DNA変化拡散の①男系Y(線灰色)、②女系mtの状況をみると、共に出アフリカ~東進して東南アジア(インマレイドImdへ変化)、そこから枝分かれの北上と東進継続の豪進入です。更にユーラシア東部では東から西であり(西からも)、アメリカ新大陸進入です。

そして、ユーラシア東部北上後に、最終氷期最寒期LGM(2.6~1.9万年前)以降に身体変化を伴うモンゴロイド化しています。従って、初期の東南アジア地域の出アフリカ人を、(ジンギスカンにびっくりした)欧米学者が「旧モンゴロイド」と言い始めたのは誤解を生む誤りでした。さて、遺伝学会のY遺伝子M130に注目した図から、古い時代の豪でみられるM130の変化P-39型という痕跡が北米先住民に見られます。沿岸地域を北上して「米臨海」北のベリンジアを通って行った事から、①北海道(3.5~3万年前遺跡)と赤点線線ルートが注目されます。内陸の沿海州a・オホーツク海地域には北海道に匹敵する古さの遺跡は見られず、シベリアルートBは、始まりのバイル湖地域は2.4万年前~、RHSヤナ遺跡は3.2万年前ですが一時的な使用とみられ(東大の海部教授)、その時代の東への移住はなく温暖化後の1.5万年前の痕跡になります。

③Bルートはこれまで長い間定説でしたし、何よりも進入後の北米内陸の無氷回廊を経た狩猟族の拡がり影響力の強さに惑わされている(穏やか沿岸系はこめやられた)のではという事なのです。結局、シベリア東進のB点線移住ルートは、LGM・モンゴロイド化以降の温暖化してからではないのかという疑問があるのです。北海道に匹敵する古さの移住を示す遺跡も発見されていないからなのです。問題は、何故この重要な発地候補の北海道祖人Proto-Japanese Hokkaidoが無視・軽視されているのかという事なのです。子供に教え、世界に発信し、国際共同研究を、という事です。

前回2図下、シベリア人か北海道人かで世界はシベリア人が早いように認識図示し、2図上、シベリア側マリタ、RHSヤナ遺跡、北海道遺跡の人類は、ベーリング地峡・ベリンジアで「滞留」した後、1.7万年以前に氷床融けの沿岸を入って行ったとみられています。

まず、滞留のベリンジアヘのゴールインですが、ホントにシベリア狩猟族が一番乗りだったのでしょうか。①最近は一部の米国学者に、北海道の名が出て来るようになりました。3.8万年前の黒耀石採取の伊豆の海の行き来から、秋田・岩手3.5万年前遺跡、青森を経て千歳・十勝・北見に白滝と、「日本祖人Proto-Japanese」の充実の遺跡・遺物は、世界に認識されているのでしょうか。そして、もしかしたら千島列島越えがムリと判断されているのではないでしょうか。その場合は、白滝黒耀石が発見されている樺太~オホーツク海北沿岸ルートもあり得ます。何より千島列島は、米国学者に注目されている食の豊かな「昆布ハイウェイ」処女地を行くルートであり、次々に島が見えました。島間の最大離隔77kmは、既に人類がそれ以前に東南アジアで約90kmを渡海して豪州に行ってますし、沖縄方面の最近の実験は黒潮越え150kmの与那国行きでしたから、伊豆の海を行き来した海民祖人には十分可能だったと考えます。何よりも明治時代の北千島の「ルートン」海民は、石器を使い竪穴住居に住んで、カムチャッカ半島南部~千島列島を交易して関り、旧石器時代的に「遊動」して暮らしていて驚かされます。

