1. 建国時代

縄文から変化の稲作・金属による生活変化から小国争乱へ。最新研究による実証の2雄合戦・迂回攻撃により国譲りの神武天皇即位状況から8代にわたる欧州ハプスブルグ家のような政略結婚による大和王権の拡大、前方後円墳が示す隆盛、近隣との対外関係が始まり、重要な男系皇統の確立という民族の大切にすべき建国の時代なのです。

2.原始ではない祖代・縄文の日本史基盤

島国であることから、アフリカ発の現生人類の拡散の一つのルートである北部九州への渡海始まりからの日本列島史。約4万年前、渡海からの始まりの様子5W1Hが推定できることは、世界の驚きです。1万件超えの発掘に支えられた生業航海・陥し穴猟・環状キャンプ・磨製石器・釣り針などは先史考古学五輪のメダル級であり、原始人ではアリマセン。今や縄文は文明と言われ、日本人の祖語やその後の渡来文化の取捨・変形の元となる基盤の時代なのです。
教室は戦後を引きずる周回遅れ―日本祖代研究会(RGaPJ 

Footprints in White Sands, possibly different DNA from already known ones, has shifted the Paradigm. Mal’ta boy doesn’t fit the new situation which sheds the light on Hokkaido Sojin (Proto-Japanese)in ”New”coastal route of west Pacific region.

-RGaPJ https://www.sunda-wind.net/?p=13057

左図 ➀現生人類は、南方から緯度を北上し、約4万年前に対馬海峡を渡海して北部九州から列島中に拡がり、北上継続(留まる理由なし)したと考えられます。②北の礼文島、稚内・名寄、北千島では、坪井教授が命名した石器人(竪穴や貝塚などの遺跡を残したに対する用語であり、鳥居龍蔵が伝承の実在を確認した「コロボックル(Corobocle)」(Routon留頓)に、南方系の痕跡あり注目です。

右図、来日客が驚く寒冷地の恰好や歴史的な渡道者(東北人等)の悲劇も、実は基本が南方系のためなのです。

―日本祖代研究会(RGaPJ) 

➀世界の驚きです。約4万年前、南方系家族が、筏で、約35kmを、対馬に、良好な処女地を求めて渡海、という日本史の始まりを推定できるのですから。(このレベルは、まあ他に無いでしょう)

太平洋側、日本海側(当時は大雪降らず)からの北上が、東西合一した青森・陸奥平野(当時浮上)から「昆布ハイウェイ」を、襟裳を越えた道東祖人は北上継続の渡米も?

②縄文時代の北は近年のDNA研究等も交え、礼文島、稚内(札幌医科大 山口 敏)・名寄、北千島などが「坪井コロボックル」で類縁であることが分かって来て、北の大陸・オホーツク人南下説は巷間の誤解であり、日本列島北上の南方系が主体の歴史だったのです。マンモス・ハンターは来なかったし、考古学界の大陸・細石刃狩猟族(2.5-2万年前)の北海道への南下も北海道祖人が技法を採用したのであって、喧伝されているほどの人の流入はなかったのかもしれません(今後の研究)。北の痕跡は、そもそもの東のユーラシア・アジア人の新旧の二重構造説とも合致しています。

③日本史の92%、長かった祖代・縄文時代の基盤の上に建国され、近年、「大阪おいたち」の河内潟の当時の状況と神武東征の臨場的な行動の記述(日本書紀は全く違う地形の時代に、言い伝え通りに記述)が符合する実証研究に注目 です。

教室は神話の導入を、研究最前線の紹介を―日本祖代研究会(RGaPJ)

祖代ー縄文時代ー建国時代(王権、稲作、金属等)ー古墳時代ー飛鳥時代ー・・・(祖代研の提唱、日本の始まりコレ1枚) 図左 日本史の認識は、かつての3千年前から今や約4万年前と深化しています。日本の建国は、戦後全否定の神話から歴史へと研究が行われて東征の実証研究も登場しています。また、世界遺産の縄文Jomonは、見直しが行われて今や文明と言われるまでに理解が進んでいるものの、それらは「一日では成らず」です。 図右 日本史の始まり約4万年前からのSodai Cultureは、岩宿における「祖代の発見」から列島1万件超えの祖代に係る発掘の成果により、長期充実の事跡を確認しています。始まりの長距離家族渡海に見られるように高い認知力を有し、既に原始ではなく多様な文化の言わば祖史考古五輪の多くのメダル獲得の状況なのです。 それは、九州北部への渡海から沖縄への諸島の南下、伊豆の生業渡海、種ケ島等の陥し穴猟、各地の環状キャンプ、広域遠距離の交易、磨製石器や道具の域を越えた神子柴石器、沖縄の釣り針、長野高地の多様な石器群、野尻湖のナウマン象と祖人の関わりなど、世界に誇る文化です。浜北遺跡では、上層に縄文人骨、下層に祖人骨の繋がりが示され、日本最古の沖縄の祖人骨と相まって貴重な時代一貫性の実証となっています。 今やそれらの基層前期の発展の上に、道東から千島北上を継続し得た(否定要因無し)渡米候補として、「最初のアメリカ人」の参加標準を突破し、史界の注目となっています。 周回遅れの教室の抜本改革を日本祖代研究会(RGaPJ)  

