1.世界の「最初のアメリカ人」問題と北海道・青森

右図①はシベリア狩猟族の定説Bが近年のアメリカ新大陸太平洋沿岸ルート説の強まりで揺らぎ、A南方から北上した北海道東祖人は米国でも浮上し注目されています。

道東へは、米国一部の樺太から説と当時の青森・陸奥平野(現在は海中50m)からの北上説があり、樺太ルートは2.5万年以降とみられ新しく、3.5万年以前の青森・陸奥平野ルートが、現生人類のベーリング地峡到達2.5万年以前とみられ有力です。年表では始まり祖代の話で、文化・習俗等の基層としての厚みは日本史の6割になります。最初のアメリカ人問題では、Jomonは未だ登場せず,13世紀からのAinuは世界の誤解です。
2.教室がよく教えてくれない祖代の世界的な事象例

今や縄文文明と言われるも、その前の重要な始まり祖代はよく教わらず、知られず、内外に誤解も。旧石器時代という、世界語であって世界と違い、縄文、平安、鎌倉、江戸などの和語と合わない違和感の不適切な用語使用が一因です。左図のとおり、事象例は世界的なモノ・コトも多く、伊豆の生業航海や陥し穴猟、釣り針、磨製・神子柴石器など、「原始(人)」ではなく教室や図書館・書店における使用は誤解を招き不適切です。列島の1万件超の遺跡、最新のDNA分析等で、実は世界でも断トツの充実なのです。世界現生人類史の日本列島ルートでもあり、事象例を網羅しない教室は、周回遅れです。
事象例それぞれの地域では、学生教育施設と共に観光開発すべきです。そして今や注目すべきテーマは、南方スンダランドから南米南端の環太平洋移住はあったのか?が加わる状況です。
-日本祖代研究会(RGaPJ)

1.現生人類始まり時代のアメリカ移住史

アメリカ進入①については、ベリンジア陸峡へは2.5万年以前と既にみられていましたが、新たな遺跡発掘、DNA調査、当時の環境分析(最適時期の研究)などから注目のカナダ・本土米国への沿岸ルート(Kelp 昆布Highway)説が強まり、この事から沿岸海民の北上のみならずシベリア狩猟族の海民化(仮称“Marinerization”)説が登場しています。因みに、②始まり時代には、北方族も未だモンゴロイド化(寒冷適応の身体的な変化)はしていなかったと考えられ、また、最新DNA研究により、米国で多い父系ハプロQ,Cの進入は、ずっと新しい1,700年前以降とされ、注意が必要です(日本の祖人が「最初のアメリカ人問題で無視されて来た一因)。

2. 日本へは南方から北部九州に渡海、祖人は沖縄、北海道に拡がり

②日本では豊富な遺跡・石器に最新のDNA分析から南方からの北上で、約4万年前に北部九州に渡海し、祖人は沖縄、北上して北海道にまで拡がり北上継続と考えられ、祖代研は西太平洋沿岸北上ルート説でアメリカ移住史に繋がる環太平洋移住(MPOR)説を唱えています。


残念ながらこれらに関し、教室は世界の議論の紹介すら無い周回遅れです。日本始まり史を教室で教え世界に発信、世界の議論の紹介を。 ―日本祖代研究会(RGaPJ)

1.日本史は南方から北上の北部九州への渡海と列島拡がり

右図①最新のDNA/考古学分析の研究で、現生人類が南方から北上して約4万年前に北部九州に家族が筏で渡海し、祖人Sojinは沖縄、北海道に拡がり。

年表の基層である祖代と2代目の縄文時代は、建て増しで進む人の脳とその後の信仰・習俗・言語などの暮らし振りの基盤です。そして祖代の世界的に充実したは事象は、生業航海、陥し穴猟や精巧な石器づくり等の諸事象の認知力、始まり時代の全国類縁性から古く明らかにできない日本祖語があったと考えてよいでしょう。古すぎて辿れないから無かったかのような扱いは不当です。また、内外にJomon、Ainuが初代であるかのようなモノ言いは大きな誤解であり、正されねばなりません。

