図右 新大陸最古のNew Mexicoの足跡Xは誰かで、図左の南方北上のA日本祖人Sojin、中国B、シベリアCの種々の組み合わせがあり、ともかくAは時代の古さ、次々に島が見え氷河期で冬は流氷上っを歩いて行けた昆布ハイウェイの食豊かな千島の北上継続を否定する要因は無く参加標準突破です。

図下 先住民の超遠隔のDNAのα≒α‘近縁という医科大の驚きのミステリーは、万年前の太平洋の多数家族の横断は有り得ず、時計回りの北上とBerinngia経由の南下でしょう。問題はルートが、➀α―A―α’か、②α―B、C―α‘なのかを探究すべきなのです。旧定説を引きずる欧米先生、ホントに後者ですか?
周回遅れの教室は改革を―日本祖代研究会(RGaPJ)

Paradigm has been changing by coastal route theory, from the established one of Siberian mammoth hunter. Who in Northeast Asia were ancestor of Footprints people X in White Sands?
X≒α‘of SA? ≒ A or Abc admixed or BC?

―RGaPJ

図中右 最初のアメリカ人は、Where何処から? というのは初の問いと言えます。これまでは「シベリアからマンモスを追ってベーリング地峡に入り内陸の氷融け無氷回廊IFCを通ってアメリカ新大陸に拡がった」で決まっており、いつWhen が問題でした。今回見つけた動画は、問いもさることながら初の北海道が中心の図で、更に、米先住民は最初ではないと発表している事の驚きです(定説に対し、シベリア民の渡米は新しいと言うDNA分析家の勇気ある出版は有りましたが)。動画内容は、昆布ハイウェイ・沿岸ルートを支持しており、これらの事から、北海道東祖人Sojin(初代、縄文前)は問題への参加標準を突破していることが重要です(学界、教室は周回遅れ)。

図左 史界は最初のアメリカ人が沿岸ルート説の高まりで、昆布ハイウェイ上の坪井(用語制定)・鳥居(伝承人の現地調査認定)のコロボックルに光が当たります。実証的に6千年前の縄文までの埋もれた貴重な資料の一挙総合公開を、世界は待望しています。その際、新たに国宝となった遠軽白滝の旧石器も展示すべきです。

教室改革と世界へ発信の時代―日本祖代研究会(RGaPJ) 


図右 環太平洋TPPの常設事務局の検討がなされているが、所在地となるのは日本か? 近年、北米ニューメキシコでの2.3万年前の足跡発見など、人類史・最初のアメリカ人の研究における新大陸西沿岸ルート説の高まりは、南方北上の日本ルート(北海道祖人の北上継続、否定要因無し)に光であり、不思議にTPPの論議に重なります。

図左 その人類拡散の環太平洋ルート上で”ミッシング・リンク”扱いされている千島は、実は遊動海民を東京帝大のフィールドワーカー鳥居龍蔵が現地調査を経て大正期には伝承のコロボックル(・留頓るとん)と認定して学会発表・専門誌記述しており、また、6千年前の遺跡が確認(Dr. Fitzhugh・Washington Univ.、北海道大学)されるなど、その埋もれる膨大な内外の貴重な資料の総合展示を世界史界は待望している状況です。

坪井・鳥居先達のコロボックルCorobocleを世界に教室に―日本祖代研究会(RGaPJ)

White Sands Footprints, Who?

Established theory has been overturned since Footprints found in New Mexico and coastal route or Kelp Highway migration theory has come into discussion mainstream.

Proto-Japanese “Sojin”(before Jomon) seems to have reached from South in circa 40,000 BP and spread all over Japanese archipelago. Hokkaido Sojin from Aomori seems to have continued migration up North to Chishima/Kril Islands without any denial factor. So, Hokkaido Sojin sheds the light on the Footprints now.

Terminology for ancient people in Japan expressed as Corobocle named after coexsited tribe with Ainu in their forlklore by Dr. Tsuboi. People (Routon tribe) in North Chishima islands has previously thought as Corobocle at that time and a field worker Torii Ryuzo had surveyed about them and their ancient historical sites in 1899. He had finally authorized “Routon”-North Chishima people as Corobocle after 10 to15 years later, but Corobocle had changed meaning as a quite different character in fairy tales and continued upto now.

