英ケンブリッジ大 Professor Eske Willerslev ・ Lundbeck Foundation GeoGenetics Centre 等は、シッティング・ブル(1831~90年、本名タタンカ・イヨタケTatanka Iyotake:大酋長・統率者は白人の誤解、戦士であるが部族の調停者・偉大な呪術者、ララミー砦条約時代の有名なNativeインディアン)の 5-6cm piece of Sitting Bull’s hair のDNA分析(This research was funded by the Danish National Research Foundation)により、Ernie Lapointeさんを現存直系で最も近いと「ひ孫であることを認定」したと Science Advances が報じました。

Autosomal DNA from Lakota Sioux leader Sitting Bull’s scalp lock was compared to DNA samples from Ernie Lapointe and other Lakota Sioux.

Sitting Bull’s bones currently lie at a site in Mobridge, South Dakota, in a place that has no significant connection to Sitting Bull and the culture he represented. He also has concerns about the care of the gravesite. There are two official burial sites for Sitting Bull – at Fort Yates, North Dakota and Mobridge – and both receive visitors.

With DNA evidence to back up his claim of a bloodline, Lapointe now hopes to rebury the great Native American leader’s bones in a more appropriate location.

問題は、左図の人たちの顔とブル・イヨタケの顔の関連をどう理解しますかというモノです。次回に説明します。

現生人類は、出アフリカから東南アジアに東進し変化した「インマレイド系」が北上し、寒気・雪・強風に適応して右下「モンゴロイド」に大きく顔も身体も変化。写真からは、日米の古い人々は「インマレイド系」、また、日本列島人はまあゆっくり変化で今に。

米Harvard・ハンチントン教授、田中英道教授等の慧眼が理解されない一端は、 祖史の無理解にあります。 残念ながら学問的に強い実証を強いられる、関連する国内名著の関心記述にあります。

図右上段、確かに静岡県河津(桜の名所)の縄文・見高段間遺跡は黒耀石の工房があった素晴らしい遺跡ですが、世界の関心は38,000年前からの大昔にフネを造り(伊豆の木材は船材として有名)操って、①(おそらく専門集団が)伊豆の海を行き来し、②静岡東部から関東・長野でも黒耀石が発見される広域の交易の痕跡が金メダルですが、「よく実証できない」と広く世界に伝えられていません。始まり祖代は、黒潮が四国沖で太平洋に東進し伊豆には来ていませんでした。従って、むしろ親潮の分岐流があったか、流れのない状況で、重要な伊豆半島東部~大島の最短距離を漕いで行っても、今のように相模灘から房総沖へ流され、太平洋にもっていかれて漂流する危険はなかったのです。大きく見える大島に漕ぎ出せば、ともかく諸島に達し、神津・恩馳島で黒耀石を採取した帰りは宝物を積んだフネをかなりの部分で海岸沿いに引き、所によっては漕いで大島に至り、そこから漕ぎ出れば流されても伊豆(分岐流が有れば河津)に戻れたので、不思議でも、朝日新聞が報じた「謎」などでもなかったのです。更に、この地域(静岡~神奈川)では少なくとも3万年前と言う古さで企画・穴作り大作業を要する「陥し穴猟」があちこちで行われている高い認知レベルにあり、「原始」などではなかったことが重要です。

そのことは、 3万年前の航海として、台湾から黒潮を渡って沖縄・与那国島に渡海する貴重な実験航海がなされ記述出版されていますが、 そもそも図右下始まりの約4万年前に北部九州に多くの家族が30-40kmの海を越えて来た祖先の事が、世界的には注目すべき事柄なのです。問題は、①日本始まり祖代は約4万年前で海水面低下で生じていた「曙海」沿岸と「北東ア平野」と出アフリカの現生人類の北上の認識、②対馬と壱岐から五島までの当時の海岸線までの30-40km(陸地で繋がっていたは誤解)を越えた、③多くの家族がフネ(筏)で渡海して来て、その北部九州を起点に沖縄から北海道にまで拡がり、④今、2.3万年前のニューメキシコ子供足跡発見で改めて注目されていることなどが、国内で祖史がしっかり教えられていません。

子供に教育し、世界に発信し、国際共同研究で特に北海道の祖史の研究充実を。

米ニューメキシコの2.3万年前の子供足跡発見に学界は沈黙で、それは「最初のアメリカ人」はシベリアの狩猟族マンモス・ハンターとしてきたのが、どうも疑問だからでしょう。