2.教室の原始・旧石器時代の名称は、世界と合わず誤解の元

②教室の旧石器時代は世界では250万年前からからで1万年前の農業の新石器時代へとなります。後期を付しても5又は3万年前からとする世界と合わず、Jomonしか言わない内外で縄文時代・人そのものも誤解があり、新石器時代でもどこから来たのでもありません。また、テレビで話題の源氏物語の平安、鎌倉、江戸名などと旧石器時代は木で竹を接ぐ違和感です。始まり時代の意義は論議されず、図左下日本の始まり「どこから?」も言葉の成り立ちも世界に誤解が拡がっており、放置のまま定着しかねません。こんな状況では始まり時代の意義を出題できません。

今や歴史は国際政治、長い始まり祖代からの歴史意義は、土地を買われる事よりも重要な問題です。奪われ歪められた民はやがて亡国の憂き目ですから、早急に現下の実証で妥当と考えられる一案を教室で紹介し、世界に発信せねばなりません。ここに強く要求します。―日本祖代研究会(RGaPJ)

1.誤解を招く日本史の始まり図

左図は誤解を招く図です。約4万年前からの日本史の始まりは、明治・大正時代以来の民俗研究などから南方系とみられ、遥かに時を経た史書の魏志倭人伝の時代になっても陳寿は海南島の習俗を念頭に記述したのではと言われるほどの南方系を示しています。しかし、特に戦後は言語を含めて北方系だと言う論考が増え、欧米を含めて根強いものがあります。

始まり時代の氷河期の広狭変化の曙海・北東亜平野、対馬暖流・間宮海峡がなく波穏やかな日本湖的で日本海側に大雪無く、瀬戸内海・東京湾は無く青森に陸奥平野があった事などの種々の違いがあり、南方もスンダランド・パンカル海など大きな違いがありましたが、必ずしも巷間物では十分考慮されてはいません。左図も、海水面の100m級の上昇で沿岸痕跡の発見が困難なこともあり、ルートとして欠落していますし新事象を交えた誤解を招くものです。近年のDNA研究で南方との類縁性が指摘され、列島内の1万を超える遺跡分析によって南方からの沿岸地域の北上説が強まっているのです。また、軌を一にして、最初のアメリカ新大陸人の問題も、定説が崩れ海民による沿岸進入説が強まり、東部アジアの沿岸海民が注目されているのです。

2.半島南岸の島の縄文人的なDNA痕跡は重要な意味

中図は最新のDNA分析による特徴図を地理に合わせて反転させたものですが、半島南岸の加徳島の発掘された人骨DNAは縄文人的であって西方大陸系ではなく、曙海の沿岸ルートにおける正に対馬渡海の地域に該当するもので、海民系要素を共有しており納得です。左図はその時代以後の新事象を描いたもので誤解させるものです。この分析は、日本における祖代・縄文人骨の分析及び縄文人骨発掘の考古学的な成果と繋がる重要なもので、静岡・浜松地区においては祖人骨と縄文人骨が共に発掘されて繋がりを示している事と同様に大変意義深い実証です。

3.島国故に始まりは「いつ、何処から、どのように」まで見えて来た世界的に特筆すべき日本例

図右②北上して渡海で始まり列島中に拡がった時期・場所・態様について、DNA分析は意義深いものです。この事に加えて対馬海峡の渡海の状況を考えますと、日本湖的で波穏やか、40-30kmの長距離だが島が見えた、重要な爺婆含めた家族・漕ぎ手の人数を収容する丸木舟の太い材は寒冷期の樹林状況から入手難であり、竹木を結束した筏(いかだ)での横断と祖代研は考えます。その後3.8万年前に伊豆の海で黒耀石を求めて島が見えた25km位を生業航海していますが、双方が相互に実証を補強する謎でも驚きでもない海民の活動を実証として示すものです。その造舟、操舟の知見能力と他との広域にわたる物々交換など、約4万年前のことをこれくらい妥当性をもって推定できれば十分であり、年表に見る日本人形成に重要な基層の祖代、原始人ではなかった祖人の重要性からも教室は紹介すべきと要求します。

