Craniofacial analysis indicates the Pacific coastal and Ecological dispersal corridor of north American continent.

➀ Kelp highway migration from East to West along Eco Mirror Symmetry route

② Inland hunters adapted to the life of West Coast

―RGaPJ

図左 頭と顔の形態分析で米・西沿岸域は人々が近縁かつ最古で南下及び内陸への拡散の主体です。古人骨の形態特性は、現代の東アジア人とは似てなく西沿岸先住民との類似性は有りますので、新・旧及び遠距離のこの沿岸繋がりは重要です。そして、アメリカ新大陸の南北ともに東西2つ(西沿岸部と内陸)の系統であることも、人類の拡散状況を知る上で注目されます。

図右 この形態分析から同環境の拡散(経度的)が注目され、日本列島側とアメリカ西沿岸側との生物の鏡面対称論が示唆する環境を踏まえた登山モデル説に光が当たります。「環太平洋ルート説」内でそれを支持する「太平洋沿岸拡散回廊PDC」説であり、ルート・モデル上の否定要素の無い北海道祖人に注目なのです。

教室に祖人を世界に北海道史を―日本祖代研究会(RGaPJ)  


➀ Inland route
New theory of inland hunter’s “marinarisation” has come out to Kelp Highway in Beringia as coastal migration hypothesis has become popular.
② Coastal route
AB :It took long duration for adapting to quite different from near equator life in higher latitude, such as clothing and dwelling.
BC: Long and cold route, but it was not so slow migration in spite of moving very cold zone.
It might be preparation for life already in Japan, rich diet of marine resources, rather mild climate along coast of north Pacific.
CD :It was rather fast because of better climate, but not ”Express” , as previously thought.
-RGaPJ

➀シベリアのマンモス・ハンターが獲物を追いながらベリンジア陸橋から入り「無氷回廊」を通って拡がった定説は、回廊が閉鎖中とみられる2.3万年前の足跡がニューメキシコWhite Sandsで発見されて大きく揺らいでいます。近年は米西海岸・太平洋沿岸の「昆布(Kelp)ハイウェイ」ルート説が高まり、更に、最新のDNA研究で実は北米先住民Nativesの古DNAは到着が新しく(紀元後多し)、それと違い無視された青森-北海道祖人は次々に島が見えた千島北上に否定要素が無く(プーチンはおらず)光が当たり、今、米学者にも指摘されており「とっても」重要です。

②内陸狩猟族に関しては、ベリンジア南岸到着で大槍を捨てフネに乗り海産物を食す「海民化“Marinarisation”」の論も登場しています。尤もこれは依然として従来のシベリアイメージに引き摺られ、北米先住民Nativesの古DNAは到着が新しいという最新研究が反映されていないようです。

「最初のアメリカ人」問題の最新の研究・発見からは、実は北米先住民やアイヌは新しい事が益々明らかであり、また、注目の沿岸ルートは海面上昇で遺跡が海中にある困難性もあって、論文やyoutube動画は低調化していますが、日本・北海道史にとってはとっても重要なのです。

教室に「祖人Sojin」用語が無く問題。紹介・議論できず―日本祖代研究会(RGaPJ)

➀アジア東部の内陸族系野移住説、欧米ではこの東部シベリア狩猟族ルートが認識されてきていますが、近年の米西海岸南下の「沿岸ルート」説の高まりにより、DNAと足跡の発見から2.5万年前頃に北のベリンジア南岸で大槍を捨て「海民化」暮らしに転換したという論が登場しています。実はこの時代標準で見ると、東部シベリアで遺跡・遺物の発見は無くあくまで「環太平洋ルート」と同じ説です。

②環太平洋ルート説の行程

近年の米西海岸南下の「沿岸ルート」説の高まりで、日本の遺跡・遺物、特に伊豆の生業航海(3.8万年前)、南方スンダランド地域の遺跡・遺物が注目され、「環太平洋ルートMPOR」説の提唱(祖代研)に光です。

