➀100万年前の原人でさえもロンボク海峡を越えた驚きの海民性は、スンダランド南岸の東進移住で培われたものでしょう。

アンダマン~日本のDNAの類縁、生物分離ウオーレス線沿いの古遺跡の充実、対馬海峡を越え約4万年前に北部九州へ渡海の始まり、沖縄への南下、日本列島北上の遺跡などは、 “アジア地中海”沿岸の北上移住を示し、伊豆で3.8万年前に黒耀石を求めた世界最古の生業航海はそれ以前とそれ以後の沿岸移住を実証で示す重要な事象なのです。

他方(図右下)、豪沿岸先住民の暮らし振りは、海亀・魚貝などの海産食も道具も欧州・シベリアの大槍持ちヒゲもじゃ原始人ハンターと全くイメージ大違いのものであり、かつ、沿岸北上説を支持します。

図右② 最初のアメリカ人問題は、内陸回廊が凍結・未通で西海岸の“昆布ハイウェイ”南下説が近年ますます有力になっており、ニューメキシコで発見された驚きの2.3万年前の足跡、最初の南米沿岸モンテ・ヴェルデ遺跡人などのアジアの祖先は何処の誰なのか?が問われています。 従来のシベリア狩猟族説は、最新のDNA分析で新しい米本土進入とも言われており、また狩猟族が大槍を捨てフネを造り北の沿岸を南下したのか、“最初の”南米沿岸人のアジアの祖先はあらためて解明待ちの状況なのです。

始まり時代を教室に、日本の祖史状況を世界に―日本祖代研究会(RGaPJ)


A. インドネシア・フローレス島で発見された人骨は、百万年前の人類が小人化したフローレス原人(小人族ホビットではない)と確認されました。しかし問題は、特に島が繋がっていなかったロンボク海峡②を家族で越えた世界最古の事象であり、コレがニュースでしょう。

BC. これに関し祖代研は、気温・海水準の揺れや原人・旧人の認知レベル等から、「筏・フネを製作しての多くの家族の計画的な渡海」ではなく簡易に海を越えた事象と考えますが、そのスマトラ・ジャワ(スンダランド)南岸以来育まれた沿岸知・活動力は従来の原人認識を変えるものでしょう。更なる人類史の研究を待ちます。
日本祖代研究会(RGaPJ)

以前に紹介しました東部アジア人(インマレイ系)の揺り籠スンダランド隣接フローレス島洞窟における発掘分析のニュースです。

1m身長の大人の小人骨といえば、(図右)先のアワ族が似てる北千島のまたコロボックルの類縁かと思う人もいるかもですが、今回は約70万年前の島の暮らしに適応し形成された、旧人の更に前の「原人」ということで別種です。
そもそも東京帝大助教授・第1級のフィールドワーカーの鳥居龍蔵が、明治・大正の北千島現地研究に基づく検討によりアイヌなどの伝承と遺跡・遺物・暮らし振りから史実だと認めた北千島民のコロボックル論は、残念ながら今も学界で至当に扱われておりませんが、そのような小人でもなく誤解です。

教室にコロボックル(留頓ルトン)を、世界に北方史を―日本祖代研究会(RGaPJ)

右➀世界人類史の最初のアメリカ人問題は、北の昆布ハイウェイ沿いの北米西海岸ルート説が有力となり、ハイウェイ上の祖人(約4万年前~)にも近年になって注目が集まっています。最新のDNA研究でも、シベリアからの進入民は新しいと言う研究成果も出て来ていますので。

左②先般公表されたアマゾン先住民・アワ族(350名)の撮影像は、北千島のコロボックル・留頓(アイヌではない)によく似てる!?とみられ、同類なのではと興味深い事です。

教室にコロボックル・留頓ルトンを、世界に北方史を―日本祖代研究会(RGaPJ)

図左

➀平安・擦文時代の末期に、アイヌと整合しない・関わらない内耳土器・竪穴・遺物の実証痕跡が千島・樺太含む北方に広く(赤丸発掘)拡がっています。

②その拡がりは千島、樺太を含み、特に北千島民[コロボックル、留頓(ルトン)]のカムチャッカ南部(主に沿岸)への15世紀後半~17世紀の進出をも発掘で示していますが、カムチャッカ民が北千島以南に南下した史実は見られず(侵入を試み撃退された事はあり)、むしろ北海道東祖人の北上継続が有り得た事を示しているものとして重要なのです。