They were not fairy nor mischief, but important prehistoric terminology Corobocle named by Dr. Tsuboi and real tribe of Corobocle of their historical site surveyed by Torii actually, though misunderstood 100 years since by people.

Hokkaido, Chishima, Corobocle to world classroom nowーRGaPJ

図右 人類史「最初のアメリカ人」は、米国ニューメキシコのWhite Sands2.3-2.1万年前の足跡発見で定説が崩れ、新大陸の西沿岸南下説に注目が高まり、内陸狩猟族の海民化説やシベリア民DNAの渡米は新しいとの分析発表などが登場しています。これ等の状況の中で、問題への参加標準突破の北海道祖人(青森・陸奥平野を北上)〇Aに光が当たってきています。

図左 明治の近代化で学術日本祖史を先導した先達によって、学術的に制定(坪井正五郎)、認定(鳥居龍蔵の北千島民)された「コロボックル」は、当時の諸事情からおとぎ話の妖精や悪戯者・加害者として巷間に形を変えて広まったまま放置されていますが、今、百年の誤解を解き人類史「最初のアメリカ人」注目の北海道・千島ルートの中で、北海道祖人Sojinと共に「世界の檜舞台へ!」という状況なのです。

  令和七年 元旦     日本祖代研究会(RGaPJ)

図中 人類史「最初のアメリカ人」の新大陸西沿岸から進入南下説の高まりで、北海道祖人Sojin(縄文の前)に史界が注目してきています。

図左 東京帝大の坪井教授は北海道の遺跡調査を踏まえ、列島に貝塚・石器を残した先住民を自由に議論すべく学術用語(全国該当)「コロボックル」と命名制定し、探究対象の先住民に関して官憲介入の生じない自由な論議を主導し、当時は明治のお雇い外国人教授や同意見の日本人学者たちとの論戦で劣勢でしたが、今ではアイヌではなく縄文人として坪井が正当であったことが分かっています。

図右 同じく助教授の鳥居は、現地調査から時を経て北千島民こそ伝承の実在コロボックルと大正初期には正式に学界発表し専門誌に記述しました。

しかし、巷間では現地調査直後のコロボックルはいなかったと言う誤解が広まったのでやがてはおとぎ話矮人コロボックルとして妖精や悪戯者、中には真逆の加害者として書かれる誤解が放置されており、正されねばなりません。

コロボックルを正しく世界の教室に―日本祖代研究会(RGaPJ)

図右 教室の年表には「祖代」用語がなく(後期旧石器時代で放置)、世界に通ずる分かりやすい説明・議論ができず大きな問題です。始まりは南方北上の一方向性(北海道へ北上、沖縄へ南下)であり、長期定着し縄文に繋がり(浜北遺跡で実証)ました。巷間本・博物館等の3方向(樺太、朝鮮半島、台湾から)渡来図は、3つの時代の違いと進入の影響度を無視した誤解の元で最も可能性の高い沿岸ルートが無いのが問題です。今、青森~北海道東の祖人が渡米・西沿岸南下に関わったのかが世界の注目です。

図左 島国の膨大な遺跡実証により、約4万年前(学界主流)からの暮らしを推定できる事は世界の驚きです。大陸・半島(当時は無かった)から来たと言うのは誤解で、曙海の沿岸海民の沿岸・多くの小島暮らしを経た北部九州への渡海です。伊豆の生業航海は謎ではなく、陥し穴猟、環状キャンプ、磨製石器、釣り針などの世界先進(原始人ではない)の暮らしに注目し紹介すべきです。

教室は周回遅れ―日本祖代研究会(RGaPJ)

肥満と縄文DNAの関係はよいが、歴史説明が適切でなく問題です。
➀日本史年表の祖代と祖人Sojinの先進の暮らしをよく認識することが基本です。

②NHK報道の縄文DNAー南方由来の始まり祖人繋がりが日本人の起源であり、約4万年前(3,8万年前、静岡実証)に、「曙海」沿岸海民が北部九州へ筏渡海しての始まりで、沖縄へ南下、北海道へ北上と更に継続です。巷間本・博物館等の3方向[樺太、朝鮮半島、台湾(沖縄へ)から進入]渡来図は誤解を招く不適切なものです。