日米関係の始まり? 北方領土は、人類拡散史の道東道東ゲートウェイ、今、明治時代の先達である坪井正五郎・鳥居龍蔵(東京帝大)のコロボックルにも史界の光が当たっています。

図右 北米の2.3万年前のニューメキシコの足跡は、内陸の「無氷回廊」が閉鎖中なので海民又は「海民化」した狩猟族が大陸西岸の昆布ハイウェイをマリナーズが南下、イチローも注目ですwww。他方、南米アマゾンの最古(2万年前)遺跡も発見され、定説崩れを拡大している状況です。

図左 伊豆の最古の生業航海(3.8万年前)民の子孫である北海道祖人は、道東ゲートウェイから次々に島が見えた千島に、夏は舟・冬は流氷歩きで北上継続に否定要因無しです。これは、ベーリング地峡に2.5万年以前と考えられる「最初のアメリカ人」問題に対し、注目すべき参加標準突破なのです。

周回遅れの教室の抜本改革を日本祖代研究会(RGaPJ)

AIが宣伝に占領されれば、悪貨が良貨を駆逐し暗黒の国際社会になります。

図右 日本史の始まりは南方から緯度北上し渡海した約4万年前の祖代Sodai(伊豆の生業航海等の実証3.8万年前)から2代目の縄文へと変わります。島国こその発掘1万件超えが支える世界がうらやむ始まり認識なのです。今、北海道祖人の「最初のアメリカ人」問題への参加標準突破で史界が注目しています。

図左 日本自身や隣国の日・米・中の歴史認識が、先人が呆れるような余りに酷過ぎです。歴史を奪われた民は亡国という戒めを銘肝すべきであり、政治の歴史軽視が根本の大問題なのです。
周回遅れの教室の抜本改革を―日本祖代研究会(RGaPJ) 

図右 新大陸最古のNew Mexicoの足跡Xは誰かで、図左の南方北上のA日本祖人Sojin、中国B、シベリアCの種々の組み合わせがあり、ともかくAは時代の古さ、次々に島が見え氷河期で冬は流氷上っを歩いて行けた昆布ハイウェイの食豊かな千島の北上継続を否定する要因は無く参加標準突破です。

図下 先住民の超遠隔のDNAのα≒α‘近縁という医科大の驚きのミステリーは、万年前の太平洋の多数家族の横断は有り得ず、時計回りの北上とBerinngia経由の南下でしょう。問題はルートが、➀α―A―α’か、②α―B、C―α‘なのかを探究すべきなのです。旧定説を引きずる欧米先生、ホントに後者ですか?
周回遅れの教室は改革を―日本祖代研究会(RGaPJ)

Paradigm has been changing by coastal route theory, from the established one of Siberian mammoth hunter. Who in Northeast Asia were ancestor of Footprints people X in White Sands?
X≒α‘of SA? ≒ A or Abc admixed or BC?

―RGaPJ

図中右 最初のアメリカ人は、Where何処から? というのは初の問いと言えます。これまでは「シベリアからマンモスを追ってベーリング地峡に入り内陸の氷融け無氷回廊IFCを通ってアメリカ新大陸に拡がった」で決まっており、いつWhen が問題でした。今回見つけた動画は、問いもさることながら初の北海道が中心の図で、更に、米先住民は最初ではないと発表している事の驚きです(定説に対し、シベリア民の渡米は新しいと言うDNA分析家の勇気ある出版は有りましたが)。動画内容は、昆布ハイウェイ・沿岸ルートを支持しており、これらの事から、北海道東祖人Sojin(初代、縄文前)は問題への参加標準を突破していることが重要です(学界、教室は周回遅れ)。

図左 史界は最初のアメリカ人が沿岸ルート説の高まりで、昆布ハイウェイ上の坪井(用語制定)・鳥居(伝承人の現地調査認定)のコロボックルに光が当たります。実証的に6千年前の縄文までの埋もれた貴重な資料の一挙総合公開を、世界は待望しています。その際、新たに国宝となった遠軽白滝の旧石器も展示すべきです。

教室改革と世界へ発信の時代―日本祖代研究会(RGaPJ) 


図右 環太平洋TPPの常設事務局の検討がなされているが、所在地となるのは日本か? 近年、北米ニューメキシコでの2.3万年前の足跡発見など、人類史・最初のアメリカ人の研究における新大陸西沿岸ルート説の高まりは、南方北上の日本ルート(北海道祖人の北上継続、否定要因無し)に光であり、不思議にTPPの論議に重なります。

図左 その人類拡散の環太平洋ルート上で”ミッシング・リンク”扱いされている千島は、実は遊動海民を東京帝大のフィールドワーカー鳥居龍蔵が現地調査を経て大正期には伝承のコロボックル(・留頓るとん)と認定して学会発表・専門誌記述しており、また、6千年前の遺跡が確認(Dr. Fitzhugh・Washington Univ.、北海道大学)されるなど、その埋もれる膨大な内外の貴重な資料の総合展示を世界史界は待望している状況です。

坪井・鳥居先達のコロボックルCorobocleを世界に教室に―日本祖代研究会(RGaPJ)

White Sands Footprints, Who?

