未だ教室に約4万年前からの日本の状況やコロボックルは登場していません。広辞苑先生、坪井教授が正しいか間違いか今も分からないのですか?没後百年経ち、月にはロケットが飛んでいる時代ですよ。自由に説明を。

図右 近年のDNAと考古学の分析等から、日本史の始まりは約4万年前の北部九州、南方から北上の列島拡がりです。北上継続でアメリカに関わったのか?今注目です。

図左 近代科学の扉を開いた明治期、坪井教授の用語コロボックルの制定で、逮捕や発言の撤回強制もなく自由に白熱の議論が行われて(全国)遺跡図が示される学問の進展がみられました。広辞苑はあくまで坪井教授がそう主張したとしていますが、他の項目同様に自由に見解を記述すべきです。

約4万年前・祖人やコロボックルを教室に世界に―日本祖代研究会(RGaPJ)

図右 大正6年当時の人類学・考古学等の先進学術を踏まえて書かれ話題となった標題小説は、東西の大軍が多摩川で対峙し激突するという言わば「歴史考古SF小説」であり、近代科学に扉を開いた明治期に東京帝大の坪井教授が、アイヌの伝承から導入し活発に議論された先住の「コロボックル」を主人公としているこのようなモノが書かれた事が興味深いです。現在からみれば誤りもありますが、特に当時の人々の歴史認識における開闢大昔は、3千年前程度でした。

図左 今や日本史は約4万年前で、坪井教授が官憲の学問介入を排すべく導入し熱い議論を生んだ新用語のコロボックルは、その後の発掘の蓄積やDNA研究から実在の南方北上の祖人Sojin直系の祖先としての貝塚石器・縄文人であり、後の北千島・遊動海民「留頓ルトンRouton」でもあります。コロボックルは、事情があった誤解で小人強調からおとぎ話が生まれて妖精ファンタジーに全く形を変え細々と存在していますが、その歴史的な内容を正しくしっかり教室に世界に紹介すべき時代が到来しています。それは、縄文前の始まり祖人について、「最初のアメリカ人」問題で北海道や北千島が特に米学界の視野に入ってきており注目されてきているからなのです。

教室は周回遅れー日本祖代研究会(RGaPJ)

図右 教室の年表には「祖代」用語がなく(後期旧石器時代で放置)、世界に通ずる分かりやすい説明・議論ができず大きな問題です。始まりは南方北上の一方向性(北海道へ北上、沖縄へ南下)であり、長期定着し縄文に繋がり(浜北遺跡で実証)ました。巷間本・博物館等の3方向(樺太、朝鮮半島、台湾から)渡来図は、3つの時代の違いと進入の影響度を無視した誤解の元で最も可能性の高い沿岸ルートが無いのが問題です。今、青森~北海道東の祖人が渡米・西沿岸南下に関わったのかが世界の注目です。

図左 島国の膨大な遺跡実証により、約4万年前(学界主流)からの暮らしを推定できる事は世界の驚きです。大陸・半島(当時は無かった)から来たと言うのは誤解で、曙海の沿岸海民の沿岸・多くの小島暮らしを経た北部九州への渡海です。伊豆の生業航海は謎ではなく、陥し穴猟、環状キャンプ、磨製石器、釣り針などの世界先進(原始人ではない)の暮らしに注目し紹介すべきです。

教室は周回遅れ―日本祖代研究会(RGaPJ)

肥満と縄文DNAの関係はよいが、歴史説明が適切でなく問題です。
➀日本史年表の祖代と祖人Sojinの先進の暮らしをよく認識することが基本です。

②NHK報道の縄文DNAー南方由来の始まり祖人繋がりが日本人の起源であり、約4万年前(3,8万年前、静岡実証)に、「曙海」沿岸海民が北部九州へ筏渡海しての始まりで、沖縄へ南下、北海道へ北上と更に継続です。巷間本・博物館等の3方向[樺太、朝鮮半島、台湾(沖縄へ)から進入]渡来図は誤解を招く不適切なものです。