発見の時代は最寒期LGMでシベリア東部の移住行動はムリ、それより早い時代だと無論考古学的に移住遺跡は無い(一時的使用とみられる1ケ所のみ)し、そもそもアフリカを出てから到着できたのか、また、北米は長く氷床で閉ざされ沿岸進入となるが、冬の北の海で海水に浸かれば死を意味する事から、マンモス・ハンターが小舟を操り猟をするのもイメージがしっくりしないのでしょう。そして今、北米で既に発見され、人骨の造形が復元されていたモノが実は注目なのです。欧米学者は、み~んな「モンゴロイド」としているので気づきませんが、前回説明のように、1.南方インマレイドと、北上して来て寒気・降雪・強風に適応して大きく身体変化した2.北のモンゴロイドでは違っていて、米国南西部で発見されていた古人骨復元写真は、南方インマレイド系の顔立ち、即ち日本祖人例(27,000年前の復元石垣島祖人)と同類なことが分かります。すると、ゲートウェイ北海道の祖人Proto-Japanese Hokkaidoは、候補に はっきり 挙がります。

①そもそも、30~40kmを家族で越えた北部九州への渡海始まり、②3.8万年前からの黒耀石を求めた伊豆の海の行き来、③仙台以北、津軽海峡越えで海獣猟や海藻などの昆布ハイウェイ暮らしに既に適応、④明治時代の調査で驚かされたアイヌではないルートンの旧石器時代の様な「遊動」海民の暮らしの存在などから、ベリンジアへ北上を継続して行き、一時的列島(Temporary Archipelago,英ケンブリッジ大等の命名)からの進入にぴったりです。今、世界人類史の研究最前線で、北海道祖人・祖史が注目で、日本祖代研究会SGPJの環太平洋移住MPOR説も補強されています。 日本学界もこれに積極的に参加し て周回遅れをキャッチアップし、世界に発信、子供に教育、国際共同研究の主導を。

「最初のアメリカ人」を数千年前の昔に遡らせ、世界の学者先生はアタマ抱えてコメントしませんが、出アフリカ黒人が東進してインマレイド、1図南方から北上して寒気・雪・風に適応し変化したモンゴロイド(2万数千~数千年前に変化)にという、移住の流れを「新・旧モンゴロイド」と言う誤解の元の欧米用語を正して理解すれば見えてきます。

2図ニューメキシコの足跡子供の他に古い人骨として、テキサス州のリアンダー女性、加州のロス女性の復元はモンゴロイドではなく南方インマレイド北上系を示しており、大いに議論を呼んだ米北西部コロンビア川岸のケネウィックマンは、①南方インマレイド北上系と②ミックスの2つの図があり興味深く、これら3人骨を考えれば、足跡子供は南方インマレイド北上系、つまり日本祖人・石垣島に近いことが導かれ、環太平洋移住(MPOR)説を支持し、日本からのゲートウェイの北海道祖史、北海道祖人Proto-Japanese Hokkaidoが注目なのです。

ともかく世界に発信して人類史オリンピックに参加、子供に教え、国際共同研究の主導を。

1図、現生人類史は出アフリカからの東進・北上(着色矢印)により、海辺・熱帯雨林暮らしなどで変化したA:南方インマレイドが、西方からの種族(B)も混じえて寒気・降雪・強風などに適応し大きく身体変化したC:モンゴロイドとなりました。

これを、ジンギスカンに心胆を激しく寒くされた欧州学者が、モンゴロイド旧、新という大雑把な区分で命名したのが誤解の元で分かり難くなっているのです。2図中央にモンゴロイドの特色ある人物一例図を出していますが、左側の日本における南方系の祖人から縄文人と異なることがよく分かります。問題は、今回アメリカ・ニューメキシコで発見され2.3万年前の子供などの足跡について、祖先は誰なのかです。一般人はもとより欧米学者も、「最初のアメリカ人」は内陸が大氷床に覆われていた時代なので北太平洋沿岸から「昆布ハイウェイ」を入って来た(沿岸進入説)と多くが考えていますが、それでは人はなるとシベリアの狩猟族と思っているようです。しかし、今アメリカ古人骨で復元されているのを見ると、9,500年前のテキサス州リアンダー・ウーマンもカリフォルニア州ロスアンゼルス女性も見て分かるように南方インマレイド北上系であり、その上の9,000年前で少し新しい、論議を呼んだケネウィックマン(ワシントン・オレゴン州境コロンビア川で発見)は、2つ図があり①南方系Aと②混在ACになっている大変に興味深いシロモノです。

