アメリカ先住民祖先の「誰が?」については、①唯一と言っていいネット上のモノはロシア政府資金動画(2018年末版)で、②シベリアとの類似性をビジュアルに示しています。

「親戚か?」と疑問符が付いて断定せず学問的ですが、現生人類は皆親戚ですから、DNAが近いと言っている訳で、結局はシベリアからと結論付けています。
もっぱらDNA分析に基づくもののため、北米の大氷床を踏まえた沿岸ルートという考古学の側面を認識しておらず疑問が出ますが、影響力は大きいのでは。 ③左下図の一種族の共通性の 着色 拡がり、また、④生物・物理学者による 下図の シベリアからアラスカまでの探検に基く「両岸種族がコミュニケーションしていた」類似性の報告もまあ分かります。そして、⑤一部では、先住豪とシベリア民と 北米先住民と がDNAに類似性があると不思議な科学結果を付け加えてもいます。これは直接太平洋を渡っていないなら、日本列島ルートは注目でしょう。ロシア動画は残念ながら、シベリア一色で、北海道ルートは全く登場しません。指摘したいことは多々有りますが、問題は、世界ではなんとなくこのようなイメージだと思われる点です。これまでに何波かのアメリカへの進入があり、逆にアラスカからシベリアへ戻ったものさえありますから、「最初の」アメリカ人でなければ確かにシベリア類似でよいでしょう。⑥ 2.3万年前の子供足跡の祖先、「最初の」海辺の昆布ハイウェイ沿岸からやって来たアメリカ先住民となれば、考古学的な検討を欠いたロシア動画は疑問があり、日本学界は、北海道祖人Proto-Japanese Hokkaidoの関りを、学問発展のために候補としてはっきり挙げるべき(累次、当ブログで説明済)です。

世界発信の弱い日本は、こういう歴史に関する説明からも悪影響を被る恐れも無しとせず、問題だと意見を表明します。膨大なウポポイ予算から、海民性ある北海道祖人を世界の議論に紹介すべきです。


新聞TV・科学誌はもとより、40を超える動画でニューメキシコの子供足跡ニュースが伝えられ解説されていますが、それでは入って来た祖先は?について全く語られていません。

これは異常で、本来は「今後、この子供の祖先はシベリア狩猟族(B)か、北海道祖人Proto-Japanese Hokkaido(A)なのか、熱い議論になるでしょう」と結ばれねばなりません。何故、全く結びが無いのか? ①シベリア狩猟族と思ってきたが2.3万年前なら最寒期でムリ、もう訳が分からず。②アメリカ先住民は、「自分達は最初からアメリカに居た」と言っているので、触れて無用なクレームをつけられたくない。③シベリア狩猟族には疑問符だが、何しろ日本学者が日本からの事を何も言ってない。④ともかく最寒期で、その前に来たとも考えられ何とも言えない。⑤とりあえず専門家と大学関係者の公式発表だけで、問題はない。・・・色々考えられますが、日本学界が、北海道祖人の可能性をしっかり世界に発信して認識されていないのは罪深いことです。

今後の発見で仮に否定されることが有り得るとしても、現下の発掘遺跡、DNA分析などの状況から、何も発信して来ていないのは、学問に貢献しない態度だと意見を述べます。

日本人は何処から?近い隣の大陸・半島族と 、何故 違う?一部の米国学者は人類史最後の謎「最初のアメリカ人」関りで、北海道の名を挙げているのに、日本の教科書・教室・巷間本・博物館で は、何故 全く見聞きしないのか?

この1枚をゆっくり見てもらえば分かるでしょう(前回 sunda-wind.net 参照)。祖代は「原始でよく分からない」と何故言うのでしょう?大昔にしては十分分かってる方で、日本学界は周回遅れであり、始まり時代で日本史期間「60%」の祖代知らずに、縄文から昭和が分かった積りの人たち。東京・札幌オリンピックは、誤解を正し日本史を理解してもらう絶好の機会でしたが、アイヌをPRすることで果たされませんでした。真実へ一歩一歩、子供に世界に、膨大なウポポイ予算を北海道祖史研究や遺跡の発掘・保護に投じ、 国際共同研究を日本が主導して 世界に貢献。