・不適切な「旧石器人」として用語を放置していることで用語の無い祖人と、2代目の縄文人の関係は、江戸人と明治人のようなものであり、坊主になって服を脱げば変わりないのです。

・北海道縄文は祖人の子供で道産子であり、江戸期に8万本州人が金採掘などで北上し渡道したことが現代縄文DNAに大きく影響しているのです(アイヌは縄文人直系ではない)。

・日本への大陸・半島からの「3重渡来説」は誤解です。最初は曙海沿岸からであり、その後の言われる弥生・古墳時代などは大挙進入した訳ではなく誤解であり、あくまで島国内の栄枯盛衰の結果です。 現下の問題は、祖人は渡米?ー日本祖代研究会(RGaPJ)

沿岸ルート説の高まりで、今、北海道祖史に光が当たってきています。

➀40年来の議論は、DNA分析でアジアからとなり、近年、北米の2.3万年前の足跡発見で内陸の無氷回廊の通過に疑問が生じ、沿岸南下説の高まりで今、西沿岸での活発な実証調査が行われています。

沿岸という事で、太平洋の家族横断も挙げられますが、最東のイースター島(モアイ像)への移住が千年前程度でゼロが足りずムリで、北方の時計回りの狩猟族の東進と環太平洋・日本ルートが注目されています。

②日本の始まりは、北部九州・筏渡海の約4万年前、伊豆の生業航海(実証3.8万年前)や陥し穴猟など、日本の始まり祖代Sodaiの状況に米欧で理解が進み「道東ゲートウェイ」発の説が登場し、沿岸ルートを支持する「鮭追い説」など古い調査・説に光が当たります。

北海道東祖人Sojinは、西海岸の南下・ユーコン川遡上の「氷床川を含め鮭追い移住」に関わったのか? に注目です。

教室は動向に周回遅れ―日本祖代研究会(RGaPJ) 

Craniofacial analysis indicates the Pacific coastal and Ecological dispersal corridor of north American continent.

➀ Kelp highway migration from East to West along Eco Mirror Symmetry route

② Inland hunters adapted to the life of West Coast

―RGaPJ

図左 頭と顔の形態分析で米・西沿岸域は人々が近縁かつ最古で南下及び内陸への拡散の主体です。古人骨の形態特性は、現代の東アジア人とは似てなく西沿岸先住民との類似性は有りますので、新・旧及び遠距離のこの沿岸繋がりは重要です。そして、アメリカ新大陸の南北ともに東西2つ(西沿岸部と内陸)の系統であることも、人類の拡散状況を知る上で注目されます。

図右 この形態分析から同環境の拡散(経度的)が注目され、日本列島側とアメリカ西沿岸側との生物の鏡面対称論が示唆する環境を踏まえた登山モデル説に光が当たります。「環太平洋ルート説」内でそれを支持する「太平洋沿岸拡散回廊PDC」説であり、ルート・モデル上の否定要素の無い北海道祖人に注目なのです。

教室に祖人を世界に北海道史を―日本祖代研究会(RGaPJ)  


➀ Inland route
New theory of inland hunter’s “marinarisation” has come out to Kelp Highway in Beringia as coastal migration hypothesis has become popular.
② Coastal route
AB :It took long duration for adapting to quite different from near equator life in higher latitude, such as clothing and dwelling.
BC: Long and cold route, but it was not so slow migration in spite of moving very cold zone.
It might be preparation for life already in Japan, rich diet of marine resources, rather mild climate along coast of north Pacific.
CD :It was rather fast because of better climate, but not ”Express” , as previously thought.
-RGaPJ

➀アジア東部の内陸族系野移住説、欧米ではこの東部シベリア狩猟族ルートが認識されてきていますが、近年の米西海岸南下の「沿岸ルート」説の高まりにより、DNAと足跡の発見から2.5万年前頃に北のベリンジア南岸で大槍を捨て「海民化」暮らしに転換したという論が登場しています。実はこの時代標準で見ると、東部シベリアで遺跡・遺物の発見は無くあくまで「環太平洋ルート」と同じ説です。