一方②シベリア方面では、しっかり確認されているバイカル湖地域のマリタ遺跡は2.4万年前で北海道より万年遅いです。北極海に面したRHSヤナ遺跡は3.2万年前の古さですが、一時的な使用痕跡とみられており、東方への移住は見られず、北極海沿いのベリンジア進出は1.5万年前以降です。そもそも東部シベリアからベリンジアに2.3万年前に移住して来るのは、今でさえ寒さで死亡する人が出る厳しさですから、最寒期LGMにはムリでしたしょう。最近の遺跡発見状況で、3万年前?という若干状況が良かった時代としても厳しいもので、むろん支持する痕跡は何も有りません。このように検討すれば、ホントにシベリア人が一番なのかとなりますが、いずれにしろ地域の痕跡年代をしっかりさせ、当時の環境も更に明らかにする解明努力が求められますが、実はこれは「最初のアメリカ人」を探るだけでなく、我々の始まりである日本祖人の状況を明らかにする研究でもありますから、膨大なウポポイ予算を投入して国際研究プロジェクトを日本が主導すべきです。まずは、学生・生徒に、この世界の動向を教えましょう。

1図下、出アフリカの現生人類がアジアに到達し、「最初のアメリカ人」としてアメリカ新大陸に向かうのに、A:北海道人、B:シベリア人があったと認識され、図からは、Bが早いイメージです。

1図上、確かにかつてはB一本で、「シベリアの狩猟族がマンモスを追ってベリング地峡・ベリンジアを越え、内陸の無氷回廊が開いて入って行った」でした。その後、南米、そして北米でも無氷回廊が開く14,800年以前に入って来たとしか考えにくい遺跡が多数発見され、「1.7万年以前に、北太平洋沿岸から、入って来た」が主流です。しかも有力な説として、ベリンジアへ来たけれど氷床で入って行けずに何千年間も滞留standstillしたと考えられています。候補となるA北海道人、Bシベリア人が、早くにベリンジアに到着したが入って行けずに留まったという訳です。それは、③アメリア先住民やアジア人の広範なDNA分析で、アジアにないハプログループの型がアメリア先住民に発見されていることから、数千年以上、ベリンジアで留まっている間に新たな型に変化してから入って来たという訳です。アラスカから逆に、アジアへ戻って行った種族が居る事も分かっているのです。

但し、Nature誌が3万年前のメキシコ遺跡に消えた種族の可能性を報じてますので、最初に入って来て今のDNAに何も残すことなく消えた種族もアリエナイ訳ではありません。さて、④1.アジアから進入のA及びBが。3波と言う説あり。2. 地峡に滞留は、 2.3万より早くなく、1.4万より遅くない、2.14~1.68万年の間で、寒地性潅木などで動植物による衣食住と「火」が確保されたという事です。3.北太平洋の沿岸から入って行ったわけですが、最新説では、ベリンジア南岸にポツポツと小島が「一時的な列島temporary archipelago」として出現しており、最終氷期最寒期LGMが終わって、温暖化で氷床が融けて海水面上昇のために小島におれなくなり、追われるように米海岸に入って来たのではと言う説が出ています。依然として、DNA分析学者と考古学者の意見は必ずしも一致しておらず、米国やメキシコ遺跡のなどを巡って考古学者間にも意見の相違がある興味深い争鳴状態ですが、問題は、①日本学界が論議に参加せず、学生・生徒に教えていない事、②海外の北海道遺跡の認識に誤りが多く、よく知られていない事です。ウポポイ膨大予算を、世界に意義ある国際共同の北海道人類史跡の研究・保護に投じましょう。

約4万年前の日本の始まり祖代・祖人Proto-Japaneseに注目し、夏の課題では何処から?そして何処へ?を見て来ました。

さて、活字での日本史始まり時代となれば魏志倭人伝がありますが、実は「曙海」周りが注目な事に変わりがないのです。①目が行く魏、呉・越、燕、北倭、当時の倭の国々であるB1、B1-2、そして千里余の海を越えてもやはり倭種であり東B2でしたが、列島を俯瞰すれば、東・北と南のAが併存していました。今次の北の縄文の世界遺産認定で実証された、A:伝統の縄文的な社会が東・北と南に依然存在する一方、新たな米食によって身長も容貌も変わり戦が多くなって組織化が進んだB社会に区別されます。違いの特徴を示す②人長3尺の記述が注目です。まだアイヌが北から侵入する前の北海道の蕗の下の小人コロボックル(アイヌ伝承)と南方の人々が、近代科学のDNA分析等により、こんなに遠く離れていますが、種族の類似性があることに符合しているのです。更に今、「最初のアメリカ人」先住民が、ベーリング地峡南岸~北太平洋沿岸から入って来た事で指摘され注目される北海道ですから、北千島地域の後の「ルートン」遊動海民とこの「十勝から千島の方へ逃げた小人コロボックル」は、全くあらたな光が当たって注目です。