③土器・竪穴等の痕跡の時代とアイヌ自身を含む各地の伝承から、正にアイヌの樺太方向から道内への進入・南下及び十勝コロボックルの千島への去り伝承が史実を反映し、北千島民はコロボックルである事(第1級のフィールドワーカーである鳥居龍蔵の研究成果の認識、特に大正8年を含む)を示していると考えられます。

④「島の竪穴・遺物は誰でもない祖先以来のモノ」と主張する北千島民のカムチャ沿岸進出歴及び千島北端・占守島の古縄文痕跡から、縄文Jomon前の祖人Sojinの「昆布(Kelp)ハイウェイ」に沿った北上が有り得た事が世界人類史の「最初のアメリカ人」問題に重要な意義を有しているのです。

図右 前回報告

教室にコロボックル・留頓(ルトン)を、世界に北方史を―日本祖代研究会(RGaPJ)

 

世界史界が注目する北海道の祖人・縄文人が、何を食べていたのかの科学分析から巷間言われて来ているイメージと全く違った姿が明らかになっています。大陸からマンモス・ハンターが南下して来た、当初大型哺乳動物を、温暖化後には中小型を狩猟して暮らしていたと言うのは誤解です。

1.昆布(Kelp)ハイウェイ上

太平洋岸は相対的に厳しさが少し緩く、世界が注目の「昆布(Kelp)ハイウェイ」上の襟裳岬は演歌と違って年中何でもあって食は大きな魅力でしたでしょう。大型動物に比し獲得しやすい海獣(アザラシなど)は、革は衣に住まいに骨は道具に脂は火で暖かになるなどすべてが北の暮らしに有用です。

2. 津軽海峡は狭く、本州で暮らしの予行練習済

海民性の祖人は、対馬海峡・トカラ列島や「伊豆海峡」を越えて拡がり活動していました。北での暮らしについては既に、仙台・日本海側からの北上間に当時の気候環境から予行練習済みであり、当時の海水面低下で現れていた陸奥平野で、太平洋側と日本海側の祖人が合一して諸情報を交換していたと考えられ暮らしのknouhowは充実していたことでしょう。海峡はフネでも冬季の氷上徒歩でも容易に越えられました。北上し続けて来た祖人にとって、北海道で留まった理由は無く(プーチンはおらず)処女地の樺太千島へ北上を継続したと考えるべきです。この種問題は、実証が無いから無いモノとして無視するのではなく、否定できないから有り得るとして研究すべき性質の問題であることが学界で誤解されています。

3.最初のアメリカ人問題への関わり可能性

千島(占守島)には6千年前の縄文痕跡があり、ロシア学者は祖代の遺物にも言及しています。昆布ハイウェイ北上継続による関わり可能性及び明治期先達が論議した北千島コロボックルCorobocle(留頓ルートン)についても、教室で研究議論し世界に発信すべきなのです。

ー日本祖代研究会(RGaPJ) 

➀人の脳はリセットせず、始まり重要

約4万年の間、建て増しでやってきた島国の日本人脳。近隣からの大量流入は無く、海民始まりで長い南北列島内の環境・栄枯盛衰がもたらした結果としての現在の日本人のありようなのです。

中共、プーチン、ハマスなども別に特異ではないそれぞれのホモ・サピエンスの建て増し型です。「諸国民の公正信義を信頼」と掲げる非科学・願望の日本国憲法は、国際政治に不適応の一人相撲をしている危険です。注目の大国選挙のトランプ、ハリスはどんな建て増し型なのでしょうか?