各区間の特色は、以下の通り(祖代研)です。

A~B:緯度北上に最も長期間を要しましています。南方民「インマレイ」(欧州学者の「旧モンゴロイド」用語は誤解させる不適切)が、裸体から衣服・居住暮らしの大変化に適応に期間を要したのでしょう。

B~C:長距離・極寒の区間ですが、意外に普通速度です。日本で既に北の暮らしの準備ができていた、「昆布(kelp)Highway」の食に恵まれた、沿岸気候は相対的に極寒を緩和していた、ことなどが考えられます。

C~D:赤道を通過する相対温暖の沿岸をフネで南下したと考えられます。チリのMonte・Verde遺跡(1.45万年前)発見で、欧米が「急行」と名付けましたが足跡発見を考慮すれば実はちょっと速い普通です。

36,700年に及ぶ環太平洋ルートのこの特色は納得の1例であり、北海道東祖人に光という日本史の重要内容です。
教室に世界に、「環太平洋ルート」・「インマレイ」・日本の「祖人Sojin」の紹介を―日本祖代研究会(RGaPJ ) 

1.北米ニューメキシコのWhite Sands遺跡C~南米パタゴニアのモンテ・ヴェルデ遺跡D:欧米先生がこれまではこの長距離を“急行Express”だったと言っていましたが、北米での足跡2.3万年前の発見で、実はまあ速い普通です。

2.南方マロス(インドネシア)A~札幌B:緯度の北上に最も期間を要したのは、おそらく着衣・居住の暮らし変化に適応のため特に日本列島で足踏みしたのでは。他に比し遺跡が沢山見つかってもいますし。日本史の始まりについて、最古遺物から伊豆の3.8万年前が実証されていますが、そのことから日本の始まりが北部九州なのに3.8万年前という学者がいます。人類の移住の歩みの相場観の無い不適切な見解で、主流は「約4万年前」としています。

3.北B~C:長距離で氷河期の極寒なのに意外にも普通だったのは、青森・北海道での寒冷生活の慣れと沿岸の気候が内陸に比し極寒を緩和したためでしょう。総じて全く「納得」できる祖人Sojinの歩みの一例説の提示で、環太平洋36.700年の長い旅路だったという事です。

教室に始まり時代を、世界に北海道史をー日本祖代研究会(RGaPJ)

1.約4万年前の北部九州への渡海来着から、沖縄へ南下、本州の伊豆の生業航海などや青森・陸奥平野を経て祖人Sojin(縄文の前)は北海道へ。次々に見えた千島、フネだけでなく冬季は流氷を歩いて渡れます。カムチャッカ~ベリンジアへの「昆布(Kelp)ハイウェイ」の食豊富な処女地を、北上継続する否定要素はアリマセン。

2.「最初のアメリカ人」は、シベリアの狩猟族がマンモスを追ってベリンジアから入り、北米の無氷回廊を通過して拡がった定説は、2.3万年前の「足跡」の発見で揺らぎ、現在は西海岸沿岸の昆布ハイウェイを南下した説が有力となってきています。

そのため、ベリンジアへの始まりは、甲乙と混合の丙からの進入が考えられる訳です。いずれにしろこの時代は、寒冷変化のモンゴロイドでは未だなかったDr. Howells Harvard大)。

3.AB、ACは南方スンダランド系の類縁で、現生人類のスンダランドから南米パタゴニアへの環太平洋移住MPOR説の日本は一環です。ブラジルのLuziaも?

北米の内陸無氷回廊の通過定説に重大な疑問を呈す、南米モンテ・ヴェルデ遺跡の9種の海藻利用が示す沿岸海民性にも注目です。

教室に環太平洋人類史を、世界に祖人Sojinを―日本祖代研究会(RGaPJ)

1.アジア人を新旧「モンゴロイド」とした用語は、ジンギスカンに肝を冷やした欧米先生が誤解で付けた不適切な用語です。日本人は分かります。3人は寒冷変化のモンゴロイドではなく、出アフリカ後東進した南方「インマレイ」系です!
その後、アジアに今も続くモンゴロイドの大影響がおよんでいるのです。

2.図右下 ブラジルの発掘人骨からの復元女性Luziaは、復元からは南方系というより更にその前を示すアフリカ痕跡の豪州アボリジニ類似なのか?

