米国での図右下⑤昨年9月末発表の2.3万年前の足跡発見ショックで、改めて見直しされている現生人類移住史。日本では何故か教室でよく教えない、今の人々の直接祖先の始まり時代の話。
①出アフリカ後、東進してアジアに至り、過半が没しているスンダランド地域は揺り籠。「インマレイド」(古モンゴロイド)は東進して海を越えてオーストラリアに、他方、北上し沿岸のみならず河川を遡行してローラーをかけるように沿岸・内陸に拡がり、遂に日本列島に。従って、印離島のアンダマン諸島の人のDNA・言語と遠く離れた日本のそれとが似ていても、東チベットの人々とDNAが似てるのも、それぞれが孤立的な特色を考えれば残っていて不思議ではないのです。数十mの海水面上昇で沿岸での暮らしの痕跡は消えましたが、始まりの「パンカル海」周辺にいくつか残っており、フィリッピンの6.7万年前のカラオ洞窟人骨等の痕跡は重要です。この環パンカル海の人々が北上し、③台湾から「北東亜平野」沿岸を北上し、「曙海」周辺に拡がった訳で、万年後の魏志倭人伝の時代でも地域の繋がりの痕跡はしっかり残っており、南船北馬の違いも理解できます。さて、渡海した九州の「祖人」Proto-Japaneseは南に北に拡がりましたが、驚きをもって注目すべきは列島中央部、現代を思わせる関東・東海・甲信越の繋がりある賑わいです。
海産物の沿岸、広大な関東平野での狩猟、大雪が無かった日本海側などの環境条件に加え、特に神津・恩馳島と甲信における宝物の黒耀石の存在がラッキーでした。おそらくこの時代の世界で、最も人口密度が高かったのではないでしょうか。社会性ある落とし穴猟や環状キャンプなどの生活文化も高かったのです。そして、東北の縄文土器や土偶、漆製品など世界に誇る事象に繋がっています(先進九州は姶良大噴火災害・3万年前が、大変残念でした)。引き続き狭かった津軽海峡を越えて北上し、➃おそらく3.5万年前後には祖人は道東にまで広がり、伊豆の海を行き来した子孫ですから、次々に島が見えた千島列島を北上したでしょう。北千島の「遊動」海民で石器人的と言われた「ルートン」は、最長80kmの北得撫海峡を越えて動いた舟と共に「アイヌよりよほど古い」(鳥居龍蔵)暮らしの痕跡を残していました。なお、千島列島は当時氷河期でもあり、流氷を歩いて越えたのかもしれません。次々に島が見え、海獣・鳥卵・海産物と食が豊かな「昆布ハイウェイ」Kelp Highwayでしたから、ルートン痕跡の残るカムチャッカ南部を越えて北上し、ベリンジアからの「最初のアメリカ先住民」に関わったことでしょう。
無論、13世紀から(人骨実証は室町時代から)のアイヌではなく、世界の学者にも誤解している人がいるので正されねばなりません。⑤沿岸ルートから昆布ハイウェイを南下したとみられる「最初のアメリカ先住民」ですが、数千年遡った新たな米国史は、まだ、それが誰なのか、特に動画の発表も絶えてありませんので注目です。欧米学者先生は、足あとは誰だと言うのでしょう、北海道祖人の子孫ですか? 膨大なアイヌ200億円記念館展示・生活支援などの予算から、北海道史の国際共同研究による解明貢献と神社・遺跡の保護など有意義な事に、一部回して使用すべきです。