左図下、米国における始まり祖代の暮らしぶりと祖史考古学研究の中心である石器についての野外実験による見直しは、最新の米実験考古学の報告です。

マンモス・バイソンなどの大型動物に対する大槍持ちが数人で襲い掛かるハント史観は修正が必要(以前の報告)で、石器はむしろ屍体解体(長野:野尻湖遺跡に注目)が用途とのことです。米国やアジアの古人骨の分析では、海・水産物食が主流という報告が出ています。
上図、日本も包まれていた食豊かな「昆布の森・Kelp Forest」と「最初のアメリカ人」の新大陸・太平洋沿岸からの進入ルート説の高まり(内陸の「無氷回廊」はその時代は不通)。大型動物狩猟の生活観の見直しという米実験報告も踏まえ、あらためて日本の始まり時代におけるガラス黒耀石は何故、宝物だったのかが重要です。
右図、海・川辺~高地の賑いと考古金メダルの暮らしにおける多用途の黒耀石を採取すべく、祖人が努力し交易したことに納得です。今では海水面の数十m上昇で祖代の沿岸の暮らしの痕跡は海中ですが、2代目縄文の親にも理解を求めたいです。
生活行動に知的レベルと黒耀石工作のデリカシーがあり。言葉でコミュニケーションしたと考えられる広域の交易、陥し穴や環状キャンプの集団社会性も示しており、現代の凶暴な独裁者・狂信者たちに比べ原始人ではアリマセン。案外、黒耀石でウザ~イ髪とヒゲは刈っていた(スカルプチャーカット)かもです。
縄文Jomon前の日本祖史を世界に、教室に。―日本祖代研究会(RGaPJ)

図左、実証3.8万年前(遺物の原産地特定、年代測定)から、切れ味の宝物・黒耀石の存在も賑わい理由の一つでした。


沿岸から高地、北陸新幹線より3万年早い列島中央部の連接、関東平野~東海広域の活動と交易(鈴木遺跡は“新宿”のようだった!)、伊豆の生業航海や長野の高地進出に多様な石器扱い、原始人ではない知的レベルの陥し穴猟・磨製石器・環状キャンプ等の世界先史考古学の「金メダル」ラッシュに、欧米先生もビックリ。
世界・巷間のJomonからしか語らない日本史話は終わりにしましょう。Sodai/Sojinを世界に、教室に広めましょう。そもそも祖人は、寒冷・寒風・降雪で身体変化したMongoloidではなく、出アフリカ後の東進した南方系Inmalayインマレイが亜寒帯入りして若干変化した北インマレイ(Inmalay-North)です。マンモス・ハンターも騎馬民族も来なかった、大量渡来もなかった列島のコップの中の勢力の消長で育まれたのであり、「日本は神話(国の成り立ち)から歴史(実証的)が滑らか」(仏 レヴィ・ストロース)を含めた、全く新たな日本史の総合的な教育の検討すべきなのです。ギリシャ神話はよくて、日本神話はダメなんですか?ー日本祖代研究会(RGaPJ)

1万件を超える日本列島の始まり祖代の遺跡研究、太古からの人のDNA分析、当時の環境の推定などから、孤立的な島国であるが故に始まり状況を当時に見合う精度レベルで一応議論できることは、今後の新事象の発見で修正があるとしても左図の内容は世界的に特筆すべきことなのです。

1.約4万年前(列島中央部の3.8万年前の実証遺物を基に現生人類の初期移住状況から推定)、南方から北上し曙海沿岸から対馬海峡を筏(いかだ)で、日が昇る方向の北部九州に到達したと考えられ(①②)、巷間言われている中国や朝鮮半島から来た、また、北・西・南の3方向から来たと言う説明は誤解を招くものです。筏を造り気象・海象を理解して30km以上の海を多くの家族が漕ぎ渡る事が出来た事は、沿岸の暮らしに慣れ諸作業と渡海行動について言葉による意思疎通能力を有した知的レベル(祖代は祖語の基層)の人々(仮に大井川の例のように、輸送専業の者がいたなら、注目すべき社会性)であったことを示しています。原始人ではアリマセン。