・不適切な「旧石器人」として用語を放置していることで用語の無い祖人と、2代目の縄文人の関係は、江戸人と明治人のようなものであり、坊主になって服を脱げば変わりないのです。

・北海道縄文は祖人の子供で道産子であり、江戸期に8万本州人が金採掘などで北上し渡道したことが現代縄文DNAに大きく影響しているのです(アイヌは縄文人直系ではない)。

・日本への大陸・半島からの「3重渡来説」は誤解です。最初は曙海沿岸からであり、その後の言われる弥生・古墳時代などは大挙進入した訳ではなく誤解であり、あくまで島国内の栄枯盛衰の結果です。 現下の問題は、祖人は渡米?ー日本祖代研究会(RGaPJ)

➀アジア東部の内陸族系野移住説、欧米ではこの東部シベリア狩猟族ルートが認識されてきていますが、近年の米西海岸南下の「沿岸ルート」説の高まりにより、DNAと足跡の発見から2.5万年前頃に北のベリンジア南岸で大槍を捨て「海民化」暮らしに転換したという論が登場しています。実はこの時代標準で見ると、東部シベリアで遺跡・遺物の発見は無くあくまで「環太平洋ルート」と同じ説です。

②環太平洋ルート説の行程

近年の米西海岸南下の「沿岸ルート」説の高まりで、日本の遺跡・遺物、特に伊豆の生業航海(3.8万年前)、南方スンダランド地域の遺跡・遺物が注目され、「環太平洋ルートMPOR」説の提唱(祖代研)に光です。

各区間の特色は、以下の通り(祖代研)です。

A~B:緯度北上に最も長期間を要しましています。南方民「インマレイ」(欧州学者の「旧モンゴロイド」用語は誤解させる不適切)が、裸体から衣服・居住暮らしの大変化に適応に期間を要したのでしょう。

B~C:長距離・極寒の区間ですが、意外に普通速度です。日本で既に北の暮らしの準備ができていた、「昆布(kelp)Highway」の食に恵まれた、沿岸気候は相対的に極寒を緩和していた、ことなどが考えられます。

C~D:赤道を通過する相対温暖の沿岸をフネで南下したと考えられます。チリのMonte・Verde遺跡(1.45万年前)発見で、欧米が「急行」と名付けましたが足跡発見を考慮すれば実はちょっと速い普通です。

36,700年に及ぶ環太平洋ルートのこの特色は納得の1例であり、北海道東祖人に光という日本史の重要内容です。
教室に世界に、「環太平洋ルート」・「インマレイ」・日本の「祖人Sojin」の紹介を―日本祖代研究会(RGaPJ ) 

1.北米ニューメキシコのWhite Sands遺跡C~南米パタゴニアのモンテ・ヴェルデ遺跡D:欧米先生がこれまではこの長距離を“急行Express”だったと言っていましたが、北米での足跡2.3万年前の発見で、実はまあ速い普通です。

2.南方マロス(インドネシア)A~札幌B:緯度の北上に最も期間を要したのは、おそらく着衣・居住の暮らし変化に適応のため特に日本列島で足踏みしたのでは。他に比し遺跡が沢山見つかってもいますし。日本史の始まりについて、最古遺物から伊豆の3.8万年前が実証されていますが、そのことから日本の始まりが北部九州なのに3.8万年前という学者がいます。人類の移住の歩みの相場観の無い不適切な見解で、主流は「約4万年前」としています。

3.北B~C:長距離で氷河期の極寒なのに意外にも普通だったのは、青森・北海道での寒冷生活の慣れと沿岸の気候が内陸に比し極寒を緩和したためでしょう。総じて全く「納得」できる祖人Sojinの歩みの一例説の提示で、環太平洋36.700年の長い旅路だったという事です。

教室に始まり時代を、世界に北海道史をー日本祖代研究会(RGaPJ)

図中 約4万年前からの始まり祖代の当時のアジアは、生物相が最新の研究では3区分(A,B,C)です。南方から「インマレイ」が北上し、曙海沿岸の時計回り渡海移住のB帯人が祖人です。石垣島祖人(2.75万年前)に類縁は、北海道以北にまで(祖代研)北上しています。今、道東祖人は昆布ハイウェイからの渡米候補なのです。

