右図で人類・考古学的な痕跡から日本の原郷を考察しましたが、重要な側面が標題です。

4万年前の大昔にフネで何十kmの海を家族が渡る事の知力、洞窟で動物の絵を写実的に描ける技術と描こうとする目的意志も、”原始人”イメージを払拭すべきですし、学校が祖先を原始人と教えているのは誤解を招きます。海水面が低下して陸地が増大変化していたこの時代に、図の多くの「渡海」と書いた箇所を無理だと言っている学者はいません。そもそもの洞窟絵のスラウェシ(旧セレベス)・マロスもカリマンタン(旧ボルネオ)島から動植物生息状況がすっかり異なるWallace生物の分布境界線越えの渡海になり、操舟・造舟・渡海と洞窟絵という異なる分野の知力はいずれが先かも興味を惹きます。そしてやがては、外洋漁撈、芋・根菜農耕と家畜飼育、水辺の稲作などへと重要な繋がりが生まれていきます。

そしても一つ注目するのが左図で、正にルートに符合する渡り鳥の行き来です。今よりずっと自然に関心が強く、ある意味では理解も深かった祖人は、当然着目したことでしょう。

鳥は神の使い、陸地を生み出し与えてくれるという神話を有する部族もいます。日本の八咫烏、アメリカ先住民の渡り烏、サンダーバード大鷲、ハチ鳥など、他の多くの国でも非常に大切に扱われています。鳥が来るという事は向こうに陸地があることを意味しますから、導かれ神に近づいて行ったのではと思います。このようなことも含め子供に教え、世界に伝え、諸学の研究の進展で真相を明らかにしてほしいものです。最後に右図赤丸Center?地域ですが、実は我が盟友のDhani Irwantoは、あの有名なプラトンPlatoのアトランティスAtlantisが、なんと此処に在った!と実証的な論考をものにしている地域でもあるのです(もう、余りにも出来過ぎですが)。

図左日・豪の原郷スンダランド外スラウェシ(赤丸地域))は、現世人類がおそらくフネで渡る必要があった東西動植物環境変化のwallace線を越えた所です。そのマロスMaros洞窟では手型や動物など旧石器時代の絵が有名ですが、最新のウラン年代測定で最古のモノはセレベス豚を描いたもので45,000年前と鑑定確認され、完全に欧州洞窟絵先進観を覆しました(Science Advances  13 Jan 2021)。

中図上段のように、数ケ所の洞窟で絵が発見され鑑定されており、私も図右下赤枠の舟(マロス及び右中部スラウェシ)が描かれているのを現場で見て驚かされ感じ入りました。旧石器時代の洞窟人と言えば、ひげもじゃで毛皮のパンツに槍持ってですが、舟を描くとはイメージ一新です。図左の現生人類の足取りは出アフリカから7万年前頃に原郷地域入り、海水面の低下で地形が今とすっかり違っていた地域(スンダランド、北東ア平野、パンカル海、曙海)で拡がりました。少なくとも環太平洋言語族(元日本言語学会長松本克己博士)は、北上して家族がフネで北部九州、南下して沖縄、伊豆の海では黒耀石を求めてフネで行き来、

狭かった津軽海峡を越えて3万年前には北海道の暮らしに適応(アイヌは鎌倉時代からですから問題外)、次々に島が見えた千島列島を北上して「最初のアメリカ人」に関っても何の不思議もない、日本祖人Proto-Japaneseは海の民の子孫ですから。

さて、 スラウェシ人は、 絵を描く認知力に操舟・造舟力がありました。実は、はるか時を経ても、大航海時代から現代にいたるも第1級の船乗りで有名なのです。どうもこの島に来たのは、6.9~5.9万年前とみられ、その後、東進してフネにも乗り北部豪へ、北上し家族で渡海して北部九州へ、図左、日・豪がこの地域から南北に分進したのではと考えられる、正にぴったり出来過ぎの状況なのです。原郷地域研究は科研費で日本の学者が関わり、子供に教え、世界に発信すべきこと (スラウェシは帝国海軍、戦域の司令部がありましたが) です。

図のように現生人類の出アフリカ後の遺跡の研究が進んでいます。明治維新後の先達は、当時の限られた科学知識ながら自分たちの原郷は南方だと感じていましたのに、現下の日本の原郷地域の研究参加は不十分ですので、#は何だと思われるかもしれませんが、強い期待を込めています (明治維新後の研究先達が泣いてます) 。