4.祖代、祖人、曙海などの諸用語の導入と共にJomon、Ainuが初代との内外の誤解を正すべき

日本史についての内外の誤解の原因は、世界的に知られるJomon、Ainuが始まり論議に用いられ、教室では原始・旧石器時代という適切でない用語の使用にあります。約4万‐3.5万年前の始まり当時の環境は現在と違う事を認識する必要から伸縮していた「曙海」など適切な用語を導入し、世界語の「旧石器時代」、「後期旧石器時代」は英語にすれば世界と期間が違うので誤解を招いて不適切であり、また、人(人骨)の呼称が教室では重要ですが「後期旧石器人」は祖人、縄文人に比し説明・議論に長過ぎます。後期旧石器時代名も次の縄文からテレビの源氏物語の平安、鎌倉、江戸など馴染む和語と繋がらない違和感があります。この用語問題が、重要な日本史の始まり教育を阻害している要因であるので改善を、そして今や歴史問題が戦争に繋がりかねない国際問題であることを認識し、世界発信による誤解解消を強く要求します。―日本祖代研究会(RGaPJ)

図左①火の発見から鉄や火薬、素粒・量子論へとどんどん人間の知見は進歩、しかし人は万年経っても変わらず世界では残虐が続いています。膨大な予算の温暖化対策よりもっと重要と言える実効的な平和論は依然として現れず。そんな研究は儲からないからは誤解です、人類最大の儲けでありノーベル平和賞は間違いなしでしょう。
図右②今ももめているアフリカ・中東を出発し、約4万年前に北部九州にたどり着いてから日本列島に拡がった祖人Sojin。祖代・縄文は種々の人が混ざっていたと考えられており、また、争いがあまりなかったとみられる日本列島史は参考であり、人間の性質を考えれば評判ヨクナイ徳川時代の厳罰も今の日本の安全に一定の意味があったのでは。いずれにしても予算を投じ、世界の人々が納得し政策たり得る方途の案出は重要な急務です。
―日本祖代研究会(RGaPJ) 

1.伝承とおりの沿岸ルート痕跡 


図左上カナダ考古学チームによる西海岸のTriquet島における発掘は、海獣を食し槍投げ具や釣り針を使用するかなり規模の大きい村跡の発見となり、年代が1.4万年前という事で、人類のアメリカ新大陸移住問題の沿岸ルート説を実証として補強する注目すべきものとなりました。メディアにはエジプト・ピラミッドより遥かに古いことが大ニュースの騒ぎです。島でもあり、地元民の言い伝えのとおりのことが1.4万年前にまで遡った事です。ややもすると伝承は軽視されがちですが歴史研究への警鐘であり、明治期の坪井教授が現地における多数の聴き取りから「アイヌ伝承のコロボックル話は信頼できる」とし、当時の人類学研究の学術用語に「コロボックル」を採用した新学問の始まりを教室で教えるべきです。

2.「ピラミッドより8千年古い」、驚きはそこじゃないです

祖代研会員の受け止めは、①注目の沿岸ルート説を補強する実証で、②年代・暮らし振りから温暖化後であって残念ながら第1期ではなく、驚いたのはピラミッド比較ではなく、③掲載写真が左図下3万年前祖代の栃木・佐野の遊動キャンプ(石器・断片痕跡から推定)に似ていることです。時代を経てカナダ沿岸の定住・規模大の村となっている時の流れが感慨深いです。発掘カナダ村の時代は縄文ですが、関わっているとすれば佐野~青森発・道東祖人の北上となりますから。近代のアメリカNativeインディアンも同様ですし。

―日本祖代研究会(RGaPJ)