3.いずれにしろ、万年前にアフリカからの大西洋横断や太平洋での多くの家族の横断渡海は有り得ず、北の時計回り。学界は、シベリア狩猟族イメージに捉われていますが、図右上の環太平洋沿岸の移住(MPOR)、「最初のアメリカ人」に注目すべきなのです。元日本言語学会長の松本克己博士も「環太平洋言語圏」説で、支持されています。

教室に世界に、環太平洋史・祖Sojin人史を―日本祖代研究会(RGaPJ)

南米でのAPEC・G20閉幕

現生人類の拡散史は、南方スンダランドからベリンジアを経て南米パタゴニアへ

「最初のアメリカ人」問題の米大陸西海岸ルート説の近年の高まりで、海・沿岸・筏舟海民が注目され、「アジア地中海」(九州西の曙海及び台湾南方のパンカル海)~日本列島ルート説を補強しています。
Harvard医科大がDNA調査して不思議と発表した、南方のスンダランド・サフルランド域と南米のアマゾンの先住民同士の超遠隔地のDNAが近縁という謎は、台湾のAmiと中米のCabecarに薄い色ながら関係が伸びており、北での繋がりを想定させるものですが、近年のDNA分析や考古学的な研究によってその解明は実証的に大きく前進しており環太平洋移住MPOR説が強化されています。

誤解を正しJomon、Ainuでなく祖人Sojinを世界に―日本祖代研究会(RGaPJ)

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1森進一郎

➀Harvard医科大の投じた調査結果であるスンダ・サフルランド域とアマゾン先住民の超遠隔地DNAが他域に見られない近縁という不思議な問題は、北米2.3万年前の足跡発見、日本ルート・祖人Sojin説が登場するなどMPOR(Migration along Pacific Ocean Rim)の実証へ1歩を進めています。

当然、万年前の大昔に多くの家族が太平洋横断はムリです。

②日本史の始まりは、DNA・考古分析から南方北上が基本であり、太平洋側・日本海側(当時は大雪降らず)から北上した東西合一の青森・陸奥平野の賑いから容易に津軽湖(的)を越えて道東へ北上です。そして、次々に島が見え冬季には流氷を歩いて渡れた北千島への北上を、否定する要因はアリマセン。北千島のコロボックルCorobocle・遊動海民の留頓(ルトン、Routon)、縄文(6千年前)及びカムチャッカ進出の痕跡や鳥居龍蔵等の地調査を含む内外の研究に光が当たってきています。

日本の始まり状況を教室に世界にー日本祖代研究会(RGaPJ)

図左 誤解招く3方向渡来でなく南方北上一方向の始まり(沖縄へは南下)、約4万年前の祖人Sojinを祖代Sodaiを教室に世界に、誤解を正そう。旧石器時代の用語は適切でなく、縄文人は初めて渡って来た人々でなく2代目。祖人は大槍持ちの原始人ではアリマセン。

図右 出中東~東進~北上のアジア地中海沿岸~日本列島~北上継続のベリンジア~アメリカ新大陸西海岸を南下の環太平洋ルートに注目、国際共同研究で実証強化を期待します。

➀北米先住民に多いY遺伝子ハプロQは紀元後進入で新しく、巷間本の説明は誤りであり、「最初のアメリカ人」ではない事が判明しました。ニューメキシコの2.3万年前の足跡発見もあり、依然探究中という事です。