現代ではDNA調査と考古学研究から、アフリカが現生人類誕生の地であり、出アフリカから5大陸に拡がったと理解されています。そして、出アフリカから東進し、スンダランド地域で、①台湾の方に北上して、北東ア平野沿岸から家族がフネで北部九州に約4万年前に達した我が祖先と、②東進を続けた後、最新研究ではフネ(筏)による最古の渡海でパプアに達し南下して6.5~5万年前にオーストラリアに至った人々(アボリジニ)があり、過半が沈んだスンダランド地域と共に、北上したラオス、比、ベトナム、中国南部、台湾などスンダランド・パンカル海地域で痕跡が発見されています。出アフリカの現生人類裸族が、緯度や環境が近いスンダランドから、豪に速い進度で達したと受け止められています。さて、日本列島全域に進出した遺跡・遺物の状況から、当時の渡海力で沖縄本島への慶良間ギャップを越え南九州に至ったのではなく、海水面低下で出現していた北東ア平野沿岸を北上し、曙海沿岸を時計回りに移住したとみられます。

また、北方アムール川方面からの移住は1万数千年後の違った話で、3万年前には日本祖人Proto-Japanese が進出していた北海道から、むしろ祖人が樺太方面へ進出したり出戻りした事もあったでしょう。環境に合わせた人間は一朝一夕で変わるものではなく、長い期間の南方からのこの北上史の基本を踏まえずに、日本史の真の理解は有り得ず、また、地域との経済活動や国際情勢の理解も不十分なものとなります。まして、今、沿岸からフネで入って来たと認識されている「最初のアメリカ人Natives」について、祖人・北海道Proto-Japanese Hokkaidoの関りが注目されているのです。

なお、鎌倉時代からのアイヌは全く無縁ですので、世界の誤解を避けるため、「先住民族」の呼称を外すべきです。子供に教え、世界に発信しましょう。

昨年大晦日、オーストラリアが国歌の一語を変えて世界を驚かせました。国歌は1984年に、明治維新頃からの歌をそれまでの英国歌に替えて正式に制定していました。今回の修正は、先住民アボリジニと後に渡来した欧州などからの人々との一体を認識し強調するモノであり、渡来youngから一体oneへの修正ですが、youngからoldへの修正も意味します。アボリジニの始まりは、途中は現生人類の世界で初の舟(筏)の使用であり、豪に来たのは今や発掘遺跡から6.5~5万年前頃ということで議論されています。

現生人類(アジア系)は出アフリカの東進後にスンダランドSundaland地域で、アボリジニは東進南下し、一方、沿岸を北上して渡海し北部九州から日本列島の沖縄から北海道まで拡がった日本祖人Proto-Japanese とは、実は南北に分かれた親戚であることが理解できます。因みに先住民族とされてるアイヌは鎌倉時代からであり、全く関係ありませんので、世界の誤解を正すべく政治的な先住民族の呼称は外すべきです。オーストラリアの修正は、「立ち上がれ!奴隷となることを望まぬ人びとよ!我らが血肉で築こう新たな長城を!」と歌う地域の問題国人に、自分たちこそが国歌に反して先住民を奴隷にしてないかという、オーストラリアの最近の政治主張の意味が込められているようにも感じられます。子供に教え、世界に発信しましょう。

http://www.sunda-wind.net/news/9127

現生人類がアフリカで誕生し、どのように世界に拡がって行ったのか、引き続きいろいろな研究成果が出て来ています。そして、日本人の原郷は、やはり図の樹林草原系の南方Aであって、砂漠系の西方Bとは思われません。図の植生図は、 最終氷河期 の最も寒い時代のものですので、より程度が厳しくない4~3万年前とは若干異なりますが、各地域の比較の特色は表れています。

アフリカで30~20万年前に新人が誕生し、着実に生活文化を進化発展させました。欧州で言われたような5~4万年前に、現生人類はビッグバンのように認知力が進化し石器の改善や洞窟絵など画期的な進化が生じたというものではありません。そのアフリカの注目すべき痕跡は、19万年前の河川・湖沼、16年前の海岸というように、サルや原人・旧人とはっきり異なる水辺での魚貝食で、拡がった多様な食域は気候変動に対応でき、脳にもよい効果を及ぼしました。そして出アフリカ後、海岸地域を速い進度で豪州にまで達し、東南アジア地域では狩猟もさることながら、フネで外来魚を取って食し、農耕の最古と言われてきた中東より2万数千年も早く、漁撈暮らしの地で根分けすればいい簡単なイモ・根菜の農耕を始め、鶏・ブタの家畜飼育を伴い、遂には淡水漁撈と水田稲作へと進化(静岡の登呂遺跡の水田遺構も同様)させていった(島泰三 説)ようです。認知力の面でも、約4万年前の最古の洞窟手型や絵もインドネシア地域で豊富に発見されており、欧州の独壇場と思われていたことを覆しています。