この3人骨から導かれる結論は、2.3万年前足跡子供は、どれかと言えば石垣島人骨に近く、モンゴロイドではアリエナイ事が分かります。従って、発見に際しいつの時期のどんなシベリア狩猟族だったのか、そして何よりもゲートウェイ北海道の祖人Proto-Japanese Hokkaido(3.5~3万年前以降)が浮上し簡単な紹介が付記されねばなりませんでした。今後の注目点ですから。問題は、世界が不勉強なのではなく、学界が世界に祖代史、伊豆の海を行き来した子孫の北海道祖人について発信していない事なのです。

日本の祖代は大昔にしては十分に分かっている方(1万件を超える旧石器遺跡の分析から。近隣は数十件)なのにです。子供教え、世界に発信し、国際共同研究の主導を、です。

子供に内容充実の日本史始り祖代の年表(1万件を超える旧石器遺跡の分析による。例えば隣国は数十件)で教えましょう。よく分かっていないと、重要な始まり時代が「原始」として軽く流され放置されている巷間本等は、周回遅れの大問題です。

メキシコ(3万年前?)やアメリカ・ニューメキシコにおける2.3万年前の足跡発見で、最寒期にベーリング地峡からマンモスを追って無氷回廊から入って来た(従来の定説)のでないことははっきりです。人類展開移住史の最後の謎、「最初のアメリア人」は、北太平洋沿岸から、「誰が、いつ」について、今再検討で、北海道祖人Proto-Japanese Hokkaidoは、はっきり候補として浮上です。約4万年前に北部九州に渡海してから始まった日本列島祖代史、特に伊豆におけるフネでの行き来や交易、始まりの北海道祖代史は世界史的に注目なのです。従って、世界に発信する日本史の始まり祖史は、出アフリカから北部九州に至る前座と、北海道から昆布ハイウェイの北上を継続しベリンジア・アメリカ新大陸に至った「最初のアメリカ人」関りの可能性の末尾も付加しましょう。日本史の60%(最近知られるようになった宇宙の「ブラックマター」の如く)を占め、世界史において、今や日本文明(ハーバード大 Dr.ハンチントン教授)と呼ばれるようになったことの基盤(縄文時代と共に日本文化の基層)である重要性もです。世界史に貢献を、子供に教育を。国際共同研究の主導を。

巷間本・動画などが、「原始」扱いでサラッと流す祖史・祖代ですが、②どこから? ③伊豆の海における祖人の偉業、①人間理解の基本である環太平洋の言語の共通性という特色から、祖史・祖代 の理解が進んでいます。

一方で今、新し気な鳴り物入りのインド太平洋構想で欧米から艦隊がシナ海で行動し、環太平洋パートナーシップTPPには入りたい入れろ入れるなの協定交渉を巡って賑やかな騒ぎの時代です。 実は、万年前からの祖先の動きの温故知新なのです。そもそも物事は、始まりをよく知らずしてその後の何を語れるのか、です。(注:MPOR(Migration along Pacific Ocean Rim) 説とは、最初の現生人類が出アフリカ後に東進、東南アジアSundalandから北上し、米臨海のベリンジアを経て、アメリカ新大陸を南下して南米南端までの「沿岸」、昆布ハイウェイKelp Highwayにも着目する展開移住ルート説)

祖代・祖人Proto-Japaneseを論じてきました。米国の日系4世がハンバーガーを好み日本語はしゃべれず、星条旗のために闘う人ならば、彼はどんなに私たちと姿・形や何よりDNAが似ていても、日本人ではなくアメリカ人です。

①最近ややもするとDNAで全てが分かったかのように、類似性をその違いを殊更に強調する教授が居ますが傲慢な誤りです。巷間本なども分からないとして、「言葉」について語りませんが、元日本言語学会長の松本博士は、優れた研究で普通(せいぜい8000年前くらいまで) では辿れない コトの痕跡を捉えています。アメリカ教授は知らないでしょうが、例えば、私達が教室で苦労するRとL、図のA系であるアメリカ先住民も苦労するのです。この「環太平洋語族」という博士の認識をTPPで騒いでる人たちが分かっていない事も、予算を投じ日本がリードして研究・普及していない事なども問題です。そもそも日本語はどこからで口角泡を飛ばしていますが、②出アフりカ(言葉をしゃべっていた) から 東進、北上した人類史の歩みから、概ねの結論は図を見れば出ていて子供に教えればよいのです。

