➀ Inland route
New theory of inland hunter’s “marinarisation” has come out to Kelp Highway in Beringia as coastal migration hypothesis has become popular.
② Coastal route
AB :It took long duration for adapting to quite different from near equator life in higher latitude, such as clothing and dwelling.
BC: Long and cold route, but it was not so slow migration in spite of moving very cold zone.
It might be preparation for life already in Japan, rich diet of marine resources, rather mild climate along coast of north Pacific.
CD :It was rather fast because of better climate, but not ”Express” , as previously thought.
-RGaPJ

➀アジア東部の内陸族系野移住説、欧米ではこの東部シベリア狩猟族ルートが認識されてきていますが、近年の米西海岸南下の「沿岸ルート」説の高まりにより、DNAと足跡の発見から2.5万年前頃に北のベリンジア南岸で大槍を捨て「海民化」暮らしに転換したという論が登場しています。実はこの時代標準で見ると、東部シベリアで遺跡・遺物の発見は無くあくまで「環太平洋ルート」と同じ説です。

②環太平洋ルート説の行程

近年の米西海岸南下の「沿岸ルート」説の高まりで、日本の遺跡・遺物、特に伊豆の生業航海(3.8万年前)、南方スンダランド地域の遺跡・遺物が注目され、「環太平洋ルートMPOR」説の提唱(祖代研)に光です。

各区間の特色は、以下の通り(祖代研)です。

A~B:緯度北上に最も長期間を要しましています。南方民「インマレイ」(欧州学者の「旧モンゴロイド」用語は誤解させる不適切)が、裸体から衣服・居住暮らしの大変化に適応に期間を要したのでしょう。

B~C:長距離・極寒の区間ですが、意外に普通速度です。日本で既に北の暮らしの準備ができていた、「昆布(kelp)Highway」の食に恵まれた、沿岸気候は相対的に極寒を緩和していた、ことなどが考えられます。

C~D:赤道を通過する相対温暖の沿岸をフネで南下したと考えられます。チリのMonte・Verde遺跡(1.45万年前)発見で、欧米が「急行」と名付けましたが足跡発見を考慮すれば実はちょっと速い普通です。

36,700年に及ぶ環太平洋ルートのこの特色は納得の1例であり、北海道東祖人に光という日本史の重要内容です。
教室に世界に、「環太平洋ルート」・「インマレイ」・日本の「祖人Sojin」の紹介を―日本祖代研究会(RGaPJ ) 

1.北米ニューメキシコのWhite Sands遺跡C~南米パタゴニアのモンテ・ヴェルデ遺跡D:欧米先生がこれまではこの長距離を“急行Express”だったと言っていましたが、北米での足跡2.3万年前の発見で、実はまあ速い普通です。

2.南方マロス(インドネシア)A~札幌B:緯度の北上に最も期間を要したのは、おそらく着衣・居住の暮らし変化に適応のため特に日本列島で足踏みしたのでは。他に比し遺跡が沢山見つかってもいますし。日本史の始まりについて、最古遺物から伊豆の3.8万年前が実証されていますが、そのことから日本の始まりが北部九州なのに3.8万年前という学者がいます。人類の移住の歩みの相場観の無い不適切な見解で、主流は「約4万年前」としています。

3.北B~C:長距離で氷河期の極寒なのに意外にも普通だったのは、青森・北海道での寒冷生活の慣れと沿岸の気候が内陸に比し極寒を緩和したためでしょう。総じて全く「納得」できる祖人Sojinの歩みの一例説の提示で、環太平洋36.700年の長い旅路だったという事です。

教室に始まり時代を、世界に北海道史をー日本祖代研究会(RGaPJ)

1.約4万年前の北部九州への渡海来着から、沖縄へ南下、本州の伊豆の生業航海などや青森・陸奥平野を経て祖人Sojin(縄文の前)は北海道へ。次々に見えた千島、フネだけでなく冬季は流氷を歩いて渡れます。カムチャッカ~ベリンジアへの「昆布(Kelp)ハイウェイ」の食豊富な処女地を、北上継続する否定要素はアリマセン。

2.「最初のアメリカ人」は、シベリアの狩猟族がマンモスを追ってベリンジアから入り、北米の無氷回廊を通過して拡がった定説は、2.3万年前の「足跡」の発見で揺らぎ、現在は西海岸沿岸の昆布ハイウェイを南下した説が有力となってきています。

そのため、ベリンジアへの始まりは、甲乙と混合の丙からの進入が考えられる訳です。いずれにしろこの時代は、寒冷変化のモンゴロイドでは未だなかったDr. Howells Harvard大)。

3.AB、ACは南方スンダランド系の類縁で、現生人類のスンダランドから南米パタゴニアへの環太平洋移住MPOR説の日本は一環です。ブラジルのLuziaも?