即ち最初の農耕問題からも、これまで以上に水辺の漁撈の重要性の認識が高まっていて、そのA地域から北上して約4万年前に北部九州に家族がフネで渡海し、日本祖人Proto-Japaneseがまず沖縄から北海道にまで拡がって、列島史が始まった訳です。縄文時代と呼ばれるこの言わば下地・基層を踏まえないために古来諸説の混迷があります。騎馬民族は来なかった、出戻りを含めた大陸からの五月雨の人を北から西から加えながら列島で、島国で日本人・日本語は作られました。従って近隣でさえ、探してもこれだと言うルーツは見つからない事情なのです。   

 他方、今や米国の多くの人類・考古学者 (7割) が、「最初のアメリカ人Natives」は、1.7万年以前にフネでベリンジア・北太平洋沿岸の昆布ハイウェイから入って来て、速い進度で太平洋沿岸を南米南端まで進出したと言う沿岸(水辺)ルート説に注目しています。これらのことから、当然にして、日本学界がこれまで殆ど触れてこなかった北海道からの北上の可能性が、世界的に注目されて来ているのです。

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カナダ太平洋岸の先住民の一部は漁撈・採集の民の痕跡を残し、南米では海藻を求める沿岸遠隔のアンデス高地族、マゼランに万年前のままと感じさせた漁撈採集族、アマゾン古部族のDNAがA地域に類似などのことが、環太平洋言語痕跡(元日本言学会長 松本克己博士)とともに環太平洋の原郷を裏付けます。そして「最初のアメリカ人」に関し、シベリア方面からとともに、今や沿岸ルート上の北海道から千島列島そしてアメリカ新大陸への移住の可能性を全く教えていない事は問題です。まずは最新状況を子供に教え世界に発信しましょう。

左図は、やっと北・西・南からという誤りの3方向渡来図でなく、また、アメリカ新大陸への移住は沿岸ルート新説となっていて評価します。問題は、肝心の日本へは赤丸B北京西方から朝鮮半島経由、更に原郷は中央アジアという、考古学・言語学者には驚きの酷い図になっています。

約4万年前から始まった列島史のはっきり人骨である右図沖縄の祖人・石垣島は2.7万年前ですが、誰もが南方系Aと認識しています。他方、欧米学者も大陸内のしっかりした遺跡遺物として特性を認めるバイカル湖地域は2.4万年前のものですが、南方系では、インドネシア西スマトラ・フィリピン7万級、ラオス6万、台湾5万、豪州6~5万年前の遺跡のみならず、アンダマン諸島・マレー半島などには今も、出アフリカの古い民族が存在し、スリランカでは生活が難しいとみられていた熱帯雨林中で4万数千年前の遺跡が、インドに至っては8万年前のものが発見され、充実はっきりの南方であり、アジア史の基本は現生人類の北上の足跡なのです。これらの事から、①南方の“インマレイド”(古モンゴロイド)人種が北上(日本列島にも)し、1~2万年前の新しい時代に降雪寒冷地への適応を遂げて「モンゴロイド」となり、逆に大きな影響力でモンゴロイドが東南アジアにまで南下したのが基本です。欧米学者がこれを新・旧モンゴロイドと呼んだ区別の仕方も誤解の元です。つまり左図もやはり3方向渡来図と同じで、新しいモンゴロイドの南下を大書してしまった新旧混在の誤りなのです。そして、“渡来弥生人”は実は縄文人の子孫だった、日本海側の“渡来半島人”は、実は北九州縄文人の子孫の移住だった、騎馬民族は来なかったし大量の渡来民族は来ず、列島内の勢力争いや環境などの地域差であるという最新の研究成果が反映されていません。誤り理由の一つは、右図始まり時代の「北東ア平野」、「曙海」、海水面低下などが正しく認識されていないことと、始まりの「祖人Proto-Japanese」という最初の祖先を示す用語が認識されていないことです。

無論、縄文人は2代目ですから「どこから」は愚問の日本列島人ですし、鎌倉時代からの少数渡来アイヌAinuは本議論には全く関わりありません。因みに言語の面でも、日本人は、環太平洋語族(元日本言語学会長:松本克己博士)であり、決して大陸内陸系ではありません。