2.海民の祖人は、その後3.5万年前頃には沖縄から北海道の概ね列島中に拡がり③北上を継続したとみられます。この点で、今は海面下ですが陸奥平野や貝塚遺跡の今後の水中考古学が期待されます。肝心の祖人について、欧州学者の命名による「古モンゴロイド」呼称は誤解(モンゴロイド:寒冷・寒風・降雪に適応し南シベリア・モンゴル地域で2.5-1万年前頃から身体変化説-米Dr. Howells)を招く不適切なものです。東南アジア地域の「インマレイ」(仮称)が熱帯・亜熱帯地方から北上し亜寒帯入りして若干の身体変化を生じたと考えられるスンダランド南方系の「北インマレイ」(仮称)と称すべきです。

3.遺物で原産地実証されている「伊豆での生業航海」②右は、当初は欧州学者に相手にされず、新聞では謎と報道されましたが、祖代研は当時の環境から最短で約20kmの不思議でない渡海(屈強な男達、海水面低下で拡大した諸島の海岸はフネを曳いて歩く)と発表しており、そもそも始まりの対馬渡海の方が長距離であって、相互に渡海推定を補完し合っている重要な事象です。

教室が時代の古さと実証精度のバランス認識を欠いて「よく分からないから教えない」とし、祖代の世界先史の“考古学金メダル”5個も教えず、始まりに関する紹介すらせずに明治時代の先達の活発な熱い論議を失っている事は適切でなく、改善を要望します。「最初のアメリカ人」問題でも日本が登場しているのに、教室が全く反応していない事も適切ではアリマセン。ー日本祖代研究会(RGaPJ)

祖先は、縄文、弥生の旧説でなく、DNA分析から更に東北系が加わったものと理研が科学誌に発表との報道。しかしこれは、1.祖代・祖人の年表を尊ばず、2.南方からの北上史も無理解で、3.今や日本史は世界が注目してきており、誤解は避けねばなりません。

始まり祖先は①言うならば、「北インマレイド」(欧米の古モンゴロイド名称は誤解招く不適切)の1系統であり、後の縄文でも弥生でもなく東北系呼称も沖縄などを見れば全く不適切です。
②実証3.8万年前の黒耀石を求めた“伊豆海峡” の生業航海が、繋がり浜北祖・縄文人を認識することは、極めて重要です。
③「最初のアメリカ人」問題で、西海岸(昆布ハイウェイ)ルート説の高まりで、今、約4万年前の北部九州・対馬への筏渡海の始まりから3.5万年前頃には沖縄から北海道迄列島中に拡がっていた祖人の状況を認識することが重要で、世界のに注目なのです。

教室が始まり祖代Sodai・祖人を教えないために、「縄文人は何処から?」という愚問も発せられています。2代目なので、日本列島からに決まっているのにデス。
―日本祖代研究会(RGaJP)

①新垣義夫(83)宮司の沖縄国際大学に対する洞穴聖域の調査依頼から、普天間宮遺跡280m内部の聖域の調査に着手し、始まり祖人Sojinの生活痕跡の炉跡2ケ所の大発見に繋がりました。更に、深い層の今後予定(8月)されている調査に期待が高まっています。なお、1.縄文時代の前は磨製新石器と旧石器が共に存在し、また、縄文草創期にも旧石器は使用されていましたし、2.平安Heianや江戸Edoなど他の時代と用語が合わない「旧石器時代、後期旧石器時代、原始時代」のなど語は、内外に誤解を与える不適切なもので世界通用の祖代Sodaiとすべきです。

②そもそも日本人の始まりは対馬渡海(40-30km)からでしたが、日本祖史では伊豆の生業航海(神津島、渡海離隔約20km)など言わば“世界(祖史)考古金メダル”で5個も有し、繋がり次代の縄文は、今や文明との呼び声も出ています。

③対馬・伊豆などにおいて祖人が示したその渡海能力は、「最初のアメリカ人」問題(2.5万年前頃から)で北米の西海岸ルートからの進入説の高まりにより、日本の海民性が注目され出しています。今回発見のトカラ越えの遠隔地である沖縄における離島生活痕跡は、史界の動きに大花を添えるものといえます。

―日本祖代研究会(RGAPJ)

現在、東京都認定ですが、①IDA(本部アリゾナ)の星空保護区(ある意味で世界遺産のようなもの)に申請へ。認定ならば、沖縄に次ぐ2例目となります。②神津島は3.8年前、日本最古実証の黒耀石採取で祖代の伊豆海峡をフネで行き来した、日本の“世界祖史考古学金メダル” 5個の中でも最も意義深いものです。近年の③「最初のアメリカ人」の東太平洋沿岸(昆布ハイウェイ)進入説の高まりで、日本史の始まりが注目される中心ともいえる実証痕跡の島に新たな輝きとなります。
―日本祖代研究会(RGaPJ)