②環太平洋ルート説の行程

近年の米西海岸南下の「沿岸ルート」説の高まりで、日本の遺跡・遺物、特に伊豆の生業航海(3.8万年前)、南方スンダランド地域の遺跡・遺物が注目され、「環太平洋ルートMPOR」説の提唱(祖代研)に光です。

各区間の特色は、以下の通り(祖代研)です。

A~B:緯度北上に最も長期間を要しましています。南方民「インマレイ」(欧州学者の「旧モンゴロイド」用語は誤解させる不適切)が、裸体から衣服・居住暮らしの大変化に適応に期間を要したのでしょう。

B~C:長距離・極寒の区間ですが、意外に普通速度です。日本で既に北の暮らしの準備ができていた、「昆布(kelp)Highway」の食に恵まれた、沿岸気候は相対的に極寒を緩和していた、ことなどが考えられます。

C~D:赤道を通過する相対温暖の沿岸をフネで南下したと考えられます。チリのMonte・Verde遺跡(1.45万年前)発見で、欧米が「急行」と名付けましたが足跡発見を考慮すれば実はちょっと速い普通です。

36,700年に及ぶ環太平洋ルートのこの特色は納得の1例であり、北海道東祖人に光という日本史の重要内容です。
教室に世界に、「環太平洋ルート」・「インマレイ」・日本の「祖人Sojin」の紹介を―日本祖代研究会(RGaPJ ) 

1.北米ニューメキシコのWhite Sands遺跡C~南米パタゴニアのモンテ・ヴェルデ遺跡D:欧米先生がこれまではこの長距離を“急行Express”だったと言っていましたが、北米での足跡2.3万年前の発見で、実はまあ速い普通です。

2.南方マロス(インドネシア)A~札幌B:緯度の北上に最も期間を要したのは、おそらく着衣・居住の暮らし変化に適応のため特に日本列島で足踏みしたのでは。他に比し遺跡が沢山見つかってもいますし。日本史の始まりについて、最古遺物から伊豆の3.8万年前が実証されていますが、そのことから日本の始まりが北部九州なのに3.8万年前という学者がいます。人類の移住の歩みの相場観の無い不適切な見解で、主流は「約4万年前」としています。

3.北B~C:長距離で氷河期の極寒なのに意外にも普通だったのは、青森・北海道での寒冷生活の慣れと沿岸の気候が内陸に比し極寒を緩和したためでしょう。総じて全く「納得」できる祖人Sojinの歩みの一例説の提示で、環太平洋36.700年の長い旅路だったという事です。

教室に始まり時代を、世界に北海道史をー日本祖代研究会(RGaPJ)

1.約4万年前の北部九州への渡海来着から、沖縄へ南下、本州の伊豆の生業航海などや青森・陸奥平野を経て祖人Sojin(縄文の前)は北海道へ。次々に見えた千島、フネだけでなく冬季は流氷を歩いて渡れます。カムチャッカ~ベリンジアへの「昆布(Kelp)ハイウェイ」の食豊富な処女地を、北上継続する否定要素はアリマセン。

2.「最初のアメリカ人」は、シベリアの狩猟族がマンモスを追ってベリンジアから入り、北米の無氷回廊を通過して拡がった定説は、2.3万年前の「足跡」の発見で揺らぎ、現在は西海岸沿岸の昆布ハイウェイを南下した説が有力となってきています。

そのため、ベリンジアへの始まりは、甲乙と混合の丙からの進入が考えられる訳です。いずれにしろこの時代は、寒冷変化のモンゴロイドでは未だなかったDr. Howells Harvard大)。

3.AB、ACは南方スンダランド系の類縁で、現生人類のスンダランドから南米パタゴニアへの環太平洋移住MPOR説の日本は一環です。ブラジルのLuziaも?