さて倭人伝に戻れば、④魏と対抗した呉・越や燕などは、実はかつての曙海の沿岸に住んでいたも海民が、海岸線の後退に伴って現在の状況に徐々に上がった痕跡を暮らしに留めて居たことを認識する必要があります。それが、魏から見れば呉越と倭が似ているとなります。曙海の対岸と言うだけでなく、そもそも呉越の沿岸を北上して北部九州に渡海した親戚であることに思いを致す必要があります。倭は一見遠い「燕に服属」すると記述されていますが、西部九州の正に対岸から遠く北上した事になります。また、⑤女王国から船で1年と記述された遠方に裸国、黒歯国があるとされておりながら注目されませんが、まさしくその様子を示すフィリッピン・ネグリトやマレー山地の黒人、また歯が黒くなる檳榔ビンロウを噛むインドネシアからミャンマーに至る広域が該当し、何故、知っている付き合いがあるのかと言えば、これもそもそも倭人祖先が「パンカル海」沿岸地域を通過して来た遠い祖先の地であり付き合いも続いていたであろう事として興味深く、総じて倭人伝は、十分有益な資料と言えます。後は、魏志倭人伝の様な「呉志倭人伝」を、東洋史・日本史学者が山梨の呉鏡などを踏まえてプロジェクト研究し一例を作成すれば、興味深い有益な資料になるでしょう。

これらを見れば、アイヌ・ウポポイの膨大な予算を、コロボックルや「最初の渡米」研究や遺跡遺物の保護・復活、更に、東・北だけでなく南の原郷の世界遺産登録申請や更なる研究に充当すべきであり、学生・生徒向けの資料を作成し、世界にも真実を積極的に発信し、アイヌに関する誤解も正すべきです。

日本人が属するAのアジア人は、①30~20万年前にアフリカで誕生した現生人類・黒人が早いスピードで東進して、始まりました。

②東南アジア地域で「インマレイド」に変化(当方アジアのジンギスカンに心底驚かされた欧米学者は、コレを「旧」モンゴロイドと呼んでいるのが大きな誤解の元)し、東部ユーラシア・西太平洋沿岸を、河川を内陸に遡行し北上して拡がり、その後、③北部で降雪寒冷適応化したモンゴロイドに変化して今度は南下して拡がり大きな影響を与えたのが基本です。この間、西から人々が流入(逆に西へ行き)し、アメリカ新大陸へベーリング地峡を越えて、南岸から入って行ったと考えられ、世界史界が研究中であり北海道が注目です。Bの日本の始まり歴史は約4万年前の北部九州からで、実は、黒耀石を求めて38,000年前から20km以上の伊豆の海を行き来し交易していたこと、世界驚きの刃を磨いた石斧、鉄シャベルのない時代に1m以上の大きさ深さの穴を多数準備して行った陥し穴猟の社会性、環状のキャンプ、釣り針など、世界に誇り得る内容の年表で次代の縄文に繋がっている、「原始人」ではない状況なのです。祖代、祖人Proto-Japaneseという語がないために、「よく分からない原始」と嘘で放置されている大問題なのです。

因みに、巷間言われている語の問題を指摘します。「後期旧石器時代」は、縄文・弥生・古墳と違う和語に対し違和感かつ世界では各国で微妙に時期が違う問題があり、説明が必要です。「先・無土器時代」は英語で言えば、最初不明かつ「無かった」と言ってるだけの訳ワカメ。 後期旧石器時代を開いた故事からの 「岩宿時代・人」も、北海道の岩宿人が「最初のアメリカ人」に関っているかと言う訳ワカメ。「ヤポネシア人」に至っては、縄文人と関係ないのかと言われる誤解の元で論外です。最後に、CのNHK番組などの説明は、パロディ風にしていますが、要は渡来・拡大、そして個人差・地域差を過剰受け止めの誤解で、一皮めくれば大差のない日本人なのです。問題は、自虐や隣国忖度の歪みではいのかと懸念されることです。歴史を正して次代に、世界に発信です。