右図Timesは、1.6万年前の遺跡から、『「最初の定住アメリカ人」はアジアの舟乗りだった』を見出しにしました。

その後、メキシコで3万年前の遺跡が学者の議論に、遂に先般、石器などと違い「少年たちや動物の足跡」、植物種子が2.3万年前と米国専門家・大学チームが発表し科学誌が報じましたが、長い間の「シベリア狩猟族がベリンジアから来た」イメージから、メディアはもとより、40を超えるyoutube動画も一切が、その祖先を語っていません。本来は、「足跡の子供の祖先は、シベリア狩猟族か、北海道祖人Proto-Japanese Hokkaidoか、今後熱い議論になるでしょう」となるべきところなのにです。大きな理由の一つは、これに関する日本側学界の発信が何もない(周回遅れ)からでしょう。①出アフリカからの現生人類史を考えれば、沿岸ルートA-1、一部が主張する内陸ルートA-2で、4万年前頃は似たような人々が30~40kmを渡海して北部九州へですが、シベリア南部からBは到達していません。実証最古は、②原産地が特定された東京諸島の神津・恩馳島Onbasejimaの良質の黒耀石が、静岡東部から関東、驚きの長野(良質・大規模原産地が所在)でも発見されており、年代測定の最古は38,000年前で、20~55km幅の海峡の様な海を行き来したことと広域の交易は、世界に類例のない考古学史上の「金メダル」なのです。

造舟、操舟、専門集団、交易などは、やがてこの地域で見られる陥し穴猟と共に、その知的レベルと社会性はもはや「原始」などでは全くありません。朝日新聞は「謎」と報じましたが、20km向こうの大島から東京諸島のかなりの部分は舟を引いて陸地を歩けますし、海流は今の様な北上する黒潮分岐流で房総の方から太平洋へ流される危険もありませんでした。③九州から南下しトカラ列島を越えて沖縄へ、2.7万年前の石垣島人骨から復元された南方Sundaland系の祖人・石垣島は、祖史時代の「曙海」沿岸の人々が同様であったでしょうから、祖人イメージを代表できます。因みに➃最寒期には海獣が、北海道に似て仙台あたりまで居ました。既に本州中央部で連接connectionが果たされていましたが、⑤本州北端の青森の特色は、太平洋側と大雪のなかった日本海側の北上による諸経験が合一する所で、文化程度が高かったことでしょう(ずっと後にも、最古級土器、高度縄文土偶などが出現)、狭くなっていた津軽海峡を越えて北海道に拡がりました。

⑥3万年前までには達していた十勝地域は、北上の継続により千島とオホーツク沿岸からベリンジアに向かった玄関口・ゲイトウェイと考えています。この十勝の石器が、⑦北陸のモノと似ていると言われており、興味深いことです。最後に、北千島とカムチャッカ半島南部に存在していて、明治時代以降に鳥居龍蔵らが調査した旧石器時代を思わせる遊動暮らしの自称“ルートン“海民は、十勝からアイヌに追われたと伝えられる「コロボックル」や祖人・北海道の子孫とも思われ、かつてはカムチャッカの広い範囲におり、カムチャダールに南端まで圧迫されたように思われます。半島中部のウシュキ遺跡の埋葬副葬品が、2万年前の函館知内町のモノと似ていると言うことが関連を思わせ、そこまで至れば、ベリンジア到達の可能性を窺がわせます。祖人は関りある有力候補であることを、子どもに世界に。いずれにしても今回の東京・札幌オリンピックに際し、各方面にこのような見解を伝えましたが、折角の機会に世界にPRすることなく終わった事は、大きな問題で大変残念です。令和の行政と学界・日本学術会議の「汚点」として、ここに記述し残します。