アジア東部北方では未だ寒冷地適応のモンゴロイドが登場していないC(西人とBの混合)であり、発見遺跡から東部への進出は実は新しいのです。

図左 始まり祖人(縄文人の前、初・先代)は、「最初のアメリカ人」の沿岸ルート説の高まりで伊豆の生業航海(諸島の神津島に黒耀石採取)が注目されるなど断トツの遺跡の充実です。当時先進の祖代痕跡の数々、米側のDNA分析などや千島は次々に島が見えた、フネのほかに冬季は流氷で歩けたなどから祖人の渡米を否定する要因はアリマセン。今、青森・北海道に世界学界の注目が集まっています。

図右 ルーツの探究は、祖人・縄文人の多角的分析が必要です。日本史期間の92%を占める祖・縄文時代の習俗文化・信仰の基盤は、その後の大陸からの流入影響を取捨・変形している元として重要なのです。

始まり祖代状況を教室に世界にー日本祖代研究会(RGaPJ)

(世界人類史)問題は道東だべや。どさ?アメさ。来年は、新人類・日本始まり史の特別展が凄い。

図左 日本にとっては南方人(モンゴロイドではないインマレイ)の東亜地中海沿岸の北上であり、約4万年前に北部九州に渡海し、3.5万年前頃には沖縄~北海道の列島中に拡がりました。

図右 DNAが全てではなく、日本史基盤の祖・縄文人と習俗文化が重要であり、巷間に誤解のマンモス・ハンター、騎馬民族、大量の難民渡来などは否定され、大噴火で出国した避難民子孫の帰国や交易で大陸・半島に出た縄文海民の行動の影響なども考慮する必要があります。

図中 波静かだった対馬海峡を家族が筏で越え(40-30km)て北部九州へ、また、伊豆の海で黒耀石を求めて生業航海し、海民の認知力高い暮らし(考古学先史上の“メダル”を基礎に、今、青森・北海道祖史に米学界も注目し始めているのは、「最初のアメリカ人」が西海岸沿岸を南下して入って来た説の高まりにも理由があるのです。

温故知新、世界の動向を教室に―日本祖代研究会(RGaPJ) 

➀ノーベル賞の先生方が「カーボン温暖化説は誤解」の声明が出た時節の暑い夏に、氷河期4万年前の旧人と新人は何が影響して勢力が交代したのかを論じ説明、追体験するという企画です。

②それは日本史の60%を占める祖代の始まりであり、日本列島での祖先の暮らしが北部九州から拡がって行った時期です。欧米先生のアジアは全て新旧のモンゴロイドという名称は、余りに大雑把な誤解の元で、先ず出アフリカ・中東からの南方インマレイ、そして北上し寒冷地で身体変化したモンゴイドの今も続く各地への拡散なのです。始まり祖代の各地で発掘された遺物は、世界先史考古学における実証上の金メダル4(伊豆の生業航海等)、銀2、銅1(祖代研)であり、更に今、「最初のアメリカ人」候補として注目されている内容を有するものです。コレを機にしっかり世に紹介し、特に学生・生徒は追体験すべきです。

約4万年前からの祖代を教室に世界に―日本祖代研究会(RGaPJ) 

(考古界尽力の祖代痕跡の発掘1万件超えが支え)

➀ユーラシア内陸・半島(当時は山地)人ではない、モンゴロイドではない北インマレイの曙海沿岸海民家族による、波静かだった対馬海峡を筏による40-30kmの渡海での始まりです。

②東京諸島(神津島)の黒耀石を求めた世界最古の伊豆の生業(造・操舟)航海は、「謎」(朝日新聞報道)ではアリマセン。

③最古の種子島の陥し穴猟など、鉄器の無い時代に1mの穴を多数設定する作業は、各地の同種の作業の知レベル・社会性の高さを示すものです。

④「国宝」白滝石器群など遠隔地の黒耀石交易や特に東京小平・鈴木遺跡の広域交易の賑いと集団社会性、先進の磨製石器、最古の釣り針、もはや工芸品というべき神子柴石器などは世界の注目なのです。

なお、図左の「旧石器時代」の名称は不適切であり、「祖代」・祖人の用語を導入すべきです。

祖人は、原始人ではないー日本祖代研究会(RGaPJ)

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