日本人とは、「日本人のルーツを問う人」と言われるくらい関心が高いですが、それだけに自虐・隣国忖度と言うべきか、実に歪んだ誤りの論文・書籍・メディア番組・youtube動画等が溢れています。この過てる状況に終止符を打つと銘打たれた「長浜本」は、確かに決定版です。

①上段図中に挿入した南方から北部九州への渡海・沖縄への南下・本州北上は、海水面が数十m低下した当時の状況(北東ア平野、曙海)を踏まえた補備です。そして上段図右の5項目と多数の科学的な納得の史実は、巷間の誤りを論破したモノにもなっています。北海道にマンモスハンターは来なかった、「渡来」弥生人も騎馬民族も来なかった、祖人は青森から北上、水田は日本から大陸・半島へという訳で、NHKの日本人ルーツ番組は大嘘です。さて次なる補備は下段です。第1に、欧州学者がインマレイドをジンギスカンにびっくりして雑に旧モンゴロイドとしているのが誤解を生む間違いです。出アフリカ人が東進し①インマレイドになり北上、②降雪寒冷に適応していってモンゴロイドに成り南下したのがアジア人の基本構造で、西へ行き西から来てもいるのが加味されます。第2に長浜本は、本当は縄文先代の「祖人」Proto-Japaneseだった!とすべきなのです。学界が(はっきり記述したくない?)怠慢なため、縄文先代の適切な表現が無いのです。

後期旧石器時代―縄文時代―弥生時代―古墳時代・・・明らかにおかしいですね。縄文以降は日本特有(土器・古墳)なのに、初代・縄文先代は他人の様な酷さです。しかも英語にすれば、 「後期旧石器時代」は 各国で微妙に違うため、一々補足説明が要る代物なのです。他方、先土器時代、無土器時代、岩宿時代、ヤポネシア、・・・色々出ていますが、英語にすれば首を傾げられ、北海道祖人の渡米が注目になっている時代にとても通用しません。祖代、祖人Proto-Japaneseが一番です。第3に年表もあり、何よりも教授が議論している縄文Jomonの始まり(1.65~1.3万年前のいずれか)とも 途切れはないので す。全 国の1万件を超える遺跡が示してます(北と西からの細石器文化の自発か渡来かの影響は有ったとしても)から、「日本人の祖先は、南方から渡海して列島に拡がりその後の渡来者を混じえた、多数の取り換えのない(戦争痕跡無し)祖人Proto-Japanese、すなわち縄文人の先代だった」で良い(だから祖人と名付けている)のです。

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人骨も沖縄や静岡などで十分に祖人を窺わせるモノが発見されています。因みに、縄文始りは、①人々が定住し②弓矢・土器の使用、が列島に定着した時期であったのが、今は土器が青森に登場した(発見最初の)16,500年前となってきています。ともかく政府は、学生・生徒に、世界に広がっているこの歴史の誤り訂正と適切な加味を、速やかに重視して施策せねばなりません。膨大なウポポイ予算をこの貴重な事項の国際研究に、遺跡遺物の保護に。

世界祖史の「最初のアメリカ人」について、左図1万件を超える旧石器遺跡が示す、現生人類祖先である「日本祖人」Proto-Japaneseの列島北上の拡がり史。

図右、最初のアメリカ人については、従来のシベリア狩猟族がマンモスを追ってベーリング地峡を越えてと言う定説が崩れ、北太平洋沿岸の昆布ハイウェイKelp Highwayからとなって来ており、更に、オレゴン州立大のDr.Loren Davisは、Cooper’s Ferry遺跡の発掘から北海道白滝の石器との類似性から、発地として北海道を挙げ図の線のルートを示し、図中タイムズ紙はSailorが来たと報じていますが、Sailorとなれば、世界考古学史上の金メダルである伊豆祖人による38,000年前からの、神津恩馳島の黒耀石を採取の伊豆の海の行き来が注目です。問題は、学生・生徒がこれらのことを全く教えられていない日本の周回遅れなのです。