南米祖先のsignal因子①は広域で発見され、驚きの豪・パプア・アンダマン諸島などの先住民と近縁だが、北米における発見が無い不思議。

②日本の祖・縄文人に最も多い母系ハプロタイプmt-Dは、南米に多い(チリ・アルゼンチンに42.2%)が北米では僅少の不思議。但し、これは一部に言われる太平洋を東南アジアから直接南米に渡海したのではなく、ベリンジアからの沿岸南下を示すモノ(後続に吸収又は消滅させられた)でしょう。重要な痕跡です。北のアリューシャン列島と極北に多いのは、人里離れていて残ったのか、新着か。
③北米に多い父系ハプロタイプのQとCは近い時代のシベリア・中央アジアからの移住であり、最初のアメリカ人問題で注目の時代である1.5万年前と多くの人が思っているのは巷間の大きな誤解です。
これらの事を総合的に考えると、④ベリンジアから西海岸の太平洋沿岸を南下したmt-D民が第1波を示すのか?注目すべき内容です。教室で紹介し、世界に発信すべきです。―日本祖代研究会(RSaPJ)

(人類・日本史最前線) 日本人は何処から、そして何者?

  • 最新のDNA分析で見えてきた日本人の始まり

対馬対岸の①韓国・加徳島人(63000年前)が、北部九州・縄文人に近く、②その後のモンゴロイド影響が強く及ぶ以前の南方からの北インマレイドの渡海痕跡(図左下)を窺わせるものとなっています。3.5万年前頃までに沖縄から北海道にまで祖人が拡がり、土器出現で(2代目)縄文人と呼ばれることになる考古学上の1万件を超える発掘からの日本史始まり認識と合っています。

  • 日本人は何者?何故、紫式部は現れ得たのか。

実は、紫式部、清少納言の輩出以上に世界的には天照御大神は日本人を考える特色です。近隣国との大きな違いでもあります。図右下、南方北上の祖人拡がりですが、年表が示す列島で育まれた長い祖代・縄文の基盤(期間 約93%)は、その後の文化流入を取捨選択し、変形させ日本人に合うモノを島内で熟成させてきました。そこを考えない教室は問題です。そして、少子高齢化より問題なのは「肝っ玉かあさん」の減少でしょう。

一部に天照大神は、無性の超越神という動画が出ていますが、誤解と考えます。

女性の心身に男心身神の魂を授かった、言わば両性「具有」の超越最高神であり、「無性」神ではないです。女性(優しさなど)であって男性的(業務能力)に優れた人物を尊ぶ民衆の信仰は、北方系にはなく「南方系の人々」にはあり、日本先史からの特徴を示す重要な事なのです。インドネシアには、重要であってある意味恐ろしい「海の女神」が、また、エジプトでは唯一の女性ファラオ・社会的に格好も男になったハトシェフスト女王が存在し得ていますが、これらは天照大神とは意味合いを異にします。なお、言うまでもありませんが、天皇陛下は男系で、男子であるべく皇統維持の方途を講じなければなりません。
-日本祖代研究会(RSaPJ)

1.「最初のアメリカ人」問題は、沿岸南下説が強まりシベリア狩猟族の海民化説が米国で登場

現生人類の展開移住史において最後の謎と言っていい「最初のアメリカ人First Americans」問題は、①DNA分析により2.5万年以前にベリンジアに到達したと考えられ、その南岸の海民が沿岸を南下して南米にまで拡がったことが、近年の海中痕跡の発見や当時の広範な環境分析による南下最適時代の解明などで補強されてきており、Maritime Beringians の用語が、狩猟族の海民化説が米国でも(祖代研が既に列挙)登場するに至っています。

2.南米祖先のDNA上の共通痕跡Signalが確認され、驚きの南方との近縁性を再び発見

南米のDNA分析では、②アマゾン先住民の祖先DNAの想定因子(Signal)が予想以上に広範囲で確認され、更に何処よりも近縁なのが数年前に発見されて放置されていた遠く離れた南方であることが再び発見され、それははっきりと太平洋を直路横断したものではなく、北から南下した沿岸と内陸の2つのルートで拡がったものであると分析されています。

