棚田式の基本構造とは別に、そもそも多くのピラミッドは、選ばれた少数の者が俗世を脱するように階段を上って高みの頂上部に至り、崇める天・神とのコミュニケーションの中で祈りを捧げて宗教的行事や天文活動を行うものです。この点でも強力ファラオのギザの角錐ピラミッドは、内部に意義がある少数派です。この流れで外形が同じものとしては、中国(青い目のミイラも多数あり)西安地区のものや、論議のあるボスニアなどのものがあります。その古さと内部がどうなのかは、これからの課題です。

images[1] 中国のピラミッド

news.ameda.jpから

グヌン・パダン聖地ピラミッドは、そこに人の居住の無かったことが確認されています。しかし、マチュピチュは、他と違って選ばれた神官などだけでなくいわば一族郎党がその高みに上がり居住したという点においてユニークです。

また、階段を上がって俗世を脱し、高みの施設で同種の活動をした本質に着目しますと、古代の出雲大社を最古最大の木造ピラミッドと私が称していますこともご理解いただけると思います。

Izumo-taisha_scale_model_121281969_6127ff6b17_o[1] 古代の出雲大社

Wikipediaから

そして、縄文の三内丸山も、高みにおいて八甲田山に向かい同種活動をしたと考えられ広義の小ピラミッドでしょう。広島の葦獄山は、階段ではなく俗世を脱する長い山道を登ってその頂上で同種活動を行った山ピラミッドでしょう。これらは、人類にとって重要な精神性において超古代から、その造形に通底するものを感じさせます。

そして、人類の百貨店であるアジアの楽園には、これらとは違った造形の注目すべき重要な建造物がジャワ島にあり、調査後報告します。

ピラミッドと聞くとあのエジプトのギザのものが思い浮かべられます。世界的に有名な正に傑作の金字塔ですが、実はピラミッド仲間では少数派です。それは、当地で普通にどこにでも見られるような、崇める天、神の造った火山として安定した造形の数多の山々と類似しています。それだけに人間が造る場合は大変です。

ピラミッド山1 ピラミッド山2

我がシェアハウス丘上から見える     ブリトゥン島のピラミッド山

ピラミッド山

しかし、学界では最古とされるエジプトの最初のものは、4,650年前頃のサッカラのジェゼル王のピラミッドで、階段ピラミッドと呼ばれています。

120px-DjoserPyramid[1] サッカルのピラミッド Wikipediaから

当地のグヌン・パダン、レバッ・チベドゥなどや中南米のものと類似の造形です。当地では、半年以上の雨季には、正に天、神が怒っていると感じるような雷が轟き、1-2時間の強く激しい雨が降ります。それはピラミッド角柱の角を丸くするほどのものです。そして当地は地震があり、これを恐れればかなり平たい構造のものすら当地にはあります。

この雨と地震の揺れのもたらす土石の緩みによる斜面の地滑り崩れは大きな問題です。グヌン・パダンではこの対策として、当地の人なら普通に思いつく棚田式にし、垂直と水平の石積みを工夫しています。

棚田 西ジャワの棚田 3層石 雨などで丸くなった角柱と水平積み

グヌン・パダンは、近年の調査により斜面のすそ野まで棚田式になっていることが明らかになりました。また、南米の世界遺産マチュピチュも農耕生活の必要もあり、棚田式になっています。

GP棚田 グヌン・パダンの棚田式斜面(アリ・アクバル教授「遺跡グヌン・パダン」から)

220px-80_-_Machu_Picchu_-_Juin_2009_-_edit[1] マチュピチュ Wikipediaから

そこで問題は、当時、エジプトのナイル河畔は雨の少ない、地震もたいしたことない地域であるのに何故、棚田風にしたかです。グヌン・パダンの造形を採り入れたのでは?と考えさせられます。案の定その時代後には失敗もありましたが、強大な権力のクフ王は、天・神の造形をめざし、あの角錐金字塔の造形を完成させています。

グヌン・パダンは、表面の第1層は裾野まで棚田式ですが、内部の2層、3層もやはり棚田式であったのかという問題があります。これらの建造時代と造形の重要さからグヌン・パダン内部の形態の解明が注目されます。

1週間の期(学年)末試験が終わりました。やはり試験はそれなりに集中しますし、教室を出て2-3分で、あ!?間違えたと気づくことはしっかり覚えるでしょう。また、研究に向かえるウキウキ感もあります。さて、

インドネシアは、香港、オランダ、タイなどに次ぐ錦鯉の輸入国だそうで、アジアの楽園地区の伸びは大きいそうです。当地でも洋風ホテルのロビーとレストランの間に見つけて、へ~と思いました。水の流れは滝風で、そしてやはり船があるのが此処らしい。それらを佳しと感ずるところが楽園らしく、また、我が国の心情に通ずるものと感じます。