③3.8万年前に宝物の黒耀石を求めて伊豆の海を行き来し交易していた事実が何故重要かと言えば、造舟と操舟の能力、争いもなく宝物の広域の交易をしていたことは、当然、そんな大昔から会話していたことを、海フネ山川太陽月星動植物・・・、名があった (北海道でも) に決まっています。3.8万年前から続いている日本祖語という基層に、高々1世紀から入った漢語・漢字を、12世紀からのアイヌ語を殊更重要なように言うのは笑止な事です。九州にアイヌ語がって、それ逆ですよ。今、習近平が日本語の使用は禁止だと命ずれば、中国におけるちょっとした政策や、経済活動、諸研究にたちまち齟齬をきたして立ち行かなくなりますが、それで、中国語なんて最早ない、あるのは日本語などと言う者は世界にいません。松本博士の労作について、予算を投じて更に国際共同研究で発展させ、成果を子供に教え世界に普及すべきです。

日本史の始まりを扱う巷間本・動画は、現生人類が出アフリカ東進から北上した北部九州への渡海の歩み、ホントの始まりを記述していないので、その後の特に「曙海」を巡る古代史(魏志倭人伝など)がよく理解されません。

じっくり第1・2図を見てもらえば説明は要らないでしょう(既述)。そして北上した北海道から、プーチンはいないので食豊かな処女地の北上を続けアメリカ新大陸に至った可能性が、米ニューメキシコで2.3万年前の子供などの足跡が発見された騒ぎで、今、史界の注目なのです。

ただ、リードした欧米学者が、ジンギスカン侵攻の衝撃から、下2図大味に新・旧モンゴロイドと用語を定めたのは問題で、出アフリカからスンダランド地域で変化したインマレイド(古)が先ず北上し、北で最終氷期最寒期LGMころ以降に寒冷・降雪・強風に適応したモンゴロイド(新)に変化発生し、これが多様に東南アジアまで南下していることが特色です。

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日本史は応仁の乱からで十分って井の中の蛙の傲慢で、変わったのは科学技術・生活であり、人間は万年それほど変わっていません。子供に教え、世界に発信です。

図左現生人類・日本史の始まり時代の扱いに問題のあることが、前回までのアメリカ教授がJomon以前の事や特に1図伊豆の海の行き来を知らないのではと思われる原因でしょう。

折角の考古学辞典は、環状ブロック群や陥し穴猟を採り上げている「文化会」の制作なのに、タイトルが旧石器なのはヘンです。おそらく旧石器「時代」を意識したのでしょうが、それなら2図当時と今の重要な環境変化(一例赤丸)の記述は必須です。更にできれば(すでに説明の)、イブ仮説、出アフリカ、スンダランド、インマレイド・モンゴロイド、パンカル海・曙海、北東ア平野、慶良間ギャップ、黒潮の四国沖東進、・・・、「最初のアメリカ人」、無氷回廊など、扱い時代の世界祖史の中の日本分の理解に必要なキーワードを含めてほしいものです。次の日本史把握に意義ある先史時代では、縄文・弥生などと並ぶ「旧石器」が違和感ある問題で、世界では旧石器は250万年前から縄文にまで食い込んでおり、後期旧石器と正そうとしてもその時代認識は世界各国でずれがありますので、Jomonの前の先代、始まりの「祖代・祖人Proto-Japanese 」とすべきでしょう。なお、縄文・弥生・古墳の表現は、検討されているようです。

また、前回まで説明の1図伊豆の海の行き来と交易の文化・社会性は、「原始」ではありません。


そもそも30~40km以上の海を越えて家族が北部九州に来た始まりの祖代に沖縄から北海道にまで海・海峡を越えて拡がった特色に注目すべきで、その造舟・操舟の能力と広域の交易は、世界の「原始」のイメージと異なるもので、よく分かっていない、実証されてないと記述しないのは不適切です。 そしてこの度のアメリカにおける2.3万年前の子供足跡の祖先問題で注目される沿岸の「昆布ハイウェイ」Kelp Highwayを扱うことも極めて重要で、既に何年も前から世界人類史では認識されているのに日本学界では扱われていない周回遅れです。