左図南方から①約4万年前に北部九州に渡海し沖縄に南下、②最古遺跡を列島中央部に残し、特に黒耀石を採取に 「舟乗り」Salorsが 伊豆の海を行き来した、謎ではない考古学史上の金メダルの歴史であり、狭くなっていた津軽海峡を越えて雪と寒気の北海道に適応し、③海獣・魚介の食の豊かな「昆布ハイウェイ」Kelp Highwayの北上を続けたのか・・・。

他方アメリカ新大陸では、右図左「最初のアメリカ人」は、ベリンジア南岸から北太平洋沿岸をフネで入って来て、ワシントン・オレゴン州境の河口コロンビア分岐点Jctで左折し、16,000年前の遺跡(北海道石器文化に類似)を内部のアイダホ州に残した、発地としての北海道に注目と言う議論が出ています。内陸の無氷回廊が開いてない時代に、コロンビア分岐点Jctをそのまま南下した遺跡が南米チリ、モンテ・ヴェルデで発見され、右図右では、 Sailors舟乗りとの見出しが出され、 石器と動物・絶滅した古代馬の骨が発見されて年代も出され、北海道との石器の類似性も指摘されています。学説ですから異論もありますが、こういう議論が行われていること自体を日本側では教わっておらず、自由な議論もない周回遅れです。この「最初のアメリカ人・先住民」議論は、実は日本の始まり時代を解明することに繋がる重要なモノなのです。鎌倉時代頃から登場で全く無関係のアイヌの膨大なウポポイ予算を、世界に貢献し自らの始まりを解明する、この日米(露加)の共同研究に充当しましょう。

イマイチな質問が来ますので、確認の補習です。始まりの基本は、現生人類の出アフリカからの足跡に思いをいたし、①「曙海」の時計回りです。

仮にインド北部(ヒマラヤ南部)から大変な雲南地域(山脈・大河)を超えて来たにしても人は似たような者、結局、北部九州にフネ(筏)で家族が約4万年前に渡海して来た訳です。そして、石器遺跡などの示す所は鹿児島から南下して那覇です。何より実証の最古遺跡の発見は、②列島中央部です。流石にこんな天孫降臨は有りませんから、熊本と併せれば、北部九州に来た事で①と整合です。こんな基本を「周回遅れ教授」がはっきり言わずに惑わせている酷い現状なのです。特に伊豆の海の行き来は、謎でも何でもなく、迫って見える大島があって可能です。但し、この古さで20km以上を行き来した専門集団性、造舟・操舟の知力が驚きなのです。そして近年、世界人類移住史の最後の謎である③「最初のアメリカ人・先住民」について、長い間の「シベリアからマンモスを追って」定説が、アメリカ大陸あちこちで、内陸の「無氷回廊ルート」が融けて開く前の遺跡が発見されて崩れ、「沿岸から」「昆布ハイウェイから」(関係7割学者の支持) となっている のです。

そこから北海道が注目され、マンモス・ハンターなど来なかった北海道は、内陸でなく海沿いの千島・昆布ハイウェイルートやオホーツク沿岸ルート(アメリカ学者が言及) が注目され、そうなれば②伊豆の海の行き来や北千島地域の遊動海民ルートンなどが 、新たな光で俄然重要な事になり ます。その痕跡は、アリューシャン列島のロシア人を驚かせた「凍える北の海のスペシャリスト」のアレウト族との関りを窺わせるわけです。周回遅れ教授は、こういうアメリカの状況も一切説明しませんので、学生もなかなか連いて来れないのでしょう。始まりからアメリカ新大陸まで俯瞰すれば、ムリなく最新の研究状況が見えてきます。

日本の世界的な論文提出が危機的な低下で、一因は日本学術会議・権威教授の抑圧(憲兵よりもよっぽど酷いの声も)にあるとか。日本史始り「祖代」の「祖人Proto-Japanese」による「伊豆の海の行き来」も「謎」扱いされ、行き来が検討された様子がなく、学校でシッカリ教えられることもない酷い状況です。