子供に教え世界の誤解を正すべく発信しましょう。

Science Media Centre AUS

米国鳥の白頭鷲の飛来が国後に次ぎ道東・野付湾でも確認と話題です。同鳥は、北米大陸アラスカなど)の沿岸部に広範囲に分布し、そもそも先住民インディアンが聖なる生き物と見なす文化で大切にされています。

世界でも空飛ぶ鳥は神の使いとして尊重され、陸地を生む神話まであります。白頭鷲は渡りではなく迷いのようですが、3万年前からの父祖の地北海道へは渡り鳥も多く、生まれながらの体内の方位コンパス・プログラムを有しているようで、磁気方位感知、星太陽コンパスに風雲臭いや気流を感じ地上の目印を利用してと聞けば、正に驚異の、流石に神の使いと感心します。問題は、学校が何も教えてくれませんが、九州へ海峡を渡り伊豆の海を行き来し陥し穴猟をして自然を深く理解していた祖人が北海道に渡り暮らしに適応した子孫である祖人・北海道Proto-Japanese Hokkaidoは、当然に鳥の渡りに気付いていた筈です。鳥が来れば向こうの陸地の存在に不安なく(千島列島は次々に見えました)、 神・ お日様に向かう方向から使いも来てますから、祖人は食が豊かな沿岸の昆布ハイウェイKelp Highway の北上を続けたでしょう。

つまり、「最初のアメリカ人」に関って何の不思議もないのです。子供に教え世界に発信しましょう。

 

縄文Jomonは世界的にも知られ、最新のDNA分析によって現代の日本男女は、周辺の国の人と比較すると縄文時代由来の要素を8割以上有しており、いわゆる「 渡来 弥生人」 の実態は 縄文人の子孫 と判明 しており、その後の古墳時代から現代までも遺伝特性を換える大きな異質民族の流入のない、人体は環境に応ずる 連続的な 差異です(長浜浩明 日本人ルーツの謎を解く)。マクド、スタバ、ケンタッキーが街に溢れても、ヒトが欧米化したわけで無く、明治時代と大して替わっていません。では、縄文の前の日本祖代はどうだったのか?出アフリカの現生人類が東進して東南アジアから北上し、約4万年前に北部九州に渡海して列島に拡がりました。2.7万年前の祖人・石垣島のような祖先の人たちだったでしょう。

祖人は、38,000年前から黒耀石を求めて伊豆の海をフネで行き来し、縄文時代の工房跡も河津地区で見つかっています。

鹿や猪の生態を把握して計画的にリーダーの指示で鉄器もないのに1m以上の穴を多く掘って陥し穴猟をしていた知的レベルと社会性を示し、北海道の雪と寒気に適応しまいた。そして北上を継続し、今、世界が注目する「最初のアメリカ人」として、渡米の可能性があります。

氷河期が終わり温暖化する時代に、大陸の細石器文化が北から西から列島に及んでいて注目されますが、例えば下図のヒトT細胞白血病ウイルス1型 HTLV-1キャリアが、島などに多く残る状況を分析すると、大昔から特筆すべきヒトの実質変化は生起しておらず、北海道も 基本的には始まり(南方人)の 特性が維持されていたことが分かります。 そして、土器の出現で縄文と名が変わ るだけの 連続推移の孤立的な島国 なのです。

学校も巷間本もこの事を扱ってませんが、考古学界の努力で、これほど大昔の始まり時代を考察しうるのは世界でも傑出してるのに、余りにも厳密実証に捉われているためか、扱っていないのは問題です。子供に教え、「最初のアメリカ人」問題に参考となる背景状況を世界に発信しましょう。

オリンピックが来るのに、第1図万年前の石器が北海道と米西海岸の物が似ている事、第2図最初のアメリカ人は、沿岸・赤色の昆布ハイウェイから1.7万年以前にフネで入って来たという新説(米国学者の7割支持)が、日本では教科書に載ってなく巷間本もなくSNSですら殆ど語られない理由の大きな一つは、説明し論ずる適切な用語が無いからです。