鯉 船鯉

同じく、やはり目貫通りのレストラン喫茶は、ゴルフ用品販売などと併設された当地ではこじゃれた店です。そのインテリアは、壁にはアート写真、そして日本では考えられない万年前からのくり抜きの舟と農作業の笠・竹籠です。外では、子供のおもちゃですが、竹のバネを利用したスタビライザー付きのよくできた物運び(写真では小石)で、大型の実物は、グヌン・パダン遺跡造りにも使われたんだろうなと思わせられます。

農漁舟 竹橇

日本の皆さんも連休で行楽地に行かれていることでしょう。

先般、半年の学期に1度の日帰り研修バス旅行に行き、レポートも提出終わりましたので、ご報告です。前回の旅行は、学生がルーズで7時出発予定が9時近くになり、5時起きで示された集合時間前に来ていた日本人組をあきれさせましたが、今回は名簿確認、Tシャツ及び朝食受領などの後、7時過ぎに出発できました。向かったのは、バンドゥン南東約2時間のGarut地区で、お菓子工場見学と観光施設でした。学生は遠足気分ですが、企業の工場管理、販促、問題点、助言など5枚以上書いて提出というのが気になります。

それはさておき、観光施設はNaga村でした。入口に此処スンダの人が大切にする小刀Kujangが飾られ、土産物店が並ぶ中を通り、川のある低地(比高差約15m)まで階段を降ります。途中で視界が開けると、教室で教わったように、川のそばに家々が並び田畑がある伝統の風景が目に入ります。130人くらいの人たちが今も電気の無い(!)昔の生活をしています。そして、やはりここでも家には日本の神宮・大社と同じく千木があります。

朝食 Kujangnaga村 千木

ウガンダからのイブラヒム君は、国のと同じようなものだと懐かしそうに杵を手にします。人だかりで見えませんでしたが、ナイジェリアからのファルーク君は、村の人が20cm位の竹楽器を口元で演奏している(写真は、budaya-Indonesia.orgから)と合わせてスンダの歌を歌って驚かせてくれます。西アフリカとアジアの楽園のスンダは近いです。

杵 imagesFGBI2U3W

お日様とともに暮らし、隣も分かる長屋で農耕と民芸品作りが生計を支え、子供たちは階段を上り下りして通学していますが、町の騒音とは無縁、リストラもいじめも殺伐とした事件もない穏やかな生活です。途中休憩のガソリンスタンド前の空き地には、グヌン・パダン遺跡と同じ柱状節理の石柱を輪切りにした造形の敷石が作業を待っており、雨で霞む遠方にはピラミッド山が見えました。

生活 6角柱

見学を終えてスンダレストランで夕食し帰りました。たまたま着席し撮った写真を見ますと、手前2人がアフリカ、次の右は高地人が万年の暮らしをしているパプア、左は黒潮先の薩摩おごじょ、奥の隣の席の向うむき最右がエジプト、こちらを見ている右はアジアの楽園、マレーシア国境に近いタイ、左はアイヌの展示の充実を発表した北海道の道産子と、人類の旅さながらのものとなっています。現在、日本と韓国がダントツで学生多数派の双璧です。なお、今回のnaga村は、川そば低地でしたが、この国には山中で今も頑なに昔ながらの生活を守っているバドゥイ族の人々もいます(写真下右)。そこは、天国への橋を渡って行く聖地ピラミッド地区に入った外部の者は生きては帰れないと言われる所です。正に多様で昔が残っている国です。

夕食 バドゥイ

Gunung Padang(1)

カテゴリー: 研究関連,English

NARA  AKIRA pointed out in my flame work of theory that there are similarities among pyramids and historic megalithic  relics in the world.

Those are even in different countries and far apart.

World heritage Borobudur is said that it followed structure of Gunung Pdang.

Machu Picchu has also similarity to Gunung Padang in its structure, pointed by an Indonesian architect Mr. Pon Purajatnika.

Japanese Dr.Takasi SAKAI wrote about it on Gunung Padang and  Preah Vihear Temple in Cambodia in his research report.

Indonesian Dr. Danny Hilman explained in symposium that 6 megalithic sites are already found around Suka Bumi city in west Java within 60km include Gunung Padang.