北米の内陸無氷回廊の通過定説に重大な疑問を呈す、南米モンテ・ヴェルデ遺跡の9種の海藻利用が示す沿岸海民性にも注目です。

教室に環太平洋人類史を、世界に祖人Sojinを―日本祖代研究会(RGaPJ)

➀Harvard医科大の投じた調査結果であるスンダ・サフルランド域とアマゾン先住民の超遠隔地DNAが他域に見られない近縁という不思議な問題は、北米2.3万年前の足跡発見、日本ルート・祖人Sojin説が登場するなどMPOR(Migration along Pacific Ocean Rim)の実証へ1歩を進めています。

当然、万年前の大昔に多くの家族が太平洋横断はムリです。

②日本史の始まりは、DNA・考古分析から南方北上が基本であり、太平洋側・日本海側(当時は大雪降らず)から北上した東西合一の青森・陸奥平野の賑いから容易に津軽湖(的)を越えて道東へ北上です。そして、次々に島が見え冬季には流氷を歩いて渡れた北千島への北上を、否定する要因はアリマセン。北千島のコロボックルCorobocle・遊動海民の留頓(ルトン、Routon)、縄文(6千年前)及びカムチャッカ進出の痕跡や鳥居龍蔵等の地調査を含む内外の研究に光が当たってきています。

日本の始まり状況を教室に世界にー日本祖代研究会(RGaPJ)

図左 誤解招く3方向渡来でなく南方北上一方向の始まり(沖縄へは南下)、約4万年前の祖人Sojinを祖代Sodaiを教室に世界に、誤解を正そう。旧石器時代の用語は適切でなく、縄文人は初めて渡って来た人々でなく2代目。祖人は大槍持ちの原始人ではアリマセン。

図右 出中東~東進~北上のアジア地中海沿岸~日本列島~北上継続のベリンジア~アメリカ新大陸西海岸を南下の環太平洋ルートに注目、国際共同研究で実証強化を期待します。

➀北米先住民に多いY遺伝子ハプロQは紀元後進入で新しく、巷間本の説明は誤りであり、「最初のアメリカ人」ではない事が判明しました。ニューメキシコの2.3万年前の足跡発見もあり、依然探究中という事です。

②従って、北米先住民DNAとの比較考察でそれと異なることからこれまで無視されてきた北海道祖人は排除されず、また、ベリンジアへの北上継続の否定要因もないので、「最初のアメリカ人」問題の「候補」なのです。巷間の3方向渡来図は、日本の始まりに対し時代の新しい方向を描いた列島から出て行かなかったという誤解を与えるもので不適切です。

米国の「ヘイト~」ではない勇気ある真実追求の研究成果の発表は、鳥居龍蔵の隠されているかのような北千島コロボックル・第1アイヌ・留頓(ルトン)の研究にも注目の光を当てるものです。

閉じ籠りから解放し、北海道祖人とコロボックルを教室にー日本祖代研究会(RGaPJ) 

図中 約4万年前からの始まり祖代の当時のアジアは、生物相が最新の研究では3区分(A,B,C)です。南方から「インマレイ」が北上し、曙海沿岸の時計回り渡海移住のB帯人が祖人です。石垣島祖人(2.75万年前)に類縁は、北海道以北にまで(祖代研)北上しています。今、道東祖人は昆布ハイウェイからの渡米候補なのです。

アジア東部北方では未だ寒冷地適応のモンゴロイドが登場していないC(西人とBの混合)であり、発見遺跡から東部への進出は実は新しいのです。

図左 始まり祖人(縄文人の前、初・先代)は、「最初のアメリカ人」の沿岸ルート説の高まりで伊豆の生業航海(諸島の神津島に黒耀石採取)が注目されるなど断トツの遺跡の充実です。当時先進の祖代痕跡の数々、米側のDNA分析などや千島は次々に島が見えた、フネのほかに冬季は流氷で歩けたなどから祖人の渡米を否定する要因はアリマセン。今、青森・北海道に世界学界の注目が集まっています。