当時は北極海の冷水が「米臨海」に流れ込まない、正にハワイに繋がる海でした。最後に、今後日本において、原人やデニソワ旧人の痕跡が発見されるとしても大騒ぎすることなく、我々の直接の祖先である現生人類・新人があくまで日本史の対象であり、要すればそれらの新発見は、前史として扱うべきです。また、北海道にマンモスを追って入って来たと言うのは誤解の元ですし、鎌倉時代に登場でコーカソイド・白人種ではない(北海道大学のDNA分析)アイヌに対する世界にみられる誤解も正されるべきです。「野史は書いたところに偽があり、正史は書かないところに偽が」(石川淳)だそうですが、正しい充実内容が書かれた日本祖史をもっと子供に、世界に発信。

右図世界が驚いたニューメキシコでの2.3万年前の子供などの足跡発見で、「最初のアメリカ人」に関し、青い線の沿岸移住図が動画に登場しています。

前回アメリカ教授の「縄文人ではない」見出しをミスリードと指摘しましたが、基本的には、左図青A日本列島ルート(A-1行くて次々に島が見える千島・クリル列島、A-2オホーツク海沿岸北上)、又は赤Bユーラシア東部内陸東進ルート(シベリア狩猟族などが)が挙げられます。ここで、日本でも新聞は謎と報じ、学校でもよく教えられていない、3.8万年前からの黒耀石を求めた左図下、伊豆の海を行き来した伊豆祖人Proto-Japanese Izu(縄文以前で、勿論鎌倉時代から登場のアイヌではない)の活動を知っていますかということです。東京諸島の神津・恩馳(おんばせ)島の良質な黒耀石が沼津地区や関東、同じく原産地の驚きの長野でも発見され、1.原産地特定と2.年代測定により、史界で認定されています。①当時は海水面が数十m低く、東京諸島の島々が拡大(大島はそれ程でなし)して繋がりが生じ、伊豆半島との間は‟海峡”のようでした。②当時は黒潮が四国沖から早々と東進して離れていましたので今の分岐流の北上は無く、従って海峡を渡ろうとする者が北に流され房総沖から太平洋にもっていかれる漂流の恐れはなく、あれば北からの親潮分岐流でしたから、最狭(17km)部で大島などを目指せば問題無く諸島に至り、帰りも大島からなら半島にたどり着きます。③謎でない一番の事は、諸島側では浜辺を綱でフネを引いて歩けば行きも帰りもずっと漕ぎ続ける苦労はないという実行の可能・容易性です。フネも、伊豆は歴史的に天皇に献上するほどの船材木の良材の産地であり丸木舟は作れ、図の様な動物の皮だったろうという説もありますが、いずれにしても問題なく造れました。操舟は、そもそもが祖人は、下図1. 30-40kmの海を越えて家族が北部九州に達して始まった海民性ある人々ですから、これも問題なく、謎ではないのです。

因みに、黒耀石を一杯積んだフネは、最狭部の大島から漕ぎだすと流され河津(桜の名所)に至ります(図赤点線)が、実はここは次の縄文時代には、黒耀石を加工する有名な工房があった所(見高段間遺跡)なのです。

無論、フネもルートも、海面上昇もあり実証は出来ませんが十分納得でき、はっきりしないから謎であり、記述しない教えないは、学問として「間違いです」。更に、この行き来の注目点は、 ①おそらくフネで行き来したのは専門集団でしよう。誰も彼もが浜に来てフネをしつらえ渡れるものじゃありません。②苦労して木材などを調えてフネを造り、持ち帰った良質の貴重な黒耀石の広域における交易には、個々の行動ではない社会性があります。③この「ダイヤモンド」を巡る活動が、争いも無く行われていたことは、この近くでこの後見られる多数の穴を設けた「陥し穴猟」と共に、指示・差配するリーダーの存在、上下階層すら窺わせ「原始人」ではありません。現在の後期旧石器時代(祖代)を教えている内容はミスリードで、陥し穴猟、環状キャンプ、世界の他より万年早い磨製石器、釣り針などを教えねばなりません。

アメリカ教授は、これらのことをご存じでしょうか、最初のアメリカ人の「沿岸進入説」が主流となった今、海を北部九州へ越えて始まった日本史、この世界考古学史上の金メダルである「伊豆の海の行き来」、そして狭くなっていた津軽海峡を越えて北海道の暮らしに適応し、北上を続けてカムチャッカ半島沿岸からベリンジアへ、ハワイに続く海の沿岸を、食が豊な処女地の下図緑、昆布ハイウェイルートは、氷期でも内陸より寒くなかったです。