既に右図の特色ある「伊豆の海の行き来」など6事象は前回説明しました。

左図を見てください、実は現在の日本の夜景の名~神地域と、北海道の北と東を少し触りましたが、列島に拡がった祖代半ばの沿岸・川岸での暮らしの人々の所在イメージは現代に似ていて驚かれませんか。対馬暖流が流れ込んでいませんでしたので、日本海側に大雪が降る事も無く、出アフリカの現生人類も列島両側を同様のスピードで北上したことでしょう。因みに、北陸と十勝帯広の石器が似ていると言われています。そして中央部(東京諸島の神津恩馳島含む)に宝物の黒耀石の現産地が充実していたこともあって広い関東平野地域が輝いています。北海道・白滝、九州・腰岳、島根・隠岐の島、香川・奈良のサヌカイトなど各地の石器素材の充実もラッキーでした。厳密にいえば難があるでしょうが、子供や世界に参考にと発信したらよいと思うのですが・・・

新たに先史本が出ましたが、残念ながら列島史始まりの「祖代」については旧態依然であり、左図重要な伊豆の海の行き来、佐野市の環状キャンプ、陥し穴猟などの説明が説明されておらず、素気無いモノです。最終氷期最寒期LGMやその前の時代である日本の「祖代」を知りたいという世界のニーズには全く応えていません。

原始Primitiveという語は使用しないとしていますが、本の記述内容は原始時代です。既に世界の現生人類学では、右図「最初のアメリカ人」は昆布ハイウェイKelp Highway沿いに、ベリンジアBeringiaから北太平洋沿岸を南下して来た説が有力です。メディアでは、「アジアの舟乗りsailorsが最初のアメリカ人」と見出しが書かれています。そこに先日、ニューメキシコで2.3万年前の子供の足跡がと騒ぎになり、疑問符?は付いてますが、メキシコの3万年前の遺跡発表と共に、欧米学者もメディアも足跡の子供の祖先であるアジア人については見事に全く触れていません。アタマの中は、シベリアの狩猟人と思っているんでしょうが、発見遺跡の時代すなわち最寒期LGMのシベリア行動なんて無理、その前の3万年前頃となると、バイカル湖地域遺跡が2.4万年前ですし、その東北の北極海正面のRHSヤナ遺跡は3.2万年前ながら、一時的な使用という認識で全く遺跡も無い東方に移住を続けたとはみられていません。

当然、日本列島史・北海道史が正しく伝わっていれば、有力候補として挙げられ、今回の足跡発表も、「最初のアメリカ人は、シベリア狩猟族か、北海道祖人Proto-Japanese Hokkaidoか、混じり合いの複雑な祖先だったのか、今後の研究進展が待たれます」、となるところでしたでしょう。何しろ左図伊豆の行き来などは、その知力と共に社会性が注目されるレベルです。誰もかれもがフネを創り海へ漕ぎだした訳でなく、専門集団が居たでしょうし、鉄スコップも無く1mを越える穴を多数適切に配置する計画・指導力も上下の社会性を窺がわせます。3万年前の環状キャンプにはアメリカ先住民インディアンもびっくりでしょう。という訳で、学界は何故6事象を記述しないのか、子供に教え世界に発信し」ないのか、が今問われています。用語を正しくし、無論、鎌倉時代から登場のアイヌ先住民族という世界の誤解を解き、膨大なウポポイ予算からこの「最初のアメリカ人」に関わる「北海道祖人」などの国際共同研究にシフトし、子供に教え世界に発信し貢献すべきです。

「最初のアメリカ人・先住民」①に関わる事だけに、特に米国では新聞・テレビで報じられネット動画も考古学者の説明を交えて20近いモノが出ていますが、南のニューメキシコで2.3万年前という衝撃のせいもあるでしょう。これまでは、ベリンジアを巡る1万数千前の話でしたから。で、日本の新聞・テレビ・SNS動画などが報じない事が不思議な「謎」です。

実は、②既にシベリア・マンモスハンターが、ベリンジアから追って陸路で入って来た定説は崩れていますが、欧米ではそのイメ-ジを強く引きずっているためか、北海道(日本側の発信無し)、バイカル湖などを並べて検討、説明している
① 図はありません。今回は、③湿地における子供の様子(9~14歳)や多種の動植物を含めてよく復元されています。④テレビでは、既に絶滅した動物を含めて驚きの足跡の様子を報じていますが、それは足跡と種子の科学年代分析という議論になり難いはっきりした対象を、多くの科学者と大学研究者が関わって慎重に検討した信頼性が影響しているのでしょう。さて、本来なら、「沿岸から入って来て拡がった、この子供の祖先はB内陸のシべリア狩猟族でしょうか、それともA沿岸の北海道祖人でしょうか、今後の研究と解明が待たれます」となるところでしょう。