ここが分からねば、日本史の始まり時代の北部九州、沖縄、北海道が見えず、近隣との比較研究も出来ず、 「最初のアメリカ人・先住民」関り可能性の渡米話も出ず、 右図右下の3方向渡来図のように背骨が歪んできます。学問は、色々な見解を抑圧することなく自由に挙げて議論することからでしょう。メディアの 折角の 知的な報道も、中途半端なことで、残念な出来上がりです。おそらく多くの分野でこんな状況が散見されるのでしょう。若い学徒の皆さん、勇気を持って「上手に」声を挙げて行きましょう。まさか「日本は凄い、素晴らしい」って言っちゃいけない訳ないですよね。

現在得られる情報から考察すれば、実は大変な大昔なのに国土開発にも連携した島国の研究者の長い努力で、世界が驚くほど十分に描ける方です。左図南方から北上した海民性の金メダル祖先、北海道祖人の「最初のアメリカ人」関りが注目なのです。右図放置は、大問題です。

こんな最新の事情も分からずに、昔言われた「日本史は応仁の乱からで充分」(天照大神、ノーベル賞紫式部などはその前ですし、ジェンダーあれこれは片腹痛いです)、「始まり?毛皮のパンツで槍持った原始人」(陥し穴、磨製石器、環状キャンプ、釣り針、考古学史上の幾つものメダル獲得の凄さを何も知らないんだね)、大丈夫、まずは悩まず提出しよう。議論することで学問は発展し、学生は向上するのですから。現在の日本史は、歪みが多いですし。

現生人類同様にアフリカで誕生し、変化を生みながら世界に拡がったヒト細胞白血病ウィルスは、①中国大陸と朝鮮半島で見つからない事から、イラン~インド~(今は過半が没しているスンダランド地域)ニューギニアから、沿岸を北上したことを窺わせます。

人類の豪行きはインドネシ・スラウェシ島を東進する北ルートとみられ、90kmをフネで越えてますので、②点線図の正に黒潮沿いの海民の北上も考えられます。さて、日本列島内は③のように、九州・沖縄、太平洋岸、離島・山中の過疎地に残っていますが、万年前の列島が、沖縄から北海道まで離島・山中を含め均一性のあった事が注目されます。アメリカ新大陸では、④北米のイヌイット、インディアン、南米のインディオが、ベリンジアを渡ってウィルスを持って行ったとみられ、世界的には、一般に渡米はシベリアBルートが認識されていますが、北海道から北上してベリンジアに至る点線Aルートとその大平洋沿岸南下(昆布ハイウェイKelp Highway)も考えられることが注目です。

⑤北米先住民の大多数がケニアやパプア同様に血液O型であることは、始まりが少ない人数、例えばフネで五月雨式に入って行った事をうかがわせ、Aルートと矛盾はないです。また、⑥南米アマゾンの古部族のDNAが、スンダランドや豪の万年前の人々と類似な事(Harvard Medical Schoolの分析結果)も、⑦松本博士の環太平洋の言語の類似性(RとLを区別できないなど)と共に注目され、スンダランド~日本列島~ベリンジア南岸~太平洋沿岸を南米までの時計回りの⑦MPOR説が導かれるものと考えています。子供に教え、世界に発信を。

図左①列島の石器は、まず4万年前に九州から本州へと拡がり、次いで②3.5万年前から北海道に拡がって行ったものである(時代はそれぞれ約年)ことを示しています。

図中、現生人類の出アフリカ史の流れ、今と異なる当時の北東アジア地域の地形、気候等の環境、我が国は1万件を超える、地域の旧石器遺跡の状況などから、北部九州に渡海して沖縄に南下、北海道にまで北上移住したものであり、北海道からも北上を継続した、現生人類移住聖火が通過したものと考えられます。しかし、出回っている図右の誤解を与える3方向渡来図は、①アフリカからそこへどのようにいつ来たのか、②世界史界の動向と違い、「最初のアメリカ人・先住民」話への関りが出て来ようもない、人類史の行き止まり、掃き溜めかと文句を言いたい状況です。正に、どんぶりに、御飯とみそ汁と刺身を入れて混ぜて食べているような異常であることが認識されていません。矢印の量もそれほど大きかったのかも疑問です。