②教室の歴史教育で、「後期旧石器時代・人(語が長い)」で放置されている用語は不適切です。和語で短切なの「祖代Sodai・祖人Sojin」として適切にし、世界が知る縄文Jomonのようにして教室で我が国の始まりの暮らし文化の基盤、近隣地域の当時の状況も含め時代の原点から更なる研究論議が必要です。

③熱戦が続くオリンピックですが、各国の出場者の特色として、「切る」文化の日本、「突く」欧州の違いは暮らしを考察する重要な視点です。2代目縄文の磨製石器の「洗練」にも注目しましょう。

―日本祖代研究会(RGaPJ)

図左上1.約4万年前対馬、3.6万年以前のトカラの海峡越え沖縄南下の始まり時代の沿岸暮らし、伊豆の生業航海と広域の交易、陸奥平野から海峡越え北海道以北への進出などは注目です。

図左下2.2代目縄文の丸木舟の活躍とその作成・維持管理を成し得た集団社会化、オオツタノハ貝、離島黒耀石などの貴重品採取・交易ともたらされた物をめぐる社会の文化進展があります。日本史理解に重要な稲作と海民の関わりは重要です。その導入と普及、漁撈等と稲作の併用など今後の研究進展が期待されます。

他方、巷間で「祖先」と言われる縄文Jomonですが、実は2代目であり一日にして成らずですから、祖代の沿岸の暮らしを教室に紹介し議論し、世界に発信すべきです。

図右 南方インマレイ種族の北上拡散史(前回報告)

[問題]

近年の教室で唱歌「我は海の子」が歌われず、海に親しむ実地の体験教育も不十分ー>人類女史が好む新奇探索海民性の活力が著減―>経済社会の閉塞停滞・婚姻の減少―>少子化!と考えられます。海を向いた政策の改革が重要です。

祖代・縄文という日本史基盤の状況を教室に世界にー日本祖代研究会(RGaPJ)

大槍を持って動物に襲いかかるヒゲもじゃで革パンツをはいた原始人と暮らしのイメージは、東亜では始まり時代の様子として誤解を招きます。

➀最新研究で、南方先住の「インマレイ」種族(欧州学者の命名の古モンゴロイド名称は不適切)と日本の祖人・縄文人とのDNAの近縁性が明らかになっています。

②生物相境界のウオーレス線で分岐した現生人類の豪への早い拡散は、100km筏渡海・暮らし振り(沿岸食)・世界最古の磨製石斧(日本はダントツの第2位)など、日本史に参考となる注目すべき諸点を示しています。

③生物相境界線沿いは豊富な実証痕跡がみられる遺跡の「銀座通り」であり、数度の渡海移住と洞窟絵の知的レベル(洞窟で舟絵も)など、注目です。

④時代を異にする3方向渡来図(黄矢印、巷間に見られる)は、世界に誤解を与える元です。日本史の始まりは、南方から北上して来た一方向性で、現生人類の約4万年前の北部九州への家族渡海と沖縄への南下、太平洋・日本海(大雪無し)両側からの北上による3.8万年前の伊豆の生業航海、青森・陸奥平野での東西合一と北海道への北上継続(その後の北海道犬も南方系)です。道内最古遺跡で実証されている道東祖人と「最初のアメリカ人」(ベリンジア進入は2.5万年以前)の「昆布ハイウェイ」Kelp Highway 移住による関わりの可能性は、祖代研のみならず既に一部米側の提唱もあり、今、世界的に注目です。

⑤アジア、アメリカの南方先住民の間の驚きの近縁性が実証され、万年前の太平洋の直路家族渡海は考えられませんから重要です。この点で、これまで無視されて来た「環太平洋言語圏」(松本克己元日本言語学会長)説に注目の光が当たっています。

教室に紹介して議論し研究を深め、世界に状況を発信です―日本祖代研究会(RGaPJ)

➀DNA affinity, among south natives and proto-Japanese (Sojin, Jomon)

②Rather swift migration to the east beyond Wallace line, Raft & life of coastal food different from the image of spear hunter of primitive human being in Eurasia

③Rich remains of prehistorical sites in coastal ancient “Broadway” along Wallace-Huxley Line

④Kozushima obsidian evidence of Proto-Japanese Sojin( before Jomon) ‘s seafarer activity and Doto gateway of Kelp Highway coastal route to West coast of America

⑤ “Rich Evidence” of DNA affinity among South natives

ーRGaPJ https://www.sunda-wind.net/?p=12238

今や日本史の始まり時代史は、世界人類史における北太平洋岸ルートの「最初のアメリカ人」課題との関わりも視野にすべき問題なのです。

図右➀生業航海は日本史始まり実証の原点

伊豆の世界最古の生業航海と地域の遺跡(静岡・愛鷹、東京・鈴木)の3.8万年前が、日本史実証の原点です。従って、始まりの北部九州は先史移住の相場観から約4万年前(学界認識)となります(一部が主張する3.8万年前はむしろ誤り)。そして、①図の内容は世界遺産登録を申請すべきものです。