しかし、米国も全てのメディア、SNS動画が触れていません。最終氷期最寒期のシベリアの厳しい気候では来るのはムリ、そのずっと前だとよく分からない、北海道祖人Proto-Japanese Hokkaidoも聞いてないしよく知らない、というところでしょうか。もう、日本学界は罪深いと言わざるを得ません、①を見れば分かるように、古く遺跡充実のA北海道祖人は有力なのに、子供に教えず世界に発信していないのですから。膨大なウポポイ予算を、この研究教育と世界への発信に。国際共同研究の主導で世界に貢献を 。

It’s very strange, but no book, no TV program , no youtube movie at all on the beginning of Japanese History, “Sodai” era before Jomon. Proto-Japanese “Sojin” should be paid attention more in discussion on First Americans, as surprising discoveries continue recently.

①They crossed the Izu sea to get obsidian at Tokyo Islands and exchange in broad area f region since 38,000 years ago! ② Bones, 27,000 BP were found in the Ishigaki island, Okinawa. Those weren’t so different from the Sundaland type. ③ Polished stone tools, found in all over Japan are 10,000 years earlier than those in Middle East and in Europe. ④ Remains of Stone tools’ fragments were discovered in Sano city and those indicate ancient circle camp life just like a native Indian’s. ⑤Trapping pit hunting holes were discovered in sites from south to north. Big and many holes were made without metal shovels, in well organized settings. ⑥ Old fishhook were found in south island.

Proto-Japanese crossed the narrow Tsugaru strait and migrated to Hokkaido, prevailed along “Kelp Highway” of rich maritime materials by 30,000 BP and seems to have continued going up north to Beringia, because Putin wasn’t at that time.

左図わが国の歴史の始まり時代の「祖代」、つまり縄文の前の教育は問題です。まずは名前が旧石器時代なら世界では250万年前から、後期旧石器時代と呼んでも始まりの約4万年前からと理解する世界の学者はいないでしょう。始まり時代の「祖人」Proto-Japaneseも、旧石器時代人を英語にしても通用しません。これらの用語の不確かな事が、その時代は「よく分からない」、「原始時代」という誤りに基く簡単な扱いに繋がっています。

始まり時代前期でも 500件を超える 遺跡は世界でも断トツで、「いつ」・「誰が」・「どのように」を、小学生高学年レベルで十分に理解できる誇らしいモノなのです。38,000年前から黒耀石を求めて伊豆の海20km以上を行き来した、その造舟、操舟、工具作り、採集した石の交易、「おそらく専門家集団」の成立などの社会性を見ても原始などではありません。関東・甲信越の賑わいは今を彷彿させ、沖縄・静岡の人骨などで、実証性も十分です。特に右図アメリカのニューメキシコで2.3万年前の子供の足跡が発見され、ベーリング地峡南岸から北太平洋沿岸の食豊かな「昆布ハイウェイ・Kelp Highway」ルートと考えられる「誰が」「どこから」入って来たのかは世界の論議です。発見された時代は、最終氷期最寒期LGMであり、一般にそれまで考えられてきたシベリア狩猟族は、東部で行動できませんでしたし、それでは寒さがやや緩和されていたもっと前の時代(3万年前頃)としても、遺跡数・沿岸進入の条件などを考えれば、北海道祖人は有力候補(図の青点線ルート)なのですが、よく教えられもせず、世界にしっかり発信されてもいないのです。

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問題は左図2.明治時代のお雇い欧米学者などに端を発する、無縁なアイヌ(鎌倉時代からー北海道大学DNA分析)がこの時代に関する世界の議論に登場する大きな誤解があります。今もって彼ら白人系コーカソイドと類縁と言う誤解もまかり通っているのです。また、北からマンモス・ハンターなど来ず、北海道史は遺跡が示すように、青森から狭くなっていた津軽海峡を越えて始まったという当たり前のことが歪められている周回遅れの現状なのです。この時代を教育する多くのyoutube動画も酷いモノばかりで、原始の誤解を拡散している大きな問題(正しても削除される)です。膨大なウポポイ予算を、意義ある祖代・祖人・「最初のアメリカ人」関りなど重要な始まり時代の問題の国際共同研究・貴重な遺跡遺物の保護に振り向けましょう。

