構造を有する日本軍の洞窟もあります。

この地域は今は、人々のリクリエーションの場となっており、ブランコなどの遊戯施設、自然博物館や売店も多い西ジャワ州森林局の管理です。

清掃された洞窟も普通に(懐中電灯を借りて)見学されています。

入口no付近

洞窟人だかり

そして本日、日本時間正午頃、気さくに応じてくれたここの様子を撮りましたので報告といたします(肖像権不明のため小さいですが)。数百m離れたオランダ軍の洞窟も同様でしたでしょう。

集合no写真 洞窟no前

当時は少年も作業に参加させられ苦労していますが、今の子供たちには、上に見えるJepangは、好感ブランドとしての受け止めなのかもしれません。時は経ちました。

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アジアの楽園Sundalandの中心部のシンガポールは、その南にインドネシア・スマトラ島リアウ州のリアウRiau諸島があり、昔の地図で見ると島々は、海面上昇で沈んだスンダランド陸地の残った丘たちであることがよく分かります。

シンガno南島

そして、丁度建国50周年でしたのでマレー系遺産博物館でもイベントが行われていましたが、今勉強してる言葉が外国で通じるのがいいですね。

西ジャワのスンダ人が大切にしている短剣クジャン(クリス)が飾られていたり、伝統の人形劇ワヤン、元祖系タコ焼き道具もあったりして嬉しくなりました。

マレー系 sinngaクジャン人形ワヤン タコ焼き具

当たり前ですが、楽園で元々一緒だったところに、人口比を大逆転するほどの中国南部の人たちが来てシンガポールになっています。万年の昔から楽園は、人々の北上と南下が繰り返されて文化が育まれています。

人類の展開を考えれば、ここでタミル主のインド人とアメリカインディアンが一緒に居て何の違和感も有りません。

印とインディアン

さて、テーマのブキテマ高地(164m)ですが、先の大戦でマレー半島を日本の自転車銀輪部隊が南下し、守備する英豪軍と激戦となりました。今は自然保護区となり静かな地域になっています。

ブキテマ 高地 ブキテマ入口

ビザ更新の短期滞在観光客として、サル君に会い丘に少し入りましたが、雨にあって一人休憩所で雨宿りし、つわものを偲ぶこととなりました。

ブキテマno猿 つわものと一人

実は日本軍は、弾が尽きそうな勝利(日露戦以来の伝統?)でしたが、白旗を掲げた英軍に対し山下将軍は勝者の席に着きました。

交渉で通訳に訳をはっきりさせなさいという意味の「はい」か「いいえ」かと聞いたのが強圧的と伝えられ、今の慰安婦問題と同様に誤解に基づく悪いイメージが拡がってしまいました。残念です。

このブキテマ高地ですがブキ・ティマ、Bukit(丘)Temah(Tin錫)ということだそうです。錫と聞くと歴史ニアとしては、何!となります、青銅の重要な元ですので。

イギリスは、貿易戦略上から選んだのでしょうが、近くのジャワ海には、水をかけるだけで錫が採れると言われたその名もブリトゥン島も手に入れてます(後にオランダへ)。

 http://www.sunda-wind.net/report/290

アジアの楽園Sundalandは、陽気がよくて食糧が豊富というだけでなく、火山地帯のもたらす豊富な宝石・鉱物(今は石油)等に恵まれた地域です。

このため、まずは溢れた、冒険心ある人々が北上して巣立っていき、氷河寒冷期には楽園に人々が南下して集まってくる所でした。幸せは父祖の地、温暖で豊かな南の島にある、です。

かって幸せを求め南に向かい、この地で安らかに眠る日本人の先人たちを偲ぶ石碑があります。

先人偲ぶ

残念ながら、今は書かれているような広く安全で強固な貿易の南シナ海ではなくなってきていますが。

 

 