図中②基本は南方から北上の一方向性

巷間の3方向渡来図は最重要の沿岸ルート(赤)が無く、時代混交で進入量の扱いも不適切であり、「最初のアメリカ人」課題との関わりを全く意識できない誤解の元です。北海道犬も南方系で沖縄犬と同様でありこの意味は大きく、また、それまで拡散してきた人類が北海道で留まる理由もなく、樺太の白滝黒耀石や千島の縄文遺跡状況からも北上継続と考えるべきで3方向渡来図が日本から出て行かないことは問題です。大雪が降らなかった日本海側からも北上した青森・陸奥平野(当時)で東西が合一した状況及び世界が注目のKelp(昆布)Highwayの「道東祖人」が注目されている事を認識すべきです。なお沖縄へは、学界は鹿児島からのトカラ越え南下説(言語、人類、社会文化の諸学)です。

図左③旧石器時代名は不適切

旧石器時代名は世界一般語であり、期間は日本の個別状況に合わず英語に訳せば誤解され、今や文明の声も出ている縄文時代Jomonは新石器時代ではなく、かつ他の和語の時代名称と全く異質で合わない不適切です。生業航海、社会性ある陥し穴猟などの痕跡が示す当時の暮らしぶりは原始時代(旧人時代含む様相と誤解)と称すべきではなく、Jomon前のこの国の重要な始まり史は、祖代Sodai・祖人Sojinと呼称し教室に紹介と議論を、世界に発信をしてJomon、Ainuとしている誤解の箇所を正しましょう。

―日本祖代研究会(RGaPJ)

 

➀36時間漂流は正に崖っぷちの危なかった位置、よく助かりましたね、よかったです。

②3.8万年前の神津・恩馳島への黒耀石採取は、朝日新聞が謎と報じ、発表を聞いた欧州学者の笑い出しも当然でしたでしょう。

③祖代研が、島が見えた、浜辺はフネを曳いて歩いた、当時の「鵜渡根出し」浮上でそもそもの対馬海峡越えの半分程度(20km)、黒潮流は四国で逃げていて関係なし状況、仮に北から親潮分岐流が有っても弱い、伊豆はその後も林木と技術の造船力で有名、カヌーが狩野などの説もある、などの諸状況から謎ではないと解明しブログ等で発表していきました。
この実証(愛鷹遺跡群)及び東京・鈴木遺跡3.8万年前などから、日本史始まりの対馬海峡越え移住は祖史時代の移住速度の相場観から、海峡越え偵察後の家族の筏渡海で「約4万年前」という表現が妥当という認識を支持します。

―日本祖代研究会(RGaPJ) 

➀始まり祖人・2代目縄文人は南方系

近年のDNA研究で、出アフリカ・中東東進の初期南方の先住諸族と日本の縄文人(その先代の祖人)のDNA近縁性が分かり、時代的にもモンゴロイド(拡散は9千年前頃から)ではないインマレイ系で、正に、石垣島祖人の様であったと考えられ来ています。

②欧米学者が驚いた豪州への早い「渡海」拡散と暮らし振りは重要参考

豪州への驚きの早い拡散ですが、同緯度であり納得です。むしろ、生物相境界線(東西で生物相が異なる)からの豪州への北と南のルートのいずれにしろ90-100km越えの筏渡海と沿岸暮らし(狩猟でなく、石器中心でもない)こそが重要な参考なのです。
移住のBルートは生物相境界線沿いで、人類は東ジャワ東岸を、次いでフィリピンのルソンへと渡海して線を越えて拡散しています。ルート沿いでは、東ジャワ・ワジャック人と港川祖人の人骨類似、5万年と古く知的な洞窟絵(後に舟絵あり)、フィリピンにも古遺跡群(6.7~4万年、カラオ、イリ、タボン等の洞窟遺跡)が実証豊富であり、A、Cに比し渡海の点でも断トツに注目されます。何より洞窟絵の知的レベルが注目され、その後の北上した環境に応じ暮らし振りを適応させる知力があったことです。