図右 ルーツの探究は、祖人・縄文人の多角的分析が必要です。日本史期間の92%を占める祖・縄文時代の習俗文化・信仰の基盤は、その後の大陸からの流入影響を取捨・変形している元として重要なのです。

始まり祖代状況を教室に世界にー日本祖代研究会(RGaPJ)

(世界人類史)問題は道東だべや。どさ?アメさ。来年は、新人類・日本始まり史の特別展が凄い。

図左 日本にとっては南方人(モンゴロイドではないインマレイ)の東亜地中海沿岸の北上であり、約4万年前に北部九州に渡海し、3.5万年前頃には沖縄~北海道の列島中に拡がりました。

図右 DNAが全てではなく、日本史基盤の祖・縄文人と習俗文化が重要であり、巷間に誤解のマンモス・ハンター、騎馬民族、大量の難民渡来などは否定され、大噴火で出国した避難民子孫の帰国や交易で大陸・半島に出た縄文海民の行動の影響なども考慮する必要があります。

図中 波静かだった対馬海峡を家族が筏で越え(40-30km)て北部九州へ、また、伊豆の海で黒耀石を求めて生業航海し、海民の認知力高い暮らし(考古学先史上の“メダル”を基礎に、今、青森・北海道祖史に米学界も注目し始めているのは、「最初のアメリカ人」が西海岸沿岸を南下して入って来た説の高まりにも理由があるのです。

温故知新、世界の動向を教室に―日本祖代研究会(RGaPJ) 

図左 祖人・縄文人で日本史の92%に達し基盤(考古痕跡の人体DNAと生活文化)であり、約4万年前からの日本人の来た道、ルーツを論じていますので、「古代」(日本史では奈良・平安等)のタイトルは誤解招くものです。

図右 基本的には、出・アフリカ中東から現生人類・新人の東進~南方北上による曙海の北沿岸から北部九州に渡海・到達し列島中に拡がった北インマレイの基盤に、北方モンゴロイド系の渡来と拡がりという2層の構造なのです。

1.マンモス・ハンター、騎馬民族は来ず、大量渡来もない五月雨の難民(主)渡来と南部九州における2度の大噴火災害時の避難出国が注目すべきことです。

2.長期(2.4万年間)だった祖代Sodaiの末期に大陸から細石器文化(人)が渡来したとみられます。他方、祖代末期から海水面の上昇で北も宗谷海峡で断絶し、縄文期の渡来は少なかったとみられています。

3.祖代始まり3.8万年前の関東の賑いに続く北方への新人類・祖人の拡散期に、青森・陸奥平野(当時)~道東~千島列島・昆布ハイウェイの沿岸ルート(否定要因無し)による渡米候補として、近年、アメリカ側が西海岸・沿岸の昆布ルート説の高まりから道東は、内外の学界で注目されてきています。
日本の始まりは祖人・縄文人に注目を―日本祖代研究会(RGaPJ)

➀ノーベル賞の先生方が「カーボン温暖化説は誤解」の声明が出た時節の暑い夏に、氷河期4万年前の旧人と新人は何が影響して勢力が交代したのかを論じ説明、追体験するという企画です。

②それは日本史の60%を占める祖代の始まりであり、日本列島での祖先の暮らしが北部九州から拡がって行った時期です。欧米先生のアジアは全て新旧のモンゴロイドという名称は、余りに大雑把な誤解の元で、先ず出アフリカ・中東からの南方インマレイ、そして北上し寒冷地で身体変化したモンゴイドの今も続く各地への拡散なのです。始まり祖代の各地で発掘された遺物は、世界先史考古学における実証上の金メダル4(伊豆の生業航海等)、銀2、銅1(祖代研)であり、更に今、「最初のアメリカ人」候補として注目されている内容を有するものです。コレを機にしっかり世に紹介し、特に学生・生徒は追体験すべきです。

約4万年前からの祖代を教室に世界に―日本祖代研究会(RGaPJ) 

(考古界尽力の祖代痕跡の発掘1万件超えが支え)

➀ユーラシア内陸・半島(当時は山地)人ではない、モンゴロイドではない北インマレイの曙海沿岸海民家族による、波静かだった対馬海峡を筏による40-30kmの渡海での始まりです。