米国New Mexicoで発見された最終氷期最寒期LGM(2.6~1.9万年前)時代の確かな子供の足跡に、世界の学者が驚き沈黙です。

コレを分かっていませんので。

図の様な寒気・乾燥の厳しい時代に、シベリアの狩猟族がベーリング地峡(ベリンジア)に入り、米新大陸内陸の無氷回廊(Ice Free Corridor)の未だ開通していないのにどのように入って存在し得たのか、公言できる整理がつかないのでしょう。しかし、かねて日本祖代研究会(SGPJ)が指摘していますように、3.5~3万年前には青森から当時は狭くなっていた津軽海峡を越えて、既に東北で経験済みの雪と寒気と海獣等食材の北海道に適応して拡がり、昆布ハイウェイKelp Highway沿いに北上を継続してベリンジアBeringiaに向かい、北海道祖人Proto-Japanese Hokkaidoが、アメリカ新大陸の沿岸を入って行った可能性を考えれば驚くことではありません。学界は、子供に教え世界に発信です。

無論、シベリア狩猟族が動けたような寒さがやや厳しくなかった3万年前頃に入ったという可能性はありますが、バイカル湖遺跡は24,000年前頃でムリ、北極海正面のRHSヤナ遺跡は32,000年前頃乍ら一時的な利用で東進移住したとはとても考えられません。いずれにしても北海道に比べれば、シベリアには匹敵する遺跡は発見されてません。他方、気候変動でそんなLGM時代ながら一定期間、シベリアが温暖化した可能性も無いわけではありませんが、ともかく北海道に注目すべきで、①シベリアしか思わない、②アイヌ (鎌倉時代・12世紀登場―北海道大学のDNA分析) と言う誤解、がある世界に、今こそ伊豆の海を行き来(3.8万年前~)し、沖縄に人骨(3.6万年前~)を残した日本祖人Proto-Japaneseの祖代史を、学界は世界に発信して論議に貢献せねばなりません。「まだはっきりしないから」で沈黙を続けるのは学問の否定であり、子供に対する責任の放棄です。膨大なウポポイ予算を国際共同研究に振り向けて、そろそろ世界について行くだけでなくリードしましょう。

アメリカNew Mexicoで、図右2.25万年前(最終氷期最寒期LGM)の子供の足跡が発見されました。9.23日付の科学誌Natureが報じています。

発表の時期はLGM期間中ですから、内陸無氷回廊は未開通であり、1図 B内陸狩猟族のシベリア行動は極めて困難ですから、赤丸北海道・アムール河口からの沿岸海民族系の北上となります。さもなければ、3万年といったオーダーで、少しでも寒さが厳しくなかっ時期に入って行った事が考えられますが、Bでは、バイカル湖遺跡が2.4万年前でムリ、北極海正面のRHSヤナ遺跡は3.2万年前ですが、一時的な使用で東進移住して行ったモノとは考え難く、ベーリング地域のチュコトなどの遺跡は、せいぜい温暖化後の1.5万年前レベルですから痕跡は有りませんので、疑問です。という状況で、青森から狭くなっていた津軽海峡を越えて雪と寒気と食材等に 3.5-3万年前 には適応していた北海道祖人Proto-Japanese Hokkaidoは、事がアメリカ新大陸に沿岸進入ですから、海民系として 引き続き有力候補に はっきり浮上です。

 

1図母系のミトコンドリアは出アフリカ後、東進した沿岸から河川を北上遡行・西進遡上していることに注目であり、日本は旧石器遺跡(この検討に関わる500件以上の圧倒的に充実の遺跡状況)も示すように、沖縄への南下、北海道への北上史なのです。