①「最初のアメリカ人」定説、シベリアのマンモス・ハンターが無氷回廊から進入定説の崩れ

a.無氷回廊は氷が融けても生物の食糧無ければ未通(1~2千年間)であり、あの米国始まりクローヴィス文化人も実は開通前の沿岸からという衝撃です(これで全ての米国論議遺跡が沿岸から)。 b.北米先住民に多いシベリアDNA‐ハプロQは実は1,700年前進入とゼロ一つ違う全く新しいものなのです。 c.そもそもマンモスの毛・肉の厚さから北米発見の石器では、数人の槍持ち襲い掛かりハントは無理という実験考古学の報告です。これらの事から最初のアメリカ人についてはイメージの見直しが必要であり、何よりも日本列島ルートは排除されず、注目されるはある意味で当然です。アメリカでは沿岸ルート説の強まりで、DNA的に否定されるもかねてからくすぶっていたコロンブス以前に北大西洋のグリーンランド回りで欧州から来たという「ソルトリアン説」が、石器がクローヴィスに似ているしと元気になっていますが、依然無理(米学界主流)なのです。

② そこで一部は遂に、日本史の始まり時代の海民性に関心

正に図右の祖代研の曙海・北東亜平野の図と同様の思考です。但し、沖縄の祖人骨発掘に惹かれたのであろう黒潮ルートに言及しているのは誤解で北部九州が始まりです。南から沖縄本島への慶良間ギャップ300kmは、家族ですから越えられなかったでしょうし、考古遺物は鹿児島からの南下を示しています。米国の今回の例でも始まりの祖人について、3.8万年前から神津島に黒耀石を求めて舟で生業航海を行っていた伊豆祖人の海民性を採り挙げ、ベーリング陸峡への太平洋沿岸北上の継続について研究者名Ikeya(池谷信之)を付して注目という祖代研に沿った探究路線です。

③日本の縄文前、特に青森・北海道以北の祖代の理解認識とルート確定などはこれから

祖代における“世界考古学先史の金メダル5個”の文化性は、未だ世界には認識されていません。北海道東祖人に今関心の脚光が及んでますが、基盤の青森・陸奥平野や帯広・白滝等の道内の祖代遺跡の意義、何より肝心の千島特に北千島の遊動海民コロボックル・留頓(Routon)に関する明治・大正時代以来の先達(ロシア研究者等を含む)の発掘、研究状況はよく知られておらず全くこれからです。

いずれにしても今後の研究進展によりますが、「最初のアメリカ人」研究の本家が一昨年の書籍出版に次ぎ昨年動画を最新でサンジェゴ考古学センターが日本の始まりに関心を示して来たことは注目され、教室の日本史はこういう動きを紹介すべきであり、周回遅れなのです。時代呼称を適切に定め、世界に見られる一部の誤解は正されねばなりません。
―日本祖代研究会(RGaPJ) 

新入生へ 
固定観念に捉われず信念を貫く―相澤記念館

1.行商の市井の考古学研究家の大発見

左図、群馬県みどり市の岩宿博物館の1件3万9,370点の指定。特に、それまで学界では無いと考えられていた縄文時代前を確定する1949年・昭和24年の黒耀尖頭石器等の発見が、始まり「祖代Sodai」への扉を開き、それまで学界では無いと考えられていた関東ローム層のみならず日本各地での発見に繋がって行ったことです。問題は、この時代名称が先土器や旧石器時代という不適切なまま放置されている事なのです。

2.真の意義は、先史「金メダル5個」及び「最初のアメリカ人」問題研究への端緒

右図、現在は1万件を超える初代の遺跡発掘の蓄積から、世界先史考古学の特筆事項「金メダル」を5個も獲得しており、今や文明と言われる縄文Jomonの基層であった日本の始まり「祖代Sodai]」の確定に道を開いた事と世界の学界が注目する「最初のアメリカ人」問題研究に関わることの端緒となった事が重要です。相沢忠洋が扉を開いた始まり祖代については残念な旧石器発見の捏造事件があり、また、原始時代の扱いで依然として巷間に誤解が多く、教室で軽視されていることが大きな問題です。