③日本列島の祖代遺跡の充実

現代とは異なる古環境・DNA・考古学分析等により、北部九州への筏渡海(約4万年前、湖的な波静か)から沖縄・北海道への拡がり(3.5万年前頃)、伊豆の生業航海や陥し穴猟跡など、島国であったことも幸いして日本列島には世界的に始まり時代の痕跡が圧倒的に充実しているのです。

今後の学界は、海水面の上昇で消えた祖代の沿岸暮らし(豪州例が参考、伊豆の生業航海にも)にもっと注目すべきです。

④人類史注目の「最初のアメリカ人」は西海岸の海民

衝撃の北米の「足跡」など近年の研究で沿岸ルートが注目され、シベリア狩猟民もベリンジア後は大槍を捨て海民化したと言われるだけでなく、最近のDNA研究(Dr. Jeanson)で実は意外に新しい進入?とみられてきています。これまでの北米のDNA研究で、折角の海民性を示す日本の祖人(青森・陸奥平野―道東)は長く無視されてきましたが、そもそも北海道で留まって北上しなかった理由などなく(舟や流氷歩き、北千島の先住痕跡など)当然に最初のアメリカ人の参加候補であり、祖代研のみならず一部のアメリカ学者も既に日本列島・道東北上ルートを指摘しているのです。

ともかく教室は周回遅れであり改善を、研究に投資を世界に発信をー日本祖代研究会(RGaPJ) 

1.「縄文人は何処から来たのか?」は愚問

今も一部のメディアや出版社、教授からすら発せられる誤りは、日本史の始まり時代を世界語(Late)Paleolithicである「旧石器時代、(後期)旧石器時代」と呼んでいるためなのです。縄文、・・・平安、鎌倉、江戸、明治、などテレビ番組でもよく観る他の和語の時代名称と全く合わない違和感の不適切なまま放置されていることが原因であり、流石に他と違い、長い「旧石器時代人、(後期)旧石器時代人」と呼んで語れないために仕方なく誤りの「縄文人」と呼んでしまっている次第で放置されているのです。

2.日本史の始まり

南方から北上し曙海の沿岸から、4万年前に対馬海峡を越えて北部九州への筏(いかだ)家族渡海してから、沖縄へ南下、北海道へ北上して列島中に拡がり2.4万年間も続いた祖人Sojin2代目が縄文人Jomonであり 日本列島生まれであってどこからもやって来た訳ではアリマセン。問題は日本史の重要な始まり祖人をあまり語らない事で、DNA分析等から基本は南方系インマレイであり、各地に充実した内容を有する初・先代である祖人の紹介(各地の一例を提示)先ずは学校で教わらなかった大人に、教室に、世界に発信を。

 ―日本祖代研究会(RGaPJ

現生人類の始まり史における南方インマレイ(古モンゴロイドは誤り)の拡散及び槍持ち襲撃の狩猟というよりも魚貝や植物食の沿岸暮らしという環太平洋新視点が、関連でルート上の北海道東が近年注目されています。

➀南米と南方という万kmの遠隔(多家族の直路横断はムリ)の古人が近縁であること、また、北米無氷回廊IFCの閉鎖中の南米遺跡(沿岸南下と理解)発見という驚きが、Acostaが北から来たと言った驚きも予言で始まったこれまでのマンモス・ハンター定説の見直しを迫っています。

②ベリンジア到着は2.5万年以前(DNA分析と足跡から)、沿岸ルートは食豊かで実行性有り、シベリア民進入は実は古くない(Y Haplo-Q AD300~600)など近年になって新たな発見が出て来ています。

③新たな状況を踏まえて、これまで埃をかぶっていた先達のモンゴロイド化容貌変化(寒冷積雪・寒風乾燥の環境)と言語の環太平洋圏の共通性の研究などに光が当たり見直されていくことになります。

④以上のことなどから、インマレイ(仮称)の環太平洋拡散移住説に、古環境、DNA、考古学、言語学等の諸研究の示すものが収斂しつつあるような状況です。

今やこの環太平洋視点について、更に実証研究を進めるべき状況です。周回遅れの教室にこの状況を、世界に日本の状況の発信を―日本祖代研究会(RGaPJ)

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