そして赤1点鎖線で区分されるA:沿岸海民族とB:内陸狩猟族を認識することが重要で、それぞれがベリンジアに向かう「最初のアメリカ人・先住民」検討に必須です。2図父系も同様ですが、日本の発信不足か、カットされているのが大変残念です。出アフリカ後、東進して熱帯雨林でも暮らせて変化した「インマレイド」が、ユーラシア東部をインド洋沿岸から北上し太平洋西岸から西進して、やがて内陸で寒冷・降雪・強風の環境に適応し「モンゴロイド」化したことが重要で、やがてこの南下が大きな影響をアジアのみならずアメリカ新大陸にも及びます。3図は始まり時代の父系始祖が、遠く離れた日本、チベット、アンダマン諸島で類縁性が見られ、遺伝子の浮動の可能性は有り得るものの、最古級の痕跡が人里離れた高山、離島で維持されたものとも考えられ、日本語が隣国と違う孤立的であることもこの古さから理解できます。

以上のことなどから、4図巷間本・博物館にみられる3方向黒線渡来図「日本人は何処から?」は、世界の移住常識からすると、学生・生徒に「北上史」を認識させない誤解を与える誤り図であり、世界が期待する「最初のアメリカ人・先住民」検討に参加しない「閉じこもり」問題図です。また、外国の資料では、アイヌが鎌倉時代に登場(北海道大学DNA分析)を全く知らない、「先住民族」という誤解があるのは、歴史検討の大きな問題です。世界に発信し、世界人類史の国際研究に、膨大なウポポイ予算から充当し、日本は貢献すべきです。

1図出アフリカ後に東進、私達の揺り籠(Sundaland)で沿岸・熱帯雨林暮らしでインマレイド化(ジンギスカンに驚かされた欧米学者の旧モンゴロイドの名称は不適切)して北上、西進と新大陸渡米に注目です。

2図は白線の最終氷期最寒期LGMの線で、2万数千年前から1.9万年前頃までは移住はムリでした。従って、基本的にシベリアからの東進移住はLGM後の温暖化してからという事で、最初のアメリカ新大陸進入に北海道北上ルートが挙がっています。また、やはり西進です。3図は、Sundaland遺跡7万年前、続く学者が驚きの急行で約90km渡海のニューギニア、豪への進入です。日本に来る前に人類は渡海能力を有していたことが注目されます。バイカル湖地域遺跡2.4万年前、青森から北上(津軽海峡は狭かった)した北海道3.5~3万年前、シベリア北極海正面のRHSヤナ遺跡は3.2万年前ながら一時的とみられ(東京大 海部教授)、沿海州地域は1.5万年前程度ですから、始まり時代の樺太から北海道南下は考えにくく、マンモス・ハンターも来ませんでした。「最初のアメリカ人・先住民」問題では、北極海の冷水が陸峡ベリンジアでstop、南の「米臨海」に流れ込まなかったので正にハワイに続く海であり、沿岸北上を支持します。ベリンジアは、英国チームが、南は海水面低下で島々が現れた「一時的列島(Temporary Archipelago)」であったと考えられ、どんどん水面が上がる状況に追われるように東進し新大陸進入の説を出しています。そして、おそらく南北米大陸沿岸を急速にチリ・モンテヴェルデ遺跡の方へ南下したのでしょう。

なお、明治の時代でも石器を使い竪穴住居に入り、カムチャッカ南部と千島列島で旧石器時代人のように1000kmの「遊動」暮らしをしていた「ルートン海民」が、海のスペシャリストで近代になってやって来たロシア人をビックリさせたアレウト族を思わせ、北海道祖人Proto-Japanese Hokkaidoの北上可能性を支持します。そして、一般に軽視されている言語について、元日本言語学会長の松本克己博士は、東部アジアとアメリカに共通する環太平洋言語圏の特性(RとLの区別が苦手など)を挙げられています。、4図巷間本は、列島に閉じこもるような南①・西②・北③の3方向黒線渡来図が誤りで、①は慶良間ギャップを越えられず、②西も内陸ルートが有ったにしても実際にはインマレイド系で大差なく、③は、沿海州が北海道より新しく、誤解のある「マンモス・ハンター」も来なかったので、これまでの1・2・3図と符合せず、伊豆の海を行き来した38,000年前の古い活動と北上史の列島拡がりの動きを説明できていません。そして、重要な事はその後の渡来を含めて、 祖代・縄文時代に基層となった 日本祖語文化の
近隣と違う孤立的古さの成立や「列島発・自醸成」文化の重要性が認識されていません。5図は世界史界論議の「最初のアメリカ人」について、遺伝子学者は「ベリンジア滞留説」を唱えており、先入・後入の区分ができ、北海道祖人が沿岸から先入の可能性があるという訳です。結論的に、現生人類移住史は、北上から最後の影響大なるモンゴロイドの南下までとなります。