―日本祖代研究会(RGaPJ)

「最初のアメリカ人」を巡っては定説が崩れ、新たな認識が求められていることから各国史にも種々の影響が生じています。「日本人はどこから?」ではなく、今や「日本人は南から来て、何処まで行ったのか?」と問う時代(プーチンはいないのに、北海道で留まる理由はアリマセン)なのです。

1.左図 最新の研究でこれまでの認識は全くの表層を語っていたようです。DNA分析、言語研究、考古遺跡発掘などから世界現生人類史の下の層は違う景色であり、まだまだ解明の途中です。特に、DNA分析における中央アジアの影響は大きく、新しい3,700年前頃の同地域の種族が東進、西進し時間差をもって北米で再開したという新認識は重要で、シッティングブル大酋長とカスター将軍が同祖系とは驚きですが、納得できます。欧州人コロンブスが来る前に、アジア・シベリアから何波もの渡来と混合があり解明を難しくしている事情が理解されます。①最初はアラスカ沿岸から西海岸を南下しつつ内陸へ拡がったとみられ、その後、②氷河期後に内陸の「無氷回廊」が開かれて狩猟族が大量に渡来したのが原型でしょう。そして欧州からの大きな渡来が南北アメリカに続き現在に影響を及ぼしています。しかし、東部のユーラシア・アジアからの先住者の培った文化や影響を及ぼした生物環境などは、その後に十分意味を持っています。また言語研究からも最初のアメリカ人候補としてA、Xが考えられ、沿岸移住説の高まりの中、日本・道東祖人(青森発)は候補であることを認識すべきなのです。

2.右図 このような人類史の状況を踏まえれば、南方から北上して北部九州に至り、列島に形成された約2.5万年間に及ぶ祖代Sodaiの基層は意義深く、世界考古学的に特筆される「金メダル」は5つに及んでおり、2代目の縄文文明は一日では成らずなのです。白滝石器群が国宝に指定され喜ばしい事ですが、特に、最初のアメリカ人が新大陸西海岸を南米南端にまで及んだことを考えれば、若葉の森遺跡や近年豊富な黒耀石器が発掘されて話題になった帯広など北海道ゲートウェイの道東祖人及び東西から北上し合一した祖人によって重要な基盤となった青森・陸奥平野における暮らしの解明は、日本史のみならず世界人類史の観点でも注目されます。それらに繋がるとみられる仙台及び北陸の暮らしの解明も期待されます。巷間には未だ3方向(北、西、南)からの渡来図を示し、日本から出て行かないという誤解を招く説明が散見されており、是正すべきです。

教室はこの始まり時代を解明の途中とした上で紹介すべきであり、でなければ旧態のまま周回遅れです。―日本祖代研究会(RGaPJ) 

1.米フロリダで発見の①水中遺物は、無氷回廊IFCが開通する以前の進入であり、大西洋ルートはDNA分析で否定されていることから、東太平洋沿岸南下のルート説を支持しています。フロリダ北西部の水中遺跡へは、メキシコ湾沿い東進とみられます。
2.南下した②アマゾン河口での米大陸最古の土器は、焼成温度が縄文土器を想起させます。北部で発見のエクワドル土器は、九州土器との類縁性が言われていました。
3.③遠隔DNAの3者類縁性となるアンダマン諸島人―縄文人―アマゾン古部族の関係は注目です。これまで縄文人は、北米先住民との関係発見が薄いので無視されてきましたが祖人・縄文人は注目であり、今後の痕跡探求は薄くても北米で努力しつつ、これまでは研究不十分だった南米発見に期待です。
4.アメリカ新大陸側でベリンジア南岸海民(化)と沿岸ルート南下説の強まりで、➃伊豆海民祖人の世界最古の生業航海を行っていた操・造舟力、青森・陸奥平野における東西合一の賑いの基盤も道東祖人の堂々の参加を後押しです。

日本史は、先ずは始まりを理解してから。世界に状況の発信を。

ー祖代研Research Group about Proto-Japanese (RGaPJ)  

New findings in ①Florida (to Coastal Migration Theory) and in ②Amazon estuary (the oldest pottery in new American continents reminds of Jomon) indicate not only Siberian hunters, but Proto-Japanese Sojin, predecessor of Jomon, not Ainu should be paid more attention to.