吾輩は猫である、名前はまだ無いなのです。世界に通用するのは、1.Proto-Japanese 日本祖人です、そして日本祖代。各地で発見された人骨は地名を付せばいいのです。 2.原人は、 明治時代に言った人もいましたが、ジャワ原人が発見されてますしダメ。 一般に3.旧石器時代が言われますが、実は世界では200万年前くらいから始まりますので不適で、後期を付しても欧米、アジア、日本でイメージに差があります。 5.先土器・無土器も始まりの前が青天井で不適です。6.岩宿人は、日本の旧石器時代の発見に繋がった由緒ある地名ですが、沖縄から米新大陸までを視野の国際時代にはちょっとムリです。7.ヤポネシア人は国際的ですが、何処の人?という質問に説明が必要ですし、南方のどこかかなという誤解の恐れも。さて、将来的に仮に日本で最古の遺物の石器・人骨として、旧人ネアンデルタール・デニソワ人のモノが見つかったとしても、直接祖先ではないですから騒ぎ過ぎないようにしましょう。まあ、サルとヒトの中間で、はっきり違いますから。

何とか、現在世界で知られるJomonくらいに、Sojin、Sodaiで通ずるようにしたいものです。そして、世界にかなり誤解がある鎌倉時代からのAinuとは全く違うモノであることを、はっきりさせて正しましょう。なお、これで分かるように、「縄文Jomonはどこから」という問いは愚問で成立しません。2代目は、日本列島からに決まっています。

日本人と似ているナバホ族の暗号通信手の大戦時の活躍(第3図)、最初のアメリカ人Nativesの最新説の昆布ハイウェイ移住(第2図)について説明しましたが、考古学的には第1図槍先形の有舌(茎)尖頭器が、不思議なほどよく似ていることを日米の学者が現物を手にして確認しています。

始まりの日本祖代から日本列島にはナイフ形石器があり、それが 有舌(茎)尖頭器 に進化発展したもの、あるいは大陸から伝わったものと考えられ、氷河期後の温暖化しだした時代(1万数千年前~)の狩猟に大きな進歩をもたらしました。図の形態は、祖代の次の縄文草創期のものとみられますが、一方向の広がりではないようです。この舌・茎の部分の形状を含め図各地のように、微妙に各種の異なりが見られ、日本列島内でも4種に区分されたりしています。ともかくこれだけ離れて類似ですので、北海道と西海岸だけでなく発掘された石器を広く研究分析する必要があります(縄文人はフネで直接渡洋したか、ムリでしょう)。まずは、日本学者が北海道だけでなく、経路途中や西海岸や大陸の石器も共同研究できるように科研費を投じましょう。世界人類史的にも期待されているのです。子供に教え世界に発信しましょう。まさか有舌(茎)尖頭器が、ネットで安値で売り買いされていないでしょうが、遺跡遺物の保護にも努めましょう。

前回図右ナバホ族の活躍を紹介しましたが、米国では図左最初のアメリカ人は沿岸から説が考古学者の7割で、シベリアのマンモスハンターが内陸の無氷回廊から大型哺乳動物を追って説はもはや主流でなくなっています。

それを実態的に支える理由の一つが、図の沿岸赤色の食の豊かな海藻エリア(海獣・海鳥卵など含む)であり、「Kelp Highway昆布ハイウェイ」からフネで、無氷回廊が未だ開いていない古い時代(1.7万年以前)に入って来たと南北米の旧石器遺跡・遺物から判断されるという訳です。新説第1人者のErlandson博士の図では、千島列島が書かれ重要な事実(次回)が説明され、祖人・北海道Proto-Japanese Hokkaidoの北上が注目されますが、こんな新しい重要な事が、巷間本・博物館・教科書に全く載っていないことは残念というより驚きです。東京・北海道札幌のオリンピックです、子供に教え世界に発信しましょう。

最初のアメリカ人は「ベーリング南岸をフネで1.7万年以前に入って来た」新説と図左前回のY染色体M130の拡がりなどから、祖人・北海道Proto-Japanese Hokkaido(縄文人先代)と米西岸Native先住民の繋がりが注目されますが、実は驚くべき秘話があります。

先の大戦で、図右米先住民ナバホ族の言葉は、他の先住民ですら分からないので暗号に使えるだろうという上層部の決定で召集され(当初29名の約410名)、サンディエゴで7週間の教育を受けてから第1海兵師団の前線の通信手として太平洋戦線に投入され活躍しました。ハワイ日系2世の活躍と異なり、ことが暗号通信なので秘密にされ、1968年ごろからやっと明らかにされ、部族で誇りをもって顕彰されて、やがて議会の金・銀メダルを授与され、2017年には生き残っている3名がホワイトハウスで表彰される名誉に浴しました。日本軍には決して分からないから暗号に使えると言う事からでしたが、現在では3万年前からの祖人・北海道の事やM130のことなどに加え、日本言語学会長をされた松本克己博士が環太平洋言語の同系性を論文とされているので、当時の軍上層部が聞けば冷や汗をかくかもしれません。尤も、それでも暗号は全く破れないですが。いずれにしても、祖人・北海道Proto-Japanese Hokkaidoと米西岸Native先住民の関係、ナバホ族などの沿岸先住民のこの面からの研究、両者の歴史を遡った関係についてもこれからの事です。科研費に値すると思います。子供に教え、世界に発信しましょう。