北米の内陸無氷回廊の通過定説に重大な疑問を呈す、南米モンテ・ヴェルデ遺跡の9種の海藻利用が示す沿岸海民性にも注目です。

教室に環太平洋人類史を、世界に祖人Sojinを―日本祖代研究会(RGaPJ)

➀Harvard医科大の投じた調査結果であるスンダ・サフルランド域とアマゾン先住民の超遠隔地DNAが他域に見られない近縁という不思議な問題は、北米2.3万年前の足跡発見、日本ルート・祖人Sojin説が登場するなどMPOR(Migration along Pacific Ocean Rim)の実証へ1歩を進めています。

当然、万年前の大昔に多くの家族が太平洋横断はムリです。

②日本史の始まりは、DNA・考古分析から南方北上が基本であり、太平洋側・日本海側(当時は大雪降らず)から北上した東西合一の青森・陸奥平野の賑いから容易に津軽湖(的)を越えて道東へ北上です。そして、次々に島が見え冬季には流氷を歩いて渡れた北千島への北上を、否定する要因はアリマセン。北千島のコロボックルCorobocle・遊動海民の留頓(ルトン、Routon)、縄文(6千年前)及びカムチャッカ進出の痕跡や鳥居龍蔵等の地調査を含む内外の研究に光が当たってきています。

日本の始まり状況を教室に世界にー日本祖代研究会(RGaPJ)

図左 誤解招く3方向渡来でなく南方北上一方向の始まり(沖縄へは南下)、約4万年前の祖人Sojinを祖代Sodaiを教室に世界に、誤解を正そう。旧石器時代の用語は適切でなく、縄文人は初めて渡って来た人々でなく2代目。祖人は大槍持ちの原始人ではアリマセン。

図右 出中東~東進~北上のアジア地中海沿岸~日本列島~北上継続のベリンジア~アメリカ新大陸西海岸を南下の環太平洋ルートに注目、国際共同研究で実証強化を期待します。

➀北米先住民に多いY遺伝子ハプロQは紀元後進入で新しく、巷間本の説明は誤りであり、「最初のアメリカ人」ではない事が判明しました。ニューメキシコの2.3万年前の足跡発見もあり、依然探究中という事です。

②従って、北米先住民DNAとの比較考察でそれと異なることからこれまで無視されてきた北海道祖人は排除されず、また、ベリンジアへの北上継続の否定要因もないので、「最初のアメリカ人」問題の「候補」なのです。巷間の3方向渡来図は、日本の始まりに対し時代の新しい方向を描いた列島から出て行かなかったという誤解を与えるもので不適切です。

米国の「ヘイト~」ではない勇気ある真実追求の研究成果の発表は、鳥居龍蔵の隠されているかのような北千島コロボックル・第1アイヌ・留頓(ルトン)の研究にも注目の光を当てるものです。

閉じ籠りから解放し、北海道祖人とコロボックルを教室にー日本祖代研究会(RGaPJ) 

図中 約4万年前からの始まり祖代の当時のアジアは、生物相が最新の研究では3区分(A,B,C)です。南方から「インマレイ」が北上し、曙海沿岸の時計回り渡海移住のB帯人が祖人です。石垣島祖人(2.75万年前)に類縁は、北海道以北にまで(祖代研)北上しています。今、道東祖人は昆布ハイウェイからの渡米候補なのです。

アジア東部北方では未だ寒冷地適応のモンゴロイドが登場していないC(西人とBの混合)であり、発見遺跡から東部への進出は実は新しいのです。

図左 始まり祖人(縄文人の前、初・先代)は、「最初のアメリカ人」の沿岸ルート説の高まりで伊豆の生業航海(諸島の神津島に黒耀石採取)が注目されるなど断トツの遺跡の充実です。当時先進の祖代痕跡の数々、米側のDNA分析などや千島は次々に島が見えた、フネのほかに冬季は流氷で歩けたなどから祖人の渡米を否定する要因はアリマセン。今、青森・北海道に世界学界の注目が集まっています。

図右 ルーツの探究は、祖人・縄文人の多角的分析が必要です。日本史期間の92%を占める祖・縄文時代の習俗文化・信仰の基盤は、その後の大陸からの流入影響を取捨・変形している元として重要なのです。

始まり祖代状況を教室に世界にー日本祖代研究会(RGaPJ)

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