3.縄文人のDNAと南方の近縁性発見に加え、南米・西アマゾンの類縁から三角関係へ

タイ密林のマニ族やアンダマン諸島人との衝撃的なDNA近縁の発見など、明治・大正時代から言われて来た南方との関係性がDNAの分析で確認され、更に福島・縄文人と西アマゾン先住民の類縁性が加わって、南米と南方、南方と日本、日本と南米という三角関係が見えてきています。そして、南米へは北米を通過していることは当然ですが、日本人系の発見は目立たずこれまでは注目されていませんが、実は共通性ある微痕跡の有ることが正に古い第1波で後続に消されたとも考えられ、先の三角関係と相まって注目されるわけです。

4.2.5万年以前にベリンジア南岸に達した沿岸海民の北上説Aにおける北の解明は日本に期待

 北太平洋沿岸南下説の強まりと共に④沿岸海民の北上説は注目(米国でも日本列島北上説が登場)されており、「道東ゲートウェイ」から北上の特に旧石器や縄文遺物が発見されている北千島史の解明は重要です。また、欧米学者が考える樺太~北海道~千島ルートは、樺太から北海道への人の進入は早くて2.5万年以降と考えられており、第1波でベリンジア南岸へ達するのはムリであるので日本からこの点を発信することは重要です。また、北千島の留頓・コロボックルについては坪井・鳥居両先達のみならず、江戸時代から明治期に北海道・千島を訪れた外国人の残した文物を含め大学等が所有する豊富な遺物に対し渡米の視点による解明は日本に期待されています。

5.「最初のアメリカ人」はモンゴロイドではなかった!?問題の研究・議論のために用語を適確に

 欧米先生が東部アジア人を新・旧のモンゴロイドとしていることは誤解の元で、まず、モンゴロイドとは寒冷地に適応し身体変化した人々(2.5-1万年前以降、Dr. Howells、 Harvard大)と認識・定義すべきで、東部アジア史に今も影響を及ぼしている重要性からも早急に是正されねばなりません。それによりHowells説ではモンゴロイドではなかった「最初のアメリカ人」という事をしっかり認識すべきです。そして古モンゴロイドと称されている南方人は、出アフリカのネグロイドが時代を経た事と熱帯雨林・マングローブ・海岸河川域での暮しで変化した「インマレイド」と呼称し、亜熱帯を越えてはっきり被服や暮らしぶりも変わった「北インマレイド」が北部九州に到達したと用語を適切にすべきで、疑問・異論があれば検討して修正していくべき重要な問題です。ともかく周回遅れの教室は、本件の紹介を。

―日本祖代研究会(RGaPJ)

北海道・沖縄に関し誤解の元が残り、また始まり「祖代」(日本の後期旧石器時代)の「祖人Sojin」などの用語が無い事が、世界先史にJomonやAinu(13世紀から)が依然として登場して内外に誤解を与えていることが大きな問題です。

左図 北海道は、「道東ゲートウェイ」から北千島方向へ北上を継続した事が、北千島の旧石器・縄文遺跡で窺われ、遊動海民の留頓(ルートン)・コロボックルCorobocleの研究でも支持されます。「最初のアメリカ人」問題でも昆布ハイウェイ(Kelp Highway)ルートとして世界的に注目され、本州~青森・陸奥平野~道東~千島ルートがはっきり登場しています。

北海道への樺太からの進入は、あっても2.5万年前以降(細石刃文化)であり、その人的な影響は今後の研究を要します。沖縄の始まりが九州からの南下であることは考古学会に異論なく、図は全く誤解の元です。―日本祖代研究会(RGaPJ)

左図 長く「3方向渡来説」が巷間で、学術論文でさえ語られてきました。

問題は、祖代研が指摘の①生起した時代が新しく、かつ、混在、②肝心の南方から沿岸北上ルートが描かれていない、③北海道で留まる理由は何もないのに日本から出て行かない、という誤解を招くものでした。積み重ねてきた考古学、DNA研究に今回、驚きのタイ・密林のマニ族と日本人のDNA近縁が加わり、南方一方向からの北上説が躍進です。
右図 近年、沿岸ルート進入説が強まり、遂に祖代研がカムチャッカ沿岸北上ルートと共に一応挙げていたシベリア等の内陸ハンターの「海民化」説が登場遂に登場(Maritime Beringians ベリンジア海民)です。問題は、道東ゲートウェイへは樺太経由(2.5万年以前にベリンジア到達論で、時代的に苦しい)か、青森から北上(特に問題なく、陸奥平野で東西合一の基盤)か。米一部には日本列島(青森)からの北上説が登場しています。