RYM130って何? 下図右Spencer Wellsによる最古級のY染色体M130の拡散Rルートの事で、前回の洞窟絵マロス・マカッサル地域における枝分かれに大注目なのです 。

前回まで図左ネズミが示す南方からの北上や伊豆の海の行き来、新説のベーリング沿岸を入って行った「最初のアメリカ人」候補として、巷間本等の3方向渡来図の誤解を正しました。図右3万年前からの祖人・北海道Proto-Japanese Hokkaidoは、ずばり、男性継承のY染色体が図の通りに米国北西岸先住民に繋がっている可能性がはっきりです。そして同図下の青字ハーヴァード医科大による驚きの発見である、アマゾン古部族とアンダマン人・豪アボリジニが他に無いDNAの類似性を有することも、点線のように延伸すれば「太平洋を横断したんじゃないの~」と先生が記者に冗談を言われなくても理解できるのです。オリンピックが来ます、日本の先生によるWellsやハーヴァード医科大などのこれらの研究の総合分析が期待されています。まずは子供に教え、世界に発信しましょう。

前回、下図(左)の南方ネズミの列島定着で巷間本等の誤解を正しましたが、図(中)その南方で最新のウラン・鉛年代測定法により、インドネシア・スラウェシ島・マロス洞窟群の多くの洞窟絵の最古のモノは45,500年以前と判明しました (Science Advances  13 Jan 2021) 。

洞窟絵では、フランスやスペインのものが有名ですが、マロスのモノは高い認知力を有し断然の古さで金メダルです。注目は、この海に近いマロスの洞窟絵には舟を画いたモノがあり、中部スラウェシでは帆柱付きのモノもあります。実はこの地域は「海の民」(マカッサル・ブギス人)として有名を馳せ、活動はマラッカ海峡から豪州に及び、シンガポールにはブギス駅もあります。この古さと認知力は、南方から北部九州に約4万年前に家族で渡海し、祖人Proto-Japanese が沖縄から北海道にまで列島に拡がり、図(右)伊豆の海では38,000年前から黒耀石を求めて20km以上を行き来して海上行動分野の金メダルを獲得したことを納得させます。今、現生人類史最後の謎、「最初のアメリカ人」についての新説は、1.7万年以前にベーリング地峡沿岸・昆布ハイウェイKelp Highwayをフネで入って来たというモノであり、狭いとはいえ津軽海峡を越えて雪と寒気に3万年前には適応していた祖人・北海道Proto-Japanese Hokkaidoが候補として関りがあった可能性があるとして注目されるのです。

そして下図、南米アマゾンの古部族とマロス洞窟群を含むスンダランド地域の古人のDNAが不思議に類似である事も踏まえた、現生人類の環太平洋移住MPOR(Migration along Pacific Ocean Rim)説(スンダランド地域から日本列島、ベリンジア南岸、北米・南米西岸―日本祖代研究会が提唱)が注目されるのです。

日本の子供がこんなことを全く聞いてもいませんし、世界でも認識はまだまだですので、オリンピックを機に教育し発信しましょう。

巷間本・博物館は図左3方向渡来図を示しますが誤解の元です。

前回の遺跡・石器に続き、日本のネズミのDNA分析(図:東教大・米川、東大・森脇)を考察すると、まず①南方からK種が北部九州に渡来して拡がり、その後②大陸から別種Mが 主に九州に 入って来て拡がり、③関東甲信越以西のMと北部日本にKが残ったということです。ネズミが人に寄り付いて動くと考えれば、この図は実に納得の成り行きで、日本文化の基層の形成を示すモノとも言えます。北の縄文遺跡の世界遺産登録の事も、よく理解できます。この北に残ったKネズミの寄りついた人たちは当然、原日本語を話していましたので山も川もみんな名前がありました。これは、鎌倉時代アイヌが登場するずっと前、万年千年前からの事です。子供に教え、世界に発信しましょう。

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