最新の出版でも、依然として誤解を招く左図のような内容のモノとなっており問題です。

日本始まりと時代が違うモノを混ぜている、出アフリカの黒人が東進して南方から北上した基本が示されておらず、南方から河川を遡上したことも考慮されていません。日本列島史は、北上と約2万年の定着という、例えば雪と寒気の北海道であっても南方型住居という特性がある日本の隣国と違う基礎が理解されません。何よりも「北海道祖人Proto-Japanese Hokkaido」が外に出て行かない閉じ込めが問題で、「最初のアメリカ人・先住民」の検討を阻害していることです。図中央下、アジアの揺り籠と言われるスンダランドの古い発掘遺跡、図右DNAの南方からの拡散による北上・西進・渡米の状況など、出版本はかみ合わない、説明不足の自閉の周回遅れで、子供に世界に実害です、止めましょう。マンモス・ハンターも騎馬民族も来なかった、日本列島における南方北上・継続の万年の基礎の上に、大陸・半島の争いから逃げるように五月雨に入って来た人々を溶かし混じえて進んできた、孤立した日本語が示す古い文化・習俗の歴史なのです。(会員からの質問への回答とも致します。)

前回、右図男女の遺伝子DNAの拡散①②から北海道が注目される③を説明しましたが、実は左図スンダランド地域における考古学上の発見も、それに沿った内容となっています。

地域ではスラウェシ島のマロスで世界最古(4万年前)の洞窟に描かれた手型、更に動物絵や島内の洞窟から人が乗った帆掛け舟の絵まで発見されて、旧石器時代の洞窟芸術を誇る欧州を、世界を驚かせました。その西方では、あのジャワ原人発見の蘭人デュボアが、かつてスマトラ島の中央西南部パダンのLida Ajer遺跡で人の歯を発見していましたが、近年、最新のウラン系列放射年代測定法で新たな資料を含め詳細な分析を行った結果、6万年(これまでの出アフリカ年代)以前の現生人類の痕跡として、歯はインマレイド(旧モンドロイド名称は不適切)のモノで、7.3~6.3万年前という判定をしました。これにより、北ラオスの7~6万年前の痕跡やスマトラ島のトバ大噴火前の現生人類の進出などが確認されたとしています(フィリッピン北部の7万年前痕跡も)。そして、発見場所が中西部沿岸の都市パダンの高地であることから、現生人類は海岸を行動したのみならず、当時の環境を考えると生活はムリと言われていた熱帯雨林(最近、スリランカで4万年前の遺跡を発見)の洞窟にいたことから、食料に適した動植物の取得が難しい地域で、計画力と人工技術をもってで暮らせる識能を有していたことが注目されるとしています。

正に私たちの揺り籠と言われるスンダランドで想定されたとおりの遺跡・遺物の発見で、北上して日本列島を経てアメリカ新大陸までの繋がり説が補強されています。アメリカの方は、進入してから早い速度で南米南端まで舟で達したと考えますので、環太平洋移住Migration along Pacific Ocean Rim-MPOR説が、はっきり補強されたと思っています。ところで、マロスにしてもLida Ajerにしても日本の学者こそ中核で貢献してほしいですがオーストラリアがリードなのです。貴重な学術予算で意義の少ない「戦時契約慰安婦」の研究がなされているようなことは、誠に残念です。ともかくスンダランド史から子供に教え、政府はウポポイ予算も含め、環太平洋TPP歴史考古研究に予算を投じて国際研究を進めてもらいたいものです。

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