Established theory has been overturned since Footprints found in New Mexico and coastal route or Kelp Highway migration theory has come into discussion mainstream.

Proto-Japanese “Sojin”(before Jomon) seems to have reached from South in circa 40,000 BP and spread all over Japanese archipelago. Hokkaido Sojin from Aomori seems to have continued migration up North to Chishima/Kril Islands without any denial factor. So, Hokkaido Sojin sheds the light on the Footprints now.

Terminology for ancient people in Japan expressed as Corobocle named after coexsited tribe with Ainu in their forlklore by Dr. Tsuboi. People (Routon tribe) in North Chishima islands has previously thought as Corobocle at that time and a field worker Torii Ryuzo had surveyed about them and their ancient historical sites in 1899. He had finally authorized “Routon”-North Chishima people as Corobocle after 10 to15 years later, but Corobocle had changed meaning as a quite different character in fairy tales and continued upto now.

They were not fairy nor mischief, but important prehistoric terminology Corobocle named by Dr. Tsuboi and real tribe of Corobocle of their historical site surveyed by Torii actually, though misunderstood 100 years since by people.

Hokkaido, Chishima, Corobocle to world classroom nowーRGaPJ

図右 人類史「最初のアメリカ人」は、米国ニューメキシコのWhite Sands2.3-2.1万年前の足跡発見で定説が崩れ、新大陸の西沿岸南下説に注目が高まり、内陸狩猟族の海民化説やシベリア民DNAの渡米は新しいとの分析発表などが登場しています。これ等の状況の中で、問題への参加標準突破の北海道祖人(青森・陸奥平野を北上)〇Aに光が当たってきています。

図左 明治の近代化で学術日本祖史を先導した先達によって、学術的に制定(坪井正五郎)、認定(鳥居龍蔵の北千島民)された「コロボックル」は、当時の諸事情からおとぎ話の妖精や悪戯者・加害者として巷間に形を変えて広まったまま放置されていますが、今、百年の誤解を解き人類史「最初のアメリカ人」注目の北海道・千島ルートの中で、北海道祖人Sojinと共に「世界の檜舞台へ!」という状況なのです。

  令和七年 元旦     日本祖代研究会(RGaPJ)

図中 人類史「最初のアメリカ人」の新大陸西沿岸から進入南下説の高まりで、北海道祖人Sojin(縄文の前)に史界が注目してきています。

図左 東京帝大の坪井教授は北海道の遺跡調査を踏まえ、列島に貝塚・石器を残した先住民を自由に議論すべく学術用語(全国該当)「コロボックル」と命名制定し、探究対象の先住民に関して官憲介入の生じない自由な論議を主導し、当時は明治のお雇い外国人教授や同意見の日本人学者たちとの論戦で劣勢でしたが、今ではアイヌではなく縄文人として坪井が正当であったことが分かっています。

図右 同じく助教授の鳥居は、現地調査から時を経て北千島民こそ伝承の実在コロボックルと大正初期には正式に学界発表し専門誌に記述しました。

しかし、巷間では現地調査直後のコロボックルはいなかったと言う誤解が広まったのでやがてはおとぎ話矮人コロボックルとして妖精や悪戯者、中には真逆の加害者として書かれる誤解が放置されており、正されねばなりません。

コロボックルを正しく世界の教室に―日本祖代研究会(RGaPJ)

図右 教室の年表には「祖代」用語がなく(後期旧石器時代で放置)、世界に通ずる分かりやすい説明・議論ができず大きな問題です。始まりは南方北上の一方向性(北海道へ北上、沖縄へ南下)であり、長期定着し縄文に繋がり(浜北遺跡で実証)ました。巷間本・博物館等の3方向(樺太、朝鮮半島、台湾から)渡来図は、3つの時代の違いと進入の影響度を無視した誤解の元で最も可能性の高い沿岸ルートが無いのが問題です。今、青森~北海道東の祖人が渡米・西沿岸南下に関わったのかが世界の注目です。

図左 島国の膨大な遺跡実証により、約4万年前(学界主流)からの暮らしを推定できる事は世界の驚きです。大陸・半島(当時は無かった)から来たと言うのは誤解で、曙海の沿岸海民の沿岸・多くの小島暮らしを経た北部九州への渡海です。伊豆の生業航海は謎ではなく、陥し穴猟、環状キャンプ、磨製石器、釣り針などの世界先進(原始人ではない)の暮らしに注目し紹介すべきです。

教室は周回遅れ―日本祖代研究会(RGaPJ)

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