DNA affinity ③among Jomon Japan ― Onge Andaman Is ― Amazon old tribes in South America indicates interesting triangle relation. ④Coastal Migration theory supports seafarer Proto-Japanese Izu Sojin (38,000 BP~) and its descendant Doto Sojin (before 30,000 BP in eastern Hokkaido) who seems to have continued migration up north to Beringia and down west coast all along Kelp Highway.

―Research Group about Proto-Japanese (RGaPJ)

累次報告の通り、左図「古シベリア人」成立の分析が進むものの北米で多くみられる父系Y-DNAハプロQの進入は実は新しく(ゼロ少ない1,600年前)、東部シベリアには居住痕跡も見つかってはいません。

他方、日本の道東祖人(初代、縄文先代。アイヌは論外)は、太平洋・日本海両側から北上し東西が合一した青森・陸奥平野(数十mの海水面低下で現出)を基盤にし、3.8万年前の伊豆海民の子孫であり右図考古金メダル5個・1万件を超える豊富な遺跡実証に支えられ、米側研究の進展による「昆布ハイウェイ」沿岸ルート南下進入説の高まりで、今注目の日本史最前線なのです。最初のアメリカ人問題は、むしろ鍵は南米最古の遺跡・人骨・遺物の痕跡探求と解明が注目される中、日本と南米はDNA類縁性が無いわけではないと言われながらも世界に通ずるこの面からの先史関わり論文発表は未だ無いです。教室が「よく分からない」としてこの人類史の重要問題を紹介していないことが一因であり、この面からの世界への発信も不十分(アイヌ誤解)です。科学に予算を、協同研究の主導を期待します。―日本祖代研究会(RGaPJ)

約4万年前、日本始まり時代の氷河期の気候特にそれが上昇温暖化した時期と、北部九州への到着や北海道進出などの歴史諸事象が符合するのは注目されます。

先ず時代を語るのに図・上、世界が誤解する「旧石器時代」という名称は英語にすればすぐわかりますが日本の時代と合わず不適切(縄文も新石器時代でない)であり、早急に改善すべきです。そもそも、平安、鎌倉、江戸、など皆が慣れ親しんだ時代名称と合いません。
0・①出アフリカ・東南アジアの現生人類は気温上昇で北上し、曙海沿岸から当時は日本(湖)の波静かで、筏渡海して北部九州から列島中に拡がりました。

②関東・東海では相対的に温暖で、宝物の良質の黒耀石の原産地があり、当時の主体の遊動狩猟族にとって動物歩多い関東の広大な土地があり、東京・鈴木遺跡にみられる活発な交易があり人々の賑いがみられました。
③下図の気温上昇の時期に北海道へ進出し、トカラの海を越えて沖縄へと進出しています。この時代にすでに伊豆航海から沖縄釣り針など、世界考古学史上の金メダルが続出(5個)していて注目されます。
④3万年前の鹿児島姶良大噴火の受難の影響は大きく、特に南九州は停滞し西日本にまで及びました。他方、寒冷の時代であり⑤大陸における細石器文化は人の移動を伴い北海道への南下がみられました。
⑥神子柴石器は単なる機能を越えた芸術品として注目され、⑦⑧縄文時代の火炎土器や遮光土偶など種々の芸術品に繋がり、暮らしぶりと共に縄文文明と呼ばれるに至り、縄文の始まりの時期(祖代の終わり)については、ア.土器の出現期か、イ.列島に新生活の普及期か議論が続いています。

⑨米新大陸祖史は進入の時代もマンモス・ハンターもそれまでの定説が崩れ、陸峡ベリンジア南岸の海民による東太平洋沿岸の南下が注目され、最新のDNA研究で古い最初のアメリカ人はむしろ行き着いた南米に痕跡を探すことが重要であり、縄文人にその類縁性が無いわけではないので道東祖人(3.8万年前伊豆海民の子孫)は参加候補となっているのです。
教室は紹介して周回遅れを改善し、世界に日本の状況を発信すべきです。―日本祖代研究会(RGaPJ)

シベリア狩猟族は、DNA的にも北米先住民と近縁であり米国で議論の「コロンブス以前の大西洋渡来説」を斥け定説だったが、クロービス石器文化最古説の既に確定的な崩れと同様に揺らいでいます。

①シベリア起源の父系Y-DNAハプロQ及びCのアメリカ新大陸への進入に関する衝撃の研究結果により、実はゼロ一つ違う全く新しい進入(同時期の中国における戦乱が起因と推定される)であると誤解が正され、北米先住民DNAの点で無視されて来た日本の祖人Sojin(縄文先代)は問題参加から排除されません。