また、祖人Proto-Japaneseの祖代を、始まり青天井の「先土器、無土器」時代や世界で異なる「旧石器・後期旧石器」時代と呼称し、アメリカ先住民が話題となっているのに、北海道「岩宿人」時代などと訳分からない状況で放置している問題です。将来を担う大学生は、何故、日本始まりの重要な歴史が、一般的には「原始」時代としてさらっと描かれ、こんな歪んだ扱いの状況になっているのか、「日本史は応仁時代からで充分」などという現代の世界人類社会史の科学的な解明の進展に全く無知な傲慢をこそ、よく考えほしいモノです。

米国Erlandson博士(オレゴン大)は、最初のアメリカ人First Americansについて、主流であったシベリア~ベリンジア~無氷回廊の陸上ルート定説に対し、北太平洋沿岸進入説で異を唱え、少数派ながら昆布ハイウェイKelp Highwayや日米の石器の類似性などで自説を補強し、今では定説は覆されて沿岸進入が新定説と受け止め(7割)られています。勿論、鎌倉時代に登場のアイヌは、この先住民話に全く関わりありません。また、学校で教えず、出版物もない日本の状況は周回遅れです。http://www.sunda-wind.net/news/9748

オレゴン州立大のDavis博士は、昨年youtubeで北海道・上白滝遺跡の名を挙げて石器の細部の類似状況などを論じ、北海道からオホーツク沿岸陸地を図のように移住する具体的なルート図を出しました。日本祖代研究会では千島列島ルートを挙げており、米国の一部にはカムチャッカ半島からアリューシャン列島という近回りルートを示している動画もあります。しっかり支持するルートを説明して結論づけて提出しましょう。参考ヒント sunda-wind.net

図1考古学者は、「出アフリカの現生人類は北上し、約4万年前頃、フネ(筏)で家族が30~40kmの海を越えて北部九州にやって来た」説を支持、1万件を超える旧石器移籍が、南下して沖縄、北上して北海道を示しているのに、学校の教科書は何故かこんな重要な事を教えていません。

一部に38,000年前という者がいるのは、最古痕跡が図2黒耀石に係るモノなのでそう言っていますが、人類移住に時間を要すること、伊豆に降臨はアリエナイ事から、むしろはっきり誤りです。また、北海道にマンモス・ハンターが最初に来たように記述している本が多いですが、出アフリカ現生人類の4~3万年前のそんな痕跡は無い、これも誤りの歪められた北海道史です。図2は東京諸島の神津恩馳島の最古は38,000年前である黒耀石が、大島、河津町、そして三島~何と長野でも発見されている、海を行き来し交易していた、世界考古学史上の「金メダル」ですが、コレも教えられていない異常です。伊豆東岸から誰もかれもが容易に行けた訳では無く、おそらく専門集団が1日以上をかけて採取していたと考えられる社会性が注目で、教科書の毛皮パンツに槍持ちのヒゲもじゃ「原始人」などではありません。河津町の見高段間遺跡には、縄文時代の工房跡が発見されており、小学校の運動場は黒耀石を拾わないと危なくて使えないほど溢れていた筋金入りの状況なのです。

そして、この海民性からは津軽海峡越えは問題でなく、図3明治時代の調査で明らかになった北千島の「ルートン遊動海民」の状況から、3.5~3万年前に北海道に拡がった北海道祖人Proto-Japanese Hokkaidoが、次々に見えていた食の豊かな昆布ハイウェイを千島~カムチャッカから「最初のアメリカ人・先住民」Natives問題に関わった可能性 (米国Erlandson博士などが指摘) が、今、史界の注目(無論、鎌倉時代に登場のアイヌは先住ではなく問題外)なのです。世界に日本を発信、先生を「へ~」と言わせましょう。

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