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I want to make comments about that, is based on chart of Great Journey of Homo Sapience as below, though I’ve got the news in far away island Java by private e-mail on Book Review of some Japanese News Paper .
人類の進出
1. It’s written about history of homo sapience from 20,000-5,000 BC .
   It’s amazing for me because the theme and the duration are the same as mine and written by a specialist professor on history  has written, not by an amateur as I initially handed over e-book draft of my idea on that theme to e-publisher in June last year.
2. Prof. Mithen wrote on begining of agricuture, but should pay attention to the point that no ice age existed in warm Sundaland and banana is very old selected breed by homo sapience.
3. Yes. In that period, Human Civilization took off far before Mesopotamia though it depends on diffinition of civilization. I’m interested in human characteristic society of large enough, long enough period one which was fully different from that of monkey and ape. When, where and what society was our origin ?
4. Prof. Mithen should study more on Sundaland as he visited almost all over the continents area. He should pay more attention  on it as an important region of Human Great Journey.
5. Yes. Now, we have to think about what human beings are, what human society, civilization should be. People in modern society has to  know about Out of Africa, era of Sundaland “civilization”.
6. Methodology is good. We should study not only from contemporary situation to the past, but from origin of Africa, Great Journey to now.
7. Yes. Results of historical excavation is Evidence. So, I’m interested in Gunung Padang and under water situation in Bay of Thailand.
8. Prof. Mithen has orchestrated many fields of science and picturised initial Human civilization. And it should also be mentioned on analysis of Nenkou, DNA, high-tec electro magnetic survey etc.
9. One Book Review express its greatness as a fine music on Creation of World. But, I think it’s too much. In creation of world, Adam and Eve are black Africans though I don’t know how ordinary Wetern People feel to it. As like they’d got out from the garden of Eden, homo sapience got out of Africa and prevailed to the world.
Now, we should face up to relity of ancient prehistory for one of main issues of ineternational society, humanism.
10. Prof. Mithen touched upon little about Sundaland. It’s a pity, really.
By the way, it’s said by some in study community in Japan that this theme should be discussed not in University but by Rekishinia(retired ordinary seniors who are interested in history) in salon.
But, it’s delightful for me that a  University historian of UK, leading level in the field of history, has finalised contents by scientific method.
I hope more progress will be achieved in this theme near future.
http://www.sunda-wind.net
私のアジアの楽園Sundaland、グヌン・パダン巨石遺跡の研究(「アジアの楽園探訪記」http://www.sunda-wind.net)に関連して、驚きの大著「氷河期以後」After the Iceが、英オックスフォード・リーディング大スティーヴン・マイズン教授により書かれました。
著者は世界各地を訪れてますが、残念ながら東南アジアを研究訪問しておらず、また、世界をリードしている英国歴史学界には、このテーマで注目すべき研究もありますが反映されていないようで遺憾に思っています。
新聞書評等の風の頼りから、以下、人類のグレート・ジャーニーを基にする私の赤道を越えた島からの所見を述べます。
人類の進出
1.紀元前2万年から同5,000年に的を絞っての人類史ということです。
テーマの問題意識、先史の対象時期が私と一緒の歴史専門家が俯瞰した学術研究であり、実に驚くほかないです(私は昨年6月から、原稿「アジアの楽園探訪記」を出版社e-ブックランドと調整開始)。
2.氷河期が終わって地球が温暖化する中で、農耕が始まりという記述のようです。
寒戻りのヤンガー・ドリアス(YD)期(1.3-1.15万年前)後ということかもしれませんが、アジアの楽園Sundalandには、欧州などのような氷河期は無いです。バナナの改良から栽培・農耕は始まっています。
3.今に続く文明の基礎ができた時期とのことで、その通りでありメソポタミアのずっと前です。文明の定義によりますが。私は、サル社会と全く異なる特質を有する規模の大きな、期間も長い、文明と呼べる始源の人間社会は、いつごろ、どこか、どんなものかという今に繋がる原点、源流を追っています。
4.西アジア、ヨーロッパ、アメリカ大陸、オーストラリア大陸、
東アジア、南アジア、アフリカ大陸を巡って記述しているようですが、ものの見事に、最重要のアジアの楽園Sundalandを外しています。
5.結論的に考えさせられるのは、人間とは何か、文明とは何かということだそうですが、その通りであり更に全ての現代人は、温故知新、出現のアフリカ、「文明」を生み出したアジアの楽園時代に思いをいたすべきでしょう。
6.現代からの類推で過去を復元するのではなくということのようですが、良いですね。私は前掲のとおり、アフリカの始源から復元を図る考察に努めています。
7.発掘成果はその証拠として働くことはその通りで、私もグヌン・パダン巨石遺跡、タイ湾海下の運河・灌漑遺構の状などを追っています。
8.人類学、古気候学、動物学、植物学、堆積学など、過去に向き合う諸学問が統合され、一霊長類に過ぎなかったヒトが「文明」を生み出したことを明らかにした。
という点はその通りです。近年の年縞分析、DNA分析、電磁気調査などの重要さも書くべきでしょう。
9.天地創造の楽曲を奏でるような大良著ということらしいですが、言い過ぎでしょう。一般の欧州人の受け止めはどうかですが、アフリカの黒人が新人類の始まり、言わば天地創造のアダムとイブです。エデンの園から追放されたかのごとく、前掲のとおりやがてアフリカを出て世界に拡がりました。
 そして、イエス・キリストやマリア様を今描くなら、皮膚の色は褐色にすべきでしょう。そうすれば、国際社会の最重要課題の一つである真のヒューマニズムが生まれるものと考えます。
 また、自分たちの遠い祖先に最もよく似た人たちを奴隷にし売買したことが、その後の特に欧米白色人の人たちが背負っていく「人間仲間内の原罪」と言えるでしょう。
10.アジアの楽園Sundalandについての記述は、極めて不十分なようです。
 いずれにしても、「歴史ニア」のお遊びと言われた先史のこの時代、始源の文明研究が、世界をリードする英国の大学の歴史専門家によって科学的になされ公にされたことは、誠に喜ばしく今後の更なる解明に期待が持てます。

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