教室に紹介を、世界に発信を。ー日本祖代研究会(RGaPJ)

これまで発信伝達して来て、遂にNHK科学番組で南方から北上の日本史始まり一方向(沖縄へは南下)移住史観の図(右下)が登場しました。左図巷間の3方向渡来図ではない、初めてと言っていい図の登場で、誠に感慨深いものがあります。引き続き、祖代・祖人に関わる歴史問題の発信伝達に努めて参ります。

①今回、南方系を明らかにしたのは良いが、古墳時代強調のコメントは尚早で、南北に長い列島及び顔・体格で出自がある程度推測できる我が国の状況にあっては、サンプリングや地域差の扱い方次第で結果と解釈は異なる点に十分留意すべきで、この公正の説明が重要。

②日本史に関して始まりに「3万年」の語を使用するのは誤解の元で、「約4万年」の学界主流説の語とすべき。また、巷間には「大陸・半島からの到達」との誤解があるので、スンダランド地域からの北上、パンカル海・曙海の畔からの到達であることを説明すべき。北海道史も誤解が多く、樺太南部進出の白滝黒耀石の旧石器遺跡、青森・陸奥平野が北の基盤である地位、北千島の祖代・旧遺跡・遺物などが示す北上継続を付け加えるべきで、今人類史注目の北海道で留まる理由は無い。

③年表で59%の期間を占める祖代は、豊富な考古事象が認められ隣国文化の取捨選択や今や「縄文文明」とも言われる特色をもたらした重要要因であり、軽視するのは不適切。DNAの多様性を大量渡来に求めるのは探究不十分な現況では時期尚早で、多様なDNAを有する五月雨の(大量でない)難民的な渡来による島内における勢力の争いにおける優劣の消長要因は重要で付加説明すべき。

―日本祖代研究会(RGaPJ)

1.約4万年前の①北部九州への家族渡海から樺太まで祖人・次代の縄文文化の拡がり

教室は北からの南下事象を強調しがちですが誤解の元で、当時は広大な青森・陸奥平野に充実の列島中央部の人・文化が太平洋側と大雪の無かった日本海側から北上して東西合一し、石器と遺跡の分析から3.5万年前後には北海道に進出し環境に適応しています。

国境の無かった樺太、千島には北上継続の痕跡が亜残り、樺太には祖代の白滝黒耀石や縄文土器と次への移行、擦文土器の痕跡が残っています。流入とみられる北の樺太からの「細石刃文化」の強調は誤解の元で樺太コロボックルの存在を認識すべきであり、北部九州と樺太南南部で亜庭湾北側の「宗谷北」地域は、大陸を視野に歴史的に外来の接点で多様性を有する独特の類似性があることに注目すべきで、宗谷北での南北の犬の混交もその事を示しています。

2.問題は用語「オホーツク文化」で誤解の元、視野をオホーツクでなく大陸に拡げ「宗谷北文化の波及」に修正を

縄文土器が移行し擦文土器も派遣されている土器・文化の「オホーツク」名称は不適切で、肝心のオホーツク海の北・東・南からは採り挙げる影響もなく、注目すべきは宗谷北・窓口へのバイカル・満州系の西の文化の波及(アムール河口経由としても)です。東北から宗谷北への拡がりの深さもオホーツク土器とは比べものになりません。北方史の特徴的な事項を②宗谷北の人骨埋葬がよく示しています。大陸系の父と南方縄文系の母という「別の人種の組み合わせ」を露学者たちは人体形質の分析で明らかにしています。よく沖縄と北海道が縄文DNA比率が高いと言われますが、違う事情であることを子の墓は示しています。先生はオホーツク土器を強調しますが注目は刀で、古墳時代から平安時代へと長い時代に特に東北で改善された蕨手刀(わらびてとう)が北海道から樺太にまで渡っていました。その扱いの重要性と広域性は、注目です。「オホーツク文化」は、カタカナ・針小棒大であることが誤解を与え、本州初期の東海~千葉房総の沿岸文化をパシフィック文化と称するようなもので異様です。名寄のように茂寄(モヨロ)、飛似台(トビニタイ)と漢字にすれば正しい理解はなります。