②東京諸島(神津島)の黒耀石を求めた世界最古の伊豆の生業(造・操舟)航海は、「謎」(朝日新聞報道)ではアリマセン。

③最古の種子島の陥し穴猟など、鉄器の無い時代に1mの穴を多数設定する作業は、各地の同種の作業の知レベル・社会性の高さを示すものです。

④「国宝」白滝石器群など遠隔地の黒耀石交易や特に東京小平・鈴木遺跡の広域交易の賑いと集団社会性、先進の磨製石器、最古の釣り針、もはや工芸品というべき神子柴石器などは世界の注目なのです。

なお、図左の「旧石器時代」の名称は不適切であり、「祖代」・祖人の用語を導入すべきです。

祖人は、原始人ではないー日本祖代研究会(RGaPJ)

島国日本は、その始まり―祖代Sodai(名称・旧石器時代ではない)―を十分語れる素晴らしさと内容がある、子供に正しく伝えよう

➀現行の旧石器時代という名称は世界に誤解を与え、かつ他の時代名(飛鳥、平安、鎌倉、江戸、明治・・・など他と異質・違和感の全く不適切です。

②始まりは南方から北上の一方向性で、閉じ籠り史観は誤解を招いています。今、北上を継続して出て行った青森・北海道祖人は、千島列島の島々が次々に見え冬の流氷で歩いても行けた事から、沿岸ルート説が高まる渡米問題の注目の有力候補なのです。日本史の始まり時代における以前投稿の伊豆の生業航海・広域交易、社会性ある陥し穴猟や環状キャンプなど暮らしぶりの痕跡は、原始人ではアリマセン。祖代・祖人の用語が無いために、もどかしく説明している活発な多くの参考動画の改善を期待します。
祖代を正しく教室に、世界に-日本祖代研究会(RGaPJ)

「最初のアメリカ人」は米ニューメキシコの足跡発見で、パラダイム変化の新説が登場しています。

➀時期whenは万年遡り、#1寒冷緩和期の2ルート・沿岸及び内陸回廊からの進入(2種類の文化痕跡を考慮)の新説が登場です。

②場所whereの沿岸ルートは道東ゲートウェイ発が有力で、更にA-1-1が考古痕跡及び時代的に有力候補であり、青森(陸奥平野含む)・北海道史(遊動海民の留頓、千島カムチャッカ含む)に注目です。世界の学界は、シベリアDNAの渡米は新しい(Dr. Jeanson)との最新研究を踏まえ、日本除外の先入主を正す必要あります。

③閉じ籠りの3方向渡来図は内外の誤解を招くものであり、日本史は南方北上の時計廻りの始まりで、北海道から北上を継続したことを否定する要因は無く、北千島の縄文遺跡や樺太の白滝黒耀石(石器群は国宝)の痕跡などがあります。

この点で、3.8万年前の伊豆の黒耀石を求めた生業航海は、屈強な男たちの20km航海で謎でなく、また、造舟の面で伊豆半島は大船献上の良材地でもあります。

また、近年の「留頓のカムチャッカ進出」研究も注目されるところです。千島の国際共同研究の推進が期待されます。

遊動海民の留頓(ルトン)を教室に世界に―日本祖代研究会(RGaPJ) 

棄権は生活混乱・不安全の悲惨へ

➀北米ニュー・メキシコの2.3万年前の足跡発見、ベリンジア着2.6万年以前(DNA分析)の研究成果、氷河期の沿岸進入の可能性、シベリア民移住の最新のDNA分析等から定説崩れ時代の「沿岸ルート新説」が高まり、遂に北海道発進説(A青森北上か、B沿海州・樺太南下か)が登場です。これまでの考古学の分析ではBは、青森・陸奥平野民(当時)の北上よりも万年遅く、道内や樺太の遺跡の状況及び年代的な面から、太平洋・日本海(大雪降らなかった)両側の東西合一した青森・道東祖人が優勢と考えます(世界的に学界は説明不足です)。

②巷間の3方向渡来図の誤解で長らく「最初のアメリカ人」問題に棄権してきている日本ですが、そもそも日本史の始まりは南方北上の一方向性であり、北海道からの北上を継続することに対し否定する要因はアリマセン(プーチンはいなかった)。「昆布ハイウェイ」の北上を継続した可能性は、その後の北千島の先住民の留頓(ルトン・Routon)の遊動海民振りや縄文遺跡などから十分あります。 今こそ日本が国際共同研究を主導すべきなのです。

投票所へ行って1票を―Twitter/Xで街宣中の日本祖代研究会(RGaPJ)  

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