②従って、北米先住民DNAとの比較考察でそれと異なることからこれまで無視されてきた北海道祖人は排除されず、また、ベリンジアへの北上継続の否定要因もないので、「最初のアメリカ人」問題の「候補」なのです。巷間の3方向渡来図は、日本の始まりに対し時代の新しい方向を描いた列島から出て行かなかったという誤解を与えるもので不適切です。

米国の「ヘイト~」ではない勇気ある真実追求の研究成果の発表は、鳥居龍蔵の隠されているかのような北千島コロボックル・第1アイヌ・留頓(ルトン)の研究にも注目の光を当てるものです。

閉じ籠りから解放し、北海道祖人とコロボックルを教室にー日本祖代研究会(RGaPJ) 

図中 約4万年前からの始まり祖代の当時のアジアは、生物相が最新の研究では3区分(A,B,C)です。南方から「インマレイ」が北上し、曙海沿岸の時計回り渡海移住のB帯人が祖人です。石垣島祖人(2.75万年前)に類縁は、北海道以北にまで(祖代研)北上しています。今、道東祖人は昆布ハイウェイからの渡米候補なのです。

アジア東部北方では未だ寒冷地適応のモンゴロイドが登場していないC(西人とBの混合)であり、発見遺跡から東部への進出は実は新しいのです。

図左 始まり祖人(縄文人の前、初・先代)は、「最初のアメリカ人」の沿岸ルート説の高まりで伊豆の生業航海(諸島の神津島に黒耀石採取)が注目されるなど断トツの遺跡の充実です。当時先進の祖代痕跡の数々、米側のDNA分析などや千島は次々に島が見えた、フネのほかに冬季は流氷で歩けたなどから祖人の渡米を否定する要因はアリマセン。今、青森・北海道に世界学界の注目が集まっています。

図右 ルーツの探究は、祖人・縄文人の多角的分析が必要です。日本史期間の92%を占める祖・縄文時代の習俗文化・信仰の基盤は、その後の大陸からの流入影響を取捨・変形している元として重要なのです。

始まり祖代状況を教室に世界にー日本祖代研究会(RGaPJ)

図左 始まり祖代の伊豆の生業航海、数々のメダル級遺跡・遺物などから「最初のアメリカ人」の西海岸沿岸進入説の主流化で、青森・陸奥平野、道東ゲート・昆布ハイのwayに注目が高まっています。

図中 国後の祖代痕跡、北千島6千年前の縄文遺跡、遊動海民の留頓(古い第1アイヌ、先住のルトン)のカムチャッカ進出の痕跡等は、図中・下の祖・縄文人の海上行動力と黒耀石・翡翠・貝品などの宝物の広域交易力という、縄文「海の商人」説も登場している基礎の賜物なのです。

図右 国立科学博物館の来年の人類史・日本祖史の特別展で正しく認識が広まることを期待。

コロボックルを正しく教室に―日本祖代研究会(RGaPJ) 

(世界人類史)問題は道東だべや。どさ?アメさ。来年は、新人類・日本始まり史の特別展が凄い。

図左 日本にとっては南方人(モンゴロイドではないインマレイ)の東亜地中海沿岸の北上であり、約4万年前に北部九州に渡海し、3.5万年前頃には沖縄~北海道の列島中に拡がりました。

図右 DNAが全てではなく、日本史基盤の祖・縄文人と習俗文化が重要であり、巷間に誤解のマンモス・ハンター、騎馬民族、大量の難民渡来などは否定され、大噴火で出国した避難民子孫の帰国や交易で大陸・半島に出た縄文海民の行動の影響なども考慮する必要があります。

図中 波静かだった対馬海峡を家族が筏で越え(40-30km)て北部九州へ、また、伊豆の海で黒耀石を求めて生業航海し、海民の認知力高い暮らし(考古学先史上の“メダル”を基礎に、今、青森・北海道祖史に米学界も注目し始めているのは、「最初のアメリカ人」が西海岸沿岸を南下して入って来た説の高まりにも理由があるのです。

温故知新、世界の動向を教室に―日本祖代研究会(RGaPJ) 

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