3.北部九州と宗谷北の類似性は南・弥生文化と北・宗谷北文化と元寇の衝撃

時代や影響の大小は異にしますが、③外来文化を受け伝えて生活に影響を与えた点や元寇が及んだ影響も類似性が見られ、樺太では1284年から元に征討され一時はアムールに反攻したアイヌも敗北・屈服し、この間の南下避難が道史に影響します。

4.樺太アイヌの④北海道への南下で全道の擦文文化が急変へ

猿払町史が一端を記述している④アイヌの南下流入は、漸進的に道内に拡がっていた擦文土器の時代の文化を急変させます。にしていますが、蕨手刀も有って一時はアムールに攻め入った戦闘力を有する樺太アイヌの元寇敗北余波の南下は道内での勢力争い(実は様々な8以上の種族の存在を北海道「アイヌ」と総称する誤解の一括り)をもたらして道史を急変させ、種族の配置を変え消長させていきます。コロボックルの北への逃げ伝承も有名なシャクシャインの闘いもこの一環です。

最初のアメリカ新大陸人の問題で注目される北海道史は、不穏な発言をするプーチン、樺太の地名を中国名に替えていると言われる習政権などの状況を踏まえ、正しく見直されて行かねばなりません。―日本祖代研究会(RGaPJ)

列島中央部の①充実した祖代遺跡の発掘は、太平洋沿岸・広大な関東平野・中央高地・雪の日本海側と広域に及んでいます。

その古さと遺物の質・量は、世界最古の生業航海という活動や暮らしの賑わいと事象の時間的な繋がりを実証する内容の点で世界が驚くレベルのものです。これは考古学関係者の多大な努力と経済開発の故でも有りますが、実は氷河期当時の相対的に恵まれていた環境に理由があります。始まりにおいては相対的な気候の温和はもとより、曙海沿岸の複雑な海岸線と小島が多かった事は生物多様など種々の点で小部族の海民にとって恵まれていました。大河川の河口と単純な海岸線に比べれば自明です。列島では、同様な状況に加えて太平洋側では特に沿岸突端部の照葉樹林、関東平野の遊動キャパシティ、東京諸島・静岡・箱根の黒耀石原産地、陥し穴猟を可能にする地形などが、中央の千メートルを超える高地も賑わいの黒耀石原産地の存在があった事や当時は植生が少なく行動し易かった事が、日本海側は対馬暖流の流れ込みが当時は無く大雪が降らなかったことが、列島北部では北極の冷水がベリンジア大陸地で流れ込まなかったので親潮寒流が無く、弱い寒冷化したカリフォルニア暖流の穏やかなものだったと考えられます。3万年前の鹿児島・姶良大噴火の西日本大被害は有りましたが。つまり発掘されるべき質・量の充実があったのです。そして、曙海の畔から来て列島中に祖人Sojinが拡がったように、同じく稲rice plantが伝わって拡がった事は日本先史に大きな意味を持っていますが、朝鮮半島では見られない大陸の固有種が伝わっているのにB直接横断とし、A海民による拡大曙海の畔ルートを認識していないのは驚きで、曙海沿岸勢力はその後も長く歴史に重要な影響を及ぼしています。

この始まりの曙海と温和に「平和」も含まれる好環境、2.3万年前の北米足跡で定説が揺らぐ人類のアメリカ新大陸進出問題における列島中央部の充実の意義を教室はしっかり教え世界に発信すべきです。

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