 

4月に開催された「アジア・アフリカAA会議」60周年記念行事は、
盛会のうちに閉幕しました。

過去の投稿をまとめたので、ご覧ください。

2015.04.11 【予定】2015年4月18~24日 アジア・アフリカ AA会議60周年記念行事

2015.04.22 アジア・アフリカ会議60周年記念行事

2015.04.23 アジア・アフリカ会議(2)

2015.04.23 アジア・アフリカ会議(3)

2015.04.25 アジア・アフリカ会議(4-1)

2015.04.25 アジア・アフリカ会議(4-2)

2015.04.26 AA会議関連イベント

理論的な枠組み

カテゴリー: 研究関連

理論的な枠組み

2015.3.24 ギョベクリ・テペ及びグヌン・パダン合同シンポジウム

バンドゥンのインドネシア科学院LIPIにギョベクリ・テペ研究ジャーナリストのAndrew Collins(英国)を招いて行われ、グヌン・パダンについては、LIPIのDanny Hilman博士が実施しました。万年を越える両遺跡等について、興味深い説明がありました。

1.時期・場所
・3月24日 09:30-16:00
・インドネシア科学院LIPI 10号館1F,3F
会場1階には、関連パネルが展示されていました。

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2.興味深い内容
(1) Andrew Collins .
ア 北から来た人たち
遺跡建造に関わった人たちは、黒海北側のSwiderian地域に居たが、ヤンガー・ドリアス寒冷期(13,000-11,500年前頃)に黒海東側をコーカサスに南下し、トルコ東南のギョベクリ・テペに至った狩猟採集民族である。当時の住民数は分からない。数千~1万か。
GordonChilde等によれば、元々は、4万―1万7千年前頃、東欧で勢力を有していたGravettiansで、ドン川沿いの上中流でも遺跡が発見されている。(紹介された想像図では丸太小屋に住み、フード付の長いコートやマントを着ている石器時代人である。)

イ テペ遺跡
テペ遺跡は、11,500年前ころのものだが、近くの南東(約37km)にKarahanテペ遺跡があり、10,500年前ころで、同じくT型の巨石建造を行っており、巨石の切り口もシャープである。
まだ地下にも遺跡はある。地域は、200m×300mくらい。一時伝えられたほど多い数ではない。

ウ 寒冷気候変動
原因は、彗星群の衝突によるものと考えられ、オオカミの石彫りは尾が彗星、手足がその抑制のシンボルと考えている。シャーマンが戦っているものもある。

エ 遺跡軸線の方向と星座
遺跡中央の2大石柱の真ん中から入口の方向の軸線は、真北から18度北北西で白鳥座のデネブ星に向いているが、グヌン・パダンとこの点は同じである。中国や日本の織姫・彦星神話が相当する。

オ 黒曜石
テペ人は、洗練された手法の狩猟族で、シャーマンがおり、交易者で、鉱物特に黒曜石の使用に優れていた。15,000年前ころバンドゥンの山斜面にも黒曜石の製作場があった。グヌン・パダンとの黒曜石文化があった。

ギョベクリ・テペでは、金属でなく石工具で石柱及び動物描画作業等が行われている。

(2) Danny Hilman博士
ア カタストロフィによる人類史における気候変動及び人類数の増減について考えるべきで、1000年前、産業革命まで何万年も人類数は一定で少ない定説に疑義あり。フローレス人の存在とその消滅は、ヤンガー・ドリアスYD期のカタストロフィ気候変動によるのではないか。

イ YD期を終わらせ急激温度上昇をもたらしたのは、太陽プラズマの爆発かも知れない。プラズマの起きた場合の形態と古代人の絵に類似性がある。マンモス消滅、北米クロービス文化消滅、火山活動の活発化、ギョベクリ・テペ建設、スンダランド陸地の変化など画期的な事象が表れている。スンダ海峡では、音響探査で海中に港のような形が出ている。

ウ タイランド湾内の灌漑遺構
湾中央部で、海中に大河から枝分かれした網の目のような人工運河があるが、1万年以上前の灌漑遺構か。(まずは洪水の治水、乾季の食糧生産であることから灌漑遺構であろう。)

エ スラウェシ島等の巨石文化
おなかの前で手を組んだ石像は、ギョベクリ・テペと類似で、彫られた動物にも類似性がある。また、石器で作るのは容易でない滑らかな曲 線形状の巨石遺物がある。メキシコとスマトラ巨石像の類似性もある。

オ グヌン・パダンの概要及び石柱、構造及び年代、発掘遺物
スカブミ西(チケンバン)を中心とする50km圏内にグヌン・パダンの他に6ケ所の巨石ピラミッド等が確認されている。(やはりスカブミ地区は注目される。)
第5テラスは、石積斜面に土を盛った部分が大きい。
最下層は、蛇の鎌首溶岩の頭部上面の安山岩層である。(灰白色の柱状列石は、周囲が緑の中、目だった景観を呈していたことと思われる。)

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