沿岸進入説時代に、この縄文人の先代の北海道祖人が注目の有力候補であることが、ご理解いただけますか。

 

アメリカ教授が、「最初のアメリカ人は縄文人でないnot Jomon」という見出しになっている内容を発表しました(断定ではなく良心的な留保付き)が、結論的に図左のAかBゼロか、未知Cかあるいはこれらいずれかの混合か、といったことをはっきり打ち出すべきで、見出しは誤解を生むミスリードです。

図右上、むしろ最初に沿岸から入って来た「最初のアメリカ人」古いXとその後の主体となる内陸無氷回廊ルートの新Bの違いを認識すべきで、図左下の北海道発の海民系Aは、依然として候補なのです。そもそも時代的に縄文人(1.65万年以後)は「最初のアメリカ人」問題には関わらず、まして12世紀登場のアイヌは全く問題外な日本事情が理解されていないようで、発信不足です。日本教授、Jomonが登場しています、世界に発信を。

東京・札幌オリンピックの機会を逃した政府・学界は、今こそ米ニューメキシコにおける2.3万年前の子供足跡発見で湧く人類史の「最初のアメリカ人」問題に予算を講じて研究者の努力の豊富な蓄積を資料に、世界に広報発信を。

「調べようと思えば資料は出している」ではダメです。祖代(縄文前)については「原始扱い」で、日本の子供さえ充実の内容があるのにしっかり教わっていません。

世界人類史の課題研究は、例えば①伊豆の海で20kmを越える島を行き来し、3.8万年前に黒耀石を採集して広域の交易をしていた海民社会性を示す史実は、世界史的にも極めて重要であり、また、実は日本史の始まりと期間60%を占める文化・習俗の基層を知る事でもあります。国際総合研究の主導など、政府の特段の研究推進努力と世界広報発信を。

第1図は各地の広範なDNAサンプルから、人類がどう拡散したかをあくまで推測したルート図ですが、赤丸・北海道を北上通過する線が描画され、氷期最寒期の氷床(白)線が考慮されている点が注目され、日本国内における巷間本・博物館の井の中の蛙と言うべき3方向(北・北海道、西・北部九州、南・南西諸島からの人類)渡来図の誤りを世界の視野で正しています。

第2図は、「最初のアメリカ人」を検討するためのベリンジア関連広域の旧石器遺跡の状況を展開したものですが、大問題は圧倒的な質・量の日本関連は沖縄人骨遺跡1ケ所だけ(注:時代定義が若干異なるが、日本のはむしろ古いモノ)となっています。どういうアメリカ教授の説明事情かは分かりませんが、日本側のデータでは、列島で1万件以上、北海道は701件で、日本祖代前期(4~3万年前頃、現生人類)では、シベリア・北米地域せいぜい数件が論議中という状況で圧倒的に日本側が充実です。今回第3図2.3万年前の子供足跡遺跡の重要性は、内陸通路の未通時代における沿岸進入という近年説の補強です。祖先が沿岸から入って来たと思われるのに、海水面(時代により50~120m低下)の上昇で古い沿岸の遺跡は海中であり、ベリンジア地域~米本土で1.6万年前程度以前の遺跡しか無かったものが、一気に数千年遡り、かつ、その最寒期時代はとてもシベリアを東方へ移住するのはムリでしたから(氷床線)、その前の3万年前頃のやや寒さ緩和期が考えられますが、しっかり遺跡のバイカル湖地区は2.4万で間に合わず、RHSヤナ遺跡3.2万は一時的な使用跡と考えられていて東方移住移動はなかったでしょう。ベーリング地域遺跡は1.5万年前以降です。

という事で、始まりのBシベリア狩猟族祖先説は検討される状況なのに、日本の祖代事象、旧石器遺跡の状況、特に北海道の状況と昆布ハイウェイのAルートを発信しないのはもはや罪です。学者が人骨にこだわるにしても、北キツネやクマが石器を作り使う訳がありません、遺跡を認め認識しましょう、膨大なアイヌ・ウポポイ予算を投じて更にデータの世界仕様での、特に北海道・千島の状況の発信や貢献 しうる 国際共同研究を積極的に強化しましょう。実は日本祖史をよく知り子供に伝えるためのコトでもあるのですから。 

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