②しかも考古学的に北米大陸の「無氷回廊」(Ice Free Corridor)が開通する前に、現生人類は進入南下したとする太平洋沿岸の昆布ハイウェイルート説の強まりで、3.8万年前の伊豆海民の子孫である3万年前頃の道東祖人は注目なのです。

③巷間には誤解を招く3方向渡来図が流布されていますが、タイなどの先住族とのDNA類縁などの最新のDNA研究によって南方からの北上であり、かつ南米の古いDNAとの類縁性も注目され、3.5万年前後の北海道進出で留まる理由もなく、樺太の白滝黒耀石の遺跡、露研究者を含む千島の旧石器・縄文遺跡研究などから、北上継続で出て行く拡散は排除されません。

➃本州の最古級遺跡、太平洋、日本海の両側を北上し陸奥平野(海面低下で現出)で東西が合一した青森を基盤とする豊富な道内遺跡の実証裏付けに支えられた帯広からの渡海力ある道東祖人は、今や参加標準突破の参加資格が有るのです。

周回遅れの教室を改善し、状況について世界に発信を。-日本祖代研究会(RGaPJ)

1.南米南部で発見された洞窟壁画は注目すべき

南米南部パタゴニア、①アルゼンチン北西部の洞窟で8,200年前からの約900点の壁画が発見され、抽象画を含め知的レベルを示す生活痕跡として欧米で注目されていますが、実は日本史と無縁ではなくDNAに類縁性がある南米の孤立的な地域(最初期・第1波の痕跡が残る可能性のアマゾン、パタゴニア等)の事象として注目されるのです。モンテ・ヴェルデは最古の実証で、ブラジルのルチア人骨は非モンゴロイド性(寒冷地適応型でない)で注目されています。

2.「最初のアメリカ人」のベリンジア着と沿岸南下、道東祖人(海民性)は排除されずむしろ今や注目

現生人類展開・移住史の最後の謎である「最初のアメリカ人」問題は、②DNA分析と考古遺物等から2.5万年以前にベリンジアに到達し、これまでの定説は崩れて大陸西岸・太平洋沿岸の昆布ハイウェイを海民が南下して内陸に拡がったとみられており(最新 Dr. Jennifer Raff)、海民・道東祖人の昆布ハイウェイからの北上はもとよりシベリア狩猟族であったとしても海民化した南下説となります(Dr. Ben Fitzhugh)。問題は、現在のアメリカ先住民と縄文・日本人のDNAに類縁性が少ない事から北海道ルートが軽視されていますが、実は定説となっている類縁性が高いシベリア内陸系は、最新のDNA分析で後続の新種族であることが明らかになってきています。そして、南米での古DNA調査では最初期・第1波は東南アジア・豪州先住民との類縁性が高く、この事はシベリア内陸系よりもむしろ北中国や日本の祖人・縄文人の方が類縁性は高く、千島列島移住の渡海力を有し冬季の流氷を渡れた道東祖人がDNAの点から関わりを排除される理由は無く、現状は誤解であり今や海民性でむしろ注目すべきなのです。

3.道東祖人は、世界標準突破で参加資格有り

 道東の帯広では③若葉の森遺跡が3万年前越えとみられ、近年1.5万年前頃の黒耀石器が大量に発見されているほか、傍証として千歳や遠軽白滝などの古い遺跡の実証があり、また、➃当時の青森は陸奥平野(海面低下のため)に太平洋と日本海の両側を北上した祖人が、東西合一の文化的な賑いであったと考えられる北上適応の基盤であったと考えられ、更にそのすそ野は関東・静岡における3.8万年前の遺跡と生業航海の実証が支える有資格者なのです。

4.教室は、特に南米に注目の世界視野で始まり日本祖史を扱うべき

北米では、1.4万年前頃からの内陸における「無氷回廊」が開かれた後に大量に流入したシベリア系の後続新種族の影響が強いため、最初期・第1波の状況は分かり難く、むしろ行き着いた南米の孤立的な地域であるアマゾンやパタゴニアなどに残っている痕跡に、始まりの時代の日本祖史の視点で注目すべきなのです。また、日本祖史は、世界に発信されるべきです。

―日本祖代研究会(RGaPJ)

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